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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第二章:汝が力は誰が為に……
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Act05:出発、マギア・フェスタ

 朱音がレイゼルピナ魔法学院にやってきて三日目の朝。薄ぼんやりと日が昇り始めた頃、中庭には数十人の生徒が集まっていた。

 全員が馬に乗り、その瞬間を今か今かと待ち構えている。

 年に一回行われる、学校対抗の魔法競技大会──マギア・フェスタ。ここにいるのは全員、その大会の参加者なのである。

 その中には、レナ達五人の姿もある。今回はそれに混じって、朱音、ソフィア、シャリオの姿もあるが、そっちの三人は大会参加者ではないので馬には乗っていない。

「それで、どうやってメレティスまで行くんだっけ?」

「シェリー……あんた本当に話聞いてないのね」

「確かぁ、フィラルダまで馬で行ったあと、近郊の港に停めてある船で国境付近まで行ってからぁ……なんか乗るんですよね? なんでしたっけ」

「…たぶん、アレだけど、ついてからのお楽しみ。むふぅ」

 とまぁ、いつも通りアホ丸出しなシェリーの処理に追われるレナ、アイナ、リンネ。

 リンネの鼻息が荒いのを見るに、メレティスに関係のある移動手段──乗り物──なのだろう。いったいどんな物が出てくるのか、今から楽しみだ。

「それにしても、空飛ぶ船かぁ。うぅぅん、私も楽しみかも」

 そしてここにも、もう一人アホ丸出しな人物がいた……。異世界だというのに観光気分丸出しの、昶のお姉ちゃんが。

「しかしこの空気、気に入りませんわね」

「まぁ、仕方ないんじゃないんですかね? 二年生にとっちゃ、気に入らない選定でしょうから」

 そんなレナ達プラス朱音とは正反対に、ソフィアと昶は周囲から向けられる妬み、嫉み、やっかみの視線に辟易(へきえき)としていた。

 そんな目で見てくる生徒に、昶は見覚えがない。となれば、やはり上級生なのだろう。

 今回マギア・フェスタに参加する生徒、なんと主力は一年生なのである。人数こそは上級生のほうが多いものの、学院長権限でねじ込まれた生徒というのが一年生ばかりだったのだ。しかも一番の花形である模擬戦闘の競技に関しては二年生の方がオマケ扱いときたものだから、二年生の怒りももっともだ。

 まあ、その原因を作っているのは、やたら実戦を経験した昶やレナ達のせいでもあるのだけれど。特に昶に至っては、模擬戦の中でも個人戦で一番上に名前が乗っているくらいの力の入れようである。

「遠吠えすらできないなんて、負け犬以下の腰抜け連中ですわね」

「あんま言わないでください。視線が強くなってますよ」

「ふん、聞かせているのです。どうせ、睨むだけで何もできないのですから」

 昶の忠告にも聞く耳を持たず、ソフィアは毒づく。

 しかしソフィアの言った通り、上級生達は睨んでくるだけでそれ以上は何もしてこない。

 ここで問題を起こして出場停止になりたくないだけなのもあるのだが、それ以上に昶やソフィアの放つ──魔力とは異なる強者の気配に恐れ(おのの)いているのも確かだ。

 それに王女殿下のいらした舞踏会の日、相手に襲いかかる昶の姿を目撃している生徒も多数いる。

 常軌を逸した身のこなしは、上級生たちのまぶたに鮮烈と焼き付いていることだろう。

 そしていい加減、一年生達の居心地も悪くなってきた頃になって、ようやく出発の準備が整ったようだ。

 前の方から、順々に校門に向かって移動していく。せめて号令か、何かしらの合図でもしてくれればいいのに。

 だがお陰で、上級生からの嫌な視線は随分と減った。

「で、姉さん達はどうすんの? ソフィアさんに飛ばしてもらうの」

「たぶんねぇ。行き先もわかってることだし、先に行って待ってる」

「ですわね。わたくし達は大会に参加するわけではないですから、荷物も自分で運ばねばなりませんし」

 ちなみに、大会参加者の荷物は既に竜籠によって運搬中だ。

 昶達が港に到着する頃には、荷物の積み込みも終わっている予定となっている。

「では、先に行って待っておりますわ。シャリオ、アカネさん、よろしいかしら」

「私は大丈夫」

「大丈夫です、ソフィアお姉ちゃん」

 ソフィアは風精霊(シルフ)を集め三人の身体と荷物を浮かせると、生徒達を迂回するように大回りをしながらフィラルダの方へと向かっていった。

 三人分の体重と荷物はけっこうな重量になるはずなのだが、アイナより速い。あれでまだ全力ではないのだから、恐れ入る。

「アキラ、ぼーっとしてないで行くぞ」

「ぐずぐずしてんじゃねぇよ」

「っとに、ミシェルは本当に口が悪いな。こっちは馬に慣れてねぇんだから、そんなに()かすなよ」

 声をかけてきたのは、ミゲルとミシェルのマグヌスト兄弟だった。

 相変わらず兄の方はおちゃらけていて、弟の方は生真面目。一卵性の双子なせいで顔立ちはそっくりなのだが、真反対の性格のせいかぱっと見ではそこまで似たようには見えない、不思議な兄弟である。

 久しぶりに、男だけでの会話ができそうだ。昶は慣れない手つきで、馬の手綱を振った。




 フィラルダの近くには、レイゼルピナ屈指の大河、セキア・ヘイゼル川が流れている。

 北部の大森林地帯であるシュバルツ・グローブから豊富な栄養分を運んでくるこの川は、フィラルダ周辺の肥沃な土壌と相まってレイゼルピナで最大規模の穀倉地帯の形成に一役買っている。

 飛行船舶の普及する以前、この地で作られた農作物を買い付けに全国から人々が集まってきたことをきっかけとして、フィラルダは行商人の街として発展してきた経緯を持つのだ。

「でっけぇ……」

「そういえば、アキラってここ来たの初めてだっけ」

 だが、セキア・ヘイゼル川がフィラルダにもたらした恩恵はそれだけではない。

 飛行船舶の普及をきっかけとして、その船の停泊する港が大小問わず全国各地で作られた。

 陸上に港を作るには、どこからか大量の水を引き入れなければならない。ある程度の規模ならば、国内で算出される水精霊(ウンデネ)の結晶を水へと変えることで確保できる。

 しかし、フィラルダはその当時にはすでに最大規模の商業都市。大型の飛行船舶を持つ商人達からの要望で、それらの停泊できる大規模な港が必要とされたのだ。

「あぁ。シュタルトヒルデでもだいぶびっくりしたけど、こっちは陸だしなぁ…………。どうやって作ったんだよ、こんなもん」

「基本的に、魔法兵がやってたわ。今でも大規模な土木工事なんかは、魔法兵の仕事だし。全部手作業でするわけにもいかないでしょ、こんなの作ろうと思ったら」

 港に流し込む水を水精霊(ウンデネ)の結晶だけでまかなうのは絶対に不可能。そこで目を付けられたのが、莫大な水量を有するセキア・ヘイゼル川だったのだ。

 街のすぐ近くにとはいかなかったものの、セキア・ヘイゼル川から水を引くことに成功し陸上に巨大な港を作り上げたことで、フィラルダは現在の商業都市という地位を確固たるものとしたのである。

「これ、ちょっとした湖くらいあるんじゃねぇか?」

「人工湖としては、つい最近までこの辺一帯じゃあ一番大きかったみたいよ。この人工湖の建造に参加した魔法兵の人数なんて、未だにレイゼルピナ史上最多みたいだし」

「そりゃそうだろうな……」

 とまあ、レナの解説を聞き終えたところで、昶は改めてその人工湖を見渡した。あまりに巨大すぎて、視力を強化でもしない限りは対岸が見えない。

 魔法を使ったとはいえ、手作業だけでこれほどまでに巨大な人工湖を作り上げてしまうなんて。昶は改めて、人間ってすげぇんだなぁ、なんてことを考えていた。

 で、その昶の隣では、

「これって、本当に空飛ぶ船なのよね? あれってファンタジーとかゲームの中だけだと思ったけど、まさか本物に乗れる日がくるなんて……。涼子さんに自慢できるわ」

 なんか大学へ行ってから変な影響を受けたらしい朱音が、友人の名を口ずさみながら感極まっていた。

 とはいえ、感極まってしまうのには昶やソフィアにもよくわかる。

 地上にいるみたいに揺れることもなく、外に出れば爽やかな日差しと心地よい風が堪能できる。

 天気の良い日なんかは、わざわざ低速航行をして日差しや景色を楽しむ時間を作ってくれたりと、地球ではまず有り得ないような空の旅が満喫できるのだ。

「点呼が済んだ者から、速やかに乗船するように。船内は基本的に自由行動ですが、立ち入り禁止の場所には入らないようにしてください。なお、食事を行うのは自由ですが、目的地に着いてから昼食が支給されますので注意を。あと、貸し切りだからといって調子に乗らないように。それでは、点呼を始めます」

 風精霊(シルフ)の結晶を用いた拡声器で全生徒に叫ぶのは、今回のマギア・フェスタの引率を任されている学院の先生の一人だ。

 薄桃色の髪をうなじのあたりでまとめ、きりりとした濃紺の瞳はまさに『できる女』を絵に描いたような人。メガネなんてかけたら、とても似合いそうだ。その分、ただでさえ強い近寄りがたさは割り増しになるだろうけど。

 名前は確か、メルチェリーダ。主に二年生以降の講義を担当しており、一年生の講義には実習系科目の先生がいない時の代わり──それも実習の監督に来るくらいなので、面識は無いに等しい。

「さっきも聞いたけど、姉さん達乗っても大丈夫なのか?」

「うん。学院長には、話は通してるから大丈夫。ね、ソフィアさん?」

「えぇ。学院長からの許可は頂いております。馬は用意できなかったそうですが、付いて行くのは自由なそうです。シャリオの勉強にもよさそうでしたので」

 ソフィアに頭を撫でられて、シャリオは恥ずかしそうにそのソフィアの影に隠れた。

 相変わらず、シャリオのことを溺愛しているらしい。その証拠に、撫でてるソフィアの顔は慈愛に満ちた優しい表情をしていた。

 それは昨日ずっと一緒にいた昶達も一度もていないもので、ソフィアにとってシャリオはそれだけ特別な存在のようである。

 その間にも点呼の方は粛々と続けられ、二年生が終わり一年生も続々と乗船していく。

 シェリーやアイナ、リンネ達は既に船に乗り込んでいる。もう間もなく、昶やレナ達の番が回ってくるだろう。

「そういや、この船ってどこまで行くんだっけ」

「メレティスとの国境沿いまで。そこからは陸路って話だけど、具体的には聞かされてないわ」

 そう言うと、レナは今朝配られた注意事項の書かれた紙を取り出した。そこには注意事項と一緒に、レイゼルピナとメレティス周辺の大雑把な地図が描かれている。

「直線距離で行くのが一番いいんだけど、それだとシュバルツグローブのど真ん中を通らなくちゃいけなくなるの。飛行実習の時はまだまだ安全な場所だったからよかったけど、最深部の上空はさすがに危険だから。それに、それだと飛行時間が長すぎて船を飛ばしてる魔法使いももたないしね」

「それでシュバルツグローブは避けて、適度に港で休憩できるルートで行くわけか。なるほどな。陸路って、何使うんだろうな」

 するとその地図をのぞきこむように、朱音とソフィアが後ろからぬっと顔を出した。

「馬だったら、私は走ってソフィアさんはシャリオ連れて飛んでかなきゃ行けないの? さすがに嫌よ、それ。ものすごい遠そうだし」

「全力で飛ばしても、かなりの時間がかかりますわよ。わたくしは構いませんけど」

「その心配はございません。少なくとも、馬ではありませんので」

 いきなり声をかけられて、レナ、昶、朱音、そしてソフィアは声のした方を振り向く。

 そこには、今回の引率長を務めるメルチェリーダの姿があった。ちなみに、シャリオは例によってソフィアの影に隠れている。

「学院長からお話は聞いております。ソフィア=マーガロイド様、シャリオ様、アカネ=クサカベ様ですね。私はメルチェリーダ=ソレィメスと申します。何か問題がありましたら、私にお願いします」

 見た目のイメージのまま自己紹介と説明を終えたメルチェリーダは、朱音達には何も言わせないまま、続いてレナと昶の方に向き直った。

「また、あなたの関係者のようですね。レナ=ル=アギニ=ド=アナヒレクス」

 瞳の色と同じくらい冷たい視線に、レナは背中をびくっと震わせる。もしかしたら、昶の知らないところで色々と言われているのかもしれない。

 昶自身も、この世界に来てからけっこうな厄介事に巻き込まれたり、あるいは首を突っ込んでいることを自覚しているわけであるし。

 そんなことを考えていると、メルチェリーダと目が合って昶はぷいっと反対側を向いた。

「あたしというか、アキラの関係者のような……」

「まあ、それはどちらでもいいです。ここ最近、実技の成績が急速に上がってきたようですが、油断はしないように。あなたの出場する競技は模擬戦闘・集団戦の部。大変な危険の伴う競技ですので」

「は、はぃ……」

「私には、なぜ学院長があなたを指名したのかはわかりませんが、出場が決まった以上は最善を尽くしてください。期待しています」

 期待という言葉とは裏腹に、その声音には一切熱がこもっていない。

 これでは、はなから期待などしていないのがバレバレだ。そういう台詞を口にするのなら、せめて演技くらいはすればいいものを。

 レナとのやりとりが終わり、メルチェリーダは次に昶へと目をやる。先ほど目をそらされたのを気にしているのか、目つきが凄いことになっている、気がする。

 突き刺すような鋭い視線と気配に、昶は思わず息を飲んだ。

「アキラ=クサカベ。出場する競技は模擬戦闘・個人の部、ですか」

「みたいですね。聞いたのは、昨日の夕方に学院長に呼び出された時ですけど」

「これまでの経歴でいえば、あなたの参加はそれだけで反則のような気もしますが…………」

 まあ確かに、ごもっともな意見だ。

 当の本人ですらそう思っているのだし。

「くれぐれも、相手に怪我をさせないように注意してください。勝利判定の規約は聞かされていますか?」

風精霊(シルフ)の防御鎧が支給されて、それが尽きるか審判が止めに入ったら終わりですよね。聞いてます」

「よろしい。あまりやりすぎて、防御鎧を突き抜けないように」

「気を付けます」

「それでは、皆さん乗船してください。私達で最後のようですから、乗り込み次第出航します」

 面倒事が終わったとばかりに、メルチェリーダはこきこきと肩を回す。それから飛行術で浮き上がったかと思うと、そのまま甲板まで飛んでいってしまった。

「それじゃ、あたし達も行きましょう」

「そうだな」

「今から乗るのかぁ。私楽しみ」

「アカネさん、浮かれすぎです。シャリオ、出て来たばかりですけど、またみんなに会えますわね」

「うん、ソフィアお姉ちゃん!」

 レイゼルピナ魔法学院の生徒と教師にオマケ数人を乗せた飛行船舶は東へと進路を取る。目的地は国境沿いの街、グレシャス領北部のビルカーニ。




 飛行船舶の出航は、朱音の想像していた以上に静かに行われた。とはいえ、普通の船にも乗ったことがないので、どっちの方が静かなのか比べられないのだが。

 それは置いといて、船旅は順調に予定通りの航路をたどっていた。現在は朝が早かったのもあって、船内の広いフロアでほぼ全員が雑魚寝している。

 この風景を見ていれば、とても名家の出身とは思えないようなふてぶてしさだ。

 昶的には、こんな床同然の場所──それでもふかふかの絨毯は敷かれている──で休憩なんてできるか! とか絶対誰かが言い出すと思っていたのだが……。ある意味究極の自主性が試される学院なだけに、みんな貴族とは思えないような耐性がついているのかもしれない。

 ちなみに、睡眠時間をきっちりとらないとダメなレナは、乗り込んですぐにぐっすり寝てしまった。

「それにしても、気持ちのいい風ね。これでもう少しあったかかったら、言うことないんだけど」

「無茶言うなって。確か、まだ三月上旬くらいらしいし、この辺って日本より少し寒いっぽいんだから」

 ついでに、ソフィアもシャリオに付いて一緒に雑魚寝している。

 そんなのもあって、昶と朱音は甲板の上で、久しぶりに姉弟水入らずの時間を過ごしていた。

 太陽側の手すりに肘を乗せ、二人は眼下の風景をぼんやりと眺める。

「で、実際のところどうなのよ。こっちでの生活」

「どうって、どういう意味だよ」

「顔つき。だいぶ変わってるわよ、あんた。なんだか、前より必死っていうか、一生懸命っていうか……そんな感じ」

「レナに拾われてなかったら、どうなってたかわかんねぇけどな」

 もしかしてバレてしまったのかと、昶の心臓がどくんと跳ねた。

 いくら姉であるとはいえ、昶はそのことを伝えることができない、知られたくない。そんな風に思ってしまうのだ。

 いつ暴走するともしれない、草壁の呪われた血の力のことを。

 朱音に相談すれば、まず間違いなく連れ帰られる。そして恐らく、関係の悪い父親も昶のために力を貸してくれるだろう。

「可愛い子ね、レナちゃん。それに、いい子っぽいし」

「普段はもっと凶悪だぞ? 最近はそうでもないけど、ちょっと前までは肉体強化が使えるからって、あの杖でどつかれてたんだから」

「そりゃ、あんた女心がわかんないし、それは仕方ないでしょ。それに、どつかれるのは構わないじゃない。どうせそんな痛くないんでしょ?」

 しかし、それは地球へ帰ってしまわねばならない、このレイゼルピナを去らなければならないことを意味している。

 地球へと帰ってしまえば、二度とレイゼルピナには来られないかもしれない。

 朱音はどうにかこうにかして来られたのは、『貴女やわたくしという“世界の異物”に照準を合わせて道を通したからでしょう』というのがソフィアの見解だ。つまり、異物となる存在がなくなってしまえば、朱音と同じ方法では来られないという意味なのである。

「こっちも警戒してたら平気だけど、そうじゃない時にやられたら悶絶するって。何回か、死ぬかと思ったくらいなんだし」

「まぁ、確かにごつかったもんねぇ、あの杖。肉体強化してなかったら、確かに死ねるかも。でも、好きなんでしょ?」

「バカッ、誰もそんなこと言ってねぇだろうが!」

 自由に行き来できるなら、こんなに悩むこともなかっただろう。

 血の力の問題を解決したらレイゼルピナ戻って、そんなことができたら一番いいのに。

「まあ、異世界の新生活は良好そうだからよかったわ。術の方も、ちゃんと朝練してるみたいだし、過激な戦闘もやらかしてるみたいだし」

「過激な戦闘は、したくてしてたわけじゃねぇって」

 巻き込まれたこともあれば、逆に自分から首を突っ込んだこともあったけれど。

 もっとも、どんな過激な戦闘であろうと後悔はしていない。守りたいものを、ちゃんと守りきることができたのだから。

「それはそうと。昨日のアレ、いったいなんなの?」

「精霊──自由意志を持った精霊素の塊みたいな存在がこの世界にはいるんだけど、それの作り方……だと思う」

「自由意志を持ったって、そんなの本当にいるわけ?」

「俺に聞かなくてもわかってるくせに。今だって船の中に、やけにでかい精霊の気配するだろ」

「いや、確かにそれは変だと思ってたけど、じゃあこの不自然な精霊の気配って、全部その自由意志を持った精霊ってわけ?」

「そういうこと」

 ひえぇ~、と朱音は顔だけ真顔のまま口だけオーバーリアクション気味に驚いた。どちらかと言えば、驚きを通り越して呆れに近い印象だが。

 そういえば、まだ朱音は普通の精霊にも会っていなかったっけ。

「知り合いに精霊連れてるやついるから、後で会ってみればいいよ。本当に自分の意志を持ってるから」

「そうねぇ……。それもいいお土産話になりそう」

 そして二人は再び、昨日ネーナに見せられたものを思い返す。

 エザリアの工房の奥にあったもの。

 それはエザリアがこの世界で試行してきたであろう、全ての実験・研究の記録であった。

人工人間(ホムンクルス)の基礎理論をベースに、奏心術式(そうしんじゅつしき)で核となる“心”を形成し、精霊素を特定の形状となるように誘導してやるんだったっけ、昶ぁ。その、とんでも錬金術師の文献によると」

「そんな感じだったなぁ。ってか、人工人間(ホムンクルス)ですら超一流の錬金術師の中でもほんのわずかしか作れねぇってのに、どうやったらそんなもんを応用できんだよ。そっちの方がぶっとんでるって」

 しかも、そこにあったのは人工精霊アーティフィシャル・エレメントの資料だけではない。

 昶も実際に目にした、神代の時代の武具を再現した完全再現具パーフェクト・リバイバルや、原型(オリジナル)以上の能力を付与された超過再現具(オーバード・リバイブ)に関する資料や、この世界の獣魔の肉体構造に基づく高効率の魔法陣の設計案、地球にはない未知の魔法の基礎理論。

 魔法と関係ないものでは、科学技術の進捗具合の調査やレイゼルピナ全土での兵員配置図や練度の指標、思わず目を疑いたくなるような資料が山のように出てきたのである。

 ラテン語混じりの英語で書かれていたその資料は、レイゼルピナの人々から見れば未知の文字だ。

 だからエザリアは、油断していたのであろう。どうせ誰も読めないのだから、わからないように偽装する必要もないと。

 そのおかげで、昶達はエザリアの残した資料を瞬時に読み解くことができたのである。

 そして改めて理解した。エザリアがどれだけ、格上の相手だったのかを。

「それよりも、そんな相手を昶がどうやって追い返したかの方が、お姉ちゃんは気になるなぁー?」

「さぁな、俺にもよくわかんねぇよ。気付いたら、全部終わってたんだから」

 嘘だ。本当は全てを鮮明に覚えている。だから言えないのである。

 暴走した草壁の血の力が、エザリアを押しのけただけのこと。決して昶自身の力で退けたわけではない。そしてそれが、昶の悩みの原因でもあるのだから。

「でもあんた、才能だけなら私よりも上だし、何か偶然みたいなことがあったのかもね」

「俺が姉さんより才能が上なわけねぇだろ。方や里の代表格、方やサボり魔の出来損ないだぜ?」

「それは、昶が真面目に練習してこなかったから。ちゃんとやってたら、今頃は私よりも上だったかもしれない。まぁ、あんたがひねくれちゃった原因作った、張本人の言うことでもないかもしれないけど」

 そう言って、朱音は自虐気味に笑って見せた。

 今の朱音があるのも、昶と同じあの事件がきっかけだからだ。

 朱音は昶に心配をかけたくなかったから、それまで以上に盲目的に腕を磨き続けてきたのである。今の里の中でも指折りの実力者となったのも、気付いたらなっていただけに過ぎない。

 朱音の願いは、最初から一つだけ。変な重荷になりたくなかった。それだけである。

 だって真に里の未来を背負うのは自分ではなく、昶だと思っているから。そしてそれは、今も変わっていない。

「でも、昶も十分普通じゃなかったわよ。結果的に爆発しちゃったけど、あの時の折り紙、ちゃんと式神になってた。たった五歳で、それまで一回も式神なんて作ったことがなかったのに」

「過大評価だって。爆発させちゃったんだから、失敗は失敗だろ」

「本当に失敗してたら、爆発なんてしない。注ぎ込んだ霊力の量が正しかったら、あんなことにはならなかった。だから……」

 ──だから、もっとあんたは自由になりなさい。私のことなんかで、思いつめたりしないで……。

 昶が自らの身に起きていることを話せないのと同じく、朱音もそこ言葉がでてこなかった。

 だって、それこそおこがましいではないか。昶の人生を歪めてしまった張本人が、もっとまっすぐ生きろ、なんて言うのは。

 すぐそこまで出かかった台詞は喉の奥へと飲み込まれ、変わりに朱音は船縁をつかむ手に力を込める。肉体強化を使わない、素のままのの手の力で。

「……俺も中で寝てくるけど、姉さんはどうする?」

「充電器の予備が生きてる間に、もうちょっと写真とか動画とっとこうかな。こういうの、好きそうな友達がいるから」

 そっか、と言い残して、昶も船内に向かった。

 甲板に一人残された朱音は、携帯電話のカメラで眼下の景色を撮影する。

 シャッター音を模した電子音が、虚しく耳まで届く。

 やっぱり二人は姉弟で、変なところでそっくりなのだ。相手のことを思っているが故に、言いたいことも言えない不器用なところなんて。変な共通点に気付いて、朱音はふっと笑った。

 そして、改めてほっとした。

 物凄く遠くに連れてこられただけで、昶は居なくなっていなかった。

 そしてなんのしがらみもない異世界の地に来て、ようやく自分自身を生きようとしている。

 自分の知らないところでぐっと急成長していた自慢の弟に、朱音は微笑みを浮かべていた。


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