Act04:異世界の痕跡
朱音はシェリーの付いて来られるギリギリの速度を保ったまま、フィラルダの街をまっすぐに縦断する。
そのさなかも、時々後方のシェリーを確認。慣れないスピードのせいかやや危なっかしい足取りではあるが、ぴたりとくっ付いて来ている。気合いだけなら、昶よりあるかも、なんてね。
しばらくすると、朱音の速度がふわっと緩くなった。着地の瞬間、シェリーは勢いをやや殺してジャンプする。
それからもう二歩、三歩とジャンプしたところで、朱音は立ち止まった。
「はぁ、はぁ、どうしたんですか?」
「ん~とねぇ、昶達の気配がこの辺からするんだけどぉ~。あ、いたいた」
屋根の上を歩いて周囲を見下ろしていた朱音は、目的の人物を見つけてその方向にジャンプした。
息も絶え絶えのシェリーも、最後の力を振り絞って朱音に続く。
「シェリーさん、お疲れさまです」
「…上手くひっかかった」
するとそこには、朱音にさらわれたはずのアイナとリンネの姿があった。
しかも、オシャレなオーブンテラスでホットケーキなんて食べてる。
「あ、うん。冷静になって考えてみたら、変なことするわけないって思って、心配はしてなかったんだけどね……」
でもこれは、予想してたのよりだいぶ斜め上の光景であった。
さらった人とさらわれた人が、仲よく一緒にティータイムだなんて。
「メレティスの王室からも、それなりにふんだくってきましたので、お金の心配は必要ありませんわよ」
ついでに、シェリーは知りたくもないソフィアの新しい一面を知ったのであった。
「メレティスは知らないけど、ソフィアさんがどっかの誰かを脅したのだけはわかったわ……」
「メレティスはレイゼルピナの隣国で、同盟国だってよ」
「じぁあ、脅したのは政府か。規模がでかいなぁ。さすが、ネームレス」
そして、朱音が昶からレイゼルピナとその周辺国についての講義を受けている頃、
「ところでリンネ。さっきの『上手くひっかかった』ってどういう意味なの」
シェリーによる、クラスメイトの尋問が密やかに行われていた。
「…仕返し。恐い思い…させられ、た」
「リ、リンネ?」
と、シェリーはようやくリンネの様子がいつもと違うことに気が付く。
こう、見ているだけで、背筋がぞわぞわぁってするような。
「あの、もしかして……」
「怒ってるみたいですよ、リンネさん」
「…そう」
あの気の弱いリンネが、本当に? 信じられないようなものを見る目で、シェリーはリンネをのぞきこんだ。
リンネの怒っているところなんて、初めて見た。
一見すれば、いつもと同じようにしか見えないのだが……。よくよく見れば、なんとなく目が釣り上がっているような気がする。具体的には、レナの百分の一くらいの釣り具合だけど。
それでも、冬の冷気とは違う不気味な寒気が、足下から這い上がってくるのがわかる。視線やしぐさの一つ一つから、怒りが伝わってくる。普段怒らない人が怒ると、本当に怖いのがよくわかった。
「ソフィアさんに逆サプライズを提案したのも、リンネさんですしね」
「…ちょっとは反省、しなさい」
「えっと、どういう意味、なんでしょうか?」
「…わかった。一から説明、してあげる」
ぽつぽつと愚痴混じりにのリンネの言葉をまとめると、こうだ。
まずシェリーが二人から先行したところを見計らって、ソフィアと朱音が上から急襲。口を塞がれてまずは少し離れた場所に連行され、洗いざらい吐かされた。
で、そこでリンネが提案したというわけだ。普段振り回されっぱなしのシェリーを、たまにはギャフンと言わせたかったらしい。
その時のリンネの目の気合いの入りようったらもう。格上のソフィアや朱音も、思わずたじろいでしまうほどであった。
それからの決定は、早かった。リンネの提案を受け、朱音はシェリーを引きつけるために喧嘩をふっかけ、その間にソフィアはリンネとアイナを連れてお店探し、朱音が式神で昶とレナに諸々を伝えた、というわけだ。
「あの、なんと言いますか、今まですいませんでした……」
リンネの怒りが身に染みたらしい。シェリーとは思えないような意気消沈した声音で、ようやく謝罪の一言をひねり出した。
口調まで敬語になってしまっている辺り、相当堪えたらしい。
「これに懲りたら、少しは周りの迷惑を考えることね」
「レ、レナ……」
そこへ追い討ちをかけるように、幼馴染みのレナからも強烈な一言をのたまった。
今日だけで二度も粉々になったシェリーの心が、三度木端微塵に打ち砕かれた。
もう、寮でなく実家に帰りたい。実家の自室に引きこもりたい。
いや、もういっそ消えてしまいたい……。
「災難だったわね、あんた達も」
「…大丈夫。今回ので、けっこうスッキリ」
「そうみたいですね。リンネさん、なんかさっきまでよりお肌ツヤツヤになってる気がします」
「…はふ、ホットケーキ、おいしぃ」
床にひれ伏して真っ白になっているシェリーは放置して、レナもリンネの隣の席に腰かけた。
それから、甘い香りを漂わせるホットケーキ(リンネの太鼓判付き)を一切れ頬張る。
「あ、ほんとに美味しい。センナが作ってくれるのより美味しいかも」
本人が聞いたら、きっとレナの知らないところで闘志を燃やして猛練習なんてしちゃうだろう。
四度目の復活を遂げたシェリーは、そんな感想を抱きつつ、レナとアイナの間──リンネの対面側の席に座った。
ホットケーキはシェリーの分も用意されているのだ。食べないともったいない。
あぁ、香りはすっごい甘いのに、口の中はなんでこんなにしょっぱいんだろう。無駄に美味しいホットケーキの味が、今は無性に悔しく感じてしまう。
「あははは。ごめんねぇ、ちょっと調子に乗り過ぎちゃって。昶にも怒られちゃった」
塩味のするホットケーキをばくばくと食べるシェリーの後ろに、頭をぽりぽりかきながら朱音がやってきた。
いったい何を言われたのか、ただでさえ小さい朱音がもっと小さく見える。
「改めて自己紹介。草壁流高野派、草壁朱音よろしくね」
「ふぇ、ふぇひー=は=はーひふぇほ=ふふぇひゃふへふ」
「…シェリー、食べてから、話す」
「っんぐ、シェリー=ラ=アーシエ=ド=グレシャス、です」
リンネにまた怒られて、シェリーは口の中のものを無理やりに飲み込む。なんだか、今日はリンネがいつもよりキツい。
一回爆発しちゃったから、今日はもう全部ぶちまけちゃうつもりなのかも。
「はい、よろしくね」
と、朱音はシェリーと固い握手を結んだ。
たじたじするシェリーが面白いらしくて、リンネはとっても満足そうである。
「そんな気を落とさないの。ちゃんと鍛えれば、もっともっと強くなれるから。なんなら、私が鍛えてあげてもいいわよ?」
「それホントですか!?」
さっきまで半分死体みたいだったシェリーの目が、いきなり輝きを取り戻した。
いや、それどころか当社比二倍で輝きマシマシである。
「お願いします! 私を弟子にしてください! 師匠!」
「くぅぅ、嬉しいこと言ってくれるじゃない。わかったわ、短い間だけど、魔術以外の全部を叩き込んであげる」
「ありがとうございます!」
恐らく、レイゼルピナの歴史上、初めて異世界の人間と師弟関係の結ばれた瞬間であろう。
ある意味でそっくりな女の子二人が、過激な鍛錬内容をぼっぱじめたところで、昶はレナの近くに、ソフィアはアイナの近くに、隣のテーブルから持ってきたイスを持ってきてそれぞれ座った。
「で、この後の予定はどうするんですか?」
「そうですわねぇ。アカネさんは単に観光したいだけのようですし、それっぽい場所に連れて行って差し上げればいいのではないかしら」
昶の問いに答えながら、ソフィアもようやく自分のホットケーキを一口。うむ、みんなの感想通り、なかなかの味である。
特にシロップ。地球では味わえないような独特の風味がただよっている。
さっぱりとした甘さなのに、長く舌にとどまる濃厚さもあって、もう最高。歴戦の魔術師であるソフィアも、思わず頬を緩めてしまうほどだ。
ちなみに、昶は一口食べた瞬間に濃すぎる甘さに胃の中味が逆流しそうになり、既にギブアップしている。
「フィラルダは商業都市だから、買い物には不自由しないわね。まあ、目玉スポット、みたいな場所もないけど」
「私はあんま来たことないから知らないです。リンネさんは、何か知りませんか?」
「…私、書店くらいしか、行かないから。あむ、はぁぁ……」
昶の献上したホットケーキは、レナ、アイナ、リンネの三人で仲良く食べられていた。
ホットケーキも、昶のような味のわからない野郎よりも、レナ達のような可愛い女の子に食べられるのが本望だろう。
「では、アカネさんのご希望の場所を回る方向にいたしましょう。レナさん、リンネさん、アイナさん、そしてシェリーさんも」
「は、はいっ!?」
「ん? ほひはひは?」
ソフィアに呼ばれて、過激な鍛錬内容を繰り広げていたシェリーと朱音が振り返る。
雲の上の方に声をかけられたシェリーは、声を裏返しながら。朱音の方は口いっぱいにホットケーキをつめこんでいて、まるでエサをほっぺにためたリスのよう。
──うわぁ、ちょっと可愛いかも……。
そんな朱音を見て、学院の女生徒達は心を通じ合わせたのであった。
ホットケーキを満喫したところで、魔術師三人とマグス四人はフィラルダの街を散策した。
とはいえ、レナの言ったような観光名所らしい場所は本当になかった。
一応、街の記念碑やらモニュメントのような場所はあったのだが、まあ残念というか、なんというか。
地味な等身大の石像のおっさんの石像とか、セキア・ヘイゼル川に宿るとかいう美しい精霊の像とか(高さ一メートルくらい)、ホント見なければよかったと朱音は思った。
でもその分、地元グルメ的なものは非常に充実していた。さすがは、国内最大の穀倉地帯といったところか。
数え切れない種類のパンやケーキに、朱音とソフィアは目にお星さまを浮かべていた。
女の子はやっぱ甘い物が好きなのは、日本も欧州もレイゼルピナも一緒らしい。甘いものは世界を超える(女の子限定)んだなぁと、昶はしみじみと感じた。
「うっわぁぁ、すごい美味しい。これ持って帰りたいけど、日持ちしそうにないし、そっちは諦めるしかないかなぁ……」
「それよりもアカネさん、あなたいったいどれだけ食べれば気が済みますの? けふ、わ、わたくしも、人様のことは言えませんけれど」
「いやだって、朝から何も食べてなかったし、ここ来るまでだいぶ走ったし。あと、甘いものは別腹って言うでしょ」
店を出てからは、朱音の目に付いたお店のパンやケーキを片っ端から食べて回った。
時にはお口直しに、惣菜パンやサンドイッチのようなものをはさみつつ、これでかれこれ十五件目だ。
四件目まで辺りはなんとか付いて行ったレナ達であったが、さすがにもう入らない。五件目からは、朱音とソフィアの独壇場だったのであった。
しかしまあ、朱音もソフィアも大変満足してくれたようで、レナ達も一安心である。
「アキラさん、『ベツバラ』って、どういう意味なんですか?」
「おいしいものや好きなものは、お腹いっぱいでも食べれるって意味」
「…間違っても、胃が二つあるって……意味じゃないから。シェリー」
「わ、わかってるわよそれくらい! 人間に胃が二つもあるわけないでしょうが!」
「そんな動揺してたら『そう思ってました』って言ってるようなもんじゃない。ほんと、あんたって嘘つくのヘタよね」
そのお陰もあって、レナ達も普段食べないようなものを食べられて、自分達が思っていた以上に楽しめたのだけれど。
支払いは全部ソフィアがしてくれたのもあって、アイナも遠慮しながらもしっかり食べていた。
あら、それはわたくしの気遣いは必要ない、という意味でしょうか? なんてすごまれては、さすがのアイナも断れなかったらしい。
案外、ソフィアはアイナの事情や性格も熟知しているのかもしれない。
「ソフィアさん。今更ですけど、シャリオは連れてこなくてよかったんですか?」
「えぇ、今日は疲れたので休むんでいたいそうです。昨日は、早朝からメレティス王国の首都からひとっ飛びしてここまで来たので」
「…っ!? それ、ホント?」
昶の問いに何気ない風に答えたソフィアだったが、その答えに食いついたのは以外にもリンネであった。
「えっとぉ、レナ。メルカディナスって、船でどれくらいかかったっけ……」
「あたしの記憶違いじゃなかったら、チャーター船で半日ちょっとはかかったと思うんだけど。途中で休憩も入れながら」
それに、シェリーとレナも続く。
リンネはメレティス王国の出身であるし、レナとシェリーも幼い頃にメレティス王国を訪れたことがある。
とてもじゃないが、『ひとっ飛び』で飛んでこられるような距離ではないのだ。それも生身でなんて。
「確かに少し厳しかったですけれど、お姉様に付き合わされて大西洋を横断した時のことを思えば、たいしたことはありませんわ」
すると今度はそのびっくり発言に、昶と朱音が驚かされた。
「ちょっと待ってください……。姉さん、大西洋渡るのってどれくらい距離あんの?」
昶はいったんソフィアの動きを止めておいて、朱音に声で耳打ちする。
しかし、
「そんなの、私が知るわけないでしょ」
返ってきたのは、期待外れの言葉であった。
「むしろ、無駄に本読みあさってたあんたの方が知ってるでしょ、普通」
「……だって英語得意だろ」
「読むくらいならあんたでもできるでしょうが! そもそも英語関係ないし!」
「海外で活動する予定なら、知ってた方がいいだろ」
「そんな予定ないってぇの。あと、地理は国内しか勉強してないから、海外まで網羅してないからね」
「そこの姉弟、ヒソヒソ話はかまいませんが、バカがバレますわよ」
ソフィアの白けた目に気付いて、しょうもないことで言い争っていた二人は、ぱっと離れた。
「ちなみに、飛行距離は約三〇〇〇キロ、イギリスのグレートブリテンからアメリカ西海岸までです。ユーラシアから飛んでいたとしたら、果たしてたどり着けたかどうか……」
当時のことを思い出してか、ソフィアの口から乾いた笑いが漏れた。
着くには着いたが、大西洋横断はギリギリだったらしい。少なくとも、ソフィアにとっては。
それにしても、三〇〇〇キロか。確かそれって、北海道から沖縄くらいまでの距離のはずなので……。
「すげぇな、三〇〇〇キロ。日本の全長くらいあるぞ?」
「うっわぁぁ……それは確かにすごいわ……。気が遠くなるわねぇ」
昶と朱音は、リアルな数字を聞いて再び口をあんぐりさせるのであった。
確かにそれと比べれば、隣国で陸続きなレイゼルピナとメレティスなら、そこまで苦ではなかったであろう。
ただ、大西洋横断がどれほど凄まじさ数値なのかわからないマグス四人組は、終始頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた。
「それで、そろそろ時間もいい頃合いだと思うんだけど、どうすんの?」
昶は太陽の方をちらりと向きながら、朱音に聞いた。
まだ日は赤くなっていないが、そう遅くない内に夕方になるだろう。それから学院まで帰っていたら、完全に日が暮れてしまう。
「う~ん、じぁあそろそろ帰ろっか。晩御飯は昶に奢ってもらえばいいし」
「って、弟にたかるなよ。まぁ、別にいいけど」
「よし、やったぁ!」
昶に奢ってもらえるのが嬉しいのか、朱音は小さくガッツポーズを決める。
ちなみに、昨日の夕食代はレナが代金を払ってくれた。
「それでは、今日はこれで帰りましょうか。明日のこともありますし。えぇっと、一番近い出口はぁ……」
「ここからなら、北から外に出た方が早いと思います」
「では、そう致しましょう」
ソフィアの仕切りにレナが答えて、一行は北に向かって歩き始めた。
街の上空は飛行規制がしかれているので、手っ取り早く空を飛んで帰るにはまず街を出なければならないのだ。
途中で美味しそうなお店を見つけるも、時間がないのでスルー。朱音とソフィアは、ちょっとだけ名残惜しそうにしながら通り過ぎるお店を見送っていた。
だがそれと同時に、周囲の状況を観察していておかしい点があることにも気付いた。
突然二人の目つきがかわったのに、昶も緊張感がこみ上げてくる。
「あの、何かありましたか?」
恐る恐る、昶はソフィアにたずねる。
レナ達マグス組は状況がつかめず、不安そうな表情を露わにした。
「いえ、急に兵士の数が増えたと思いまして」
「ついでに、魔力の方も強めのがちょいちょい。昶、あんたもちょっと探ってみなさい」
マジモードの姉に指示されて、昶も注意深く周囲の魔力を探ってみる。
都市警備隊クラスの魔力なら、フィラルダに来たときから感じている。
朱音もそれはわかっているはずである。ならば、単に気配を探る以外の何かがあるのだ。
気配の大きさや数でないとすれば、あとおかしなところがあるとすれば……。
「あっちの方か。なんか、魔力の密度が高い」
「正解、ですわ。一ヶ所だけ、他より強い魔力を持った兵士が多く集まっているようです」
ソフィアは昶の指さす方を向き、キッと視線を強めた。
「で、どうするんです? 行ってみるんですか? あのきな臭い場所に。正義の味方さん?」
「もちろんです。それに、少し気になることもありますから」
挑発するような朱音の言葉に、ソフィアは即答で頷いた。
魔力の密度が高い場所に向かって、ソフィアを先頭にして七人は歩みを進める。
その中心部へと近付くにつれて、疑問は確信に変わった。
魔力うんぬんではない。周囲を漂う空気が、ピリピリと肌に突き刺さってくるだ。それはレナ、シェリー、リンネ、アイナにも感じられるほどである。
そしてさらに近付くにつれて、気配だけでなく目に見える形で変化が訪れた。
「ここのようですわね」
「うわぁぁ、すんごい警備。これじゃ、見つけてくれって言ってるようなものじゃない。ねぇ昶」
「まぁ、隠すつもりもないんだろ。その必要もないわけだし」
人の寄りつかなさそうな暗い通り。シャッター街のような、薄気味悪さが漂う場所のさらに袋小路となっている場所に、それはあった。まるで宝物でも守るガーディアンのように、赤銀鎧を纏った魔法兵が立っているその場所に。
一見すれば、ただの廃墟にしかみえない。だが、よく見ればそうでないことがわかる。
それは入り口だ。鉄筋コンクリートでできたそれは、明らかにレイゼルピナのものではない。
「これって、もしかして」
「えぇ、間違いないでしょうね」
昶とソフィアは、それを見て目を細めた。
間違いない。
あれはこの場にいない、もう一人の魔術師──錬金術師の工房だ。世界最強と謳われる術者の内の一人、エザリア=S=ミズーリーの。
「乗り込みますわよ」
「そんじゃ、私も付いて行こっと」
まずはソフィアと朱音が、赤銀鎧達に向かって行く。
「レナ達は、ここで待っててくれ。あいつが拠点に使ってたんなら、何かトラップがあるかもしれない」
「……うん、わかった」
付いて来ようとしていたレナ達を、昶は制した。
あのエザリアに関連のある施設だ。何が起こっても不思議ではない。
人工精霊の二柱や三柱くらい、いたっておかしくはないのだ。そんな場所に、レナ達を連れて行くわけにはいかない。
昶はシェリーやアイナ、リンネにも目配せして、それぞれが頷き合う。
「遅かったじゃない、昶。お嬢さん達には、ちゃんと話付けてきたの?」
「あぁ。地獄の底よりえげつなさそうなとこに、連れていけるわけないだろ」
「そんなに危険なやつなんだ。そのエザリアって錬金術師」
「えぇ、その通りです」
昶の台詞を横取りして答えたのは、全開辛酸を舐めさせられたソフィアだった。
「教皇庁の中でも戦闘に特化された集団、その中でも指折りの物騒な連中ですわ」
「もしかして、それって禁書図書館のこと?」
「よくご存知で。その通りです。エザリア=S=ミズーリーは、教皇庁が禁書図書館に所属する、真正の怪物です。残念ながら、ネームレスにもこれ以上の情報はございません」
いったいどんな話をつけたのか、三人が近付いただけで赤銀鎧の兵士達は道をあけてくれた。それも恐れおののいた表情で。
「もしかして、また脅したんですか?」
「まさか。懇切丁寧に自己紹介しただけです」
「それ、同じ意味ですから……」
まあ、すんなり入れたのだからこれでよしとするか。
鉄筋コンクリート製の四角い入り口をくぐると、そこは地下へと続く階段になっていた。
終着点は見えないほど遠い。いったいどこまで続いているのだろうか。
通路の両端には松明が置かれているので、足元は明るい。先に降りていった連中が置いていったのだろう。
無事生きていてくれればいいのだが。
「もう少し降りたところで行き止まりが……。扉ですかね」
風精霊を使って空間内を走査したソフィアは、結果を二人にも伝える。
昶と朱音は腰の刀に手をやり、ソフィアもいつでも精霊魔術を撃てるように魔力を練り上げてゆく。
それから少し下ったところで、いよいよ階段の終着点が見えてきた。
鬼が出るか蛇が出るか。何も出て来てくれないのが一番ではあるが……。
「それじゃ、開けるぞ?」
扉に手をかける昶は、ソフィアと朱音に最後の確認をする。
即座に二人とも頷き、昶も頷き返した。
ギギィ……。
重厚な金属製の扉が、ゆっくりと開く。
最大限まで警戒していた三人であったが、その扉の向こうに見えたのは完全に予想外の光景であった。
「こんなもん、どっから持ってきたんだよ……」
「さすがに、元々持ってた……なんて量じゃないわよね。これ」
呆然とする昶と朱音の口から、自然とそんな言葉がこぼれた。
扉の向こう側にあったのは、赤い非常灯のついた薄暗い部屋であった。
かなり広い。ちょっとしたオフィスビルの一フロアほどはあるだろう。そのスペースを埋め尽くす勢いで、大量のパソコンが設置されていたのである。
とはいえ、当分前に放棄されてしまったのだろう。電源を維持するために、一部のパソコンをのぞいてほとんどの電源が落ちていた。
「誰だ、貴様ら!」
暗がりで気付かなかったが、既に中には数人の人影があった。恐らくは、松明を置いていった連中だろう。
蒼銀鎧が五、六人と思ったが、白銀鎧も二人ほど混じっていた。
「ソフィア=マーガロイドです。申し訳ございません。無理やり入らせていただきました」
ソフィアの名を聞いたとたん、鎧達は背筋をびくっと震わせた。
そりゃ、赤銀鎧の末端連中までソフィアのことを知っているのだから、その上の連中は知ってて当然だろう。
「なんだ、お前らかよ。ったく、脅かしやがって」
「あら。誰かと思えば、ネーナさんではございませんか」
その白銀鎧の内の一人は、昶やソフィアと顔見知りのネーナであった。
「お姫様の護衛はどうしたんですか?」
「そっちはミゼルや他の連中に任せてある。オレは嫌われ者だからな。この前の一件で人数も足りねえし、いいように使われてんのよ」
昶の問いかけに、ネーナはやれやれといった感じに答えた。
厳密な人数は非公開となっているが、以前の反乱事件の際に少なくない兵士達が反乱に荷担していたらしい。
それにしても、自分で自分のことを嫌われ者って……。
「こっちきな。いいもん見せてやるよ」
するとネーナは三人の返事も待たず、部屋の奥へと向かっていった。
もちろん、三人ともこんな場所で帰るつもりはない。
特に昶とソフィアにとっては、手も足も出ずに負けた敵の本拠地でもあるのだ。どんな些細な情報でも、見逃すつもりはない。
いったい、どんなものを見せてくれるのだろう。三人はネーナを追って部屋の奥へ向かった。