第三話 初めてのおつかい Act01:バカでも風邪を引く
居候生活も二週間を過ぎレナの部屋にもだいぶ慣れてきた昶の生活に、いい意味でも悪い意味でも変化が生じていた。素の自分をさらけ出せる友人達から、暴君から身を守る方法まで……。いつものように早朝修練に出かけた昶であるのだが……。
昶がレナの部屋に居候をするようになってから、二週間が過ぎた。
相変わらず暴君レナ様の御命令に逆らえない昶は、いいように尻に敷かれている。
ご機嫌を取らなければ、即暴言+物理攻撃──具体的には杖ではたかれる──が待っているのだ。
むしろ、どんな男子であろうと素直に尻に敷かれる道を選ぶであろう。
またそれとは別に、昶の好みも多分に影響しているのだろうが、とにかく可愛いのもある。
こう思うのは昶だけかもしれないが、毎朝見る寝顔が戦術兵器並に可愛いのである。
くしゃっとなった髪の毛も、桜色の唇も、工芸品のようなまつげ、果ては表情や息づかいに至るまで可愛いのだ。
それに、なんにでも一生懸命な所にも心惹かれるものがある。
勉強も、魔法の練習も。
そんな可愛くて一生懸命なレナを見られるのなら、多少のことはどうでもよく思ってしまえる昶なのであった。
そして、いつものように朝の早い内から目の覚めた昶は、外出の前にまずレナの寝顔をのぞきこんだ。
寝乱れたオレンジの髪の毛と、小さな体躯が目に映る。
自分でもマナーとかその他諸々に違反しているとは思っているのだが、とりあえず全部レナが可愛いのが悪い。
自分の責任を全部レナに転嫁した昶は、天蓋から伸びるレースのカーテン越しにレナの寝顔を堪能すると、部屋を後にした。
レナの寝顔観賞以外にも、習慣化しているものがいくつかある。
その内の一つが、シェリーとの早朝修練である。
同じ肉体強化系であるのと同時に剣を扱うという点から、毎朝二人でやっているのだ。
練習相手がいるといないでは内容も大幅に変わってくるので、これには昶もずいぶんと感謝している。
普段は誰か──特にレナ──をからかうことに命を賭けているシェリーであるが、こうして毎日努力しているのである。
まったく、起床の鐘の音が鳴るまでぐ~すかぴ~と寝ている誰かさんとは大違いだ。
いや、まあ、レナも努力していないわけではないのだが、なんと言うか……。色々と報われない子なのだ。
そんな風にレナのことを考えながら、女の子特有の甘ったるい匂いのする女子寮を出た昶であるが、いつもと違う点が一つだけあった。
いつもなら寮の出入り口で待っているはずのシェリーが、今日はいないのである。
常日頃からおふざけ感マックスのシェリーなのだが、こういう所で妙に律儀な部分があったりするのだ。
そんな部分を察したからこそ、昶もシェリーの修練に付き合うことにしたのであるが……。
とにかく、付き合ってもらうんだから私が先に居なきゃダメでしょ、と言っていたシェリーが今日はいないのであった。
「……どうしたんだ、あいつ?」
それからしばらく待ってみるものの、シェリーのやって来る気配はない。
自分の心臓の音すら聞こえそうなほど静まり返っている寮なら、どんな小さな物音でも聞き分ける自信がある。
のだが、足音どころか扉の開く音すら一切聞こえない。全くの無音なのである。
「まあ、いっか」
寝坊なら、その内来るだろう。
むしろ、今まで遅刻しなかったことの方を驚くべきだろう。
それに、毎日する必要性もないわけであるし。
特に昶などは、ほとんど惰性で続けているだけなのだから。
だんだんと怪しくなっていく雲行きに不安を感じながら、昶は校門までダッシュした。
「おはよう、リンネ」
「…おはよう」
レナは先に食堂で朝食をとっていたリンネを見つけた。
今朝のメニューは、トーストにマリネにソーセージ、野菜たっぷりの煮込みスープのようだ。
「…アキラも、おはよう」
「おはよ。ん~~」
昶は大きく背筋を伸ばすと、リンネの隣のイスを引いた。
そこへさも当然のように、レナが腰を下ろす。
悲しいかな、いいかげん使用人根性の染みてきた昶であった。
気付いたら、身体が自然にイスを引いていたのである。
レナとリンネの話に耳を傾けつつ、昶は厨房の目の前に設置されたカウンターへと向かった。
「おはようございます、アキラさん」
席に着くと、呼んでもいないのに飛んで来るエリオット。
あの不吉な笑顔、間違いなく『新しいメニューを考えてみたので食べてください!』と言うに違いない。
「今回のは間違いなく美味しいです! 自信作です!」
一言たりとも一致しなかったが、ニュアンス的には完全に一致したと言っていいだろう。
いつもの如く、昶の本能が全力全開で警鐘を鳴らしていた。
「もう少しでできあがるんで、待っててくださいね」
昶はせめて食料として口にできるものの完成を願いつつ、エリオットの後ろ姿を見送ると、すぐ後ろで繰り広げられている会話に耳を傾けた。
「そういえば、シェリーは? 食堂にもいないみたいだけど?」
「…今朝から、見てない」
「そう。寝坊かしら、珍しいわね」
「…確かに」
向こうの方も、シェリーのことをあれこれ言っているようだ。
そりゃ、毎朝欠かさず修練を行っているのだから、寝坊することなんてないだろう。講義のない週末の二日は休んでいるが。
しかし昶以上に食い意地の張っているシェリーが、まだ食堂に来ていないというのは気になる。
普段はレナもしくはリンネと一緒に行くか、もしくは一人で先に行っているかのどちらかなのだが、今日はまだ来ていないようだ。
「今日の一時限目って、なにも講義入ってなかったわよね?」
「…うん。ダンス。二次限目は、確か……物質化についての、座学、だったかな」
「じゃあ、一次限目は休んでも平気ね。ちょうどいいわ、シェリーの様子でも見に行きましょ。寝てるようなら、叩き起こさなくちゃ」
「…別に、叩かなくても」
「いいのよ。ベッドから落ちても起きないくらいなんだから」
「…そ、そうなんだ」
レナのあまりに乱暴な発言に、リンネはおっかなびっくりな様子である。
言い換えれば、そんなことが言えるほど仲が良いのだろう。
ただ、昶も今回はレナの意見に賛成だ。
勝手なイメージではあるが、シェリーはいくら起こそうとしても自分から目を覚ます以外起きないような気がする。
昶同様に頑丈な身体と、それに加えて図太い神経を持つシェリーのことだ。
こぶができるほど殴ってようやく『ん~、おはよぉ』とか言いかねない。
あくまで、昶の勝手なイメージであるが。
「できましたよ。どうぞ」
と、昶の目の前に美味しそうな湯気の立つ料理が、一皿置かれた。
なにを血迷ったのか、朝から非常に重たいステーキ(なんの肉かは不明)である。
ミディアムレアに焼かれた肉はたっぷりの肉汁がしたたり、その肉汁と香辛料の香りがあいまって非常に食欲をそそる。
もしかしたら、これは初めて期待できる物が食べられるかもしれない。
おまけらしい、カリッと焼き上げられたパンの耳もあるが、すでに昶の眼中にはない。
フォークとナイフを構え、昶はステーキにかぶりついた。
「今日のは最近この辺の森で、王国軍に討伐された獣魔のお肉なんですよ」
それを聞いた昶の脳裏には、この前倒したノム・トロールの姿が思い浮かぶのだった。
結局その後ノム・トロールの姿が頭から離れなかった昶は、料理の味を一切楽しむことなく食事を終えた。
エリオットから聞いた話によると、超大型のイノシシみたいな獣魔らしいのだが、昶としてはそれをもっと早く言って欲しかったものだ。
そうすれば、あの妙な苦行みたいな時間を過ごさずに良かったものを。
普段の劇物からは想像もつかない絶品だったのだろうが、今となっては完全な手遅れである。
次の当たりが出るのは、いったいいつになることやら……。
そんなわけで朝食を終えた三人は、シェリーの部屋へと向かっていた。
寮に入った瞬間、女の子特有の甘ったるい匂いが昶を出迎える。
こればっかりは、どうにも慣れるもは無理そうだ。
「で、これからシェリーの部屋を襲撃しに行くと?」
「そうよ。まったく、なにやってんのかしら、あの脳筋女。人一倍食い意地張ってるのに、朝食にも来ないなんて」
「…ま、まぁまぁ」
レナを先頭に、その後ろに付いて行く昶とリンネ。
若干興奮気味のレナを、リンネは勇気をふりしぼりがんばってなだめていた。
もっとも、怒っているのは見ためだけで、内心は心配でしょうがないのはレナの言葉を聞いていればわかる。
もう少し素直になれば、可愛さも二倍くらいは増すだろうに。実にもったいない。
まあ、それがレナなのであるが。
「確かに、色気よりは明らかに食い気が上だもんな、シェリーのやつ」
「…それは、うん、そう、だね」
その点に関しては、リンネもちゃんと認識しているらしい。
苦笑いしながら、昶の言葉に頷いていた。
「いても騒がしくて迷惑してるのに、いなかったらいないで迷惑かけるなんて、ほんとにもう……」
口ではこうだが、本当は心配でたまらないのだ。……たぶん。
三人は急な階段を上り、廊下の一番端──シェリーの部屋──へと向かう。
「シェリー、いいかげん起きなさい! 朝食の時間はもうとっくに過ぎたわよ!」
レナはシェリーの部屋の前まで来ると、乱暴に部屋の扉を叩いた。
分厚い木の扉はどんどんと叩かれるごとに、鈍く低い音を響かせる。
魔法文字によってほぼ完璧な防音対策がなされているが、こう激しいと他の部屋にも響いているのではないかと心配になってくる。
現に昶とレナが激しい喧嘩(正確には昶の方が一方的に殴られているだけ)をしていると、時々シェリーが怒鳴り込んでくるなんて事も何度かあったわけで。
「…大丈夫。今、講義中……だから」
「え?」
「…えっとだから、その、人は、い、いないから。だから、大丈夫」
「あ、そっか」
表情から昶の心配を察したリンネが、消え入りそうな声で説明してくれた。
そいえば、一時限目はさぼっても大丈夫な講義だとか食堂で言ってたっけ、と昶は数分前の出来事を思い出す。
それはひとまず置いといて、リンネの声には癒し効果的なものがあるらしい。
昶が普段相手にしている二人──無論、レナとシェリーだ──はどちらも気が強く、癒しなんてほとんど感じられないのも原因なのだろうが……。
──はぁぁ、俺もだいぶキてるな……。
そんな風に思っている自分に気付いて、自分の精神状態を真剣に心配する昶であった。
「……んぁぁ、レナァ、おはよぉ」
と、何十度目かのノック──というには少々強すぎるが──をした所で、部屋の扉がそっと開かれた。
そこからひょっこりと顔を出したのは、もちろん部屋の主であるシェリーだ。
だが、なにやら様子がおかしい。
とりあえず、シースルーでレースとフリルをふんだんに使った黒いネグリジェは見なかったことにして、昶は即座にシェリーへと背を向けた。
「…………あんた、大丈夫?」
しばらく怪訝そうな表情をしていたレナであるが、諸々すっとばしてそれだけ言った。
「ちょこ~っとだけ、大丈夫じゃないかもぉ」
まあ、それはそうだろう。
普段は隠れていて見えない雪のような肌は、全身薄桃色に染まりうっすらと汗ばんでいる。
しかもしゃべり方が、非常に間延びしていて億劫そうであった。
「でしょうね。あんた、どっからどう見たって風邪だもん」
「うん。おかげでさぁ、朝から頭がくらっくらしてさぁ、すんごいだるぃ、うわっ!?」
「へみゅっ!?」
レナがシェリーに押しつぶされた。
シェリーの下から、レナのくぐもった悲鳴が漏れる。
「…ッ!? シェ、シェリー!!」
「ちょ、しっかりしろ!」
可愛らしい……ではなく、苦しそうな声に昶も駆け寄った。
すでにリンネが懸命にシェリーを引っ張り上げようとしているのだが、レナよりも細い腕ではもちろんそれも叶わず……。
「リンネ、代わって」
「…ぅ、うん」
昶はシェリーの隣まで回り込むと両脇をつかみ、一気に持ち上げた。
ぷにぷにと弾力のある肌の感触と体温を掌に感じ、鼻にはシェリーの汗の匂いと、昶はノックアウト寸前である。
しかもネグリジェの滑らかな手触りやら、微妙に胸の感触なんかも感じられて、顔面に身体中の血液が一気になだれ込んできた。
「リ、リンネ、レナを……」
「…はっ、レナ、しっかりして」
リンネがなんとかレナを引っ張り出したのを確認すると、昶は壁に背中を預けるようにしてシェリーを座らせる。
呼吸は少々乱れているようだが、ちゃんとできているようだ。
体温もいつもより高いが、特に命に危険のあるような温度でもない。
昶は自分とシェリーの額にそれぞれ掌をやってみるが、問題はなさそうである。
「うぅ、ありがと、リンネ。あとアキラも」
レナはゆっくりと起き上がりながら、リンネと昶にお礼を言う。
そして廊下で打った後頭部をさすりながら、ふるふると頭を振った。
なんの防御もとらない、まっすぐ立った体勢から押し倒されれば、さぞ痛いであろう。
昶は後頭部を打った時の、頭の中がぐわんぐわんするような痛みを思い出して、思い切り顔をしかめる。
しかもあれは数分の間、ジーンと痛みが残るのだ。
相変わらずシェリーの艶姿を直視できない昶は、頬を赤く染めながら背中を向ける。
その間にレナとリンネは、まずシェリーを部屋のベッドへと運び込んだ。
毎度のこととわかってはいるのだが、いつもの如く足の踏み場がない。
教科書、ノート、参考書、詩集、小説、小さな置物くらいまでならまだわかるのだが……。
食べかけのパンやら、空になったワインボトルやら、使用前と済みが入り乱れた制服私服下着の数々。
それと、なぜか刃物のようなものまで──。もちろん、ちゃんと鞘には納まっている。
さすがに抜き身のまま放置するほど、バカな真似はしない。
シェリーは、頭は悪いが決してバカではない、はずである。
「衣類だけでも、先に片付けちゃおっか」
「…そう、だね」
そんなわけで、昶にも部屋の片付けを手伝わせるために、二人は手始めに散乱した衣類を片付け始めた。
たたまれたまま放置されているものはタンスに、それ以外はレナが自分の部屋から持ってきた籠の中へと突っ込む。
三割くらいは洗濯していそうではあったが、もう面倒なのでもう一度洗えばいいだろう。
放置されすぎてしわくちゃになってしまっているので、この際もう一度きれいにしていただこう。
「それにしても、大きいわねぇ」
「…うん」
レナとリンネの目を釘付けにするのは、シェリーの真っ赤なブラである。
お世辞にも大きいとは言い難いレナと、断崖絶壁的な意味で絶望的なリンネにとって、それは信じられないようなサイズであった。
二人が付ければ、問答無用でずり落ちること必至である。
ちなみに、他には赤紫、黒、濃い青、シェリーのイメージからは想像もつかないフリフリの白なんかもある。
「いったいなに食べたらこんな風になるのよ」
「…グレシャス家、秘伝のメニューが、ある、とか」
※食べているのは二人と同じ食堂の料理です。
「きっとあたし達の分まで吸収してるのよ、そうよ、そうに違いないわ。じゃなきゃあたし達三人の中でシェリーだけ大きくなるなんてどう考えても不自然よ」
「…吸収、それには、納得」
※現在のレイゼルピナにそのような魔法は存在しません。
「そこぉ、自分のが小さいからってぇ、人のせいにしなぁい……!」
頬が上気させ目のとろ~んと垂れたシェリーが、二人のことをジロリと見ながら言った。
一見すると酔っ払いにも見えるが、ただの風邪である。
『…なんかシェリー、いつもより、可愛い』
『認めたくないけど、確かに可愛いわね』
リンネとレナはシェリーに聞こえないよう、互いの耳元でこっそりと語り合う。
しかし普段とのギャップが、こうまで露骨に現れるとは……。
なんだ、あの垂れ下がった目は。色気とかフェロモンとかその他諸々大人っぽさ満載ではないか。
あれか、あれなのか、実は自分達に見せつけるのが目的なんじゃないか、とか思ってしまうレナであるが、決してそんなことはない。
「アキラにも手伝わせるけど、部屋に入れてもいい?」
長年の付き合いからシェリーがそういうことを気にしないのは承知しているが、形式的にマナーとしてレナは聞いてみた。
シェリーは回転が普段より九割ほど低下した頭でほんの少し考えてから、
「いいわよぉ、重いのもけっこうあるしぃ」
と、レナの予想通りの言葉を返す。
で、ついでとばかりに、
「別に、最初から入れてもよかったのにぃ。レナってばぁ、そんなにアキラに私の下着見せたくないのぉ?」
いつもの如く、余計な一言でレナをからかっておく。
「ぅああ、あんたには女の子の恥じらいってもんはないの!?」
レナがきゃんきゃんわめいている間に、すっかり慣れた手付きのリンネは素早く衣類の片付けを終えた。
「お前なぁ、病人のいる部屋で騒ぐなよ」
「わ、わかってるけど、あれはシェリーが、ってぇ、あんた今あたしのことを『お前』って…」
「…だからって、あれはちょっとぉ」
「うぅぅ……、それは、反省してるって」
衣類の整理を終え、昶を含めた三人で片付けを開始して数分、思いのほか早くシェリーの部屋はきれいになった。それはもう、他人の部屋なんじゃないかと見違えるほどに。
少なくとも、ちょっと前までこの部屋が足の踏み場もないほど散らかっていたとは、誰も思わないだろう。
「にしても、なんで毎回床が見えなくなるまで片付けないのよ。あんたは」
三白眼でジロリ見てくる昶とリンネには背を向け、レナは毎度お馴染みの台詞をシェリーに言った。
まあ、当のシェリーはどこ吹く風の如く、布団にくるまってそっぽを向いているのだが。
しかもわざとらしく、げほげほとせき込みを始める。
本当は元気なんじゃないのかと、疑いたくなるほど白々しい演技である。
「それは確かにそうだな」
「…少しは、片付けた方が、いい」
「もう少しじゃなくて、絶対その方がいいだろ」
「…そこは、ほら、シェリーだから」
と、レナの背後でもシェリーに対する非難が始まる。
それにしても、リンネの発言が思いのほか酷いのなんの。
『シェリーだから』との発言を聞いた瞬間、布団にくるまったシェリーがびくんと震えたのは気のせいではあるまい。
私いま病人なんですごほごほ、的な雰囲気もどこえやら、『ズーーーン』という効果音が目に見えそうなほど落ち込んでいる。
そんなにショックなら、少しは部屋の片付けをすればいいものを。
自分の健康のためにも、ぜひ。
「えっとぉ、ごめんねぇ。三人ともぉ」
シェリーは布団にくるまったまま身体を起こすと、顔だけ出して三人に感謝の言葉を一言。
もっとも、レナは途中からシェリーと口喧嘩を勃発させていたので、頑張ったのは主にリンネと昶なのだが。
重たい本を本棚に並べたり、入りきらなかったものはとりあえず床に平積みしたり、教科書とノートと参考書は机の上にといった具合に。
そんでもって刃物の類は、部屋の真ん中にあるテーブルにまとめて置いてある。
ちなみに、発動体であるツーハンデッドソードは、大切そうにベッドの頭側に立てかけてあった。
「まぁとりあえず、大丈夫そうなのだけはわかって、ひとまず安心したわ」
「ごめんねぇ。心配かけちゃった上に、部屋の片付けまでやらせちゃってぇ」
「いいわよ、どうせ今に始まったことでもないんだし」
「あっちゃぁ、ひどい言われよぅ」
レナはため息をつきながら、シェリーをゆっくりと横に寝かせた。
それからリンネに魔法で水を出してもらい、その水で濡らした布を額へとあてがう。
「ありがとぉ。ふぅぅ、冷たくて気持ちいいわぁ」
「ほんとにあんたは……。健康管理くらいちゃんとしなさいよ。自分の健康くらい管理できないと、ろくな人間になれないわよ」
「はぃ、それくらいのこと、このシェリーめも重々承知しておりますよぉ」
「…私、医務室の先生、呼んでくる」
「お願いね」
リンネは名残惜しそうにシェリーをちらりと見てから、医務室へと向かった。
レナとは違い、けっこう心配そうな表情をしていたが、それはさて置き。
「けっこう辛そうに見えるけど、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫ょ。ちょっとだけぇ、頭がぼーっとするけどぉ、アキラに心配されるほどでもないからぁ」
と、優しい言葉をかけてくれる昶に、シェリーはにっこりと微笑みかけた。
「でも、あんたが風邪なんて、珍しいこともあるもんね」
レナはシェリーが横になっているベッドの縁へと腰を落とし、いつもより全体的に赤くなっている顔を見つめる。
「そうねぇ、私もけっこうびっくりしてるわぁ」
「むしろ、レナの方が風邪ひきそうだけどな。体力もないから身体弱そうだし」
「あたしはシェリーと違って、自分の健康くらいちゃんと管理できるわよ。まったく、アキラったら」
「そうですか、そりゃすいませんでしたねぇ」
「二人ともぉ、こんな時まで痴話喧嘩とかしなくていいからぁ」
「痴話喧嘩じゃねぇ!」
「痴話喧嘩じゃないわよ!」
人はそれを痴話喧嘩と言うのだが、二人は意地でも認めたくないようだ。
もっとも、シェリーとしてもその方が見ている分には楽しいので、まったくもって問題ない。
「でもぉ、風邪で熱出して講義休むとかぁ、初めての経験かもぉ」
「でしょうね。あたしの覚えてる限りだと、あんたが講義すっぽかしたのは学外に遊びに行った時だけだし」
「あるぇ、レナには内緒だったはずなのにぃ、なんでぇ?」
「前日にうきうきしながら支度してる姿見りゃ、誰だってわかるわよ」
「うっわぁ……。バレバレだったわけですかぁ」
「あんたんとこのお父様から、娘がちゃんとしてるか報告してくれって頼まれてるから。冬期休暇に帰った時に、せいぜい叱られるがいいわ」
げぇ、と苦い顔をするシェリー。
昶は一瞬だけ、その中に寂しそうな表情を見たような気がしたが、今となってはわからない。
「まぁ、そうなったらそうなったでぇ、私は嬉しいんだけどねぇ」
「ん? なんか言った?」
「いえいえぇ、余計なことをやらかしてくれたなぁ、と」
「身から出た錆よ。反省したら、今後二度としないことね」
はいはいと軽く返事を返しながら、レナに独り言を聞かれなかったとシェリーは胸をなでおろす。
「じゃあ、お医者さんの言うことをよく聞いて、安静にしてるのね」
そう言うと、レナはベッドの縁から立ち上がり、まっすぐに扉へと向かう。
「もう帰っちゃうわけぇ? 目が覚めちゃって眠れないしぃ、けっこう寂しいんだけどぉ」
「セインがいるでしょセインが。それに、二時限目までまだ時間がたっぷり残ってるんだから、予習でもするわ。あんたと違って、実技じゃなかなか点数稼げないんだから、座学くらいちゃんとしとかないと」
「私はむしろぉ、その座学がダメだからぁ、実技の方を頑張ってるんだけどねぇ」
「はいはい。講義終わってからまた来てあげるから、それまで我慢してなさい」
「りょーかいしやしたー。レナが来るまでぇ、セインと過ごしてまぁーすぅ」
シェリーは布団から手だけをちょこんと出して振り、レナを見送った。
それを見たレナも、じゃあね、と片手を掲げて見せる。
「セイン、シェリーのこと、ちゃんと面倒見てやれよ」
「承知しております」
と、一応部屋の中にはいたセインが、実体化して現れた。
赤を基調にした長衣と炎のような髪の毛が、一瞬にして構築される。
恐らくは、実体化にシェリーから供給される魔力を使っているので、できるだけ負担を抑えようというセインの配慮であろう。
もっとも、それ以外のことは考えていなかったようだが。
「お話の相手を務めれば、よろしいのですよね」
「よっろっしっくねぇ」
シェリーのとろんとした顔を見ながら、レナと昶は部屋を出た。