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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第二章:汝が力は誰が為に……
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第三話 傷痕 Act04:接触

 次の日、昶は全く予想外の形で朝を迎えた。

「兄ちゃん、もう朝ご飯の時間だぜ!」

「おー! きー! ろー!」

 耳元で発せられる叫び声に、頭の奥がズーンと痛む。眉間にしわを寄せながら薄く目を開けると、昨日屋根の上に連れて上がった男の子が二人、にやにやと笑いながら昶を見下ろしていた。

「お、やっと起きた」

「早くしないと、院長先生のご飯冷めちゃうよ?」

「ん……わかった、すぐ行くから、先に行ってろ」

「「はーい!」」

 仲良く返事した男の子二人は、大急ぎで下の階まで駆けていった。

 そこまで急ぐようなものではなさそうに思うが、それだけマーサの料理が美味いのかもしれない。

 昶は這い出すようにして、ベッドから床へと転がり落ちた。頭が少しぼぅっとしていて、考えが上手くまとまらない。

 ふと窓の外を見ると、もう完全に日が昇っていた。

 普段ならば、太陽が上がる前に起床して、修練を行っているはずなのに。

 自身で想像している以上に、今の状態は身体にとって負担なのかもしれない。そういえば、久しぶりにぐっすり寝たような気がする。だがその理由も、なんとなくわかっていた。

 ――寂しい、じゃないな。ひとりが恐いんだな。

 すぐ隣に人の気配がある。それだけで、どこか安心している自分を自覚していたのだ。

 人の温もりが恋しいなんて、今まで思ったこともなかったのに……。

 ――あぁー、『ない』ってことは、ないかなぁ。

 いつくらいからだっただろうか。早朝や深夜の、同じ部屋でレナと交わしていた他愛もない会話。いつの間にか、その時間が好きになっていたのは。

 そう思った瞬間、一抹の寂寥感(せきりょうかん)が浮かび上がってきた。その気持ちは急速に膨れ上がって、昶の中を満たしてゆく。

 レナと居たい。他の誰もいない空間で、たった二人で話がしたい。

「…………話してみるかな」

 少し気恥ずかしいが、自覚してしまった今、もう止まることはできない。

 どんなに短くてもいい。今すぐレナと触れ合って、話したい。今自分の中で渦巻いているもやもやを全部。

 下階に向かう昶の頭の中は、いつになくすっきりとしていた。




 資材運びを終えた昶は本日、めくれ返った道路の整備を手伝っていた。

 まずは砕けた灰色のレンガブロックを剥がして瓦礫置き場まで運び、住人達がならした地面の上に新しいレンガブロックを敷き詰めて、踏み固めてゆく。

「悪いな、兄ちゃん。ここらへんに住んでるわけでもないのに」

「いいですって。それ、昨日も言われましたから。友達がこの辺に住んでるんで、放っておけなかっただけですって。頼まれたのもあるし」

「どうだい? この後一緒に飯でも」

「すいません、ちょっと用事があるんで」

 手元のレンガブロックを敷き終えた昶は、今度は砕けたレンガブロックを積んだ荷車を引いて瓦礫置き場に向かう。

 お昼のお誘い以外にも色々と世話を焼いてくれるのは嬉しいのだが、今日はやることがあるのだ。

 後ろを振り返り、進捗状況を確認。瓦礫の撤去の方は順調に進んでいるが、その下の地面をならすにはもう少し時間がかかりそうだ。

 昶は角を曲がったところで荷車を止め、大人が一人通れるかどうかという狭い路地へと入り込む。魔術を使う場面は、誰にも見せないようにするのが賢明だ。元の世界ほど警戒する必要もないが、こっちはこっちで本来存在しない術なだけに、やっぱり人に見られるのは極力避けた方がいい。

 どうやら一本ずれたこの辺りの道は被害を免れたようで、年季の入った石材が規則正しく敷き詰められていた。

 ズボンのポケットに突っ込んだ手に握られているのは、一枚の護符である。

 その護符に刻まれた式に言霊(ことだま)を重ね、霊力を注ぎ込むことで仮初(かりそ)めの命を作り出す。式神である。

 手のひらサイズの小鳥の式神は、元気に翼をぱたぱたとはためかせる。

 その式神の足に、昶は事前に用意しておいた手紙をくくりつけた。

 昼食のあと、孤児院の屋根の上で。アキラ。

 たったそれだけの、ちゃんと言葉になっているのかすら怪しい一文。

 こっちの言葉、ちゃんとわかるようにならないと。でなければ、自分の思いすら伝えることができないのだから。

 そう思いながら、昶は式神を宙へと解き放った。式神の視界は昶の脳内にも投影され、それを頼りに昶はレナの姿を探す。

 本当なら念話をすれば済む話なのだが、また昶の中の怨念がなにかしないとも限らない。念には念を入れておくべきだろう。

 飛ばしてからすぐに、孤児院の建物が見えてきた。下からでは気付かなかったが、所々に流れ弾の魔法が当たったような跡がある。できれば、こっちの修理も手伝いたいものだ。

 だがそれよりも先に、今はレナを探さなければならない。子供達の先生をやっているなら、建物の中だろうか。昶は窓際に向かって、式神を降下させようとする。

 するとちょうど良いタイミングで、玄関からレナが出てきた。

 子供達の相手に疲れたのか、深呼吸の後にう~んと大きく伸びをしている。

 昶はレナの胸元へと狙いを定め、式神を降下させた。

『ん? なにこれ?』

 おかしな小鳥に気付いたレナは、両手で包み込むようにして式神をキャッチする。そしてすぐに、その足にくくりつけられた手紙に気付いた。

『……アキラ』

 よかった。ちゃんと、読めるような文章ではあったらしい。少し熱っぽいレナの声に、昶は思わず頬がゆるむ。

 さて、用事も済んだことだし、そろそろ作業に戻ろう。地面のならしも、それなりに進んでいるはずだ。

 昼の休憩時間に期待しつつ、昶は作業に戻った。




「はい、算数の時間はおしまい。ちょっと休憩をはさんだら、次は国語の時間ね」

『はーい!』

 二階の一室で行われていた算数のお勉強会は、子供達の元気な声でお開きとなった。

 次は、マーサから借りてきた絵本を朗読する時間だ。レナにとって懐かしいものも多く、選ぶ時間はちょっぴり楽しかったりもした。

 その内の一冊は、どっかの再従妹(はとこ)のお姫様が大好きなあの物語だ。

「ほんと、懐かしいわねぇ。これ」

 いったい、何度あのお姫様に読んであげたことか。最後の方なんて内容を全部覚えてしまって、そらで聞かせてあげたこともあったほどだ。

「あのぉ、レナ……さん」

「ん?」

 柔らかい手つきでページをめくるレナの元に、小皿を持ったアイナがやって来た。

「これ、院長先生からの差し入れ、です」

 乗っているのは、ほかほかと甘い匂いの漂うホットケーキだ。

「ありがと」

 アイナから小皿を受け取ったレナは窓際まで移動し、下の広場で駆け回る子供達を見る。

 休憩というのは、ようは子供達の遊び時間だ。積み上げられた資材を遊具代わりに、よじ登ったり飛び降りたりして遊んでいる。

「……なんか、すいません」

「なにがよ」

 窓の外を見たまま話しかけるアイナに、レナも遊び回る子供達を見たまま答える。決して、二人の事前が交わることはない。

「アキラさんにあんなこと(●●●●●)しちゃったのに、その、色々とお世話になって。私じゃあ、あの子達の勉強、見てあげられませんから」

「……………………あたし、許したわけじゃないから」

 フォークを握る手に、思わず力が入った。あの時のことを思い出すと、今でも(はらわた)が煮えくり返るような怒りを覚える。

 すぐにでも襟首をつかんで吊し上げた上に、あの時のことを延々と謝らせ続けたい。ついつい、そんなことを考えてしまうほどに。

 しかし、

「あたしも、あの時戦ったから。ここで」

「……そういえば、そうでしたね」

「あたしが戦ったのは城の中庭だけど、やっぱりちょっと思うところがあるのよ。それに、あんたのことは大っ嫌いだけど、それはあの子達には関係ないもの」

 それはそれ、これはこれだ。アイナへの怒りを、同じ孤児院の子達へぶつけるのは間違っている。

 そう割り切れるからこそ、色々としてやれるのである。

「それにあたし、好きみたいだしね。こういうの」

 エルザしかり、ロッテしかり。案外、レナは子供好きなところがあるのかもしれない。レナはホットケーキの最後の一欠片を口へと運んだ。

 さて、もう少しで遊び休憩の時間も終わりだ。次の国語の勉強で使う絵本を決めなければ。

 内容も簡単で、難しい単語の使われてないものがいいのだが……。

「レナ様、アイナ様。マーサ様から、お茶の差し入れですよ」

 するとアイナのホットケーキに引き続き、今度はキャシーラがトレイに紅茶のポットとカップ、それにソーサーを持ってきた。

 かなりの腕前らしいく、カップに注ぐ前から芳醇な香りが漂ってきている。

 昨日マティルダの淹れてくれたのもそれなりに美味しかったが、こちらは本職だけあってまるで別物のようだ。

「ありがと、いただくわ」

「すいません。院長先生、まとめて渡してくれればよかったのに」

「まぁまぁ、そうおっしゃらずに」

 キャシーラは自分の分も含めて三つのカップに紅茶を注ぎ、レナとアイナに手渡す。

 レナは一口をくちに含み、その香りを楽しむ。

 やっぱり、昨日呑んだものより数段香りが高い。もしかして、センナの淹れてくれたものより美味しいかもしれない。なんだか、ちょっとだけ昶が羨ましくなってきたかも。

 レナは存分に楽しんでからカップテーブルの上に置き、絵本の小山から一冊を手に取る。

 やはり、これが一番読みやすいだろう。

「レナ様、そちらは?」

「『フェルディナント物語』ってゆう、旅人とお姫様とドラゴンのお話。聞いたことない?」

「はい。私、出身はメレティス北部なので、この辺りのお話は」

「そっか。メレティスの方じゃ、あまり知られてないんだ」

 そもそも、フェルディナント物語はレイゼルピナの南側に隣接する国──バルトシュタイン──の更に南部にある海岸沿いの街が舞台となっている。海のないメレティスでは、その辺りの説明も難しいだろう。

 エルザあたりが知ったら、ものすごくがっかりしそうだ。レナは本を開き、中身にも目を通す。絵本なだけあって簡単な単語を多く使っているが、所々に難しい言い回しの部分がある。

 読むことに関しては問題なさそうだが、ちゃんと意味が通じるかどうかは微妙なところだ。

 でも、フェルディナント物語は、レイゼルピナでは広く知られている物語だ。内容そのものは、みんな知っているだろう。

「では、お皿をお下げします。紅茶はまた取りに来ますので、もうしばらくお楽しみください」

「ありがと。お願いね」

「あ、紅茶は私が持って行くので、大丈夫です! キャシーラさんも、お客さんの方なんですから」

 そういえばそうでしたと、キャリーサはペロリと舌を出した。そう言いながらも、キャシーラは手際よく、レナとアイナからホットケーキの乗っていた皿とフォークを回収。最後に二人を振り返って、もう一度微笑んだ。

「私、なんだか申し訳なくなってきました……」

「本人が得意で自分からやってるだから、別にいいんじゃない?」

 視線を合わせることはないが、レナとアイナは自然と言葉を交わすようにはなっていた。

 わざわざアイナの仕事を減らして会話の時間を持たせようとした、マーサの計画通りの展開である。

 そのことをキャシーラは楽しみながら、秘密裏に進むもう一つの計画にも胸を弾ませる。

「ふふふふ。アキラ様、いったいどんな反応をするんでしょうね、ミカド様」

 ほくそ笑むキャシーラ、そのスカートのポケットからは、奇怪な文字と記号の描かれた紙切れがのぞいていた。




 レンガブロックの敷き詰めが七割方完了したところで、昼休憩の時間となった。作業をしていた住人達は各々自宅に帰ったり、あるいは奮発して飲食店に出向いたりとする中、昶は孤児院の屋根の上にいた。

 手紙はちゃんと渡した。式神を通して見た反応的には、ちゃんと意味は通じたと思うのだが、やはり心配は拭えない。

 孤児院の食事は、朝夕の二回。今朝子供達に遅れて朝食を食べていた時に、マーサから教えられたことである。とはいうものの、あまりにも子供達のがせがむものだから、簡単なおやつくらいは出るらしい。

 ちなみに、昶はおやつに関しては丁重にお断りした。子供達のあんな無邪気な姿を見た後では、さすがにためらいを覚える。

 しかし、断っておいて丁度よかった。おかげで、レナと二人だけの時間を作ることができたのだから。

 まだか、まだ来ないのだろうか。それとも、既にお勉強の時間となってしまったのだろうか。時間を決めていればよかったのだが、ここには時間のわかるようなものはないし……。

 そわそわと騒ぐ昶の心情を表すように、腕組みする手の指が肘を叩く。一度不安になると、今度はいつまで待っても来ないような気がしてきた。

 魔力はたどれるのだから、探せないことはないのだが。

「アキラ! ごめんなさい、遅れちゃって……」

 今にも屋根から飛び降りようとしたその時、杖に乗ってレナが屋根の上まで登ってきた。

 あと少しで、入れ違いになるところであった。危ない危ない。

「それで、どうかしたの?」

「いやその、なんか最近、避けてばっかだったから、ちゃんと話そうと思って……な」

 いざ改まってみると、顔を見るのも気恥ずかしい。つまりそれだけ、昶がレナと顔を合わせていなかったということだ。

 それよりも、なにから話せばいいのだろう。言いたいこと、伝えたいことが多すぎて、どれから話せばいいのかわからない。ここに来るまでの間に考えていたはずなのに。

 いざその瞬間になってみると、案外思い出せないようだ。

 気持ちを落ち着かせるために、まずは深呼吸。気持ちの方はともかくとして、飽きるほど繰り返してきた動作だけに身体の方は落ち着いてきた。

「この前の、ノールヴァルトの時のこと、話しとこうと思って」

「あぁ、あの時の。それなら、気にしなくてもいいって何度も言ったじゃない」

「いや、そっちじゃないんだ……」

 あの時、アナヒレクスの駐屯部隊にはかなりの被害が出た。それを自分が気にやんでいることを、レナもよく知っている。

 さっきのように慰められたことも、いったい何度あったことか。

 しかし、今回は違う。その大元となった原因、それをレナに打ち明けるのだ。

「それじゃあ、なに?」

「エザリアとやり合った時のこと、覚えてるだろ」

「……えぇ、覚えてる」

 エザリアの名を聞いたとたん、レナの表情に影が差した。それは、昶も同じである。

 身体の方こそ奪われていたものの、意識はしっかりとあった。だから覚えている。レナを払い飛ばした時の、あの感触も。

「あの時の怨霊の親玉みたいなのがさ、草壁の血に流れる力を使おうとすると、耳元で笑いかけてくるんだよ」

「怨霊、が?」

「あぁ……」

 だから、血の力を引き出そうとすることさえ、今の昶には厳しい。

 無理に引き出そうとすれば、それこそノールヴァルトの二の舞になってしまうだろう。怨霊の影に怯え、(わら)い声に身をすくませて、またあのような事態を引き起こしてしまうかもしれない。

「俺さ、恐いみたいなんだよ」

「……その、怨霊の笑い声?」

「情けない話しだけど、なんかそうみたいだ。戦うことしか能がないってのに、これじゃ役立たずだぜ」

 非常時には昶を王国軍の戦力としようとしているライトハルトも、これは完全に予想外だったろう。それに関してはざまぁ見ろ、と言いたいところだが……。

「このまま、また“ツーマ”やエザリアと戦うことになったら……もうどうすればいいのか、わかんねぇんだよ」

 いや、答えなら既にわかっている。怨霊を押さえつけるだけの精神力を身に付けるしかない。

 だが、どう考えてもそれができる気がしないのだ。血の力を引き出そうとするだけで、嗤い声は聞こえてくる。どれだけ小さな力であろうと問答無用で、まるで昶の心を塗りつぶすかのように。

 そんなものに、いったいどうやって打ち勝てというのか。昶の心は、もう限界だった。

「アキラ」

 いつになく力ない昶の姿に、レナは悲痛な表情を浮かべた。

 いつだって、どんな強敵にだって屈しなかった昶。

 どんな時だって、ピンチの時には駆けつけてくれた昶。

 その昶が、とつとつと胸の内を打ち明けている。

 弱音を、苦悩を、葛藤を。

「アキラ」

 自然とレナの右手が伸び、昶の頬に優しく触れた。

「……レナ」

「いいの」

 次に左手が伸び、両側から昶の頬を優しく包み込み、

「今だけは、いいから」

 最後に、頬を包み込む両手は昶の背中に回る。自分の胸元までしかない小さな身体が、全てを受け止めようとしてくれる。

 だが、

「ね? だから、大丈夫」

 昶は、なにかズレのようなものを覚えた。

「落ち着いたら、後で話そう。だから、それまでは…………ね」

 レナは優しい女の子であるが、同時に非常に厳しい女の子でもある。

 自分にも、そして他人にも。

「…………お前、誰だ」

 背中に回しかけた腕を、昶は途中で止めた。

 思考は急速に冷めてゆき、違和感をとっかかりとして証拠を集めてゆく。

 思い返せば、細かな仕草が、醸し出す雰囲気が、話し方もどこか作り物っぽい。

 そして何より、現れる直前まで自分がレナの気配に気付かないなんてことは、絶対に有り得ない。

「あらあら、ようやく気付かれましたか」

 レナは、レナの姿をした誰かは、ゆっくりと昶から離れてゆく。口調も仕草もそっくりだが、やはりどこか違う気がする。

 そして昶の間合いから一歩引いた所まで下がると、その姿が陽炎のように揺らめいた。人の形をした輪郭が崩れたかと思うと、次の瞬間には新たな形を作ってゆく。

 そこには紙切れを一枚持った女性が、昶の前にたたずんでいた。

「お初に御目にかかります。アマネ=ミカド、と申します。以後、お見知りおきを」

 身長は、昶と同じかやや高いくらいだろうか。レイゼレピナでは珍しい、黒髪と黒い瞳をしている。それも、アイナよりも昶に近い質感の。

 それに、身に付けている長衣の意匠にも、親しみのようなものを覚えた。

「お前、この前の……!」

 そして何より、その女性から感じ取れる魔力の気配が、ノールヴァルトで出現した鵺の式神と同じものだったのだ。

「覚えていただけているようで、誠に光栄です。クサカベアキラ様」

 アマネと名乗った女性は腰を折り、恭しく一礼をした。

「すげぇな、気配まで偽装できるのかよ」

「大したものではございません、シキガミの応用です。気配も、本人の髪の毛一本あれば誤魔化せますから」

 そう言って、アマネはあっさりと種を明かした。

 式神の応用か。言われてみれば、不可能ではない。事実、昶も自身の身代わりの式神を作ることはできる。

 ようはそれが、自分か他人かの違いだけ。しかし、それは当然容易にできることではない。

 だが、今はそれは置いておこう。もっと先に、聞かねばならないことがある。

 先ほど彼女は、この前の犯人が自分だと公言した。ならば、確かめねばならない。

「今さっき、式神って言ったよな。どこで覚えたんだよ、そんなもん。レイゼルピナには、式神なんて存在しないはずだろ!」

「さすが、源流使い(オリジネイト)ですね。確信はありましたが、これでようやく確定情報が得られました」

 アマネは新たに一枚の紙切れを取り出すと、その紙切れは一瞬にして蛇へと姿を変える。

 蛇はするするとアマネの腕に巻きつき、昶を威嚇するように大きく口を開けた。

「これは、ニシゾノから伝えられた、タカツカサのシキガミだそうです」

鷹司(たかつかさ)の式神、だと……?」

 昶も含めて、現在の陰陽師達の間に広く普及しているのは、鷹司家の開発した式神術なのである。

 そして西園(にしぞの)家というのは、現在も続いている鷹司家の分家の一つ。

 それの意味するところは、

「えぇ。そしてわたくしの一族は、ツチミカド、という家系の系譜だそうです」

 アマネの先祖を含め、かなりの人数が地球からこの世界に召喚されている、ということだ。

「もちろん、クサカベ様と同じ系譜の者も居ります。クサジシの一族です」

「よりどりみどりだな。俺みたいに飛ばされてきた人間が、そんなにいたのかよ」

「はい。それにわたくし達の組織、“真・域外なる盟約ヴェルム・プロスペリス”では、そのような方々を保護して回っていますので。あぁ、一般的には、“異法なる旅団(テリビリアス)”と呼ばれていますね」

「ッ!?」

 聞き覚えのある言葉に、昶は身をこわばらせた。

『もし君が異世界より召喚された者で、自らを魔術師と自負する者ならば、注意しておきたまえ。域外なる盟約(アウター・レギオン)と、そしてその戦闘組織である異法なる旅団(テリビリアス)に』

 以前、レナの父親であるロイスから注意するように伝えられた謎の集団。域外なる盟約(アウター・レギオン)の戦闘部隊、異法なる旅団(テリビリアス)

 アマネが名乗ったのは、保護という名目で異世界から召喚されたと推測される人々を集めている集団の名前だった。

 だとしたら、こいつらは相当危険だ。マグスではない、限りなく魔術師に近しい存在。

 少なくとも、レイゼルピナの魔法兵のようにはいかない。

「いかがでしょう? アキラ様も来られませんか? 魔術師ではありませんが、ここ数年の内に来られた方も居ますよ」

 そう言って、アマネはにっこりと可愛らしく微笑んだ。

 くそ、なにもかもが懐かしく感じられる。アマネの日本人によく似た顔付きのおかげで、見ているだけで郷愁が溢れ出す。

 一緒に行ってみたいと思う自分が、確かに心のどこかに居る。

 会ってみたい、この世界に召喚されたという人達に。

 見てみたい、この世界に息づく魔術師達の姿を。

 だが、

「……断る」

 昶はアマネからの申し入れを、きっぱり断った。

「案外、今の生活が気に入ってるんでね」

 もしこの誘いが召喚された直後ならば、一緒に行ったかもしれない。

 だが、今は違う。好きな人達がいる、守りたい誰かがいる、断ち切りたくない絆がある。

 ようやく手に入れた、自分だけの宝物を、捨てられるわけがない。

「そうですか。ならば、仕方ありませんね。本当なら、そのまま解放する予定だったのですが」

 すると、アマネの腕に巻き付いていたは小鳥へと姿を変え、孤児院の中へと入り込む。

 そしてそれを合図に、昶もよく知る人物が窓から飛び出した。

「お呼びでしょうか、ミカド様」

 窓から飛び出した人物はふわふわと上昇してから、柔らかなタッチで屋根へと降り立った。

「えぇ、キャシー。例の件、どうなっていますか」

「はい、ばっちりです!」

 キャシーラ=クラミーニャ。

 ライトハルトの命を受けて昶の世話役となった彼女は、いつもの調子でアマネに元気よく報告する。つまり、キャシーラもまた、域外なる盟約(アウター・レギオン)の関係者だったというわけだ。

 無論、ライトハルトを始め、誰もこの事実に気付いていないだろう。域外なる盟約(アウター・レギオン)異法なる旅団(テリビリアス)は、昶の予想していたよりもはるかに巨大で強力な組織らしい。

 少なくとも、国の中枢まで使用人を送り込めるくらいには。

「魔力の気配消せるのかよ。こっちじゃ、みんな垂れ流してるもんだとばかり思ってたのによ」

「はい、侮ってもらっちゃ困ります。キャシーラ、魔術師さんではないですけれど、その辺のマグスと一緒にされても困ります」

 今までキャシーラから感じたことのなかった魔力の気配を感じる。使っているのは、レイゼルピナの魔法のようだ。

 集まった水精霊(ウンデネ)は、物質化する直前の状態を維持したまま止まっている。その気になれば、いつでも戦えるというサインなのだろう。

「クサカベアキラ様。あなたに一つ、お伝えしなければならないことがあります」

 キャシーラを後方に下げたアマネは、再び昶へと向き直る。

「なんだよ、改まって」

 そしてその口から、驚きの一言が発せられた。

「実は、レナ様をこっそり連れ出しちゃいました」

「なッ!?」

 雷に撃たれたような衝撃が、脳天から突き刺さった。

 レナが、さらわれた? こいつらに?

「無事に返して欲しいのでしたら、一緒に付いて来てください」

「おぉー、なんだか、演劇見てるみたぃ……。アマネ様、かっこいぃです!」

 目をキラキラとさせるキャシーラとは正反対に、停止していた昶の思考は怒りの炎で一気に燃え上がった。

 ──こいつら、レナを巻き込みやがって。

 自分のせいで、レナが巻き込まれた。それも、マグスよりも危険な魔術師を(よう)する集団に。もっと気を付けていれば、防げたかもしれないのに。

「本当に好きなんですね。彼女のこと。今にも斬りかかってきそうな顔をしていますよ」

 そう言いながら、アマネは護符とは違う紙切れをちらつかせる。その瞬間、昶はハッとなった。

 見間違えようはずもない。それは昶がレナに宛てて送った、初めての手紙だったのだから。

 そこが、我慢の限界であった。

 村正を握った昶は、それを一瞬にして鞘から抜き放った。万物を斬り裂く刃は、線のようになってアマネを真っ二つに切り裂く。

 だが、

「代わり身……」

 斬った瞬間、アマネの姿をしていたものはただの紙切れへと変わっていた。

 相当な腕前の式神使いだ。即座にアマネの気配をたどるも、探知できない。

 やはり、気配を消せることのアドバンテージは大きい。昶は、改めてそのことを実感した。

 気配が追えないならば、その他の感覚で探知するしかない。肉体強化で五感を強化し、周囲の情報をかき集める。アマネの姿は見えないか、声は聞こえないか。

 すると後方の方から、なにかが羽ばたくような音が聞こえた。

「そこかっ!」

 後方約二〇メートル。さっきまではなかった長衣をかぶったアマネの姿が見えた。巨大な鳥の式神に乗っていて、その後ろにはキャシーラもくっついている。

 術を使っているのに気配がたどれないのを見るに、以前アルトリスの使っていた気配を遮断するローブと同じものだろう。

 昶は両足に力を込め勢いよく飛び出した。着地の衝撃を受けた足首が酷く痛む。

 血の力が使えないっていうのは、戦闘においては本当に不利だ。それでも、追わねばならない。

 どこへだって、どこまでだって。

 昶はレナを取り戻すべく、アマネの式神を追ってひた走った。

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