第三話 傷痕 Act03:マティルダの矜持
「アキラさん、今日は本当にありがとうございました。まさか本当に、全部運び込んでくれるなんて」
「別に、そうでもないですよ。お昼の時にも言いましたけど、俺、肉体強化が使えるんで、そんな重いとも感じませんでしたし」
「そんなに謙遜しなくても。こちはとしては本当に助かったのですから、感謝の言葉は素直に受け取ってください。それと、明日もお手伝いいただくんですから、しっかり食べてくださいね」
「はい、わかりました」
どっかりと席に座ってパンをかじる昶に、マーサは年齢に似合わない無邪気な笑みを浮かべていた。ほんと、よく笑う人だ。
今日中に資材を全て運び終えた昶だったのだが夕方までには終わらず、作業が完了したのはついさっき。そんな昶を、マーサはほかほかの食事を作って出迎えてくれたのだ。レナやアイナ、孤児院の子供達は既に食事を終えていているので、完全に二度手間である。
申し訳なく思う一方で、それはやっぱり嬉しい。始めは、少しでも自身の内側から聞こえてくる声を忘れたい。そんな後ろ向きな気持ちで手伝いに来た昶であったが、今では来てよかったと思っている。
マーサと話していると、どことなく母親と話しているような感覚に陥るのである。顔も、しゃべり方も、仕草もなにもかもが違うというのに。それが安らぎとなって、不安だらけだった昶の心を優しく包み込んでくれる。
それだけではない。貧しくとも活気があって人当たりのいい住人達に、無条件で慕ってくれる孤児院の子供達。戦闘以外のことで必要とされている。戦うこと以外に、役に立てることがある。それが実感できたことが、昶は嬉しかったのだ。
「そういや、レナってなにしてたんですか? 力仕事なんて、絶対に無理でしょ?」
出されたシチューをすすりながら、昶はレナのことを聞いた。実は、ずっと気になっていたのだ。
アイナから頼まれたのは、この区域一帯の復旧作業の手伝い。つまりは、力仕事であるわけだ。それがちょっと走るだけで息を切らすような、非力、体力なしの生粋のお嬢様であるレナ様になど、到底できるとは思えない。
ついでに言えば家事スキルも壊滅的なレベルであろうから、孤児院の手伝いもさせられないであろうし…………。
「うふふふふふ。そのことなのですが、実はとっても大活躍だったんですよ」
「大活躍って、いったいなにやらせたんです?」
どうしましょうか、ともったいぶるマーサ。そんな風にもったいぶられては、余計に気になる。するとマーサは答えを言う代わりに、天井の方をちょんちょんと指差した。
二階になにかあるのだろうか。レナの魔力を感じはするが。
「よく耳をすませてみてください。そうすれば、わかりますよ」
「はぁぁ……」
よくわからないまま昶は魔力の流れを調整し、水行の力を増幅させて聴覚を強化する。
するとくぐもっていたレナと子供達の声が、鮮明に飛び込んできた。そして、マーサの言っていた大活躍の意味がわかった。
『せんせい、できました!』
『はい、じゃあ採点ね。えぇっと、これは綴りが違うわね。正しくはこう。あそこの子に文字の一覧渡してるから、見せてもらってね』
『はーい!』
『先生、おれも! おれも!』
『慌てないで、すぐ見るから。……これ、全部繰り上げ忘れてるじゃない。やり直しです』
『えー、うそ!?』
『先生、わたしのも』
『はいはい。うん、うんうん……。すごいじゃない、全部正解よ。これで、算数はばっちりね』
『えへへぇ、ありがとうございます』
「勉強、教えてるんですね」
「えぇ。わたくしも、時間を見つけては教えているんですけど、なかなか時間が取れませんで。それに、わたくしよりも優秀みたいですし、子供達からも大人気なんです」
ちょっぴり悔しいですね、とマーサは最後に付け加えた。
そうか、勉強を教えているのか。それなら確かに、レナ以上の人物はいないだろう。
学院でも座額の成績なら学年トップで、なんだかんだで面倒見のいい性格をしている。再従妹であるエルザや、アナヒレクス領を訪れた時のロッテの懐き具合から見ても、レナがどれだけ二人を可愛がっているかわかる。
「時間があるときにはまた来てくれるそうで、本当にありがたい限りです。それに、次に来る時には教科書も持ってきてくれるみたいで、今からみんな楽しみにしていますよ」
「そういや、部屋に使ってない教科書とか置いてあったなぁ」
ただし、部屋の掃除は学院で講義を受けている間にメイドさんたちがしてくれているので、平積みにされている本にも埃一つ積もっていない。昶も新しい部屋になった時は、驚いたものであった。
「アキラさんも、学院の生徒さんなのでしたよね。いかがですか? 食事が終わったら、レナさんと一緒に先生をしてみては?」
「それがそのぉ、俺、勉強のほうはさっぱりで。むしろ、一緒になってレナに教わりたいくらいで……」
「あら、そうなのですか?」
「はい、だから先生はちょっと」
なにせ、満足に字も読めないレベルなのだから、誰かに教えられるなんてできるはずもない。いや、算数ならなんとかなるかも……。
すると強化された昶の聴覚が、人ひとり分の足音を捉えた。
「あら、マティルダ。どうかしましたか?」
「はい。あの、お兄さんに、お話が」
「俺に?」
「はい」
遠慮がちに入ってきたマティルダは、なんと昶のことを指名してきた。マティルダには昼頃に紅茶を出してもらっただけで、それ以降は言葉を交わすどころか会ってすらいない。
そんなマティルが、昶にいったいどんな話があるというのだろうか。
「お兄さんと、二人だけで。聞きたいことが、その。色々とあって」
「聞きたいこと、ねぇ」
勉強ならレナがいるし、個人的な相談ならアイナに持ちかけるのが普通である。
それに聞きたいことがあると言ってはいるが、マティルダのそれは明らかに昶を警戒している目だ。もっとも、敵意と言えるまでキツいものでもない。
「……んぐ、ごちそうさまでした」
出されたシチューを一息に飲み込み、昶はマーサにお礼を言った。二人で話をするなら、この場を離れた方がいい。
「マティルダ、あまり迷惑をかけてはいけませんよ」
「わかってます、院長先生」
注意するマーサに、マティルダは相変わらず無愛想な表情のまま返事をした。
もしかして警戒しているのではなくて、これが素の表情なのかも。
「こっちです、付いて来てください」
「あぁ」
昶はマティルダに案内されるまま、孤児院の外に出た。
建物の外に出た昶は、外の様子に少し驚いた。家から漏れた明かり以外、夜の街を照らす明かりがなにもないのである。同じ街でも、ここまで違うものなのかと改めて実感する。
ろくに足元を照らす光もないせいか、人の気配は欠片もない。昼間は貧しいなりにも活気があっただけに、この落差はなかなか衝撃的だ。
しかし、これなら誰にも話を聞かれるようなことはないであろう。
外に出たマティルダは、ほんのわずかな光だけを頼りに、孤児院の庭──臨時の資材置き場の方へと歩いてゆく。念には念を入れて、ということか。
そのちょうど中心部当たりでマティルダは不意に立ち止まり、昶の方を振り返った。
「あのっ!」
これまでの様相から一変して、大きく声を張り上げる。不安げに揺れる瞳と肩は、先ほどまでとはまるで別人のよう。
そんなマティルダは意を決すると、昶が予想だにしなかった言葉を口にした。
「私を、弟子にしてください!」
いきなりの申し出に、昶は自分の耳を疑った。今のは聞き間違いで、本当は別のことを言っていたのではないか。
しかし、目の前で深々と頭を下げるマティルダの姿を見るに、聞き間違いではなさそうだ。
「あの、なんで俺なのか……聞いていいかなぁ?」
正直、なにをどうやってそのような結論にたどり着いたのかわからない。何度も言うようであるが、昶がマティルダと会ったのは今日が初めてで、まともに会話したのに至ってはこの瞬間が最初なのだ。
派手な魔術だって、ここでは一切使っていない。
「…………………………………………………………見た、んです」
しばらくの間沈黙を保っていたマティルダは、ぼそりと今にも消え入りそうな声でつぶやいた。
「『見た』って、いつ? 会ったのは、今日が初めてだろ」
「………………………………逃げてた時」
「『逃げてた時』?」
言ってから昶は、それがいつの出来事だったのか理解した。
「空から降りてきて、建物の上とか走ってるとこ」
「目、いいんだなぁ……」
「ありがとう、ございます」
建物の上はともかく、降りてくる時もか、と見当違いの感想を思い浮かべる昶を、マティルダはまっすぐに見据える。
マティルダの脳裏に思い浮かぶのは、レナを背負ったままとんでもない速度で建物の上を走りつつ、飛んでくる魔法や砲撃を全て撃ち落としていた昶の姿だ。王都でよく見る蒼銀鎧の魔法兵でも、あれだけの強さは持っていない。
「魔法なら、アイナに教わればいいだろ」
「それは…………ん、絶対にイヤ、です」
少なくとも、同じ孤児院の後輩の頼みともなれば、アイナも嫌な顔はしないはずだ。そう思っての提案だったのだが、それはマティルダによってあっさり却下された。
「アイナ、姉さんには、負けたくない」
「なるほどな……」
――負けたくない、か。
嫉妬と羨望、それに矜持。言葉の端々から、そのような感情が読み取れる。
アイナの方はともかく、マティルダにとってアイナはライバルのような存在なのであろう。昶達よりもずっと長く一緒にいたのだから、その凄さはよくわかっているはずだ。
だから羨ましい、だから妬ましい、だから負けたくない。
アイナに頼むということは、それは負けを認めたも同然。それだけは、マティルダの矜持が許さないのだろう。
だが、それでも疑問は残る。
「あの時は、レナも一緒にいただろ。なんか俺が資材運び手伝ってる間に勉強教えてたみたいだし、その時に教わればよかったじゃないか」
「…………妹や弟達から、先生は取れません。せっかく、勉強できるってやる気になってるんですから」
「そんな怖い顔しといて、優しい姉さんやってんだな」
「茶化さないでください。顔は元からです。それに、他にも理由はあります」
マティルダは一呼吸置いて頭の中を整理してから、昶を説得するための言葉を続けた。
「魔法にも色々種類がありますけど、その中で一番希有で応用力の高いものが肉体強化だからです」
視線はより真剣味を増し、昶の両目を射止める。マティルダがどれだけの決意を持って自分と相対しているのか、昶はそれをひしひしと肌で感じた。
「肉体強化は、多くの場合が各家の秘術となっているので教わりようがありませんし、そもそも使えるマグスの絶対数がかなり少ないですから。でも、アキラさんは使えます。だから、お願いします!」
言い終えたマティルダは、再び深々と頭を下げた。
昶が『わかった』と言うまでは、頑として動かないであろう。例えほったらかして帰ったとしても、ずっと頭を下げ続けていそうな雰囲気である。
頭の良い人間なら、適当に茶化して頭を上げさせるかもしれないが、残念ながら昶はそこまで頭はよくない。
それに、本音をぶつけてきた相手には、こちらも本音で答えたい。例えそれが、相手の求める答えでなかったとしても。
「じゃあ聞くけどさぁ……」
昶の方も覚悟を決め、口を開いた。
不器用なりの精一杯で、答えるために。
「調べたなら知ってるだろ。魔法ってのは、ほとんどが生まれた段階の才能で決まるって」
この話を聞いたマティルダは、いったいどんな顔をするのだろうか。それを思うと、心が痛む。
しかし、言わないままでいていいわけもない。
「俺は、魔力が感じ取ることができる。レイゼルピナのマグスはほとんどできないらしいけど、俺のとこではみんなできるから、俺が特別って意味でもないからな」
マティルダの表情は、真剣そのものだ。一言一句逃さず、頭の中に刻み込もうとしている。
「その感覚で見ると、君からはほとんど魔力を感じられない。だから教えてくれって言われても、教えようがない。俺もそういう家系の出身だから、使えるのが当たり前みたいな環境にいたからな」
そんな環境にいた昶だからこそ、才能の差というものを熟知している。それがどれだけ残酷なものなのか、そして絶対的なものなのかを。
数十年の努力を、わずか数日で追い抜いてしまう。それが魔術師、あるいはマグス達の間で才能と呼ばれているものなのだ。
「もしかしたら、魔力の練り方がわからないだけかもしれない。けど、教えたからって必ず扱えるようになるとも限らない。どれだけ時間がかかるかもわからない、しかもそれが全部無駄になるかもしれないもんに、俺は付き合わせられない」
予想外の答えに、マティルダは絶句した。アイナが連れてきたということは、曲がりなりにもそれなりに仲の良い友人を連れてきたのだろうから、それなりに希望も持っていたのだが……。
そんなマティルダに、昶はさらに追い打ちをかけた。
「それとさっきも言ったけど、俺はレイゼルピナのマグスじゃない。正直言ってかけ離れすぎてるところもあるから、教えたって使えるかわからないぞ」
実際に、レナは昶と同じ肉体強化は身体に合わなくて使えなかった。レイゼルピナの術体系に肉体が最適化されているがゆえに、別系統の術体系を使おうとすれば力の流れに齟齬が出てしまうのだ。
これまでレイゼルピナで過ごしてきたマティルダにどちらの魔法が合うのか。それは言うまでもないだろう。
「わかってくれたか?」
「……理解はしました。でも、納得はしてません」
だろうな。そう簡単に諦めるような性格じゃないのは、見ていればわかる。
「どれだけ時間がかかっても、もし使えなかったとしても、それは私の責任で、それをちゃんとわかった上で頼んでるんです! だから、お願いします!」
一度上げた頭を、マティルダは再び下げた。さっきよりも深々と。
まさに、鬼気迫る勢いだ。だが、マティルダの願いを簡単に聞き届けることはできない。
そもそも、昶の使う術は宗家の持つ莫大な力を前提としているきらいがある。レナが多少なりともそれを扱えたのは、レナ自身が膨大な魔力を内包しているところが大きい。
やはりどう考えても、マティルダの願いを聞き入れることは不可能だった。
「……ならせめて、魔力が扱えるようになってからにしてくれ。さすがにそこまでは、俺も面倒見切れない。てか、そもそもどうすりゃいいのかもわかんねぇし」
単に断っただけでは、マティルダは絶対に引き下がらないであろう。だから教えるための条件を、昶は提示した。
魔力が扱えるようにならなければ諦めるだろうし、もし扱えるようになれば多少の面倒は見てやれる。その辺りが、妥協点としては限界のラインだ。
問題は、それをマティルダが飲んでくれるかにかかっているわけだが。
「魔力が、扱えるようになったら、ですか……」
顔を伏せ、思案するマティルダ。完全に断られた瞬間と比べればいくらか生気は戻っているが……。
自分でも酷な選択肢を出したものだと、昶は思う。魔力を扱えるようになれば、少なくとも教えてもらうことができる。
しかし、もしそれすらできなければせっかくのチャンスがふいになってしまう。
だが一方で、このまま頼み続けても弟子入りさせてもらえるような状況でもない。
究極の二択だなと、胸の内で自嘲する。いつから自分は、そんなえらい人間になったのやら。
しばらく考え込んでいたマティルダは、決心がついたのか顔を上げた。最低でも明日くらいまではかかると思っていたが、思い切りは良い方らしい。
「魔力が扱えるようになったら、本当に弟子にしていただけるんですね」
「『なれば』だけどな」
昶はもう一度強く、その部分を強調する。
マティルダはその問いかけに対して、今一度頭を下げた。
「ありがとうございます。魔力がちゃんと扱えるようになったら、その時はお願いします」
「あぁ。ちなみに、扱えるようになるまでは、どうやって練習するんだ?」
「アイナ、姉さんに頼み込んででも、必ず身に付けて見せます」
ライバル視しているアイナに頼み込んででも、か。マティルダのマグスへの思いの強さは、昶の予想以上のものらしい。一種の執着、と呼んでもいいほどに。
「だから、勝手にどっかにいなくならないでくださいよ」
「努力はする」
なにがいったい、彼女をそこまで駆り立てるのだろうか。それを聞く前に、マティルダはきびすを返して孤児院へと帰っていった。
きっと、昶には想像もつかないような理由があるのだろう。なんだか、ちょっと羨ましい。そこまで必死になれる物があるというのは。
「はぁぁ。どうすんだよ、またアイツが出て来たら……」
いつまた正気を失うかもわからない、それどころか自らの血に宿る化け物達の嗤い声に押し潰されそうな状況で、本当に大丈夫なのだろうか。
もしあの時のレナみたいに、マティルダを襲ってしまうようなことになっては。そう思うと、少しばかり軽くなっていた気持ちも、再び沈んでしまう。
どうすれば、あの声を聞いても平気でいられるのだろうか。昶には、まだその答えが見つけられなかった。