第二話 ユキカゼの舞う国 Act06:襲来、レブラプテル
「ロッテさんは、しばらくの間は外出禁止ね」
ずぶ濡れでホテルに帰った三人に言い渡されたのは、当然と言えば当然の処置であった。
自分だけ外出禁止で不満たらたらのロッテであるが、あなたのせいでアキラさんも危ない目に遭ったのですからね、と言われてしまっては反論のしようもない。
あんなことがあったせいで、ロッテも昶に対して非常にしおらしくなっていた。強気な発言はなりを潜めていて、会う度に怯えた子犬みたいな状態になっている。
一番の変化は、昶にロッテと呼び捨てで呼ばれても全然怒らなくなったことか。
それ以外にも実は船上で一悶着──うちの子供が危険な目に遭ったじゃないかとレナ達に話しかけてきた夫婦が漁師達に詰め寄っていたのだが、その夫婦はレナから、
「あれはあんな場所にいたあの子達の、自業自得でしょ。自分の責任を他人に押し付けて、あんた達恥ずかしくないの?」
と強烈な喝をのたまってしばらく呆然としていた。もちろん、二人は標的をレナに変えて猛攻に出るのだが、レナがアナヒレクスの名を明かした瞬間、夫婦は掌を返したように漁師達に謝っていた。
さすがにあれは、昶も呆れるレベルであったが……。
それだけに止まらず、レナは件の夫婦だけではなく、漁師達の方にも同じような失敗はしないように注意を促していた。その気品溢れる風格たるや、例の商家の夫婦など足元にも及ばないレベルである。
そんな風に、初日にとんでもないことをやらかしてしまったせいで、その後数日はホテルの中でゆったりとした時間を過ごすことが多かった。
ロッテはレナに遊んでもらったり、リーンヘルムの世話をしたり。
昶はレナに文字を教わっているのだが、地球の外国語より難しく、現在も難航中だ。
それにも飽きてきた頃、学院のみんなへのお土産にと二人は町中へと繰り出した。
置いてけぼりをくらうロッテは悔しそうな顔をするのだが、初日の件もあってラスターシャに許しをもらえるはずもなく。ロッテはラスターシャやリーンヘルム達とお留守番と相成った。
せっかくの港町というのもあって、魚の燻製や塩漬け、干物なんかも見て回り、その内の幾つかを購入。
また、ラスターシャに頼まれて、ロイスへ差し入れを持って行ったりもした。中身は見ていないのでわからないが、なかなかに嬉しそうではあった。ただ、なにもしていないはずなのだが、昶はイェレスティオからは厳しい目で見られた。
そしてノールヴァルトに到着して八日目の早朝、ついにその時がやってきた。
イルミンス級補給艦の一室に、巡回から戻った兵士がやって来る。
「北側の山を二つほど越えた場所に、レブラプテルの大集団の姿を確認しました。例年を遥かに超える規模です」
コートの一部を白く凍らせた兵士は、寒さを全く感じさせない口調でロイスへと報告する。
「集団の規模は?」
「恐らくは、二〇〇近いのではないかと。それに、鱗の色がも今までよりも多い感じがありました」
「二〇〇体か……。ここ十数年では、最大の規模だな」
ロイスは顎髭を撫でながら、思案する。
一応は、対処可能な数ではある。大砲、榴弾砲、火精霊火線砲。重火器も十分に用意してある。
魔法兵ではない一般兵をどう運用するかが、戦いの要となるだろう。
「戦力が均等になるよう、部隊を左右に広く展開させろ。それと、偵察班を増員し、引き続きレブラプテルの南下を監視。戦力の最終的な配分は、向こうの出方を待ってからだ。抜かるなよ」
「はっ!!」
その場にいた全員ともロイスに向かって最敬礼した後、持ち場に向かって駆け出す。
今年も何事もなく終わるよう、ロイスは創造神に祈っていた。
レブラプテルが接近中との知らせは、すぐにノールヴァルトの町まで届いていた。
漁業関係者を残して、住人の大半はもしもの時に備えて町の南部へと移動している。
近隣の宿泊施設も解放され、半ばお祭りのような騒ぎになっていた。シュタルトヒルデの感謝祭に負けず劣らず、所狭しと出店が軒を連ねては商売に精を出している。
毎年の恒例行事になっているのもあるだろうが、住人の人々からは一切恐怖の色は感じられない。
その中にはもちろん、長期滞在中のアナヒレクス一家の姿もある。
「なんか、イベント化してるよな、これ」
「仕方ないでしょ。一応は避難してるけど、最後に町が襲われたのって王国軍の派遣が始まって数回目くらいまでだから、もう何十年も前だもの」
「そうですねぇ。レナさんやロッテさんのおじい様の代には、もう行われていたようですから」
「お母さま、あれが食べたいです!」
久し振りの外出とあって、ロッテのご機嫌も上々。この間の刺し網観光で味を占めたのか、魚料理の出店を見て大興奮していた。
「ではレナさん、また後ほど」
ラスターシャはレナと昶に軽くお辞儀すると、ロッテを連れて出店の方へ行ってしまった。
久しぶりの二人っきりの時間に、ちょっぴり緊張気味の両者。微妙な距離を保ったまま、どちらともなく歩き始める。
「なんか、最近ロッテがあんまべたべたしてこなくなったな」
「この前海に落ちて迷惑かけたのが、よっぽど堪えたんでしょ。あんたへの態度変わりすぎて、あたしもちょっとびっくりしたもの」
「いや、あれは俺の方がびっくりしてる。でも、大好きな姉ちゃんとの時間を奪ってるような気がして、悪いことしてるような気になるんだよなぁ」
「なら、明日はあの子と一緒にお店でも回ろうかしら。それに、南側の郊外だと雪遊びも盛大にやってるみたいだしね」
昶は人混みに少々酔いながらも、お土産によさそうな出店を見つけては立ち寄った。
そんな中見つけたのは、出店ではなくこの辺りに居を構える店。海竜種の歯で作ったボードゲームの駒らしい。
よくできているが、これは絶対に高い匂いがする。
「どうでもいいけど、あんたルール知ってるの?」
「知るわけないだろ」
もちろん、見るだけで触りはしない。
店主の爺さんが変な目で見てきたので、二人は慌てて退散した。
そうしていると昶の感覚が、遠くから近付いて来る“何か”を捉えた。
「あ……」
「どうかしたの?」
「レブラプテルっぽい感じのが、ぞわぞわぁって来てる。気配はすんげー小さいけど、数がすごいなこりゃ」
「どれくらいなの?」
「ありすぎてわかんねぇ……。百は軽くいるんじゃねぇかな」
「ちなみに、去年は最大で一二〇くらいだったって」
どちらにしても、かなりの規模には違いない。
昶は頭の中で、人より一回り以上大きい恐竜が百体以上も群がってくるのを想像して、全身を総毛立たせた。
「どうする? 見に行ってみる?」
横で昶が少なからずビビっているのを見抜いたレナが、ニヤリと意地の悪い観光ツアーに誘う。
「見てみたい気はするけど、邪魔しちゃ悪いだろ」
「まあね。でも、遠くで上から見るくらいなら大丈夫でしょ?」
なぜだろうか。昶はレナの態度に、違和感のようなものを覚えた。
だが、それもすぐに納得がいった。
「……お前、実は自分が見たいだけだろ」
「うぅぅ。な、なんでわかったのよ……?」
じとぉっと温度の低い昶の視線に、思わずレナも縮こまる。
まるで、悪さをしたのがバレた子供のようだ。
「あぁいうの見に行くのは、いつもならシェリーが言いそうなことだしな。普段のお前なら、行こうとか絶対に言わなさそうだし」
「悪かったわね。わかってるわよ、自分のキャラと違ってるってことくらい。でも、小さい頃から何度も来てるのに一回も見たことがないから、ちょっと気になるの」
「へぇぇ。なんか意外」
「悪かったわね、意外で」
「悪かねぇって。そんじゃ、行くか」
昶は照れくさそうに、レナに笑いかけた。
不機嫌そうに顔を背けてしまっていたレナも、そうね、と頷き返す。
「うん。行きましょ」
流れ込んでくる人の流れに逆らい、二人は移動し始めた。
これだけの人混みなら、護衛の者達の目を誤魔化すこともできるだろう。すぐにバレるだろうが、昶の魔力察知の能力があれば捜査の目も容易くかいくぐることができる。
ラスターシャにはナイショで、なんだかちょっとした冒険のよう。あとで、二人そろって怒られよっか。
レナと昶は、はぐれないようにしっかりと手を繋いで、警備の者達に注意しながら北へ向かった。
呑気な町の空気とは正反対に、獣魔の討伐部隊の緊張感は最高潮まで高まっていた。
いよいよ山を一つ挟んだ向こう側から、これまでで最大規模のレブラプテルの大群がやって来ているのだ。
既に上空には、群れの動きを監視して地上部隊と連絡をとるための部隊が展開されている。監視のための部隊は全員が高度な念話能力を有しており、それによって地上への迅速な情報伝達も可能としている。
東西に広く展開した部隊は、砲の点検を入念に行った後、砲弾や火精霊の装填を始めた。
「そう緊張するな。魔法兵も上で待機しているんだ」
「しかし、もし突破されるような事態になったとしたら……」
「そのためにも、オレ等が撃ち漏らさないようにしないとな」
初めての派遣に怯える新米兵士を、ベテランの兵士が叱咤する。接しているとまるで昔の自分を見ているようで、ベテランの兵士からはついつい思い出し笑いがこぼれた。
「大丈夫だって。連中は、近付くこともない。毎年そうだからな」
「はぁ……。あっ、先輩、あれ!?」
新米兵士が、山の稜線を指差す。ベテラン兵士も目を細めて見てみると、稜線がもこもこと動いているのが見えた。
「おいでなすったな。今年はちっとばかし数が多そうだが、まあ大丈夫さ。それはそうと、びびって弾撃つんじゃねぇぞ? ここから撃ったって、まだ火精霊火線砲でも届かねぇんだからな」
その口調とは裏腹に、ベテラン兵士の思考回路は、既に戦闘状態へと切り替わっていた。
それから数分後、
「火精霊火線砲、撃てぇえええ!」
監視部隊からの報告を受け、ロイスより火線砲の部隊へ砲撃命令が下った。通信兵から連絡を受けた現場の指揮者が、次々と指示を下す。
射程距離は三キロ前後。望遠鏡を用いた原始的な光学照準器ではあるが、砲弾と違い強力な熱線を放ち続けることのできる火線砲は、大砲とは別の脅威がある。
兵員達は最前列に大雑把な狙いをつけると、なんと砲身を左右に揺り出したのだ。
砲身から一直線に伸びる赤い火線はレブラプテルの先頭群を薙ぎ払うように横切ると、地面に着弾した場所から連続して小爆発が起きる。爆発の規模こそ榴弾には及ばないものの、その量が桁外れだった。
砲撃をもろに喰らった最前列は総崩れ。しかもそれらは、後続の足を止める絶好の障害物となっている。
そこをめがけて、火線砲が再び火を噴いた。
はるか彼方で起こる、連続した小爆発。空気は爆音と共に、レブラプテルの悲痛な鳴き声まで運んでくる。
しかし、攻撃の手を緩めることはできない。
「榴弾砲用意!」
それでも多勢に無勢、火線砲だけではレブラプテルの全てを迎え撃つことはできない。
だが、ロイスもそれくらいわかっている。
「撃てぇえええ!」
火線砲を突破してきた一団に向かって、今度は榴弾砲が咆哮を上げた。
着弾と同時に砲弾内の火薬に火が点き、辺り一帯をまとめて消し飛ばす。
「やった! あの爆発なら、さすがの連中もタダじゃ済まないでしょう」
「さ~て、どうかな~?」
後方から続々と放たれる火砲と着弾の爆音に、新米兵士は歓声を上げる。
しかしベテラン兵士は、そんな新米兵士をたしなめた。
不審というか、不満げに顔をしかめる新米兵士。だがすぐに、それは間違いであったと悟った。
「え、嘘……。あれで?」
「連中も、伊達や酔狂で危険獣魔呼ばわりされちゃいないっつうわけだ。直撃でも喰らわせなきゃ、多少のダメージは無視して突っ込んでくるぞ」
それでも、レブラプテルのダメージは大きい。アナヒレクス駐屯部隊の猛攻により、確実に数は減りつつある。
しかし、仮にも相手は危険獣魔。確実にペースは落ちてきてはいるが、依然としてこちらに向かってきていた。
「散弾砲用意!」
「ほら、いよいよ出番だ。ミスるんじゃねえぞ新米」
「はい!」
部隊長からの指示に、二人を含んだグループは、最も近い集団へと狙いを定め、
「撃てぇえええ!」
火線砲と榴弾砲の轟音に混じり、ついに二人の担当する大砲も火を噴いた。
小さな弾を大量に詰め込んだら砲弾は着火と同時に破裂し、近付いてきたレブラプテルの群れを一掃する。さすがに弾丸を直接喰らっては、頑丈な肉体を持つレブラプテルでもただでは済まない。
弾丸は鱗を引きちぎり、血飛沫が吹き出した。
「先輩、今度こそやりましたよ!」
「あぁ、そうだな。それよりも、さっさと次の弾を込めろ」
浮かれる新米兵士をなだめながら、ベテラン兵士はよどみなく指示を出す。それと同時に、火線砲や榴弾をかいくぐってくるレブラプテルがいないか、目を光らせながら。
すると次弾の装填中、重傷を負ったレブラプテルが一矢報いんと飛びかかってきた。
「う、うわぁぁああああ!?」
新米兵士は、申し訳程度の装備でしかない長剣へと手を伸ばす。
だが、混乱状態にある今は、鞘から抜くことすらままならない。
恐怖に顔を引き釣らせる兵士を嘲笑うように、レブラプテルが大きく飛びかかった。
のだが、
「あ、あれ?」
レブラプテルはまるで糸の切れた人形のように、空中でいきなり姿勢を崩したと思った途端、地面に激突したのだ。
人の頭なら丸呑みできそうな口を広げたまま、レブラプテルは絶命していた。
「魔法兵の連中だ。あいつらが、いわゆる最後の砦ってやつだ」
新米兵士が後ろの方を振り向くと、そこには確かに発動体らしき杖を持つ赤銀鎧の姿があった。
もっとも、振り向いた頃にはもう別の場所へ向かって走り出していたが。
「他にも、蒼銀組の王都連中が上から支援してくれている。よっぽどのことがなきゃ、死にゃあしないさ」
ベテラン兵士は呆然としたままの新米兵士の頭をぶん殴り、次弾装填を急がせる。
戦闘はまだ、始まったばかりだ。
無人となった町は、まるでゴーストタウンのようである。
そんな状況だけに、他人の物を盗もうとする不届きな者は、残念ながらゼロではない。
最低限の警備の兵士が数名、無人となった町中を巡回していた。
とはいえ、巡回している兵士が三人や四人では、当然限界がある。
なので昶とレナは、特に巡回中の兵士を気にかけることもなく歩いていた。
最初の内はおしくら饅頭状態であったが、今現在は人っ子一人いない。
「けっこう音が大きくなってきたなぁ。この辺の建物でいいんじゃね?」
「そうねぇ……。ここからなら、けっこう見えるかも」
どこから持ってきたのか、レナの手にはいつの間にかミニサイズの望遠鏡が握られていた。
「準備いいな」
「……い、いいじゃない。別に」
「ま、そうだけど」
一応だが、念のために昶は魔力の気配やら人の気配やらを、強化した五感や魔力察知の能力を使って探してみるが…………。
どうやら、この辺りは完全な無人のようだ。
「屋根にでも登るか」
「なら、あれなんかどう?」
レナが指差すのは、周囲の建物より一階分高い建物だった。
商人の泊まる安宿かなにかだろうか。近くには、馬を留めておく用の厩舎らしきものもある。
「じゃ、行きましょうか」
レナは杖にまたがると、すぃーっと上の方に上がっていった。
さすがに、無人の宿に断りもなく入るのには抵抗があったらしい。
昶もレナを追って地面を蹴り、窓の縁に手をかけてとその身一つで上に登っていく。
「お、やってるやってる」
上にたどり着いた昶は、強化された視覚で戦場を見渡した。
尋常じゃない量の火精霊の気配が漂ってくる。それと同様に、風に乗って火薬の臭いも。
「なに、このにおい。鼻の奥がむずむずするんだけど」
「火薬の臭いだよ。ほれ、あの辺パッパッて光ってるだろ。あと煙も。てか、この前シェリーんとこから王都に向かう途中にもかいだぞ、この臭い」
「あの時はほら、王女殿下が心配でそれどころじゃなかったから」
「まあ、気持ちはわからんでもないけど」
「それよりも、お父様はどこにいるのかしら?」
レナは望遠鏡を覗きこむと、戦場の端から端までを見渡した。
昶はロイスの魔力のする方向から、補給艦の中にいるんだろうな~と薄々思っているのだが、期待の入り混じった目で父親の姿を探しているレナを見ていると、かわいそうで言うに言えない。
「にしても、だいぶ派手にやってるな。レブラプテルだっけ。あれだと、かなりのヤツがミンチになってんぞ」
「わかってるから言わないでよ。お肉食べれなくなるじゃない」
「なら、魚にすればいいだろ」
「そうもいかないわよ。割とすぐに戻る予定だもん。少なくとも、今月中にはね」
「けっこう早いんだな」
「そうでもないわよ。もう帰ってきて一週間以上経つんだから」
昶は頭の中にここ最近の出来事を思い出しながら、指折り日数を数えてみた。
一日目、戴冠式後にアナヒレクス領へ到着。ロッテやラスターシャと対面。
二日目、午前中はレイネルトの墓参り。午後からはロイスとイェレスティオと対面。夜には竜舎まで呼び出され、色々とびっくりな質問をされる。
三日目、ノールヴァルトへ到着。刺し網観光中にロッテを含めた五人が海に落ちて、助けに行った。
で、ホテルを中心に室内や町をぶらぶらして一週間が経ち……。
「ほんとだな。でも、こんなゆっくりできたのって久々だったから、けっこう楽しかったぞ」
「そっか。なら、よかったかな。冬期休暇はつぶれちゃったし、試験の前はあんなこともあったから、あんまり休めてないなぁって思ってたから」
「ん、あぁ……」
──『あんなこと』か。
昶と同じように、レナもあの時のこと──アイナとの一件をずっと引きずっている。
それは昶よりもずっと辛く、苦しいはずなのに、人の心配ばかりして。
「ったく、最近のお前は気ぃ使い過ぎなんだって。最初の頃みたく、その杖でぼんぼん叩いてきたっていいんだぜ。こっちは肉体強化使ってんだから」
「あぅぅ。もう、やめてってば」
レナは不意に頭に置かれた手に、ドキッと心臓が激しく鼓動した。その直後には、首から上が瞬時に赤く染まる。
それはもう、周りの雪なんと溶けちゃうくらいの勢いで。
ぽんっと頭に手を置かれただけなのに、どうしてこんなにも嬉しくて苦しくて熱くなってしまうのだろう。
言葉では否定していても、嫌ではない。むしろ、ずっとこのままでいてもいいくらいだ。
そう、今は自分と昶以外には誰もいない。それなら、少しくらい甘えでもいいよね?
レナはごくっとのどを鳴らすと、ぴとっと背中を昶の身体にくっつけた。
昶の方はなにも言ってこないが、緊張していることだけは手に取るようにわかる。
お願いだから、手はそのままで、そして離れないでいて欲しい。
父の姿を探しながら、レナの頭の中は昶でいっぱいになっていた。
山の中腹付近、背の高い木々に腰掛ける二つの人影がある。
片方はパステルグリーンの派手な頭髪をした、野生児という言葉がぴったり似合う風貌の青年。
もう片方はレイゼルピナでは珍しい黒髪と黒い瞳をした女性だ。色の質感は、アイナよりもむしろ昶に近いものがある。
「なかなかやるじゃねぇの、アナヒレクス領の駐屯軍ってヤツも。ま、相手は頭空っぽのバカ竜だけど」
「スメロギ様、レブラプテルは第四級危険獣魔に指定されていますので、その表現は少し不適切だと思うのですがぁ……」
「言葉の綾だって、アマネ。てか、お前はいつになったら俺のこと、家の名前で呼ばなくなんだよ。俺もいい加減、マサムネって呼ばれたいんだけど」
「そ、それは恐れ多くて、と、とても、じゃないですが、無理です!」
スメロギと呼ばれた青年はがっくしと肩をすくめ、アマネと呼ばれた女性はガタガタと肩を震わせる。
二人も素材こそ昶達と異なるが、保温性・断熱性に優れた防寒着を着ているが、更にその上から気配隠蔽のローブも羽織っている。
「それで、あっちの準備の方は大丈夫なのか?」
「はい。本当なら、ソレィメス家のような召喚術を使えれば良かったのですが」
「にしても、危なっかしいからって王都に入れてたクラミーミャの末っ子が、こんな形で役に立つなんてなぁ。お陰で、細工すんのが随分楽だったぜ」
「ですが、やはりあの子に諜報は無理ですよ? 定期的に寄越してくる報告書も、いまいち要領を得ていませんし。あれでは、ただのお手紙です」
「イキイキしてんならそれでいいの。それがうちのモットーなんだからな。あそこにいた頃なんか、明日にも死んじまいそうな顔してたんだから」
「それはまぁ、そうですけど」
アマネと呼ばれた女性は、嬉しいような不安なような表情を浮かべる。
確かに、あの子がここまでいきいきした手紙を寄越してくるなど、当初からすれば考えられなかったことだ。
そう考えれば、あの子をあの場所から連れ出したことも、間違いではなかったのかもしれない。
あの場所はこの世界に有りながらも、この世界の人間には生きにく過ぎる場所だ。
もっとも、この世界からも爪弾きにされた者達ですら迎え入れたくれただけでも、この世界の国々より懐は深いのかもしれないが。
「アマネ、あの源流使いは来ているか?」
「待ってください。今シキをレナ=ド=アナヒレクスと思われる気配のする場所に向かわせています」
「それって、源流使いにバレたりとかしねぇのか? 源流筋って、術や魔力の気配とかを感じ取れるんだろ?」
「これだけ距離が離れていれば、さすがに大丈夫でしょう。彼女の場合は、特別力が強いお陰で捕捉できているだけですから。──────居ました、間違いありません」
アマネと呼ばれた女性の報告に、スメロギと呼ばれた青年は小さくほくそ笑む。
これから出すとびきりのヤツは、今回派遣されたアナヒレクス駐屯軍だけでは防ぎきれない。
危険獣魔に当てはめれば、第二級辺りになるだろうか。こいつを止めようとすれば凄腕のマグスか、あるいは魔術師の力が必要だ。
それを目の当たりにしても尻込みするようなヘタレなら、対処も随分と楽になるのだろうが……。
「期待してるぜ、源流使い。下手打ちやがったら、今度会ったらぶん殴ってやるからな」
「スメロギ様?」
唐突に青年の口から出た言葉に、女性は首をかしげる。
「なんでもない。やってくれ、アマネ」
「わかりました」
青年の指示に従い、女性は胸の内ポケットから一枚の紙切れを取り出した。
正円の中に五亡星が描かれ、その周囲に画数の多い奇っ怪な文字列が並ぶ。
「アマをカケりしユウなるは、ナクルカミをもスべしモノ。タケルイカヅチマトいしは、まっことカショウのキミならん。ワレのタマをばカテとナし、トコヨスベテをジンとナせ!」
女性は詠唱終了と同時に指を斬り、紙切れへと押し付ける。
その瞬間、仮初めの命を得た雷獣が地上に降臨した。