第二話 犯人は誰? Act04:サラマンドラとグノーメ
セインは一瞬の判断で上空へと回避していた。
精霊の持つ能力の一つ、飛行力場である。
人間の飛行術とほぼ同種のこの力場は、強度にもよるが物体を浮遊させたり、飛行させたりすることができるのである。
セインは続けざまに、地面から放たれた石礫を炎の盾で蒸発させた。
二撃の攻撃をやり過ごした所で、セインは地上にいるカトルの方に視線をやる。先ほどカトルの発した言葉が、耳から離れなかったのである。
「うらてす? まさか、ウラテスの地の生き残り……」
まるでバラバラだったパズルが組み上がるように、セインの脳裏にある情景が思い浮かんだ。
「そうでぃ!」
カトルの意志に添うかのように、大気中の地精霊が空中に幾つも収束していき、それぞれが直径一メートル近い岩石へと姿を変える。
「行けえ!」
カトルの号令に従って、大量の岩石が大砲の砲弾よろしく上空へ撃ち出された。
重力を無視し空間をえぐるようにして、岩石の弾幕がセインへと殺到する。
「無駄なあがきを」
しかしセインは涼しい顔のまま、右手の先に火精霊を集約した。
カトルのそれを大きく引き離した牽引力で集められた火精霊は、それだけでも視認できる密度にまで圧縮され、セインの右手に二メートル以上ある刃を形成する。
昶が昼食前に目撃した、精霊素の物質化である。しかも、表面を覆う火精霊を炎へと転じさせるオマケ付だ。
「……遅い!」
昶の剣戟と比較すれば、カトルの攻撃はそんなものだ。
これなら先日目撃した、一年生と三年生の砲撃の方がずっと速く狙いも正確である。
セインは向かってくる岩石を一刀の下に両断してみせた。自分に向かってくるものを全て斬り伏せた所で、改めて眼下の標的を確認する。
──移動するか……。
そんな思考が、セインの脳裏をよぎる。
主から魔力供給を受けているとは言え、カトルの攻撃能力は中位階層の中でもかなり上位に入る。もし攻撃がそれてシェリーやその友人、学院にいる人に被害が及ぶかもしれない。
──いや、この程度なら大丈夫か。
だが、その可能性は限りなく低い。
中位階層は確かにそれなりの能力を備えてはいるものの、総合力では上位階層に遠く及ばないのはまぎれもない事実だ。
攻撃力が突出しているということは、その他の部分はかなり低いということになる。視覚情報でセインを探していることや飛行ができない点から、索敵能力や移動能力も低いと推測できるだろう。
また、妖精型は総じて精神面が幼い個体が多い。それはそのまま、カトルにも当てはまる。
普通なら中位階層が上位階層に先制攻撃を仕掛けるなど考えられない行為であるにも関わらず、それを実行している点からもカトルが感情を制御できていないのは明白だ。
──これで決める。
セインは下から飛来する岩石を切り裂きながら、カトルに向かって急降下をかけた。
またたく間に地上すれすれへと降下したセインは、そのままカトルを急襲する。
「おっとっ!」
セインが振り抜く刃を、後方に大きくジャンプしてかわした。
火精霊の刃で切り裂いた地面は一瞬で融解し、ふつふつと蒸気を上げる。
どうやら、周囲に熱を放出させることなく刃に集中させているようである。もやもやとした陽炎が見えないのも、その証拠だ。力の差は歴然である。
しかし、
「上位階層だからって……」
まだまだ諦める気はないようだ。
カトルの両手に大気中の地精霊が集約されていく。
「調子に乗るなよ」
より高密度に圧縮された地精霊が、黒曜石へと転じた。現在では祭等の祭典でしかお目にかかれない代物であるが、古い時代には刃物として使われてきた鉱石で、切れ味は抜群である。
黒曜石は通常の十倍近い矢じりへと形を変えた。三〇以上を数える巨大な矢じりの塊は、その矛先を全てセインへと向けている。
「行っけぇえええええ!」
怒号と共に、黒曜石の矢じりは一直線にセインへと迸った。射出直後から最高スピードに達した矢じりは、明確な殺意を持ってセインに襲いかかる。
しかしセインは、大地を蹴ると躊躇なく矢じりに向かって飛び込んだ。
その顔に恐怖の色は微塵もなく、自らに向かって来る矢じりを回転しながら斬り落とし最小限の回避でやりすごす。
ダメージを与えるどころか、足止めにすらならない。
「まだまだ!」
カトルはわざと外しておいた黒曜石を誘導し、セインを背後から急襲する。
更に何十本もの柱が地上からそびえ立ち、セインの行く手を遮った。まるで森のようだ。
しかし、セインは速度を緩めぬまま柱の間を次々とすり抜け、背後に迫っていた黒曜石も柱に激突させることで糸も簡単に再接近を成功させる。
恐るべき飛行技術と動体視力だ。
「ちっ!」
カトルは屈むことで、セインの一閃を辛くも回避した。
だが、すれ違ったセインはすでにはるか上空。カトルは忌々しげにセインを見上げる。
必死こいて目いっぱいの攻撃をしても、簡単に斬り伏せられる。こっちは向こうの攻撃を回避するのも、精一杯だというのに。
「このお!」
なんの前触れもなく、突然カトルの立つ地面が柱のように盛り上がった。
上昇スピードは落ちることなく二〇メートル以上も伸び、セインへと一気に肉薄する。
今度はこっちの番だ。
「これならどうでぃ!」
カトルは手の先に黒曜石の刃を作り出した。長大な五本の鉤爪がセインの頭部を狙って横に一閃される。
が、
「ぬるい」
上段からの振り下ろしで呆気なく切り裂かれた。乾いた音と共に黒曜石の刃は砕け、黒と灼熱色の破片をまき散らす。
しかし、
「今だ!」
カトルはセインの横をすり抜けながら、パチンと指を鳴らした。
すると、さっきまでカトルが足場としていた土の柱が爆発したのである。全ての音をかき消すような轟音が、学院の上空に響いた。
破片はセインを押し包むように、圧倒的な物量を持って殺到する。
「どんなもんでぃ!」
カトルはなんとか城壁に着地すると、そのまま地上へ落下する。
着地の際に足がとんでもなく痺れたが、今のは会心の一撃だった。
例え上位階層であろうとも、ただでは済まないはずである。
今日ばかりは、風が吹いていないことが恨めしい。カトルは期待に胸ふくらませながら、土煙が晴れるのを待った。
時間と共にゆっくりと晴れていく土煙であるが、カトルはその中におかしなものを発見する。
「白い、煙?」
爆心地のほぼ中心。なにやら白い煙のようなものが見えたのである。
不審に思いながら待つこと数瞬、カトルは驚愕の光景を目にした。白煙の中から灼熱色の球体が出現したのである。
「もう終わりですか……?」
球体はまるで花弁のように散っていき、その内側からは超然とした雰囲気を漂わせるセインが現れた。
カトルの表情は、恐怖と畏敬、そして無念がごちゃ混ぜになったような訳のわからないもので彩られる。
会心の一撃までもが、簡単に防がれてしまった。
「それでは……」
セインは予備動作を一切省いて急降下を開始。またも地上スレスレで直角に曲がった。
大量の火精霊を右手に集め、剣の大きさを倍以上に伸長させる。
「はえぇ!」
これまでの三倍近い速度でカトルへと迫り、すれ違いざまに真横に振り抜いた。
「同じ手を喰うかって!」
セインの攻撃は、さっきの攻撃と全く同じもの。
これなら余裕だ……、と思ったものの、カトルは正体不明の寒気を感じた。本能が全身全霊を持って、警鐘を鳴らしているのである。
その本能に従ってカトルが振り返ると、セインがドドドドドという轟音を立てながら高速で驀進していた身体を強引に停止させていたのだ。
天然芝生の地面が盛大にめくれあがり、大量の土砂の雨を降らせる。
「チェック……」
停止の反動を利用して半回転しながら、右下から左上に長大な火精霊の剣をふるった。
「ひぃっ!?」
カトルは石礫を散弾のようにばらまきながら、地面を蹴ってギリギリ上空へと待避した。
だが、セインは瞬時に火精霊を集めて盾を作り、それさえも簡単に防いで見せる。自分ならまず反応できそうもないものを、あっさりと。
そして、カトルの気付かない所で、戦いの決着はすでに付いてしまっていた。
正確にはたった今、勝敗が決定したのである。
「あ!?」
「そして、チェックメイトです」
セインはカトルの腕をつかむと、はるか上空へと放り投げた。
「うううぅぅぅぅぅ……」
カトルは腕が引きちぎられそうな勢いで振り回され、空に向かって放り投げられる。
重力をはるか彼方に置き去りにするような加速度で、頭がおかしくなりそうだ。
しかしそれも次第に緩やかになっていき、地上から七、八〇メートルの高さでストップする。だが、ストップして終わりではない。
登りがあれば、下りが存在するのも自明の理。
カトルの身体は、重力に従ってゆっくりと降下を始める。飛行力場を展開する様子はない。
カトルには恐らく飛行能力はない、それが推測ではなく事実になった瞬間であった。
「あわわわわわわわ!?」
死ぬようなことはないが、肉体を形成している以上それ相応の痛みを伴う。
地面に叩きつけられるのを覚悟して、カトルは目をつむった。
しかし、覚悟していた痛みはなく、目を見開いてみるとそこは地面から二〇~三〇センチ離れた位置だった。まあ、それでも十分間近なわけであるが。
「まったく、実体化を解くという選択肢はなかったのか?」
「な、なにすんだよ!」
カトルは今、セインの発生させている飛行力場によって浮遊している。
地に足の着いていないカトルは、これでもうなにも出来なくなったわけだ。
「だから、実体化を解けば無駄な痛みを受けなくて済んだだろうと言っている」
「い、意味わかんねえよ!」
カトルは取り乱していて気付かなかったようだが、彼等の肉体は精霊素を圧縮して形作ったものだ。カトルであれば地精霊、セインであれば火精霊がそれに当たる。
偽りの器とも呼べるそれは、精霊自身の意思によって実体化することも、それを解くことも任意に可能である。
無論、簡単にできることではない。実体化継続に必要なエネルギーは、サーヴァントとしての契約で得られる特殊な術式によって解消される。だが、それとは別に肉体を構成したり、分解するのにも同じく多くのエネルギーが必要となるのだ。
また、生物体を基本としているだけに、精霊の肉体にも神経系は再現されている(しかし、精霊素を繰るのに長けた者ならば、肉体の組成を任意に変更できる)。
しかし実体化を解けば再現されている神経系は消失し、物理的損壊やそれに伴う痛みはなくなるのだ。もちろん、再び物質化するのに多くのエネルギーが必要だが、死にも等しい痛みに比べれば万倍もマシである。
「すまない、お前は攻撃に特化されているようだから、それ以外の能力は低いんだったな。例えば、頭とか」
「な、わ、悪いか! 俺っちは今日のために、この力を付けてきたんだ! ラグラジェルの奴らに復讐するために!」
「……そのことか」
セインの怒りと呆れの入り混じっていた表情に、別のものがまぎれ込んだ。困っているようにも、悲しんでいるようにも見える。
「すまない。その時のことは、よく覚えていないのだ」
「覚えてないだって、ふざけるな! 全部、全部お前がやったんじゃないか!」
自分が捕らわれの身であることも忘れて、カトルは声を張り上げた。
例え負けたとしても、心の内でくすぶっている炎が消えることはない。
「……すまない、本当に覚えていないのだ。気付いたら、あそこにいた。それだけだ」
「…………」
そんなことを言われた所で、カトルの怒りは収まらない。
だが、セインの双眸からなにかを感じ取ったのも事実であった。
悲しみ。諦め。自嘲。自分を羨んでいるような目。
それは今にもくず折れてしまいそうに思えて、カトルはそれ以上責める気にもなれなかった。
これではまるで、弱い者いじめみたいではないか。もっとも、いじめている方が中位階層で、いじめられている方が上位階層であるが。
「だが、その件については逃げも隠れもするつもりはない。決心が付くまで、待って欲しい。その時は、いくらでも責めてくれてかまわない」
「ちぇっ。わかったよ」
セインは飛行力場を解除して、カトルを地上へと降ろす。
これで、主であるシェリーの指令をやり終えたのだった。
シェリーはミシェルを伴って、大人しくなったカトルの前までやってきた。
が、ミシェルの様子が少しおかしい。全身に汗をべったりとかき、頬を上気させ、息が荒くなっている。まるで長距離を全力で走った後のようだ。
「マ、主! なにがあったんだよ!?」
主の様子がおかしいのに気付いたカトルは、セインのことなど見向きもせずに駆け寄った。
そんなカトルの頭を、ミシェルは優しく撫でた。辛そうな顔で必死に笑みを浮かべ、カトルに微笑みかける。
「気をつけなよ。私ら主はサーヴァント達の魔力の供給源じゃないのよ。それに、私達みたいな半人前はすぐばてちゃうから、ほどほどにしときなさいよ」
カトルは、自分の頭を撫でてくれているミシェルを見上げた。
それもそのはず。カトルの使っていた力の半分以上は、ミシェルから供給されたものなのだから。
精霊は自分の属する精霊達──正確には精霊素──の行使に関しては、マグスより高い干渉力を持っている。しかし、その範囲は限定的だ。それをカバーするために、マグスと契約下にある精霊は、精霊素を強力に牽引する魔力を使用するのである。
この魔力であるが、制御が未熟で不安定なミシェル達ではあまり長時間作り続けることが出来ない。
そこから無尽蔵に魔力を受け取れば、こうなることは簡単に予測できたはずである。
「主……」
「いいさ。次から気をつけてくれれば」
「わかったぜ、主」
と、こっちの話がまとまった所で、いよいよ本題である。
ミシェルと入れ替わるように、シェリーがカトルの前へと躍り出た。
「さーて、そんじゃぁ話してもらいましょうか。レナから盗んだもんはどこ?」
シェリーはギロリとにらみを利かせ、カトルの顔を上からのぞき込む。
背負った大剣が抜けそうになるのを右手で押さえながら、カトルのことを凝視する。
「今の内ならレナも呆けてるから。返すなら今の内だと思うけど?」
シェリーの言葉に、カトルは目だけを動かしてレナの方を見やった。
確かにシェリーの言う通り、今朝のような呆けた顔になっている。
だがしかし、これがさっきみたいな暴風雨のような攻撃を乱射してきたら……。
『こえーよ……、ってこれ脅しじゃん!?』
地に属する精霊であるカトルは、風の属性に弱い。そして凶暴化した時のレナの魔法は、正直けっこうな威力がある。
分厚い盾を張ったとしても、防ぎきれるかどうか。
「わかったよ」
カトルの指がパチンと音を立てる。
小気味良い音に遅れて、レナの前に石製の箱が地面からせり上がって来た。縦四〇センチ、横六〇センチ、高さ三〇センチのこじんまりした箱だ。
「もういいぞお前達。お疲れさん」
ゴトッと音がすると、高さが一センチほど下がった。
カトルの指示で、箱の一部が地精霊に転じたのである。
レナがずれた上部を力いっぱい押すと……、
「っ!? 見るなーーー!」
「っだ!?」
昶の側頭部をレナの杖が強打した。
レナは昶が悶絶している間に制服の内側に目的の衣類をしまい込むと、ミシェルの方へツカツカと歩み寄った。
「す、すまなかったレナ。主であるぼくの完全な管理不足だ」
「も、もう二度とごめんだからね!」
「あ、あぁ。ぼくの方こそ、もうこりごりだよ……」
暴走状態のレナ(vre.激怒)に迫られるのは、ちょっとしたトラウマになりかねない。
ミシェルの心にも、しっかりと恐怖が刻みこまれたことであろう。
「まあ、レナにとっちゃ最悪な日だったわね~。昶に恥ずかしい所見られるし、恥ずかしい下着は盗まれるし~」
「も~、シェリー! あんまり大きな声で言わないでよ!」
「ところでレナ、いったいどんなものを盗まれ、あがっ!!」
「聞かないでよ、この変態!」
犠牲者そのニ、症状:腹部への強烈な打撲。
「主、これでよろしかったでしょうか?」
苦笑気味のセインが、空宙を滑るようにしてシェリーの傍らへとやってきた。その顔に、疲れの色は見られない。
シェリーからの魔力供給をほぼ受けることなくこの戦闘力、やはり上位階層の力は並ではないようだ。
「うん、ありがとう。お疲れ様」
「いえ、それほどで、もっ!?」
背後からの激しい衝撃がセインを襲った。
「へっ。待ってやるとは言っても、許したわけじゃねえからな! バーーーカ!!」
カトルは最後に捨て台詞を吐いてから実体化を解除した。
器という名の肉体を形作っていた地精霊はだんだんと希薄となり、最後には大気中に拡散してどこへ行ってしまう。
昶の感覚にも引っかからない。本当にこの場所から立ち去ったようである。
「セ、セイン! 大丈夫なのそれ!?」
「まあ、単なる物理攻撃でしたら……」
シェリーが驚くのも無理はない。セインの胸から、バリスタで撃ち出すような巨大な石製の矢が頭をのぞかせていたのである。
石矢の周囲からは、結合力を失った火精霊が、火の粉のように散っていた。
確かに、精霊の肉体はかりそめのもので、物理的な攻撃にも人間やその他の生物より耐性がある。だが、人間に近い肉体構造を持っているだけに、痛みもそれとほぼ同等。
背中から胸にかけて大穴が開いているということは、それ相応の激痛があるはずなのだが……。
「大した攻撃ではありません」
だが、そんな痛みを見せるそぶりはない。セインは自分の胸からのぞく矢の表面をそっと撫でた。
すると、散り散りとなった火精霊と大気中に存在するは希薄な火精霊が、表面を埋め尽くしたのだ。
赤い光芒と輻射熱が、セインを中心に広がる。ジューっという音と共に白煙と液状となった橙色の石矢が、火精霊のすきまからこぼれ落ちた。
石矢が完全に消失すると、火精霊が弾けるように消失する。
|露わとなった傷口からは、腰部から胸部まで開通した穴が現れた。穴の周囲は、凝縮された火精霊が激しく対流しているようだ。
「集まれ」
呼びかけに応じて、散らばった火精霊が再びセインへと殺到する。集まった火精霊が濁流のように穴へとなだれ込み、五秒と経たぬ内に傷口は完全にふさがった。
もうどこにも、穴の開いていた形跡はない。破れた衣服も再生されていて、いつも通りのセインである
「これでも私は上位階層の中でもかなり上位の存在ですので。痛みは伴いますが、この程度の物理的損壊なら再生可能です」
「あなたって、思ってた以上にすごいのね……」
自分がとんでもない精霊と契約していたことを、シェリーは改めて認識したのだった。
「お誉めの言葉として受け取っておきます。しかし、確かに『いつでも』とは言いましたが」
精霊以外の生物なら今の一撃で即死間違いなしなのだろうが、その辺はさすが精霊といった所か。まあ、高位の個体に限られるようだが。
だが、冷静沈着を常としているセインの眉間にしわが寄っている。
今のは、どんな聖人君子でも頭にくるだろう。
「後で言い含めておくよ。いやはや、本当にすまないことをした」
「いえ、お気になさらず」
セインは明後日の方向を向いたまま、少し沈んだ表情を示した。まるで、過去の忌々しい記憶を思い出しているような雰囲気である。
が、そんな沈んだ表情は、すぐに“冷静沈着”と言う名の鉄面皮に覆われた。
「では、この件に関してはこれで終了ということでよろしいですね」
「いいんじゃないの。でももう、同じことは絶対にごめんよ」
「災難だったわね」
「…お疲れ」
「ぼくも心臓に悪いからきっちりと言っておく」
と、約一名の返事がない。
「アキラ?」
レナは辺りをキョロキョロと見回すと、あの石箱の中をごそごそと漁っていた。
自分のことで箱の中身を完全に確認してはいなかったが、そういえばまだ中になにかあったような気がする。
「おい……」
そして、ゆっくりとそれを上げた。
「誰のだ?」
赤い紐パンとブラ(レナよりすっごく大きい)、そして黒のガーターベルト。
「あだっ!?」
「なにしてんのよ、この変態!」
昶だって恥を忍んでやったことであって、決してやりたくてやったわけではない。
嘘です、実は少し触れてみたかったです、すいません。
でも、だからと言って頭を杖でぶん殴るのは理不尽すぎだと、昶はつくづく思う。
「あ、私の……」
カトルのやつ、どうやらシェリーのまで盗んでいたようである。
しかし、鍵のかかった部屋から盗み出したカトルもそうだが、気付かなかったシェリーにも驚きだ。
「主、お気付きになられなかったのですか?」
「あ~~…………」
ばつが悪いのか、シェリーは口を開けて苦笑するだけで、話そうとしない。
「正直、私の部屋ってなにか盗まれてもわかんないから、さぁ……」
と、苦笑。いや、この場合は自嘲だろうか。
「あんたの部屋って、いったいどうなってんのよ……。確か、この前片づけてた気がするんだけど」
「…もう戻ってる。服が脱ぎっぱなしで、あと、本が、床に積み上げられてて、それから……」
「ち、ちょっとリンネ!」
シェリーは慌ててリンネの口をふさぎにかかるが、少し距離が遠すぎたようで、
「…下着も、えっと、その辺に」
間に合わなかった。
なんだそのズボラでだらしなくて、まるでおっさんのような部屋は、と言うのは昶の感想である。
しかし、盗られてもわからないとなると、尋常じゃない量の物が部屋中に散らかっているということではなかろうか。
「…でも、今日は、まだ、大丈夫な方。道が、あったから」
「そ、それはいったいどういう意味なのかね?」
と、完全に存在を忘れられていたミシェルが、鼻息を荒くしながら近付いてきた。
「こら、ミシェル! どさくさにまぎれて変なこと聞かないの!」
「…普段は、床がほとんど、その、見えない」
「リンネも、素直に話さなくていいから!」
普段は他人の話を肴にしているシェリーであるが、自分がその対象となるのは慣れていないようである。リンネやミシェルを押さえるのに、必死になっている。
そんなシェリーを横目に見ながら、昶はレナの部屋を想像してみた。
けっこうな広さがあるが、床が見えない位に衣類と書籍が散乱しているとなると……。
「俺が言うのも変だけど、それはさすがにひどすぎると思うぞ」
シェリーに味方はいなかった。
「そもそも、いつ盗られたんだい?」
「あぅっれはぁ……、昨日のやつかも」
ミシェルが赤い泉に沈んだ。
つまり、あのやたらエロい下着は、使用済み。
というプロセスをたどったのだろう。きっと巧みな想像力で脳内に高画質な映像が上映されたに違いない。南無。
「……あの黒いのも?」
「いや。あれはドレスとか、ストッキングの時だから違う」
「…シェリー、今朝、鍵、かけたの?」
「………………………………………………………………ぁ」
昶自身も今朝レナの部屋に鍵をかけ忘れていたわけであるが、そういえばシェリーもかけていなかったような気がする。
「常々思ってたけど、あんたもっと女らしくできないの?」
「どっかの誰かさんみたく、杖を振り回すのを『女らしい』っていうんならすぐにでも実践してあげるわよ」
「なんですって!」
「なによ、ホントのことでしょ!」
放っておいたらいつぞやみたいなつかみ合いの喧嘩になりそうな勢いである。
どっちもどっちだろうと言ったら殺されるんだろうな、とか思いながら昶が二人のことを静観していると、
「…帰る」
リンネは懐から読みかけの本を取り出すと、女子寮の方向に歩き始めた。
「あぁ、じゃあぽくも。迷惑をかけてすまなかったと伝えてくれたまえ」
ミシェルの方も、鼻声でそう告げるとリンネとは別の方向に歩き始める。
場所は知らないが、男子寮があるんだろうな。さっきまで経っていた場所には、小さな赤い池ができあがっていた。
二人を見送った所で、昶は背後を振り返る。
まだ言い争っていた。恥ずかしげもなく、生々しい話を大声で。
さすがに、これ以上昶も関わりたくなかった。
「じゃ、セイン。俺、適当に外をぶらついて来るわ」
「そうですね。私も退散します、少し疲れました。火精霊達、主を頼みましたよ」
と、セインは実体化を解いた。器を形作る火精霊が分離し、輪郭も次第にぼやけていく。
セインの気配が周囲から完全になくなった所で、昶も校外へと向かう。
「なによ、身体だけで頭は子供なくせに!」
「あら、チビにそんなこと言われたって負け犬の遠吠えにしか聞こえないわよ~」
「事実を言ったまでよ。座学は下から十番以内じゃなかったかしら~」
「ちょっと……、それどこで知ったのよ!」
「お子ちゃまは知らなくていいのよ」
「お子ちゃまはそっちでしょ! まだそんな子供っぽいのつけるのにて大人ぶるなんて、かわいそうで笑えてくるわ」
「なんですって!」
「それはこっちの台詞でしょ!」
自然鎮火するのを待つしかなさそうだ。
でも今日中にするか不安である。
カトルを中心とした小さな事件はこうして幕を閉じた。
ちなみに、学校の庭をめちゃめちゃにした罰として、二柱の主であるシェリーとミシェルは、一週間の草むしりを言い渡されたのだった。
はい、てなわけでようやく第二話が幕を閉じました。いかがでしたでしょうか、第二話。実にくだらないネタでしたね。エロ成分も思ったよか盛れてないですし。まあ、こんな回もあっていいか。楽しんでいただけたら幸いです。話が変わりますが、今朝寝違えて首がものすごく痛いです。どうでもいいですね、はい。それでは、次話でまたお会いしましょう。