第二話 ユキカゼの舞う国 Act04:西方の将
レイネルトの墓参りを終えたレナと昶がそろって帰宅すると、予想通りロッテからめちゃくちゃ怒られた。
怒られたのは主に昶であるが、レナの方も『男の人と二人きりなんて危なすぎます! それも、おおおお同じ杖でだなんて!!』と、可愛らしいお説教を頂いていた。
「ロッテさん、それくらいでお姉さまを許して上げてください。お二人は、大切な用事があったんですから」
それを見るに見かねたラスターシャが、横から割って入ってくる。
ロッテはそれでも不満なようであったが、レナが兄の墓参りに行っていたことは知っているとあって、あっさり引き下がってくれた。ロッテ自身は全然記憶にないらしいのだが、ちゃんと姉の気持ちは理解しているようだ。
昶とレナは、そろってラスターシャに向かって苦笑を浮かべていた。
それからクリスとセンナを加えた六人で、昨年の夏に生まれたばかりだという弟──リーンヘルム──の元を訪れる。起きたばかりで元気一杯のリーンヘルムは、見たことのない人にうきうきらしい。
会うのはこれが初めてなレナは嫌われないか心配していたのだが、リーンヘルムはそんなのお構いなしとレナにじゃれて来た。
というよりも、ロッテにあやされている時より、ご機嫌なのだとかなんとか。
昶も高い高いをしてやったりしたが、よほど気に入ったのか下ろす度にねだられたほどだ。
まあ、実際にはどうなのかわからないが、やってやるとその度に嬉しそうな黄色い声を上げるのだから、楽しかったのだろう。
それから、赤身の魚をメインにした昼食を終えてしばらく、ようやくその時がやってきた。
家の中には最小限の人員を残して、全員が玄関外に集まる。
「アナヒレクス家って、グレシャス家と比べて使用人の人数少ないんだな」
「まあね。あっちは軍施設も併設されてるし、屋敷もうちと比べてかなり大きく作ってあるから。温泉以外にも色々施設作ってあるから、手入れが大変なのよ」
小声でレナに話しかけると、あっさり答えてくれた。
ぱっと見た感じだと、全員で二〇人ちょいくらいだろうか。グレシャス家の時は軽く三倍以上いたのを考えると、かなり少ない。
「お兄さまの件があったから、信用の置ける人を最小限しか置かなくなったのよ。昔は、もうちょっといたんだけど」
「……悪い」
「いいわよ。これで隠し事もなくなったし、サッパリした」
そう言うと、レナはロッテに気付かれないよう、昶に背中を預けた。いきなりのことで、昶の心臓はドキッと跳ね上がる。
背中に緊張する昶の気配を感じながら、レナは矛盾する自分の思いに自嘲していた。
たったこれだけのことで、昶がドキドキしてくれている。それが堪らなく嬉しい。アイナじゃあきっと、ここまでの反応は見せないだろう。
湧き上がる優越感と同時に、そんな自分に嫌悪感。意地汚いなぁ、なんて。
ほんとは、自分はどうしたいのだろうか。
既に答えは出ているのに、そう思わずにはいられない。
「レ、レナ?」
「もうちょっと、このまま」
今は、今この瞬間だけは、自分だけの昶でいて欲しい。
滑らかに着陸する竜籠を見ながら、レナはぐちゃぐちゃになった心をなだめていた。
ロイス=ル=アギニ=ラ=メニス=ド=アナヒレクス。
レイゼルピナ王国北西部に領地を有する領主であると同時に、バルハル山脈以西の全軍への指揮権を有する、王国の超重要人物である。
その権限の大きさから、時として元老院保守派の議員にさえも槍玉に上げられることもある人物だ。
その歴戦の強者と思わしき風貌に見合う、あるいはそれ以上に厳かな雰囲気を纏って、ロイスは竜籠から姿を表した。
レナと同じオレンジの髪をオールバックにし、瞳はレナとは違うダークグリーンを示す。
そのロイスの前に、上空を旋回していた一体の飛竜が舞い降りた。
暗いバーミリオンの甲殻をした飛竜は、明らかにアナヒレクス周辺の飛竜ではない。防寒用の種々の装備を付けていることからも、窺い知ることができる。
騎手らしき人物は地上へと降りると、そのままロイスと並んで屋敷に向かってきた。
「すまなかった、ラスターシャ。こんな非常時に、家を開けてしまっていて」
「いいえ。貴方が無事なら、私は大丈夫です。レナさんの無事を知らせてくれたのも、貴方でしたし」
自然な流れで抱き合ったロイスとラスターシャは、軽く唇を交わす。つい先ほどまで厳しい顔を浮かぶていたとは思えないほど、その表情は不安と謝意でいっぱいになっていた。
それからロイスは、愛娘二人に目を向けた。
「ただいま、ロッテ。そしてレナ、おかえり」
「おかえりなさいませ、お父さま!」
「ただいま戻りました。それと、お父様もお帰りなさいませ」
ロイスはゴツゴツとした厳つい手を伸ばすと、二人の頭を優しく撫でた。
こうして見ると、特別大男というわけでもない。昶と同じか、やや低いくらい。
だがその圧倒的な圧力に、昶は無意識の内に臨戦体勢に入っていた。
そしてロイスもまた、昶の変化を敏感に感じ取っていた。
両手を下ろすと、ロイスは昶を見つめた。資料の上では、ロイスも昶を知っている。
昶がライトハルトから学院の生徒になるように言われた日も、ロイスは城で様々な懸案を処理していたのだから。
──禍式精霊魔法等の暗黒魔法、または輝照術式に匹敵する、あるいはそれ以上の威力を有する魔法を使う人物、か。この少年が……。
自分の娘とさほど年齢の変わらない少年が、あの天災以上の災いから国を救ったのか。自らの目で見てもなお、ロイスには信じられなかった。
だが、今は感情は置いておこう。
レナとロッテが一歩ずつ引き、ロイスはその間に立って昶を見つめる。
「失礼だが、君はアキラくん、で合っているかね?」
「はい」
ロイスの視線に、敵意はない。
しかし、鋼鉄すら貫けそうな鋭い眼光に、昶は身構える。溢れ出る魔力そのものが、レイゼルピナの一般的な魔法兵と違っていた。
エザリアや“ツーマ”といった例外をのぞけば、今まで会って来た中では最強かもしれない。
恐らく、実際にやり合えば、ネーナの方が圧勝するだろう。
それを考慮したとしても、厳然とした圧力がそこにはあった。
互いを見つめたまま、標準時で五秒ほどの時間が流れる。
その場の誰もが、固唾を飲んでその行く末を見守り、そして、
「うむ、良い目をしている。まだ荒削りのようだがな」
「はい?」
昶にだけ聞こえるような小さな声で、ロイスはつぶやいた。
相手の意図がつかめず困惑する昶に向かって、ロイスは手を差し出す。
「レナの父の、ロイス=ル=アギニ=ラ=メニス=ド=アナヒレクスだ。今回の件では、大変世話になったなようだ。心から感謝する」
「草壁昶です。俺は、自分にできることをしただけです。まあ、今回のはどうにもできませんでしたけど……」
「そんなことはないさ。誇りに思っていい。いくら他の場所で勝利を収めようと、王都が落とされてしまえばそれまでさ。君は、敵から我々の国を守ってくれた。本当に、ありがとう」
顔を背ける昶の言葉を否定し、ロイスは固い握手を結ぶ。
オレンジの髭が生えた口に、不器用な笑みを浮かべて。
「旦那様、この子がリーンヘルムです」
「おぉ、ようやくこの目で見ることができる。済まなかったな、リーンヘルム。仕事ばかりで、相手ができなくて」
リーンヘルムの面倒を見ていたクリスが、そのリーンヘルムを腕に抱いて出てきた。
ロイスもレナと同じく、初めて見る自分の息子にかなり興奮しているようだ。
「うぉ、こら、リーンヘルム。そんなに髭を引っ張るな」
物怖じしないリーンヘルムは、厳つい顔のロイスに抱かれながらもニコニコしている。
それどころか、面白がって玩具代わりに髭を引っ張る始末。これは、将来大物になるぞ、とロイスは親バカまがいの発言までして見せた。
「よく世話をしてくれているようだな、クリストフ。感謝する」
「そのようなこと……。もったいなきお言葉です、旦那様」
ほ~ら高い高~い、とロイスがきゃっきゃするリーンヘルムをあやしていると、その肩をちょんちょんと誰かが叩いた。
「先生。そろそろ、自分のことも……」
「あぁ、済まなかったな」
ロイスはこほんと咳払いすると、先ほど飛竜から降りてきた青年の肩に手を置く。
「聖リリージア国の、イェレスティオくんだ」
「初めまして、皆様。イェレスティオ=メイ=ハーミッツ=リダーレス=ラ=シャーティスと申します。以後、お見知り置きを」
深々と被っていたフードを脱ぎ捨てて、青年──イェレスティオは不敵な微笑みを浮かべる。
落ち着きのある静かな雰囲気は、まるで清流のようである。
「リダーレスって……。確か、リリージアの騎士の称号、ですよね?」
「はい。以前、紛争地帯で支援活動を行ったがあり、その時に」
レナの問いに、イェレスティオは特に自慢するでもなく答えた。その時の武功を延々と語りたがる輩も多いだけに、レナもこれには素直に驚いた。
「さぁさぁ、早く中へ入ろう。わざわざ、こんな寒い場所で話すこともないだろう」
ロイスの号令のもと、全員ともアナヒレクス邸に向かった。
イェレスティオ=メイ=ハーミッツ=リダーレス=ラ=シャーティス。琥珀色の瞳からは聡明さが漂い、マリンブルーの髪は一房の三つ編みにして右肩から垂らしている。
昶の感覚的には、魔力の気配はかなり小さい。もしかしたら、マグスではないのかもしれない。
出身地は、聖都とも呼ばれる聖リリージア国。地理的に言えば、レイゼルピナの東側、メレティスの南東にある小国であるが、この国が聖都と呼ばれるのにもそれなりの理由がある。
なんとこの国の首都ネフェリスは、最初の魔法使いであるマグス=パピルスの亡くなった土地らしいのだ。
遺体は腐敗を防ぐよう厳重に封印がなされており、現在もネフェリスのどこかに安置されているらしい。
ちなみにネフェリスの名からもわかるように、ローレンシナで用いられている時間の単位であるネフェリス標準時は、この都市を基準としている。
とまあ、リリージアの話はさて起き、使用人に部屋まで案内されたイェレスティオは、例の防寒コートと荷物を部屋に置くと、全員の待つリビングへとやってきた。
「それで、皆様方のお名前は、なんと仰るのでしょうか?」
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。失礼しました」
ラスターシャはスカートの裾を軽く上げ、優雅に一礼する。
「ロイスの妻の、ラスターシャ=ル=アイギス=ド=アナヒレクスです」
「レナ=ル=アギニ=ド=アナヒレクスです」
「お姉さまの妹の、ロッテ=ル=アギニ=ド=アナヒレクスです!」
おっとりとしたラスターシャに、凜と構えたレナ、手を挙げながら元気一杯のロッテが、順に名乗りを上げる。
「草壁昶です。初めまして」
それを見て昶も名乗るのだが、やっぱみんな名前なげえな~、となんとも場違いな感想を抱いたりしていた。
「それで、イェレスティオさんは、どのようなご用件で来られたのですか?」
リビングへと、ラスターシャはソファーへと腰を下ろしながらイェレスティオに問いかけた。
「いえ。特に用と言うものではなく、仕事が一段落したのもあって休みを頂いたので。それで今回は先生に誘われて、お邪魔させていただいただきました」
「よしてくれ。私は、先生などと呼ばれるような、高尚な人間じゃあない。単に、仕事で君をこき使っているに過ぎんさ」
「大丈夫です。それでも、十分に勉強させていただいてます」
イェレスティオは先生と敬うロイスの方を見ながら、ラスターシャの問いに答える。
しかし、敬われるロイスの方は、先生と呼ばれるのに抵抗があるらしい。
例え直接教える立場になくとも、その様を見た者が自らの糧とするならば、それは立派な先生だと昶は思うのだが、見た目同様に考え方も厳格なようだ。
ラスターシャ、イェレスティオ、ロイスの三人が話に花を咲かせているのをいいことに、ロッテはレナの袖をくいくいっと引っ張る。
「お姉さま」
「ごめんごめん。そういえば、外で遊ぶ約束をしていたわね」
例のごっついコートを用意したのも、実はこのためだったりするのだ。
レナは、にひひぃと笑うロッテの頭を撫でながら、昶の方を向く。
「俺も暇だし、付き合ってやるよ。うっし、なんなら、うちの国でやってる遊びでもやろうか」
「ふむ。なにやら、楽しそうな相談をしているようですね。お嬢様方」
いつの間に近付いて来たのか、三人のすぐ後ろにはイェレスティオの姿があった。
「先生、娘さん方を、お借りしてもよろしいですか?」
「ん、あぁ。よろしく頼んだぞ。イェレスティオくん」
前を歩く三人に付いて行きながら、昶はロイスの横を通りながら一礼する。
と、その時だった。
「夕食後に、少しいいかね」
誰にも聞こえないような音量で、ロイスは昶にそっとささやく。
聞き間違いかと思い振り返る昶であるが、ロイスはラスターシャとクリスを伴って、リーンヘルムの部屋に行ってしまった。
恐らく、聞き間違いではない。聞きたいことなど、山のようにあるはずである。
だが、今はそれを一旦胸の内にしまい、昶はレナ達を追って外に出る。
「ま、待ってください、アキラ様! キャシーラも参ります!」
その後ろ姿を、キャシーラは慌てて追いかけた。
日が西に傾くまで、五人は庭の雪を使ってとことんまで遊び尽くした。
前にやったみたいに、雪を固めてかまくらを作ったり、雪だるまや氷像(こっちは魔法で)を作ったり、男女のチームに別れて雪合戦をしたりと、ロッテはもちろん、レナと昶も時間を忘れて楽しんだ。
ただ、キャシーラのはしゃぎっぷりがあまりに凄すぎて、ロッテ以外の三人は苦笑いを浮かべていたが。
そして夕食はなんと、食用竜の霜降り肉ステーキをメインにした超豪華なコース料理で、相変わらず『竜』という単語に抵抗を覚える昶は、顔をしかめながら食べていた。
ただ、これが絶妙に旨かった。適度に効いた塩と胡椒、口に入れればとろけるほどに柔らかく、さりとて後味もさっぱりしている。早朝でも難なく食べられるほど、胃にも優しい。そんなお肉であった。
アナヒレクス家の面々が一堂に会する中に、客人の昶とイェレスティオの計六人の夕食。
レナと昶がそろってロイスに緊張する中、気を効かせたラスターシャがロッテと一緒に色々な話をしてくれた。
だが、いつまでもそんな時間が続くはずもない。
あくまで静かに、しかし確実に場の空気が変わり始めていた。
そしてついに、その時がやって来た。
『アキラくん、昼間に伝えた件だ。少し、付き合ってもらいたいのだが』
ロイスからの念話である。それも、恐らく対象を昶に限定している。
ある程度回数をこなせばそれほど難しい話ではないのだが、一度目からいきなりというのは昶も驚いた。改めて、ロイスの技量の高さを肌で感じた。
『わかりました』
ロイスの気配へと意識を集中させ、昶も答えを返す。
『ありがとう。私は先に行かせてもらうよ。案内は、イェレスティオくんに頼んである』
ロイスの思念波を受けて、昶は視線だけを動かしてイェレスティオを見ると、イェレスティオも目で合図を返してきた。
「では、私は先に失礼させていただこうか」
ナプキンで口をぬぐい、ロイスは優雅に席を立つ。
その後数分、しばらくはロッテの話を聞いていた昶とイェレスティオであったが、
「さてっと。それでは、自分はこの辺りで失礼させていただきます。長旅の疲れもあるので」
「…………んじゃ、俺もそろそろ。あんまりレナお姉さまと一緒にいると、ロッテお嬢さまに怒られそうですから」
「アキラー!」
ギロリとにらみつけてくるロッテに苦笑を浮かべながら、昶は席を立つ。
レナ達に背中を向けたところで、ようやく顔の力を抜いた。
ロイスはいったい、自分にどんな用があるのか。
戦いにも似た緊張感が、昶の心を支配していた。
食堂から出ると、鋭い表情のイェレスティオが待っていた。
「コートを着ろ。屋敷の外まで移動する」
「わかりました」
ついさっきまでの好青年の面影は、一片の欠片も残っていなかった。
それはある意味、戦闘時の自分に近いものを感じる。
「はい、アキラ様。コートです」
「ありがとう、キャシーラさん」
「もう、アキラ様ったら。キャシーラのことは、呼び捨てで構わないと申し上げておりますのにぃ」
昶はキャシーラからコートを受け取ると、イェレスティオの方を見た。
ご機嫌でも不機嫌でもなく、自然体で壁に背を預けている。
昶がコートに袖を通すと、イェレスティオは付いて来いと手招きし歩き出した。
「キャシーラさんは、ちょっと待っていてください。イェレスティオさんと、ちょっと用事があるんで」
「あぅ~。はぃ。わかりました、アキラ様。行ってらっしゃいませ」
どうせ付いて来るだろうと思っていた昶は、キャシーラが言ってくる前に釘を刺す。
露骨にがっかりした表情を浮かべるキャシーラであるが、主である昶の命令には忠実だ。
まるで捨てられた子犬みたいになっているのは忍びないが、内密な話でもない限りあんな手段でコンタクトを取ってくるはずがない。
昶は開けっ放しになっていた扉を閉めると、イェレスティオと並んで歩き始めた。
「これから、どこに行くんですか?」
「竜舎だ。色々と聞きたいことがある。例の件について」
キュッ、キュッ、と雪を踏みしめる音だけが耳を打つ。
例の件と言えば、年末の大規模反乱事件しか考えられない。
否が応でも動悸が早くなり、口を開くこともできなくなる。
そのまま数分ほど歩くと、見覚えのある建物が見え始めた。グレシャス領のものより重厚な雰囲気だが、間違いなく竜舎だ。
入り口の前には、二人の兵士が立っている。魔力の気配はあまりないので、恐らくは一般の兵士であろう。
しかし、よく訓練されているのが分厚いコートの上からでもわかるほど、見事な身体つきをしている。
まるで石像のように微動だにしない二人の間を通って、イェレスティオと昶は竜舎へと入って行った。
イェレスティオに案内されるまま二階へと移動すると、ロイスの他にもう一人、意外な人物が昶を待ち構えていた。
「久し振りだな、小僧。大将から話を聞いた時は心配したが、大丈夫そうでなによりだ」
「ダールトン、隊長」
がたいのいい身体に強面風な顔のくせに、ちょこんと乗った可愛らしい目の大男。ダールトンの姿があったのだ。
「元隊長だ。まぁ、今回は出しゃばって大将の代わりに色々やっちまったがな」
「再会の挨拶もそれくらいでいいだろう、ダールトン」
先ほどから白い飛竜を眺めているロイスが、視線はそのままにダールトンを制す。
「あぁ。済まんなぁ、大将。今はこの坊主から、話を聞き出す方が重要だったか」
肩をすくめるダールトン。
その様子に、ロイスも苦笑を浮かべる。
そしてロイスは、改めて昶に向き直った。
威圧感が、一気に倍加したような気分だ。
「単刀直入に聞こう、アキラくん」
「…………はい」
ロイスの鋭い眼光が、ぴたりと昶の瞳を捉える。
まるで、脳の中の隅から隅までのぞかれているような気になってくる。
しかしロイスは、昶の心構えなどあっさり撃ち砕くようなことを言ってのけたのだ。
「君は…………………………魔術師と呼ばれる存在なのか?」
「っ!?」
一瞬、心臓が止まったような気がした。
だがどうして? レイゼルピナを含めて、ローレンシナ大陸には魔術師と呼ばれるような者達はいないはずだ。
精霊魔術と極めて類似した術体型を中心とするレイゼルピナの術者は、自らを魔法使いと呼称している。
それ故に、マグス以外の呼び方は存在しないはずなのだ。
「その表情から察するに、肯定と受け取っておこう」
昶以外の二人も、表情に特別な変化は見られない。
知っているのだ、二人共。魔術師と呼ばれる術者の存在を。
本来なら、この世界に存在すらしていない者達のことを。
「では、次の質問だ」
昶の考えがまとまらないうちに、ロイスは次なる問いを投げかける。
「君は、域外なる盟約の人間なのか?」
「アウター、レギオン……?」
今度は、聞いたことすらない名前が出てきた。
だが少なくとも、国や街の名前ではないだろう。
「ふむ。これは知らないと見える」
「大将の言う通りだと思いますぜ。こいつぁ、知らねぇ時の反応だ。芝居上手じゃねぇのは、前に見たから知ってる」
「だとしたら、先生のおっしゃっていた可能性は、事実であったということに……」
「あの、今の質問になんの意味があるのか、教えてくださいよ! なんなんですか、アウター・レギオンって!?」
「では、最後の質問だ」
ロイスは昶の要求を完全に無視して、最後の問いを口にした。
「君は、この世界とは別の世界から来たんじゃないのか?」
「………………」
もはや、言葉すら出なかった。
あまりに驚きが強烈すぎて、どう反応すればいいのかわからない。
どこをどう調べれば、そのような結論に辿り着けるのか。真実であるにしても、発想が突飛すぎる。
「無言は、肯定と受け取っておこう。……そうか。君は、彼等の言うところの、源流使い、とかいうやつなのか」
一人納得したような表情を浮かべるロイス。
ようやくまともな思考を回復してきた昶は、ようやく口を開いた。
「だから、なんなんですか。アウター・レギオンとか、オリジネイトとか」
「それは、君が私の質問に答えてくれたら、教えるとしよう」
「取引ってか? だとしたら、随分としょぼい取引もあったもんだな。俺みたいなガキ一人を、三人で取り囲んで」
「君だからこそ、だよ。実際にこの目で確かめていないからには、全てを鵜呑みにすることもできないが……。あの戦闘跡を見た限りでは、君が本気になれば我々三人でも押さえつけることは不可能だろう。もし君が魔術師────源流使いと呼ばれる存在ならば、尚更な」
魔術に関する情報、どころの騒ぎではない。ロイス達は、明確に魔術師と呼ばれる存在を知っている。知った上で話をしている。
だがここで昶に問うて来るということは、政府の意志とは別のところで動いているということではあるまいか。
先日か、あるいは今朝まで仕事の関係で王都にいたのならば、接触の機会はいくらでもあったはずである。
「あんたらは、誰の意思で動いてるんですか?」
世話になっている学院長や友人達に迷惑をかけたくないがために、昶は政府の狗となることも是とした。その政府の意向を無視するかのような行動、不安と入れ替わるように不信感が表出する。身体は自然と、戦闘状態へと移行していた。
既に足を開き、腰を落とし、右手は村正、左手は護符の収めてあるポケットへとそれぞれ伸びる。
更に肉体を強化し、身体能力と五感までをも鋭敏化させた。
「先生!」
「大将!」
それに応じて、イェレスティオとダールトンも、各々の発動体や武器を構える。
一触即発。ロイスの言葉一つで、この場所は地獄へも容易に変貌する。
昶は戦いになった時の対処を考えつつ、ロイスの言葉を待った。
「──────誰の言葉でもない。私は、私の意思を以て、君に問うている。アキラ=クサカベくん。これが、この意思が、私以外の誰かの意思であってなるものか!!」
荒ぶる声、剥き出しの感情が昶の全身にぶつけられた。
だが、怒りの矛先は昶の方を向いていない。
そう、まるで、自分自身に向けて言い聞かせているかのよう。
「私はもう、誰もレイネルトのよいな目に遭わせたくはないのだ。そのためならば、私は例え祖国でさえも、敵と定める覚悟だ」
「自分の国が相手でも、ねぇ……」
おおよそ、国家の重役に就く人物のものとは思えない台詞である。
ある意味、ダールトンよりもよっぽどとんでもないバカ親な父親、と言えるだろう。
そしてロイスは次の瞬間、とんでもない行動に出た。
「これでもまだ、信用してもらえないかね?」
なんとロイスは、腰に突き刺していた発動体を昶の前に投げ出したのだ。
レナのものより小さいが、倍以上の重厚感を誇る杖。先端には、見事にカットされた緑珠が輝いている。
「大将、そりゃやり過ぎだ!」
「先生! お気は確かですか!?」
まだ発動体を隠し持っている可能性は否めないが、ダールトンやイェレスティオの反応を見るに、その可能性は限りなく低い。
そもそも、このような状況にあってなお、ロイスからは全く殺気が感じられないのだ。本当にただ話が聞きたいだけで、はなから敵対する意思はなかったのかもしれない。
昶は目の前に転がる杖を拾うと、そのままロイスの方に向かって歩き出した。
「小僧、貴様!」
「それ以上先生に近寄るな!」
ロイスを昶から守るように、ダールトンとイェレスティオが立ちふさがる。
しかしロイスは二人を制し、無理やりに道を開かせた。
「おっしゃる通り、俺は魔術師です。ただ厳密には、法師陰陽師って呼ばれる存在ですけど」
昶はその間を通り、ロイスの前に立ち、
「魔術師ってのは、こっちでいう魔法を使う人達のことを、一括りにした呼び方なんで」
発動体の杖を差し出した。
「なるほどな。つまり君達は、使用する術ごとに呼称を変えているのか」
「ちょっと違いますけど、だいたいそんなもんです。エザリアなら錬金術師、ソフィアさんなら精霊魔術師って感じで」
ロイスは発動体を受け取ると、投げ出す前と同様に腰のホルスターへと突き刺す。
その表情は、数刻前と比べて少しだけ柔らかくなっていた。
「次の質問ですけど、俺はこの世界とは別の世界から来ました。だから、アウター・レギオンがなにを差すものなのか、全然わかりません」
昶のその言葉に、誰もが目を丸くして驚いた。
本当か嘘かは別として、可能性のあった者がそうだと肯定したのだ。
その衝撃は、当人達が思っていたよりも大きかったらしい。
「じゃあ次は、こっちからの質問です。あなたはなんで、魔術師の存在を知っていたのか。アウター・レギオンっていったいなんなのか。なんで俺が異世界から来たのかと思ったのか。教えてください」
「……あぁ、そうだったな。済まない、まだ驚きが治まらなくてね」
ロイスは一旦瞑想して気分を落ち着かせると、再びまぶたを開いた。
「そうだな。順を追って説明しよう。まず、総合魔法学研究院は知っているかね?」
「はい。新しい魔法技術や、既存の魔法や精霊素の結晶に関する応用技術を研究してる場所、ですよね」
「その通りだ。その総合魔法学研究院で、二、三年の周期で特定の魔力反応を計測している。我々はそれを、空間震動波と呼んでいる。もちろん、その呼称も、観測結果の意味も、通常の研究員の知るところではない。暗黒魔法と等しく、特一級王国機密と言うやつだ」
「空間、震動波」
「そして我々は、その原因が世界の壁を超えて、何者かがこの世界に召喚された時のものではないかと考えている。計測されるパターンは、召喚魔法を使用した時のものと極めて酷似していたからね。最も、規模は比べるべくもないほど、桁外れの反応なのだがね」
「なんともまあ、無茶苦茶な発想ですね……」
昶の反応に、ロイスも肩をすかせて見せる。大方、ほとんど相手にされなかったのであろう。
レイゼルピナと比較して数世代は先を行く魔術師の世界ですら、異世界の存在は未だに感知していない……はずである。少なくとも、昶の知る限りにおいては。
そもそも、次元や空間に干渉する術ですら発展途上にあるのだから、その向こうに存在する物など観測できるはずもない。
「そうだな。君の言う通り、ほとんどの人は信じてくれなかった。だが、ならどう説明をつける? オズワルト学院長の考案した、サーヴァントを呼び寄せる召喚術。あれと極めて酷似した、しかし数万倍いや、数億倍にもなる巨大な反応の説明を」
「それは、確かにそうですけど」
「それに、その空間震動波の観測された付近では、決まって不審者の情報が寄せられている。明らかに違う人種、全く異なる文明圏の衣服、そして言葉も通じない。時には、現地の魔法兵が束になってもかなわないような、正体不明の魔法を使う者までいたそうだ。あたかも、君のようにね」
反論する材料が見つからない。それどころか、妙に納得してしまう。
それは昶自身が、身を以て体験したことと非常によく似ている。いやいっそ、まさにその通りだ、と言ってもいいほどであるのだから。
「そして、それらの人々を保護している集団がある。それが……」
「……域外なる盟約、ですか」
うむ、とロイスは首肯した。
「そして彼等は、自らをマグスと呼ばれることを極めて嫌うらしい。機密扱いの古い資料に書かれていた。“我らはマグスに非ず、魔術師である”とね」
ロイスはようやく全ての質問に答え終えたと、懐から煙草を取り出す。
くわえた途端に先端へと火が灯り、紫煙を肺一杯に吸い込んだ。
「おっと、済まない。つい、いつもの癖で」
「いえ、構いませんよ。俺の父親も、よく吸ってましたから」
個人的には喉に痛みを覚えるだけでなにが良いのかわからないが、吸うと落ち着くのだと父親が言っていたのを思い出す。
もっとも、それはただの中毒だから止めるよう、いつも兄に諭されては顔をしかめていたのだが。
ロイスは三、四回大きく呼吸すると、吐き捨てると同時に吸い殻を焼き尽くす。
灰も残さず焼き尽くすような火力を、一瞬にして。
そしてロイスは、再び口を開いた。
「私はね、アキラくん。君の身を案じているのだよ」
「俺のことを? なんでまた」
「先も言っただろう。域外なる盟約は、異世界から召喚されたと思われる者達を保護している。それが、魔術師か否かも問わず、全員を」
その瞬間、昶には悲哀を湛えたロイスの表情が、シェリーの母親であるロベリアーヌとだぶって見えた。
なるほど、これが親の顔、というものなのか。
「もし奴等が、保護と称して君を捕縛するようなことになれば、娘がどうなってしまうか。私はそれが怖くて仕方がない」
最初に言っていたではないか。
もう誰も、レイネルトのような目に遭わせたくはない。誰かの悲むようなことは、もう二度と御免だと。
「もし君が異世界より召喚された者で、自らを魔術師と自負する者ならば、注意しておきたまえ。域外なる盟約と、そしてその戦闘組織である異法なる旅団に」
「はい。ご忠告、ありがとうございます」
「話は以上だ。寒い中、付き合わせてしまって済まなかったな。アキラくん」
「いえ。それじゃ、俺は戻りますね」
首肯するロイスを肩越しに見送りながら、昶は竜舎から出て行った。
飛竜の寝息が、静けさを表すかのように鳴り響く。
ロイスは再び懐から煙草を取り出すと、先端に魔法で火を点けた。
「で、ダールトン。君は、彼をどう思う?」
「どうもこうもありませんぜ、大将。話がちぃっとでっかすぎて、自分にゃ難しすぎます。ただ、域外なる盟約に異法なる旅団が絡んでいるとなりゃあ、穏やかじゃありませんなぁ。ヤツらの魔法は、うちらとは比較にならんほど強力ですから」
「で、イェレスティオくんは。どうかね?」
そうですねぇ、としばらく考え込んでいたイェレスティオ。ロイスのくわえる煙草が数センチ短くなったところで、ようやく口を開く。
昶に発動体を突きつけていた時と同じく、敵意や殺意を滲ませながら。
「自分はむしろ、彼の存在そのものを危険と判断します。彼は戦闘中、一時的とはいえ暴走状態にあったのでしょう? その毒牙が、レナさんに向かわないとも言い切れません」
「確かに、それも一理ある。だがな、イェレスティオくん。私は、娘を傷付けるような真似はしたくない」
「ですが!!」
師と仰ぐロイスに対し、それでもイェレスティオは異を唱える。
そもそも、イェレスティオは昶を信用してはいない。異世界の人間で、しかもマグスよりもずっと危険な魔術師と呼ばれる存在なのだ。
本当ならば、すぐにでも二人を引き離すか、そうでなければ監視役を数名付けたいとさえ思っているほどである。
「それに、私は信じたいのだよ。自分の娘と、その娘が信じている彼を」
「……先生」
そんな風に言われてしまうと、反論のしようがなくなってしまうではないか。
ダールトンは、ロイスを説得できなかったイェレスティオの肩にそっと手を置き、
「今回はお前さんの負けだ。じゃあなぁ大将。自分は、もう休ませて頂きます」
「あぁ。色々と済まなかったな。無理言って付き合わせてしまって。それと、国境近辺の警備を今の予算で可能な範囲で強化させているから、もしかしたら人手不足でお前にも声がかかるかもしれんぞ」
「なに、望むところですよ」
「イェレスティオくんも、もう帰ってくれて構わない。私は、もう少し休憩してから戻る」
名残惜しそうに、儚げな表情を浮かべるイェレスティオ。
一人竜舎へと残ったロイスは、本日三本目の煙草を取り出す。
だが、ロイスは知らない。
既にアナヒレクス領内に、外部から侵入している者がいるなどとは。
ましてやその者達が、どのようなことを考えているのかも。