第一話 新たな門出 Act05:猛特訓
翌日の午後から、実技テストの猛特訓が始まった。
実技のある科目は、集団戦闘、錬金術、魔法、その他魔法技術の四科目。
魔法は標的を攻撃するテスト。その他の魔法技術は、物質化や属性付加の実演、飛行テスト。錬金術は物質の組成変化。
そして最も難易度が高いと言われているのが、集団戦闘の模擬戦闘テストである。
他のテストは練習次第である程度どうにかなるが、集団戦闘だけは戦う相手が存在する。
その点が大きく他のテストと異なるのだ。
そして、練習開始から一週間が経った。
「つ~か~れ~た~。なんか飲み物ほ~し~い~!」
シェリー完全な駄々っ子である。
言い出しっぺである本人が、一番最初に飽きていた。
「あんた、いい加減その性格直しなさいよ。家継ぎたいんでしょ? そんな落ち着きのない人間が、当主になれるわけないじゃない」
「いや、まぁ。半分は冗談なんだけどね。でも、魔力を感じ取る練習が長すぎる気がするんだけど」
と、シェリーは気まずそうに昶の方を見る。視線に気付いた昶も、ぽりぽり頭をかきながら思案する。
魔力察知の徹底的な練習は、人一倍熱心で自制心の強いレナだからできたのかもしれない。
実際、シェリーだけでなくアイナの方からも、退屈そうな空気が漂ってきている。
「つってもな、これが無意識にできるレベルにならねぇと、緻密な制御は難しいぞ。魔力察知ができないってのは、目隠ししたままコップに水注ぐようなもんだし」
「今は目隠しを外して、コップに水が注げるように。つまり、自分の魔力を感知して魔法を制御しやすいようにしてるわけ。何回も説明受けたじゃない」
愚痴をこぼす昶に、レナが補足説明を加える。
この練習だけで成功率の上がったレナも、今回は昶のやり方に賛成だ。
いくら地味な練習であろうと、最も基礎に当たる部分。おろそかにして良いはずがない。
現に、レイゼルピナのマグスよりも戦闘方面に異常進化を遂げている地球の魔術師達は、この訓練を幼い頃から徹底的にやっている。
ならば、強くなろうとすればそれに倣うのが最も理に叶っていると言えるだろう。
自分達は今、戦闘に関する技術を伸ばしているのだから。
「それはわかってるんだけど、やっぱ、身体動かしたいのよねぇ」
「あぁ、それはわかる気がします。私も、もうちょっと飛びたいです」
しかし、シェリーやアイナの言い分も、十分に理解できる。
どちらかと言えば、昶は間違いなくレナやリンネ側のタイプではなく、シェリーやアイナ側のタイプだ。実際、エザリアとの戦いでボロボロになった身体を癒やしているせいで思い切り身体を動かせず、うずうずしているのだから。
それに、三人とも得意な魔法は人並み以上に使いこなせている点が、レナとは大きく異なる。
魔力察知の訓練は、長期的に見れば絶大なメリットがあるが、すぐそこに迫った試験をクリアするためならば長所の方を伸ばした方がいいかもしれない。
「んじゃ、魔力察知の練習はここまでにしよう。一朝一夕で身に付く技術でもねぇし。今は個人のスキルを伸ばしたり、フォーメーション考えた方が、集団戦闘のテストには有効だろうしな。ただし……!」
昶の方針転換に、沸き立つ人間が約二人。これでやっと退屈な──ではなく身体を動かせると喜んでいる。
だが、一応釘は刺しておかなければならない。
四人の練習に本格的に協力する限りは、昶も手を抜くつもりはないと。
「魔力察知の練習は続けるぞ。続けなきゃ、習得できるもんもできないからな。っとに、マグスって魔力の制御効率悪すぎて、見てらんねぇんだよ」
アキラ、一対一で立ち会って! いえ、私の練習見てください! と、既にちょっと暴走気味な二人。果たして最後にこぼした愚痴は、聞こえているのやら。
まあ、この場は聞こえている、ということにしておこう。
「シェリーは今まで散々付き合ってやったんだから、ちょっとは我慢しろ」
「はいはぃ。んじゃ、私ちょっと休憩行ってくるわ」
シェリーは上体を後ろに反らして、腰をぐりぐりと回す。
ボキボキボキィと、小気味良い音が思った以上に反響した。
そんな鳴るくらい退屈だったのかと、つい突っ込みたくなるレベルである。
「あたしとリンネは、もうちょっとやってるわ」
「…集中、するから。その…………ちょっと、離れ…てて」
レナとリンネは、もう少し続けているようだ。
特にレナは、双輪乱舞の時に昶の感覚を一度経験しているのもあって、もう少し練習を積めばコツをつかめそうなところまで来ている。
シェリーも同じく双輪乱舞でセインの感覚を経験しているのだが、レナと比べるとやや鈍い。
リンネの方は元から微細な制御が得意なのもあって、二人よりも力の流れに敏感な感じだ。
アイナは…………まあ、良くも悪くも空戦特化ということで。
「そんじゃ、ちょっと離れるぞ、アイナ」
「は、はぃ。わかりました」
リンネのご要望でもあるし、実際この練習では一切の雑音が邪魔になるので、ここは離れた方が二人のためになるだろう。
その間に、アイナの攻撃魔法の練習方法でも考えよう。
頭の中で試行錯誤を繰り返す昶の隣では、誰にも見えない位置でアイナがガッツポーズを取っていた。
標準時で一、二分歩いたところで、昶は足を止めた。
この辺りなら、大丈夫だろう。周辺には、自分達以外の気配はない。
ちょっと遠くには、誰かは知らない魔力が点在しているが。
やっぱりこの森は、ナイショの練習スポットにもなっているようである。
「そんじゃ、この辺りで始めよっか」
「はぃ。えっと、よろしくお願いします」
考えてみれば、昶と完全に二人っきりな状況って初めてではなかろうか。
昶は普段レナと一緒にいることが多いし、そうでない時はたいていミシェルと一緒にいて近付きにくい。
実はアイナ、編入初日のパーティー時に、ミシェルから愛の告白を受けていたりするのだ。もちろん、即座にお断りしたが。
おかげであの日以来、ミシェルはちょっと苦手になってしまったのだ。悪い人ではない、むしろ気さくです良い人なのだが、とにかく苦手なのだからしょうがない。
それに、先週から続けている練習はほとんどが合同練習だったので、二人っきりになる時間はほとんどなかったのもある。
それに、昶に近付くと時折胸が痛むので、積極的に近付かなかったこともあるが。なぜそうしようと思ったのか、原因はわからない。
まあ、それはさて置き。今は念願の二人っきりの状況。この状況を使わない手はない。
ここで昶にアプローチをかけて、なにがなんでも振り向かせてみせる! との決意を胸に。
「それじゃ、いつものやつ出して」
「……へ?」
──あぁ!? 聞いてなかった!!
いきなりの大失態である。
前言撤回。やっぱり、魔法の練習中はアプローチがどうとか、振り向かせようとかやめよう。
魔法の練習で集中できないと、さすがに危険過ぎる。
「だから、いつも攻撃に使ってるやつ」
「は、はい!」
アイナは魔力を発動体に流し込むイメージを思い描きながら、集めた魔力を一気に物質化させた。
細長い円錐の形をした構造体──魔力の槍が五つ、宙に浮いている。
それらはアイナの意思に応じて飛翔し、近くの木へと次々とめり込んだ。
「にしても、器用だな……。魔力を物質化させるのって、それなりに難しいはずなんだけど」
「そんな褒めないでくださいよぉ、照れるじゃないですか」
物質化に関しては、昶もそこまで上手い方ではない。
やっと形を安定させられるようになったくらいで、素早く霊力を固めたり、思いのままに飛ばしたり、ましてやアイナのように木を穿つほどの強度もないのである。
しかし、
「なのに、なんで普通の魔法は使えねぇんだ?」
「えっとぉ……あはははぁ、なんででしょう」
より難易度が低いはずの普通の魔法が、なぜだか使えない。
並外れた飛行力場の制御能力から見ても、四人の中で一番器用なリンネより上手く扱えそうなものなのだが。
そもそも、アイナの適性がどの属性なのかもまだ不明である。
レナなら風、シェリーなら火、リンネは水が主体だが基本的にどの属性も上手く使いこなせる。といった具合に各人得意な属性があるのだが、アイナはどうもはっきりしない。
「アイナ、とりあえず精霊に語りかけるつもりで、魔力を集めてみてくれないか?」
「それはいいですけど、それ先週もやりましたよね。なにも起こりませんでしたけど」
「それはそうなんだけどさ、物質化だけじゃ限度あるし。攻撃力強化しようと思ったら、魔法使えるようにした方が断然いい」
「ですよねぇ~」
昶の言っていることがあまりに正論すぎて、アイナもついつい頷いてしまう。
物質化の技術は応用の幅は広いが、アイナもそこまで色々なことができるわけではない。せいぜい、単純な形、丸とか四角とかの図形の形を作れるくらいだ。
攻撃用の魔力の槍も、あれ以上の数を作るのは難しい。
どうして他の人達にできることが、自分にはできないのだろう。気が滅入る。
それでも、昶が自分の練習に付き合ってくれているのだから、精一杯やらなくては。
アイナは呼吸を整え、雑念を捨て去ると、右手に持った杖に意識を傾けた。
自分の中を水のように流れる魔力が、右手を伝って杖へと注がれるのをイメージする。
飛行力場を作る時とは、違ったイメージ。突き抜けていく感じではなく、引き寄せるような感じを思い描いて。
次第に右手が熱くなってくるような気がしないこともないが、これが魔力なのだろうか。
レナやシェリーのように、魔力を感じたことのないアイナにはそれがわからない。これが単なる気のせいなのか、そうでないのか。
──あぁもう! アキラさんが見てるのにぃ!
捨て去っていた雑念が、大行進で帰ってくる。
アキラの期待に応えられない自分が悔しい。悔しい悔しい悔しい。
悔しすぎてなんだか泣きたくなってくる。
──そういえば、この前キスしそうになっちゃったけど、これってやっぱり、“好き”って、ことなのかなぁ。
こんがらがってきた自分の気持ちに、ずっと気にしていた疑問が浮かんできた。
自分は本当に、昶のことが“好き”なのだろうか。
学院に来るまでそう思えた人がいなかったせいで、自分ではそれが特別な気持ちなのかわからない。もしかしたら、シェリーやリンネ、そしてレナにも抱いている“好き”と同じなのではないか。それが不安でたまらないのだ。
それ以前に、助けてもらった恩と誤解しているのかもしれない。
よく考えてみれば、自分の立ち位置ってこんなに曖昧だったんだと自覚する。
自分の気持ちもよくわかっていないのに、変にレナと張り合って昶に色々けしかけて。腕に抱きついたり、本当かどうかすらわからないのに好きです好きですって猛アピールしたり、この前はキスまで迫っちゃったり。
本当に好きなんだったら、人前でそこまでできないだろう。
リンネに勧めてもらった恋愛小説に出てきた恋人達は、アイナが今やっていることを人前で堂々としたりはしなかった。
自分の気持ちを伝えるのにも苦労して、手を繋ぐだけで恥ずかしくなって。
そんな風になるのが、本当に好きな人に対する反応なのではないだろうか。
だったらやはり、自分の昶に対する“好き”は特別な“好き”ではないのかもしれない。
そう思い始めていた矢先、
「いたっ!?」
額に鋭い痛みが走った。
思わず尻餅をついて額をさする。
「集中しろ。雑念まみれで、魔力がぶれまくってるぞ」
「う~、しゅみません」
思わず見上げると、ため息をついて頭をかく昶の姿が映った。
思い悩んでいるように見えるが、それは自分のように相手への気持ちがなんなのかを考えていたわけではない。
昶の頭の中にあるのは、どうすれば自分が魔法を使えるようになるか。
──本当に、イヤになっちゃうくらい、真面目なんだから。
「まあいいや。魔力の槍以外にも、バリエーション増やす方向で、練習するか」
「はい、お願いします!」
女の子と二人っきりの状況なんだから、もっとドキドキしたりオロオロしてくれればいいのに。
それでもアイナは昶といられるのが嬉しくては、元気な返事を返す。でもやはり、どこか胸の奥が微かに痛んだ。
昶の戦闘が地上戦主体なのに対して、アイナは空中戦が主体となる。
なのでシェリーと違い、自身の経験面から教えられることは少ない。せいぜい、本や過去の資料で読んだ内容が、精一杯である。
「ソフィアさんに教えてもらうのが、ベストなんだろうけどなぁ……」
レナの話では、ソフィアはなかなかの空中戦を繰り広げていたそうだ。
それに陰陽師の昶と違い、向こうは精霊魔術師。同じ四大元素をベースとする精霊魔術師の方が、確実にマグスの指導に向いているだろう。
「あのぉ、ソフィアさんって?」
「ものすごい黒のヒラヒラドレスっぽいの着てた、眼帯の人」
「あぁ、あの人ですか」
昶の見舞いに行ったときに見かけた人か、とアイナは年末年始の出来事を思い出す。
レイゼルピナでは見かけない派手な装いだったので、記憶によく残っている。
そういえば、お見舞いあんまり行けなかったなぁと、アイナちょっとしょんぼり。
「あの人、空中戦できるらしいから。ま、一緒に考えてこうぜ」
「そうですね」
「じゃあまず一つ目。アイナ、あれ以外はできないのか? もしくは、形関係なく、数をばぁぁって作ったり」
「……魔力の槍以外。形はどうでもいいから数を作ってみる、ですか…………ふむふむ。ちょっとやってみますね」
精神を集中させ、それを一気に外部へと解き放つ。
とにかく沢山。それだけを念頭において、力を形へと押し固めた。
「おぉぉ……」
聞こえるのは、驚いた様子の昶の声。アイナ自身も、どうなっているのか気になる。
物質化した魔力はどうなっているのだろうか、アイナは俯いていた顔を上げた。
「あのぉ、ほんとうにこれぇ…………私がやったんですか?」
「いや、だから俺物質化そんな上手くないから。これ、間違いなくアイナがやったやつだから」
アイナは改めて、周囲の様子をぐるりと見回す。
なんと自分の身体を取り囲むように、数え切れないほどの白く光る魔力の塊が浮いていたのだ。
大きさは、だいたいソフトボール程度。数も大きさも、申し分ない。
しかし、
「これ、すごい柔らかいぞ」
「そ、そんなんですか……」
昶がその一つを手にとって強度を確かめようとしたのだが、あっけなく壊れてしまったのだ。
軟式テニスのボールでも、これよりは硬い。
「あと、強度が上がったとしても、こんな全方位に向かって撃つような感じだと、集団戦じゃ使えない。せめて、一方向くらいに限定できないと」
「はははぁ、難しそうですね」
強度を高めるにはもう少し数を減らして、なおかつ固めるイメージをもっと強くすれば大丈夫だろうが、一方向に集めるにはどうすればいいだろう。
いつもはその辺をいい加減にしているせいか、イマイチ感覚がつかめない。
槍は単に相手を貫くイメージ、盾は拒むイメージだけで、場所や方向を考えたことがないのだ。
そのことを昶に話すと、
「槍はともかく、盾は相手の攻撃に向けて展開する必要があるんだから、イメージ以外でなにが違うところはないのか?」
と、アドバイスをいただいた。
アイナは、シェリーよりはある脳みそをフル回転させて、二つの時の違いを思い浮かべる。
のだが、
「……………………やっぱりわかりません」
「あきらめるの早すぎだろ……」
標準時で五秒ちょっと考えてから、アイナは早々に音を上げた。
知らないことを考えるのは無駄だが、自分のことを思い出すのだからもう少し頑張ってもいいのではなかろうか。
これには、昶も思わずため息をつく。心苦しいアイナも、あまりの申し訳なさに俯いて小さく縮こまってしまった。
「んじゃ、しゃあねぇ」
昶はコキコキと肩を鳴らすと、左手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「あのぉ、アキラ……さん?」
「思い出せねぇなら、実際に試してみるしかないだろ?」
ポケットから現れたのは、昶お手製の護符である。
創立祭の折り、昶と“ツーマ”の死闘をその目で見ていたアイナは、ゾクリと背筋が震えた。
あの時見た絶大な威力の雷光は、未だに目に焼き付いて離れない。
もしかして、自分にあれを使うつもりなのだろうか?
──イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ、いくらなんでもアレは防げませんって!
真っ青になって倒れそうになるアイナを、昶が慌てて支える。
「ア、アキラ、さん……。あの雷は、さすがに、防げないです」
「今の状態で、あんな全力砲撃できるわけないだろ。適当に加減するから、大丈夫だって」
「適当じゃなくて、ちゃんと加減してください!」
いいからいいからと昶はアイナをなだめ、大きく距離を取る。
遠くからでも、アイナがびくびくと震えているのがよくわかる。
創立祭の時のイメージが、昶の想像以上に鮮烈に刻みつけられていたのだろう。
少なくとも、二ヶ月以上経った今思い出しても、身震いするくらいには。
「水流──」
昶は左手の人差し指と中指に支えられた護符へと、霊力を流し込む。
先週式神を使った時と比べれば、経絡系に走る痛みは確実に減ってきている。
それでもまだ、血管の中に有刺鉄線を入れたような、内側から突き刺されるような激烈な痛みが走った。
「急々如律令!」
それでも痛がっている姿だけは見せたくなくて、努めて表情には出さずに符術を起動させる。
昶の霊力は護符を介して水流に変わり、アイナへと襲いかかった。
巨大な水の塊が、進路上の枝葉を引きちぎりながら迫ってくる。
──や、やっぱ無理です!
アイナは発動体に魔力を流すと、それを一気に解放した。
「…………おい」
「ご、ごめんなさい」
まったく、なんのための練習なのだか。
昶は自身の水流によってえぐられた場所からわずかに左、杖を片手にゆらゆらと浮遊するアイナの姿があった。
水流が目前に迫ったアイナは防御するのではなく、そのまま飛行術を使って回避してしまったのだ。
これでは、昶が単に痛い思いをしただけである。
「あのぉ、アキラ、さん?」
「わかった。そっちがそのつもりなら、俺にも考えがある。次は外さねぇから、ちゃんと防御しろよ」
「えぇ!? ちょっと待…」
昶はアイナから返事の返ってくるのも待たず──というより単に聞く気がないだけだが──に、ポケットから護符を二枚取り出し、霊力を流し込む。
「木花、水流──」
霊力を流し込んだ護符を一枚投げつけ、次の詠唱文を読み上げた。
「急々如律令!!」
手元に残った護符は込められた霊力に応じて、水の塊が形成される。
威力は低く押さえられていても、直撃すれば骨折くらいは覚悟しなければならない。
だがそれよりも先に、何者かがアイナの足下から襲いかかった。
「これって……!?」
一度見たことがある。木や草の根に働きかけて、標的の身動きを封じる術だ。
──これ、本気じゃないですか!!
一瞬遅れて、アイナはキッと昶を見つめる。
アイナの視線に気付いた昶は、ニヤリといやらしい笑みを浮かべ、水流を解き放った。
しかも、速度はさっきより速い。
思考する時間は、ほとんどなかった。
まるで自らの身体を庇うように、杖を持つ手とは反対の手が前に出る。
怖い、来ないで。
────バッッシャアアアァァァァン……………………。
強い拒絶のイメージ。
差し出された手の先には、全身を隠すように張られた魔力の盾があった。
「なるほど、方向は無意識の内に手で決めてたわけか」
「アキラさん!」
昶はアイナの拘束を解くと、ぶつぶつと先の状況を分析しながら近寄ってくる。
あまりに平常心すぎる昶に、さすがのアイナもキレた。というか、叫んだ。心の限り。
「怖かったんですからね! いきなりぐるぐるって、足にツタが絡み付いてきて!」
「だって、捕まえないと逃げるじゃん。アイナ」
「そ、それは……。でも、説明くらいしてくれたって…」
「絶対反対するだろ」
「うぅ…………」
まあ、だから今現在怒ってるわけで。
反対されるとわかっていても、せめて一言くらいかけてくれればいいではないか。
「とにかく、手で位置決めてるみたいだから、そこに意識集中して、もう一回物質化試してみ」
「わかりますしたよぉ。ふんだ……!」
そっぽを向きつつ、アイナは再び意識を集中させた。
漠然と固めていた先とは違い、今度は突き出した手を中心にして固めるようイメージする。
「そうそう、いい感じ。もっと指先の方を意識して」
アキラの助言に応じて、手の先っぽから指先へとイメージを明確にする。
そして指先がぼぅっと熱くなったのを感じると、それを一気に押し固めた。
「さすが、王家のお墨付きなだけあるな……。簡単に成功させやがって」
アイナの見ている先で、それは起きていた。
手を差し出した方向に、次々と白い球体が出現し始めたのだ。
まるで自分の意識と呼応しているかのように、強く念じるだけ球体の数は増えていく。
「んじゃ、ついでに撃ってみろ。前に飛ばすだけでいい」
「はい!」
槍の時と同じく、目標に向けて投げつける感じを思い描き、
「行け!」
腕を思いっきり振りかぶり、前方へ向かって突き出した。
糸でもついているかのように指先の軌跡を追従する球体は、腕の動きに合わせて勢いよく前方に向かって飛翔する。
狭い間隔で放射状に広がった球体は、地面や木々に当たって次々と消失していった。
「そんだけできれば十分だ。あとは、それなりに強度を持たせて、飛びながらできるようにするだけでいい。できれば、もっと広範囲にばらまけるようになればいいな」
ぽむっと、昶はアイナの頭に手を置くと、わさわさと撫でてやった。
アドバイス通りにしたら簡単にできてしまった事実と、昶に撫でてもらったことの二重の驚きで、アイナの思考回路はショート寸前だ。
気温が低いせいもあってか、なんだか頭から湯気が立ち上っているようにも…………さすがにそれはないか。
「その調子で練習しな。俺は、レナとリンネの方見てくるから」
昶はもう一回ぽむぽむと優しく頭を叩いてやると、レナとリンネの魔力に向かって歩き始めた。
「はぁぁ、あったまるぅぅ」
夕食を食べ終えたレナは、いつもの面子に先んじて寮の地下にある大浴場に来ていた。
野菜たっぷりのシチューでもずいぶん温まれたが、やっぱり全身くまなく温まるならお風呂が一番だ。
「あんた、雪国出身でしょうが。寒さ耐性なら、私より上でしょ」
と、レナが身体も心もほっこりしているところに、火山地帯出身のシェリーがやってくる。
夕食のシチューはちゃんと食べたのだが、手や足までは温まれなかったらしく、今もお湯に足や手を浸けては引っ込めてを繰り返している。
性格に似合わない可愛らしい悲鳴に、レナは思わず笑いが漏れた。
「慣れてたって、寒いものは寒いわよ。ま、なかなかお湯に入れない、あんたほどじゃないみたいだけど」
「うるさいわねぇ。これくらいのお湯、別になんとも……!」
と、一気に腰までつかったところで、
「あっつぅううううううううういっ!!」
先ほどまでの可愛らしい悲鳴とは対照的に、今度は勇ましい悲鳴が上がる。
それでも根性でお腹まで浸かり、悲鳴を押し殺して胸までしゃがみ、涙目になりながら肩まできっちり入った。
「あんたねぇ、さすがに泣くほど熱くはないわよ」
レナからの同情の視線が痛い。
身体のあちこち、特に手先や足先のチクチクとした痛みやむず痒さが収まったところで、レナの隣を陣取った。
「動きにくいからって、防寒対策怠るからそうなるのよ」
「それもあるけど、動いてる最中は汗もかくんだもん。あんま厚着すると、蒸れて気持ち悪いの」
ちなみに、アイナは夕食後にまた練習、リンネは昶から聞いた話を整理してノートにまとめるのが忙しいらしく、お風呂に入るのはもう少し後なのだそうだ。
それなので、今日は久しぶりにシェリーと二人きりである。
「今回の冬休み、グレシャス領でゆっくりできなかったわね」
「仕方ないっての。あんな事件があった後だし、アキラもあんな状態だったね。そんなんで休日楽しむなんて、とてもじゃないけどできなかったわよ。家帰っても、殺伐とした空気だっただろうから、王都に部屋借りて正解だったわ」
普段なら休み明け二日前まで滞在するところであるが、今回は王城での戦闘で昶が倒れ収容されたので、レナも王都に滞在することにしたのだ。
シェリーも翌日には王都へ到着したのだが、最初に傷だらけの昶を見た時は驚きが隠せなかった。
全身が包帯で巻かれていて、見慣れない人が頻繁に出入りしていて、もしかして命さえも危ないのではないかと疑ったほどである。
「でも、ほんとによかったわ。まだ元通りってわけじゃないけど、元気になったみたいで」
「熱心に看病してたもんね、あんた」
「そりゃそうでしょ。本当なら、あたし達の世界とは無関係なのよ? それなのに、あんな戦いに巻き込んじゃって」
「……ごめん、ちょっと配慮が足りなかった」
シェリーとしては、茶化しておろおろしたレナをおちょくる予定だったのだが、予想に反してレナの表情が暗くなってしまう。シェリーが思っていた以上に、レナは昶に対して強い罪悪感を抱いているようだ。
それこそ、軽口や冗談ですら間に受けてしまうくらいに。
話題を変えねばと、シェリーはいよいよ来週に迫った学年末試験についての話題をふった。
「ところでさ。魔法の成功率、ちょっとは上がったの?」
「ううん。アキラはちょっとずつよくなってるって、言ってくれてるんだけど。自分としては全然」
「褒めてもらえるだけいいじゃん。私なんてあれよ、ダメ出ししかされてないんだから。相手に集中するのと周囲に気を配るのを同時にしろって、無茶言ってくれちゃって」
「あんたは元々よくできてたからでしょ。私的には、あんたの悩みは羨ましい悩みよ」
しかし、緊張感から話が続かず、気まずい空気が二人の間で流れる。
周囲の喧騒がなければ、気まずさで逃げたくなるほどだ。
「週末は、私達と模擬戦してくれるみたいだけど、大丈夫なのかな。アキラ」
「さぁ。あたし達より、ずっと過酷な経験してきたはずだし、体質的に傷も治りやすいって言ってたから、結構大丈夫かもね」
レナの脳裏に、昶とかわした会話の一部がフラッシュバックした。
昶の身体の中には、呪いを力に変えて戦う術が入っている。昶を呪い殺したい力が傷の治りを速めていると思うと、少し複雑な気分だ。
──でも、早く良くなってほしいな。
今回のお詫びというわけでもないが、今度は昶をアナヒレクス領に招待してあげたい。
この時期はひどい降雪で雪害も多いのだが、見どころのある観光名所もいっぱいある。そこを一緒に見て回って、おいしい料理もいっぱい食べて。
でも、妹にだけは会わせない方が得策だ。余計なことをされかねない。
──って、あたし、なに考えてんだろ。
さっきまで謝りたい気持ちでいっぱいだったはずなのに、ちょっとしたことですぐうきうきした気持ちになってしまう。
──やっぱりあたし、アキラのこと…………。
まあ、念話で告白しちゃった前科もあるくらいだし、とレナは一人で勝手に熱くなってしまった。しかし、帰してあげたい気持ちもちゃんとある。
むずかしいところだ。
「じゃ、期待にきっちり答えられるように、ちゃんと練習しないとね。私達の進学のためにも」
「ぅ、ぅん」
シェリーに恥ずかしい顔を見られたくなくて、レナは頭のてっぺんまでお湯の中に滑り込んだ。