第十四話 決戦のレイゼンレイド Act12:決意の重さ
「嚥血の魔剣。名前くらいは、聞いたことあるやろ」
「血を吸う魔剣、だったっけ。あんたそっくりで、性格悪そうだな」
「あぁ。マイナーチェンジしたやつは、知り合いに貸し出し中でな。あるのは最初に作った、ピーキー仕様のこいつだけやねん」
ずしゃっ、と、エザリアは左手から嚥血の魔剣を引き抜いた。
黒と赤に彩られた剣は、まるで歓喜に打ち震えているように見える。
いや、実際に打ち震えているのだろう。
したたる鮮血は、急速な勢いで刀身に染み込んでいくのだから。
血を吸ったことにより、嚥血の魔剣の放つ気配がより一層禍々しいものへと昇華した。
「ほな、たまには剣で遊んでみようや」
エザリアから血と魔力を吸い上げ、嚥血の魔剣は本当の意味で起動する。
敵とみなした者を斬り殺すための最適解を算出し、その解に従って嚥血の魔剣はエザリアの身体を動かした。
驚異的な脚力により、十メートル以上はあった距離が一瞬にしてつめられる。
「こいつっ!!」
鮮血色の切っ先が、昶の喉笛めがけて突き出された。
辛うじて身体をひねって回避するも、その切っ先は驚くべき速度でそれを追従する。
不安定な体勢ながら、昶はこれをなんとか受け止めた。
ぎぎぎぎぃと、村正と嚥血の魔剣のこすれる異音が、二人の耳を打つ。
「すごいやろ。肉体の自動制御と、それを実現させるための肉体強化を全自動でしてくれる機能付きやで。これなら素人やろうと、術者の達人並みの力が発揮できんねん。ただし……」
離れ際、エザリアはバックステップしながら、昶の手首を狙う。
「結構な量の血ぃ飲ませんとあかんのやけどな」
下唇を舐めながら、エザリアはにやりと薄ら寒い笑みを浮かべた。
昶は背中に冷や汗が吹き出すのを感じつつ、左手の甲に視線を落とす。
わずかに赤い線が走った程度で、出血はしていない。
だが今の一幕だけで、威力のほどは十分すぎるくらいにわかった。
人が武器として剣を扱うのではなく、剣自身が最大限の効果を発揮するために人を操る。
つまり、嚥血の魔剣を持った時点で、人はただの殺人機械へと成り下がる。
そこにはもはや、個人の感情など存在しない。
剣が敵と定めた者を殺すために、自らの身体を貸し与える。
「ったく、なんちゅうもん作ってんだよ。あのマッド・サイエンティストは」
どうすれば、そんな発想にたどり着くのだろう。
しかし、それについて考えている余裕はない。
「そぉら、そらそら!」
再び地面を蹴り、最接近してくるエザリア。
今度は足を斬り払うように、低空を刃が一閃する。
昶はこれをバックステップで回避した直後、再び前進してエザリアへと斬りかかった。
動作を最小限に、全身のバネを用いて村正を突き出す。
しかし、嚥血の魔剣は高速の突きにも見事に反応した。
身体に過負荷のかかる軌道を描きながら、嚥血の魔剣は村正を横方向に弾き飛ばす。
さらにエザリアの身体はそれで動きを止めず、剣を振った勢いのままに、昶のわき腹を蹴り飛ばした。
「あがっ!?」
どうやら、自動制御がかかるのは剣だけではないようだ。
今の蹴りも格闘家のそれと同じく、身体の真芯を狙ったもの。
決して素人のそれではない。
しかも肉体強化中の昶にダメージを与えたとなると、かなり上位の肉体強化術も使っていることになる。
だがエザリアの動きはまだ止まらず、昶を蹴り飛ばした華麗な身体さばきで発生した回転のベクトルを直線へ変え、昶を追従していた。
ひゅん、と、真一文字に嚥血の魔剣を一閃。
今度は、わき腹を浅く斬られた。
じわりじわりと、ジャケットの内側のティーシャツに、赤い液体が染み込んでゆく。
昶は後方へ大きくジャンプして、エザリアとの距離を稼ぐ。
わき腹に手を当て、昶は傷の度合いを確認する。
どうやら、ジャケットまで染み込むほどではなかったようである。
だがいったい、どうしたものか。
真言の連発で、身体の方は限界間際。
特に、精神力の摩耗が激しすぎる。
恐らく、あと一、二回が限度だろう。
それと、目や腕で見せた超回復の術。
あれも厄介だ。
もはや再生と言っていい領域である。
それをさせずにエザリアを倒すとなれば、肉体が原型をとどめないほどのことをしなければ、不可能だろう。
──できるのかよ、俺に……。
対魔術師戦闘の訓練ならしたことがあるが、実際にした経験は“ツーマ”以外にない。
過剰な油断や慢心があるとはいえ、相手は圧倒的に格上の人物。
殺す気でかからねば、やられるのはこちらの方だ。
──覚悟を決めろ。レナには、あんだけ言ってたじゃねぇか。
戦場へ赴く覚悟を決めろ。
流されてではなく、自分自身の意思で、戦う覚悟を決めろ。
ここに来るまで、レナに何度も言ってきたではないかと。
自分で選んで、今自分達は戦いに向かっているのだと。
──その俺が腹くくらないで、どうしろってんだよ!
逃げてはだめだ。
逃げるわけにはいかない。
例えその手を、他人の血で染めることになろうと。
自分がなんとかしなければ、自分の大切な人を悲しませる結果になってしまう。
昶は村正を握り直し、すっと立ち上がった。
「歳星の気を宿せ」
村正の表面を、白い雷光がばりばりと走る。
「まだやるつもりなんか。えぇでぇ、うちもまだ遊び足りんって思うてたところなんや」
もはや、昶の耳にエザリアの声は聞こえていない。
相手の仕草に、魔力の流れに、精霊の息吹に、全神経を傾ける。
最後の決め手まで、もう真言は使えない。
あるのは己が肉体とわずかな符術、そして研鑽を積み重ねてきた剣技のみ。
──自動制御なんかに、負けてたまるか!
最後の力を振り絞り、昶はエザリアへ向かって突き進んだ。
エザリアは再び左手で刃を握り、嚥血の魔剣に血を注ぐ。
飲み干した血に歓声を上げるように、嚥血の魔剣は向かい来る村正を弾いた。
弾いた切っ先は翻ると、元来た軌道を逆戻りするように昶の首もとへと振り下ろされる。
ギギィィィ!
しかし、鮮血色の刃が血に染まることはない。
なぜなら、まばゆいばかりに輝く銀の刃が、嚥血の魔剣の一太刀を受け止めているのだから。
昶は村正が弾かれた勢いを利用して身体をひねり、左手でアンサラーを抜き放っていたのである。
「そういや自分、二刀流やったっけ?」
「扱いが難しいから、滅多に使わねぇんだけどな」
村正とアンサラーでは、重量に倍近い差がある。
肉体強化中ならばそれほど問題ないのだが、やはり微細なコントロールは狂いやすい。
だが、単純に手数が倍になる分、使いこなせれば強力な武器になる。
「雷華、参ノ陣──」
昶は嚥血の魔剣を押し返しながら、身体を回転させ、
「魁!」
草壁流の剣技を放った。
二振の刃から飛来した二つの雷刃は、空中のエザリアを直撃する。
かに見えたが、二つとも嚥血の魔剣によって断ち斬られた。
後方へとすっ飛ばされたエザリアは、固く地面を踏みしめると、ジャケットの内側から試験管を一本取り出しながら、再び昶へと駆ける。
「ぶち抜け!」
栓を抜いて溶液を前方へとぶちまけながら、一言。
空中へと解き放たれた濃密な水精霊は数本の氷槍となり、エザリアの言葉に従って昶へと迸る。
「填星の気を宿せ!」
土克水。
水が氷に変わったところで、その法則は変わらない。
大地の気を宿した村正とアンサラーは、迫り来る氷槍をいともあっさりと砕き斬る。
しかしその間に、エザリアはすぐそこまで迫っていた。
しかも、
「そぉらよっとぉ!」
今までよりも、少しばかり速くなっていたのだ。
わずかに反応の遅れた昶は、右の二の腕を斬られた。
しかもエザリアはその場で停止・反転し、二の太刀を浴びせようと嚥血の魔剣を振り上げる。
視界の端にそれを捉えた昶は、着地も気にせず前へと全力で跳んだ。
左肩から落下し、ごろごろと氷原の上を転がる。
ふと先ほど自分のいた場所に目をやると、分厚い氷などものともせず、深くまで刃を沈める嚥血の魔剣が視界に映り込んだ。
「おっと危ない。もうちょいで殺ってまうとこやった。加減が効かへんからなぁ、こいつぁ。でもまあ、だんだん付いて来れんなってきたやろ。自分の動きぃ学習して、最適解を逐一修正しとるけぇなぁ。次は、腕くらい落ちとるかもしれんで?」
あくまで軽い調子を崩さないまま、エザリアは絶望的な事実を昶に突きつける。
動きが速くなったのは、嚥血の魔剣が昶の運動能力を学習し、それに合わせてエザリアの肉体を強化したせいだろう。
早く決着をつけねばならない。
そんな時、一つのよく知る魔力が近付いて来るのを、昶は感じ取った。
それに遅れて付いて来る、二つの魔力も。
──向こうは、決着がついたのか。
エザリアとの戦いに集中していたせいで、今まで気付かなかったのだろう。
どうやら、レナ達は“ツーマ”との決着をつけたらしい。
「よそ見するたぁ、ええ度胸やないか!」
たった一歩の跳躍で、距離を詰めてくるエザリア。
乱暴に掲げた嚥血の魔剣を、斜め上から勢いよく振り下ろす。
しかも、
「ちっ」
先ほどまでより、また少し速くなった。
「これでもまだ足りひんのか。ほんま、すばしっこいやつや」
昶は転がるようにして横っ飛びすると、即座に体勢を整えて両手の太刀を振るう。
「雷華、壱ノ陣──閃!」
二倍の密度で殺到する、雷の雨。
幾条もの白き閃光が、空間を埋め尽くす。
回避するだけのスペースは、どこにもない。
「材質は鉄、形状は盾、役割は防御」
いや、回避する必要もなかったのかもしれない。
エザリアが地面に手を突き次に掲げた時、その手の先には巨大な鉄の盾が浮かんでいたのだから。
エザリアを撃ち抜くはずだった雷撃は、全て鉄の盾へと飲み込まれた。
「こんなもん、錬金術師なら基本中の基本やで。まあ、うちくらいの速度で起動できるやつは、ほとんどおらんやろうけどな」
エザリアは盾を消失させると、再び嚥血の魔剣を構える。
しかし盾の陰に隠れて、すぐ目の前まで昶が接近してきていた。
だがそれでも、嚥血の魔剣は驚異的な反応速度でそれに対応した。
真下から刀身を打ち上げ、二本の突きを真上へと弾き飛ばす。
両手を上げた状態の無防備な昶へ、エザリアはすかさず回し蹴りを放った。
だが、
──よし!
丁か半か、二分の一の確率であったが、昶の予想は見事に的中した。
身体を半身そらして回し蹴りを回避すると、両手の太刀をエザリアよりも速く振り下ろす。
「おろっ!」
すかさず、エザリアもバックステップで回避。
昶も一旦下がって距離を取った。
エザリアの言う最適解。
それが攻略の糸口となったのだ。
攻撃の最中、嚥血の魔剣を使わないタイミングがいくつかあった。
それは使わなかったのではなく、実は使えなかったとしたら。
その時に出力されている速度では対応できない速度で攻撃を受けた場合、もしくは剣より体術を使った方が運動エネルギーのロスが少ない場合、エザリアは体術を使っていたのではなかろうか。
なのであえて昶は、無理を押して速度を引き上げ、同時に二本の突きを放ったのだ。
そうすれば少なくとも、嚥血の魔剣は二本の太刀を同時に弾くようエザリアの身体を動かすはず。
案の定、エザリアは二本の太刀を真上へと弾いた。
そして次に攻撃を繰り出そうと思えば、剣よりも足を使った方が確実に早い。
嚥血の魔剣を振り上げたことにより、上向きの力が残っていたのも、要因の一つだろう。
ならば、意図的にその状況を作り出し、エザリアに大きなスキを作ることも可能なはず。
金剛夜叉尊の真言を用いれば、エザリアの体術なぞ子供に蹴られるようなものなのだから。
レナ達が来る前に、こちらも片を付ける。
「はぁぁぁああああああああ!!」
霊力の激流が、全身を駆け巡る。
身体の内側が、まるで焼けただれているような気さえする。
──草壁の血の力は、こんなもんじゃねぇだろ。ならせめて、親父とおんなじくらいの力、俺にも貸しやがれ!
あまりの速さに、エザリアは一瞬昶の姿を見失った。
すかさず、力の気配の方に気を配る。
──っとにもう、末恐ろしい餓鬼やで。極東には、こんな餓鬼がごろごろおるんかいな……。
目にも止まらぬ速さで駆け抜けた昶は、すでにエザリアの後方にいたのだ。
そして、今までのはいったいなんだったのかという大加速。
荒々しい闘志が、急速な勢いで近付いてくる。
──けど、その方が研究のし甲斐もあるけどな。
昶の運動能力を再計算し、エザリアの身体を動かす嚥血の魔剣。
しかし、演算が追い付ききらない。
エザリアの肉体を強化するタイミングが、半テンポほど遅れていた。
そして、それを見逃す昶ではなかった。
「オン」
真言を唱えながら、エザリアへと一気に躍りかかる。
両手の太刀をそろえ、斜め上へと力任せに斬り上げた。
寸前で反転したエザリアは、嚥血の魔剣でそれを受け止める。
肉体強化の強度が足りなかった分が、鈍痛として腕を痺れさせた。
そして、
「バザラヤキシャ」
上方に向かう力のベクトルを利用して、嚥血の魔剣はエザリアに体術を使わせる。
これまでより数段上の力が残っているのだから、これを使わない手はないだろう。
エザリアは宙返りの要領で、昶の顎を狙ってつま先を振り上げた。
「ウン!」
ぐきぃ。
エザリアの右足首が、おかしな方向に曲がった。
無双の剛力を宿す身体は、鋼の鎧と同義。
単純な物理攻撃では、傷一つつけることは叶わない。
空中でバランスを崩したエザリアは、そのまま地面に落下する。
「雷華」
切っ先をエザリアに向けたまま、昶は両手の太刀を後方いっぱいまで振りかぶった。
白雷が刃を覆い尽くし、まばゆいばかりに光をぶちまける。
「四ノ陣──」
だが、エザリアはまだ余裕の笑みを崩さない。
おもむろに立ち上がり、昶へと手を伸ばす。
だが、もう遅い。
あとわずかで、村正とアンサラーから高密度の雷槍が放たれるだろう。
「さきが……」
今まさに、技を放とうとした、その時だった。
「……………………お前、なにやってんだよ……」
村正の刃をつかんだエザリアは、自らの胸にその刃を突き刺したのである。
あまりの出来事に極限まで研ぎ澄まされた集中力は途切れ、高密度に圧縮された雷はあっさり霧散した。
左手から力が抜け、落下したアンサラーは氷の上で涼やかな音色を奏でる。
「実体験、やで。ぶはっ!!」
大量の吐血。
それも、気管につまってしまいそうなほどの。
エザリアの口から飛び出した血飛沫が、昶の頬から肩にかけてべっとりとかかった。
位置的に、心臓と肺の両方を貫いたのだろうか。
鮮やかすぎるほど赤い液体が、刀身を伝って昶の腕を濡らす。
それと同時に、胸焼けのする肉の焼けた臭いも。
「その様子やと、かはっ……。初めてみたいやな。人ぉ、刺すんは」
もはや、エザリアの言葉など耳に入らなかった。
自分のタイミングで突き刺していれば、あるいは違った結果だったかもしれない。
予想だにしないエザリアの奇行は、昶の精神に決定的なダメージを与えていた。
村正を通して伝わって来た、肉を突き刺す生々しい感触。
ほのかに温かい血は、独特の臭気を伴って、鼻腔へとなだれ込む。
身体の震えが止まらない。
息が浅くなり、酸素を求めて呼吸が早くなる。
対魔術師戦闘と言えば聞こえはいいが、それは単に人間の殺し合いにしか過ぎない。
人を刺す、殺すことについて、本当の意味で理解できていなかった。
まるで覚悟が足りていなかったのである。
ずぷずぷと村正を引き抜くと同時に、肉を裂く感触が再び昶の手に伝わった。
「おえ゛ぇぇっ……。まあ、これで、しまいや」
ポケットから取り出したのは、試験管ではなくマニュキュアの小さな小瓶。
そこから溢れ出した水精霊は激流となり、昶を城の壁面へと叩きつける。
衝撃に破壊された壁と共に、昶の戦意もばらばらに砕け散った。
城を回り込み、昶のいた場所へと戻ってきたレナは、その惨状に絶句した。
第三城壁の一角が見るも無惨に崩壊、本城の壁面も一階部分が一部破壊されていた。
そしてなにより驚きなのが、足下に青々と茂っている芝生がぷっつりと途切れ、表面の荒い氷原へと変わっていたことだ。
厚さも相当なものなのだろう。
所々に走る亀裂から、鋭く尖った氷の壁がのぞいている。
「どうなってんだ、こりゃ……」
「一、面……氷」
遅れてやってきたネーナとミゼルも、その様に愕然とする。
あまりにも、規模が大きすぎる。
昶の使用する術は、大半が風の上位属性である雷だ。
だとしたら、この氷原を作り出した人物は一人しかいない。
「おぉ、来よったな。けほけほ」
エザリア=S=ミズーリー。
ネーナの知る中で、最凶最悪の敵。
だが、そのエザリアも無事ではなかった。
胸から染み出したおびただしい量の血。
口にも同様に、べっとりと血がこびりついていた。
だが、レナはそれどころではない。
荒れ狂うエザリアの魔力と嚥血の魔剣の波動の中、昶の霊力を探して全神経を研ぎ澄ませる。
「アキラ!」
ほどなくして、昶は見つかった。
壁の崩れた一階部分へと、レナは自身を加速させる。
だが、ネーナとミゼルはエザリアから目を離さず、臨戦態勢を整えた。
特にネーナは、エザリアの秘密について知っている分、悪い緊張感と恐怖が全身を締め付ける。
ふっと薄ら寒い笑みを浮かべるエザリア。
直後、ネーナの予想していた通りの事態が起こった。
胸の辺りからぼわぁっと、瑠璃色の光が溢れ出す。
すると生きているのが不自然なほど損傷していた身体が、みるみる元通りになっていくのだ。
砕けた足首周辺の骨や筋肉はもちろん、村正に焼かれ、貫かれた心臓や肺も。
全てが、何事もなかったかのように。
「人ぉ刺したん初めてやったみたいやからなぁ。だいぶ堪えとんのやろ」
昶の方をちらりと見やりながら、ぺろりと口の周りについた血を舐めとる。
「ミゼル、気を付けろよ」
「…なに、を?」
「こいつ、どうやら死なねえらしいからな」
崩れ去った城の一階部分に到着したレナは、あまりの水精霊の量に軽いめまいを覚えた。
まさかこの一角が、ほんの少し前に氷河によって押し潰されたとは夢にも思わないであろう。
感覚が狂いそうになる中、レナは昶を探して瓦礫の中を歩き回る。
「アキラ!」
気配の痕跡をたどることで、石材に埋もれるようにして横たわる昶の姿を見つけた。
即座に駆け寄って瓦礫に手をかけるも、レナの細腕では当然持ち上がるわけもない。
身体に合わない肉体強化を使い、一つ一つ瓦礫をどけていく。
自分の内側を撫で回されるような気持ち悪さに集中力がかき乱されるが、そんなことを気にしている余裕はない。
「あんた、この血……。もしかして、どっか怪我してる!?」
「…………大、丈夫。これ全部、返り血だ」
「き、気付いてたんなら最初から返事しなさいよ、このバカ!」
ようやく全ての瓦礫をどけたレナは、横たわる昶を引っ張り出し、近くの壁へと横たわらせた。
見た目にも、弱っているのがわかる。
それでも右手に握る村正だけは放さない辺り、らしいと言うか、なんと言うか。
「ったく、情けねぇ。あいつを突き刺しただけで、このザマなんてな」
身体への負担が激しい真言を連続で使った反動が、集中力を切らした今まとめて襲いかかってきたのである。
指一本ですら、動かすのを億劫に感じる。
それどころか、首を傾けるだけで痛みが走った。
経絡系へのダメージは、これまでで最大級のものとなっているだろう。
そして過剰な負荷の反動は、精神にも多大な影響を及ぼす。
こうして意識をつなぎ止めているのも、そろそろ限界が近そうだ。
「わりぃな、レナ……」
「アキラ!」
レナの甲高い声が、妙に心地いい。
双輪乱舞の経路を通して、混じりっけのないレナの思いが胸いっぱいに染み渡る。
本当に自分のことを心配してくれて、大事に思っていてくれていて。
自分の危機的状況も忘れて、昶は嬉しさを覚えた。
そして視界がかすみ、意識も途切れそうになる中、最後の力を振り絞って昶はレナに伝える。
『気を付けろ、またなんか、新しいもん、出しやがったぞ…………』
それを聞いて振り返ったレナの視界に、巨大な金属の塊が映った。