第十四話 決戦のレイゼンレイド Act11:氷原舞う狂姫
昶はレナに護符の束を渡すと、ライトハルトとエルザを連れて逃げるのも確認せずに、エザリアへと躍りかかった。
レナからの魔力供給があるとはいえ、昶の取った戦法は無謀の一言に尽きる。
即ち、真言の連続使用である。
「ナウマク・サマンダ・ボダナン……」
真言とは、一時的とはいえ神格の権能を借り受けるもの。
その効力は神格のものだけあって、絶大という他ない。
しかしその代償として、かなりの霊力を消耗する。
消費する霊力はレナの魔力で補えるとしても、術の発動によって身体にかかる負荷──つまりは大霊力の行使による経絡系へのダメージまではカバーしきれない。
だが、それでもやるしかないのだ。
「バイヤベイ・ソワカ!」
風天の力が、昶の肉体を浮かび上がらせた。
通常の肉体強化の三倍以上の高さから、一気に降下する。
「雷華、伍ノ陣──」
後方までふりかぶられた村正の刀身に、白い雷光が絡みついてゆく。
やがて刀身を埋め尽くすほどに圧縮された雷光を、昶は渾身の力を込めて叩きつけた。
「束!」
「しゃらくさいわ!」
雷光に包み込まれた村正めがけ、エザリアは紅槍を突き出す。
バリバリバリリリバリババリバリバリィィィ────!!!!
破魔の紅槍は破魔の力によって、雷光を解きほぐす。
しかし、昶の霊力を吸って放たれる雷光が、破魔の紅槍の処理能力を上回った。
力を消しきれなかったエザリアは、すねの辺りまで地面に埋まる。
先ほどの大加速を得た一撃より、概算で四割ほど重くなっているような感じだ。
しかし、
「地精霊、やれ!」
エザリアの足から、まるで生き物のようにぞわぞわぁっと地面が離れたのだ。
しかも、それだけではない。
エザリアを中心に滑らかな半球状の空間を作り出すと、余った土は弾丸となり、その矛先を昶の方に差し向けたのである。
昶はとっさに地面に足をつき、全力で後退する。
直後、土の弾丸が射出された。
軽く触れた頬や腕に、赤い線がいくつか作られる。
「なかなかの反応速度やないか」
エザリアは続けて胸の内ポケットから、二本の試験管を取り出した。
その中は、オレンジ味を帯びた明るい赤の液体で満たされている。
「ほな、これならどや?」
試験管は、エザリアの手からぽろっと落ちた。
だが地面に着く直前、試験管の様子が急変する。
試験管の栓が抜けたかと思うと、濃密な精霊の気配が昶の感覚を刺激したのだ。
「ナウマク・サマンダ・ボダナン・バロダヤ・ソワカ!」
昶はとっさに、水天の真言を唱える。
途端に清らかな水が身体を取り巻き、昶はその力の全て村正へと注ぎこんだ。
「秋水、弐ノ型──流円!」
昶の感覚を刺激したのは、身体が焼け焦げそうになるほどの、濃厚で苛烈な火精霊の気配。
神の権能を以て形作られた水は、昶の剣技によって神聖な水の盾へと変化する。
そして、昶の感覚は正しかった。
二本の試験管から飛び出した液体は、空中で炎へと転じたのである。
それも、コールタールのようにねっとりとした、べたつくような炎。
その炎が高波となって、昶に向かってきたのだ。
比喩でもなければ、誇張でもない。
本当に身の丈の倍以上はある炎の波が、横一列になって昶を飲み込もうとしていた。
「こんのぉ…………!」
視界の全てが、粘ついた炎で埋め尽くされた。
炎は水の盾と同時に、昶の精神と霊力を削り取ってゆく。
「くそったれがぁああああ!!」
声を張り上げ、気合いを入れる。
揺らいでいた盾が、崩壊寸前で持ち直した。
それと同時に、分厚い層を成していた炎の高波も過ぎ去る。
危ないところでなんとか防ぎきったものの、その分だけ昶の精神力はごっそり削り取られていた。
しかし、エザリアの攻めはそれだけでは終わらなかった。
「あれを防ぐか。なら……」
次に取り出されたのは、計六本の試験管。
ただし、中身は濃厚な水色の液体である。
──次は水精霊ってか!
試験管一本に封入されている精霊の量が同じならば、威力は単純に三倍。
とてもじゃないが、防ぐことなどできるわけがない。
「これならどや!」
投げ放たれた六本の試験管。
栓が外れた途端、予想した通り莫大な量の水精霊が、氷へと実体化する。
ただし、その規模の大きさだけは予想を遥かに上回っていた。
「オン・イダテイタ・モコテイタ・ソワカ!」
まず韋駄天の真言を唱え、上方へと大きく跳躍した。
「ナウマク・サマンダ・ボダナン・バイヤベイ・ソワカ!」
そして韋駄天の超脚力による加速を保ったまま、風天の力で更に上方へと飛翔する。
城壁よりも高くジャンプすることでエザリアの攻撃は回避したものの、眼下に広がる景色に昶は絶句した。
先の炎とは、本当に比べ物にならない。
氷と化した莫大な量の水精霊は、巨大な氷河へと変貌していたのである。
エザリアを中心にして放射状に広がった氷河は王城の一角へと押し入り、それどころか城壁をも破壊して水堀まで進出していたのだ。
支えを失った城壁の一部が、けたたましい音を立てて崩落する。
風天の力で柔らかく着地した昶であるが、あまりの規模に愕然とならざるを得ない。
見渡す限りの氷原全てが一人の術者の手によって作られたなどと、いったい誰が信じられるというのだろう。
しかし、昶はしかと自分の目で見た。
この氷原は全て、エザリア一人の手によって作られたものなのである。
「さすがに、これは防げんかったみたいやね」
「……なっ!?」
紅槍をかついだエザリアが、いつの間にか昶の隣にいた。
反射的に飛び退く昶。
肉食獣を思わせる好戦的な瞳が、ちらりと昶を見る。
と、次の瞬間、
「ほな、次いってみよかぁ?」
紅槍をスルリと、足下の氷河に突き刺した。
水精霊の物質化によって形作られた氷河は、濃い水色の光となって空に消えてゆく。
予想外の行為に驚きながらも昶は危なげなく着地し、エザリアは風精霊の力で優雅に降り立つ。
「ナウマク・サマンダ・ボダナン・バロダヤ・ソワカ!」
この莫大な水精霊を使わない手はない。
昶はレナから魔力を引き出し、水天の真言を唱えた。
たちまち村正の刀身を覆い尽くすように、神聖な水流が生まれる。
「秋水、壱之型──────」
レナからの魔力供給、そして少ないながらも、レナの中の経験としての精霊素の制御則。
この二つがなければ、成せなかっただろう。
「乱雨!」
空間の端々まで伸びる、昶から溢れたレナの魔力。
それらは無形となった水精霊を刺激し、数万の水弾として再び顕現させたのである。
乱暴に振るわれた村正の一振りに呼応して、水弾は一気に動き出す。
水弾はまるで一枚の巨大な壁のようになって、エザリアへと殺到した。
どすっという、水弾が地面にめりこむ連続音。
どどどどどど、とまさに機関砲の如く、低音が響き渡る。
反動で飛び散った泥が、ぽたぽたと昶に降りかかった。
過剰な量の力を制御した反動で、身体が鉄のように重い。
片膝をつき、昶はせわしなく呼吸を繰り返す。
──ったく、やっぱバケモンだな、あいつ。
あれだけの水精霊を利用して攻撃したにも関わらず、直撃を受けたエザリアの魔力は全く衰えていない。
それどころか、一瞬の揺らぎさえなかった。
自分で放っといてなんだが、自分自身では絶対に防ぎきれないだけの威力があったのに。
「今のは、なかなかえかったで。周囲に残っとった水精霊を利用したのも、良ぇや。けえど……」
泥の雨の中、悠々と現れたエザリア。
しかしその身体には、泥水どころか水滴一つすらついていなかったのだ。
「支配力が、ちぃと足りんかったなぁ。ま、自分精霊魔術師やないし、しゃーないか」
いったいどうやって防がれた?
破魔の紅槍で防ぐには、先の攻撃はあまりに数が多すぎる。
「自分、動揺しすぎやで。大方、どないして今の防がれたんか、さっぱりわからんとか、思っとったんやろ」
胸の内をずばり当てられて、動揺がより大きくなる。
まるで、心の全てを見透かされているような錯覚さえする。
だが、それならそれで、そんな道具があれば自慢するはずだ。
報復の剣や、破魔の紅槍のように。
つまり、今の自分は表情から内心が見て取れるほどに、冷静さを欠いているのだろう。
だが、深呼吸で息を整えたところで、状況は変わらない。
「ようは、数が多すぎて面倒見切れんかったわけや。おかげでうちは、自分に当たるやつだけを制御すりゃええけ、だいぶ楽やったわ」
──まさかあいつ、こっちの術の制御を乗っ取りやがったのか!?
いや、理論的には不可能ではない。
だが理論的に不可能ではないだけで、その行為は限りなく不可能に近い。
それをやったというのか、エザリアは。
「今度こそ、こっちの番やで」
エザリアはアラベスク模様の鍵で空間の扉を開き、紅槍を放り込むと、代わりに黄金色に輝く三叉槍を取り出した。
三叉槍をとりまく威圧感は、先の紅槍よりも高い。
身の丈の倍はある三叉槍を、エザリアはまるで玩具のようにくるくると回して弄んだ。
柄の端に付いた三つのリングが、シャーンシャーンと、軽やかで神聖な音色を響かせる。
「さぁて、問題。この槍は、なにを再現したものでしょーか?」
最後に一際高い音を響かせ、エザリアは三叉槍を肩に担いだ。
しっとりと湿っぽいイメージから、恐らくは水にまつわるものだろう。
それでもって三叉槍とくれば、真っ先に思い浮かぶものが一つだけある。
あまりに有名すぎる、ギリシア神話の海神が持っていたとされる神具。
「正解は、これや」
エザリアその手に持つ三叉槍を、無造作に地面へと突き刺す。
その瞬間、足下を形成する地面が水精霊にすり替えられてゆくのを、昶は確かに感じた。
その次に起きる現象など、容易に想像ができた。
「ナウマク・サマンダ・ボダナン・バイヤベイ・ソワカ!」
風天の真言を唱え、身体を一気に上空へと押し上げる。
そして昶の視線の先で、予想通りの展開が起こった。
エザリアの突き刺した地面を中心に、地面が水面へと化したのだ。
「氷凛、壱之型──氷雨!」
昶はレナの魔力を押し込み、強引に術を発動させる。
『秋水、壱之型』の変形技である。
村正の軌跡から飛び出した氷弾は、足下の水をわずかながら凍らせた。
風天の力で危なげなく着氷した昶は、これだけの変化をもたらした武器をまっすぐに睨みつける。
「海神の鉾、か」
そして短く、武器の名前を告げた。
「正解。うちの作った数少ない完全再現具の一つ、海神の鉾。すごいやろ」
名前を当ててもらえたのがよほど嬉しかったのか、エザリアはびょうと三叉槍を振るう。
するとその軌跡から放射状に、水面が凍り始めたのだ。
水面が一片、波立つ氷原へと早変わりする。
現象の規模で言えば先ほどの氷河の方が凄まじかったが、ここは元々地面だったのだ。
術の規模や複雑さで言えば、今回の方が数段上だ。
「ほな、いくでぇ?」
シャーン、シャーン、と三叉槍は荘厳な音が氷原に響き渡る。
すると、エザリアの周辺の氷がこんもりと盛り上がり始めたのだ。
盛り上がった氷は次第に細かな意匠を表面に浮かび上がらせ、最後には大砲となってその砲口を昶へと向けた。
「オン・イダテイタ・モコテイタ・ソワカ!」
「────てぇぇえええ!」
韋駄天の真言を唱え、両足で思い切り氷原を蹴った。
分厚い氷は、みしぃとひび割れ、あるいは砕け散る。
だがそんな昶の痕跡を消し去るかのように、氷の砲弾が氷原を爆砕した。
まるで、爆弾でも爆発したかのようだ。
総勢一〇〇台にも及ぶ氷の大砲から、次々と氷の砲弾が飛び出す。
それも、単発式の形状に反して何十発も。
絶え間ない砲弾の嵐に、昶は苦虫を噛み潰したような顔をする。
──くそっ、術の停止ができねぇじゃねぇか!
現在は韋駄天の超加速のお陰で比較的楽に回避できているが、そのために消費される霊力は破格の量である。
レナからの魔力供給がなければ、そもそも真言主体の戦闘などできないのであるが。
──ちくしょうが!
昶は無理を押して、同時に肉体強化も起動させた。
許容量を超えたな霊力の放出に、経絡系が悲鳴を上げる。
だが同時に、強化された動体視力は、砲弾の軌跡を正確に読み取れる。
昶は方向転換すると、エザリアへ突撃した。
斜め前へとステップしたり、上体を下げたりしながら、氷の砲弾を次々と回避する。
韋駄天の圧倒的な機動力が、その動きを可能としているのだ。
「やるやないか。なら、これならどないや!」
砲弾の連射速度が、一気に倍まで跳ね上がった。
針の穴を通すような無茶でここまで回避してきたが、もうそんなわずかなスキマさえ見つからない。
だが、この距離ならば、
──いける!
「オン・バザラヤキシャ・ウン!」
唱えた真言は、金剛夜叉明王のそれ。
いかなる障害をも蹴散らす破軍の将は、その者に無双の剛力を授ける。
「はぁあああああああああああ!!!!」
無双の剛力を授けられた昶の身体は、同時に並び立つ物のない強固な鎧でもある。
氷の砲弾を全身に受けながら、しかし速度は落とさない。
一直線に砲弾の雨を突っ切った昶は、ついにエザリアを射程圏に捉えた。
「雷華、壱ノ陣──」
後方いっぱいまで村正を引き絞り、
「閃!」
一気に振り抜く。
エザリアは三叉槍で受け止めるが、剛力無双の力を授かった昶の斬撃は、いささか以上に重すぎた。
しかも村正の刀身から飛び出した雷撃が、エザリアの全身を穿ったのだ。
後方に吹き飛ばされながら、しかし感電のために身体を任意に動かすことはできない。
頭から氷原に落下したエザリアは、ピクピクと痙攣したまま、全く動かなくなった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、っはぁ、やった、のか?」
両膝をつき、昶は肩で息をする。
意匠を凝らした大砲は完全に沈黙し、落下した三叉槍がシャラーンと寂し気な音を響かせた。
霊力の方はレナからの魔力供給もあって、まだ余裕はある。
しかし、身体の方はかなり重傷だ。
真言は、短時間に大量の霊力を消費する。
当然、経絡系を流れる霊力の量も、消費に比例して増加する。
この短時間に、普段では扱わない量の霊力を使用したために、今昶の経絡系はぼろぼろになっているのだ。
「っつつう、残念ながら、まだやれてないでぇ」
「っ!?」
耳障りな声に、昶はぎょっとなって前を見た。
「ふぅぅ。なるほどぉ、さっきのは剛力やったかぁ。うちの氷が砕けとったのも、その副産物っちゅうわけやな」
額からたらりと一筋の鮮血を流しながら、エザリアがゆっくりと起き上がり始めたのだ。
しかも、両手をついて。
金剛夜叉明王の真言で、剛力無双の力を授かった昶の一撃を受け止めたのだ。
両腕の骨は粉々に砕け、筋繊維もずたずたに引き裂かれているはずである。
本来なら腕がもげているところなのだから、繋がっているだけでも奇跡的であるはずなのに。
「いったい、どうなってんだよ……?」
「さぁな。でもま、今のは確実に、感電で死んどったわ。やるやないか」
確実に死んでいた、という割にピンピンして見えるが。
しかし、どうしたものか。
先ほどのクリーンヒットは、相手の油断も手伝ってのこと。
また同じ手を使ったとしても、恐らく防がれてしまうだろう。
しかも、金剛夜叉明王の剛力と韋駄天の加速の剣撃に加え、雷華までゼロ距離で使ってダメとなると、どうしたものか。
だが、ただ負けを待つつもりもない。
昶は痛む身体に霊力を張り巡らせ、臨戦態勢を整える。
「それにしても、さすがはオンミョウゴケの一つ、クサカベの血族だけはあるなぁ。こないなちんちくりんでも、こんだけの力を持っとんのやきぃ」
「悪かったな、ちんちくりんで」
昶は精一杯の力で、虚勢を張る。
だが、これだけの力を持った魔術師だ。
昶の霊力が乱れていることくらい、お見通しだろう。
と、不意にエザリアの視線が、宙をさ迷い始めた。
それからしばらく考え込んだと思うと、ぽんと掌を叩いてニヤリと笑う。
「そういや確か、クサカベ家は呪的にかなり特殊な血ぃしとったっけ。そや! 自分、うちの実験の手伝いしてくれへんか? 大丈夫、薬物投与なんかしぃひんきぃ。血ぃとか唾液の採取とか、髪の毛とか皮膚の細胞をちょこっとだけもろたりするだけやから」
「誰が手伝うかよ。そんなもん、こっちから願い下げだ」
そんなモルモットのような真似、誰がするものか。
しかしその考えも、次にエザリアの口から語られた言葉によって、あっさりと揺らいでしまった。
「その報酬が、元の世界に帰る方法、やとしても……か?」
──帰れるのか?
最初に浮かんだのは、素朴な疑問であった。
レナが躍起になって資料を探しているのは何度か見たことはあるが、全く手がかりがつかめていないのが現状だ。
空間転移や結界の式等を改変する手もあるが、こちらが完成する確率はレナが資料を見つけるより低い。
「不思議に思うたことないか? 同系統の精霊魔術が使えるのはまだしも、シンゴンによって神格から授けられる権能は、この世界では存在せぇへん神のもんや。なら、その力の出所はどうなっとんのか」
言われてから気付いた。
確かにそうだ。
ここは地球とは違う。
地球にない伝承や神話があり、天体の配置も異なれば、信仰されている神も違う。
それなのになぜ、レイゼルピナで地球と同じように術が使えるのだろうか。
「猛れ、海神の鉾。汝は大陸をも断つ」
思考のぐるぐる回り始めた昶をよそに、エザリアは詠唱を唱え、右手を振るった。
すると右手を振るった先の氷原が、真っ二つに引き裂かれたのだ。
術の起動を確認したところで、エザリアは近くに転がる三叉槍を拾う。
「今のは右手を海神の鉾に見立てて、ポセイドーンの御業を真似たもん。使えるんや。地球の術が。それはつまり……」
エザリアの語る内容が、だんだんと現実味を帯びていくのを昶は感じた。
「この世界と地球は、なんらかの形で繋がっとる、とは思えへんか?」
そう仮定すれば、辻褄が合う。
地球でしか使えない術が使えるのも、一応は説明がつく。
「確かに、そうかも……しれない」
揺らいでしまう自分が、心の底から許せない。
レナには普段あれだけ、いい思い出もないからどっちでもいい、などと言っているのに。
いや、もしかしたら、それは単なる強がりに過ぎなかったのかもしれない。
帰れないことの言い訳にして、無理やり自分を言い聞かせていた気もする。
昶は凄腕の術者でも、なんでもない。
単に宗家に生まれついただけの、まだまだ新米の術者だ。
どうすれば戻れるのかも想像がつかないし、世界を渡る術なんて作れるはずもない。
だから平気な振りを装って、自分でも本心を隠していたのかも。
本当は帰りたいのにその方法がわからないから、別に帰りたくもないと言い張ることによって。
確かに、それは事実でもある。
息も詰まるような隠れ里での生活より、学院でみんなと騒いでいる方がずっと楽しい。
大切な友達ができた。
自分が自分でいられる場所を見つけた。
しかし、事実自分はエザリアのたった一言で揺らいでしまったのだ。
認めよう。
あのろくな思い出のない場所に、自分は帰りたがっている。
「どうや? うちの実験に協力してくれへんか?」
だが、それでもなお、譲れないものがある。
「ここで裏切っちまったら、みんなに合わせる顔もねぇもんな」
「んぁあ?」
聞き取れなかったエザリアは、片手を耳に当てて昶の方に向ける。
「誰が協力するかよ。バーカ」
レナの魔力が、“ツーマ”の魔力と激しくぶつかり合っている。
天と地どころか、宇宙と海溝の底ほども違う実力差を、昶の技術と自分の知識によって補強して必死に戦っているレナを裏切るような真似など、できるはずもないだろう。
「交渉決裂かぁ。しゃーないなぁ」
エザリアは再びアラベスク模様の刻まれた銀鍵で空間に扉を開き、海神の鉾を放り込むと同時に一本の長剣を取り出す。
細身の黒い刀身と、血のような赤い刃。
長さはだいたい一メートル前後。
例に漏れず、異様な気配を感じる代物だ。
「本命はもうすぐ着くし、繋ぎならこいつで十分やろ。死なん程度に、いたぶったるわ。呪いジャンキー」
そう言うとエザリアは、空の方の手に長剣を突き刺した。
セキア・ヘイゼル川は、シュバルツグローブ北部にあるなだらかな山脈──セキア・シャンブル山脈──を水源とする、巨大な河川である。
レイゼルピナを北から南に縦断するこの川の近くには、主要都市や大きな街が栄え、人々の繁栄を影で支え続けたと言っても過言でない。
フィラルダからこのセキア・ヘイゼル川を下ってきた小舟の一団は、曲がりくねった上流域を抜け、一直線が続く中流域へとやってきた。
ここを真っ直ぐ下っていけば、通称──王都と呼ばれる首都レイゼンレイドに着く。
そんな王都の方を眺めつつ、船員達は舟を操舵する。
船員達のまとう長衣は、度重なる戦闘によりぼろぼろになっていた。
それでも舟が無傷でいられたのは、舟にかけられた対魔法結界と、優秀な船員達のおかげである。
「…………」
「…………」
「…………」
物言わぬ船員達は互いの顔を見ると頷き合い、舟の中へと消えていく。
そして次の瞬間、機械的な駆動音と共に舟の航行速度が劇的に上昇した。
王都までは、すでに目と鼻の先。
ほどなくして、船団はレイゼンレイドに到着するだろう。
もはや、彼等の巡航を妨げる者はいない。