第十四話 決戦のレイゼンレイド Act10:神風の織手
自分で思っていた以上に、今のレナは速かった。
どれだけの魔力を注げば、どれだけの重量を支えられ、どのくらいの速度が出るのか。
それが今は、感覚として明確にわかる。
その効果はまさしく、絶大であると言っていい。
レナは杖に注ぐ魔力を増やし、更にぐんと加速する。
その腕前はと言えば、ライトハルトも舌を巻くほどだ。
「レナちゃん、かなり上手くなってるんだね。ちょっとびっくりしたよ」
「それはその、今ちょっとズルしてるんで。本当のあたしは、こんなに上手くできません」
少々後ろめたさを感じながら、レナはどこかに避難中の集団がいないか探す。
その瞬間、水行の操作による視力強化の情報と、その使い方が頭の中に流れ込んできた。
“遠くを見たい”という意思に呼応して、昶が普段使っている術の情報がレナの中に入ってきたのだ。
迷うことなく、レナはそれを行使する。
点にしか見えなかったものが、はっきりと見えるようになった。
そのあまりに高い効力に、レナは思わず感嘆を漏らす。
だが、感慨に浸っている暇はない。
強化された視力で、レナは周囲一帯をくまなく調べ上げる。
すると王都の最外区画の上空に、よく見知った人影を見つけた。
レナはその方向へと、勢いよく飛び出す。
「アイナ!」
黒髪と黒い瞳が特徴的なクラスメイトも、すぐさまレナのことに気付いた。
「レ、レナさん!? どうして王都に? 今って確か、シェリーさんの実家に行ってたんじゃ」
「こんな状態だったから、王女殿下が心配になって」
レナの腰へと手を回すライトハルトは、アイナに首肯して軽く挨拶する。
見覚えのある顔に、アイナは思わず背筋をピンと伸ばしてお辞儀した。
「おおおっ、王子殿下!? こんばんは、じゃなくて、えっと、えっと」
「今は緊急時だ。そういうことはいい」
「は、はぃ。すいません」
「で、あんたこそなんで王都にいるの?」
アイナはライトハルトから再びレナに視線を戻すと、少し答え辛そうにしながら口を開いた。
「私の実家、といいますか。お家が王都にあるので」
そうなの、とレナは短く返す。
「逃げ遅れた人がいないか、今上から探してた所なんです」
「そっか。ならちょうどいいわ。ちょっと王子殿下達のこと、頼める?」
「はい?」
レナの言葉の意味を察するのに、アイナは標準時で二秒半ほどの時間を要した。
それから、
「えぇぇええエエエッ!!」
意味を理解して、盛大に驚いた。
いやまあ、わからなくもないのだが。
「二人を安全な所まで届けて欲しいの。あたしはこれから、城に戻らなくちゃいけないから」
「城って、アレですか」
アイナは黒い雷光や、薄紫の光が炸裂する方をそっと指差す。
薄紫の光に覚えはないが、黒い雷光には少しばかり苦い思い出があった。
アイナは、自分の背中へとそっと手を回す。
こんなに痛いならいっそ殺してくれとまで思ったほど、辛く苦しい思いをした、あの日のことを。
「あの、こう言うのもすごく失礼とはわかってますけど、レナさんで役に立てるんですか? アキラさんとレナさんが再契約する時に足止めしましたけど、あれはシェリーさんでも無理だと思います」
アイナの意見は、至極当然のものだ。
そもそも、あれだけの力を持ったマグスですら、そう多くないはずである。
そんなものの相手を、実技の成績は最底辺に位置する自分がしようと言うのだ。
無謀以外の何物でもないだろう。
蛮勇を勇気とは呼ばないように。
だが、今のレナなら──双輪乱舞によって昶と繋がった状態の自分になら、できることはきっとあるはずである。
「大丈夫よ、今のあたしなら」
ライトハルトとエルザをアイナに任せて、レナは再び王城に向かって飛翔する。
アイナは後ろに乗せた超絶ビップな方々にどぎまぎしながら、避難中の人々の下へ向かって動き出した。
二人でかかれば、少なくともどちらかは抜けられる。
ネーナもミゼルも、そう思っていた。
しかし、
「テネブル・ブレル・モース」
現実は、そこまで甘くはない。
“ツーマ”は予備の発動体である二つの柄を持ち、特殊な詠唱を唱える。
「狂いし精霊の加護以ちて、万物を喰らえ」
黒い雷光を放つ弾丸が、広範囲にばらまかれた。
一発一発が、下位を凌駕する威力を備えた弾丸である。
ネーナが光の盾を張ってなんとかしのいだものの、地面が数センチ沈んだような気がする。
一面は先の弾丸で穴だらけになり、残っていた尖塔も全て崩れ落ちた。
ミゼルは、残りのダガーの本数を確認する。
先に一本を投擲、二本がへし折られ、残りは両手と太もものベルトに一本の計三本。
無駄使いはできない。
ネーナの方も、身体に残っている魔力は五割を切った。
魔力の生成も同時に行っているのだが、予想以上に魔力の消費量が多い。
輝照術式の弊害である。
防ぐだけでも精一杯で、とてもじゃないがエルザの元まで行く余裕はない。
「どウしたのかナ!」
地上からわずかに浮かび上がる“ツーマ”の身体が、びゅんと前へ躍り出る。
「さッキまでみたいに、ボクを楽しマせてヨ!!」
身体の使い方も剣の振り方もデタラメな“ツーマ”の一撃を、ネーナの前に出たミゼルが受け止める。
当然ながら“ツーマ”の一太刀は、ミゼルの受け止めきれる限界を超えている。
それを防いだ代償として、魔力循環系の一部がまた一つ裂けた。
身体の内側から杭を打ちつけられるような痛みに、ミゼルは意思に反して短い悲鳴を上げる。
「シャイアントブラスター!」
呪文を唱えながら、ネーナは掌をミゼルの脇から突き出した。
突き出された掌から放射状に広がった光の波動が、空間を揺さぶる。
「ッとと、危ナい危なイ」
だが、“ツーマ”は直前で後方へと大きく下がっていた。
先ほどネーナの放った魔法は、威力範囲が広い分、射程が短いのだ。
ふらふらと倒れそうになるミゼルを、ネーナは後ろからそっと抱く。
「大丈夫かよ。もうふらふらじゃねぇか」
「大、丈夫……。まだ、倒れ、る、わけに、はっ…………。いかない……!」
ネーナの腕を振りほどき、ミゼルは両手のダガーを構えた。
銀を基調としているはずのネーナの衣服は、今やミゼルから染み出した血で赤い斑模様となっている。
ぼろぼろになりながらも戦う姿勢を崩さないミゼルの姿が、あまりにも痛々しい。
だが、ふらふらになりながらも、全く体勢を崩さないのはさすがといったところか。
ネーナは全身に魔力を張り巡らせ、ミゼルに倣って構えを取る。
自分ももちろんだが、ミゼルを休ませる余裕も当然ない。
「エレクトーベリン!」
雷属性に属する、中位の攻撃魔法。
“ツーマ”の詠唱に応じて、短剣を模した雷塊がいくつも形成された。
柄から伸びる黒雷の刃を、そのまま小さくしたような感じだ。
これが中位の魔法なのか疑うほど、雷剣の量は膨大であった。
「セティバースト!」
それに対抗してネーナも多数の光弾を出現させ、矛先を“ツーマ”へて差し向ける。
「そォ~れッ!」
「行っけぇえええ!!」
黒雷の短刀と薄紫の光弾が、激しく交錯した。
…………ォドドドドドドドドドドドドドドド!!!!
光弾が切り裂かれ、短剣がへし折られる。
互いが互いを喰い合う、破壊の連続音。
その攻撃の一つ一つには、人の命なんて簡単に奪い去れるほどの威力がある。
だが、わずかながらネーナの方が少ない。
ミゼルは自分達に飛んでくる黒雷だけを狙い、ダガーを一閃させる。
暗黒の刃に斬られた黒雷は、ただの無害な精霊素として空中に消えてゆく。
ミゼルは身体を高速回転させ、迫り来る黒雷を辛うじて食い止める。
だが、それでもまだ足りない。
ミゼルは足にも物質化させた闇精霊をまとい、一心不乱に迎撃する。
だがついに、“ツーマ”の黒雷がミゼルの処理能力を上回った。
すり抜けた一本が、鋭角的に蛇行しながらネーナへと迸る。
「ゼファーラス!」
ネーナでもない、ミゼルでもない、ましてや“ツーマ”では絶対にない。
可愛らしくも芯の通った、でも少し頼りない声が三人の耳を打った。
呪文を使った者の正体がわかった時、ネーナは決して小さくない驚きを覚えた。
なぜなら自分の記憶が正しければ、その少女の実技の成績は、学院内では下から数えて一番目、全国的に見ても最下位を争えるレベルであったはず。
昔はどうであれ、それが今の彼女の現状だ。
それがどうしたことだろう。
闇精霊より下位の属性にある風精霊を集めて作られた障壁は、黒雷の弾丸を完全に弾き飛ばしたのである。
「大丈夫ですか?」
オレンジの髪をはためかせ、少女は華麗に地面へと降り立った。
“ツーマ”はすぐさま、新たに現れた少女の魔力を記憶と照合する。
顔には、見覚えがあった。
フラメル狩りをしていた日にシュバルツグローブで、創立祭の日の学院近くの森で、そしてネプティヌスの日にシュタルトヒルデの裏通りで。
だが、ここまで魔力は安定していなかったはずである。
ネプティヌスの日からこの三週間弱の間に、なにがあったのだろうか。
“ツーマ”はレナに対して、初めて興味を抱いた。
「キミ、この前会ッた時とは別人みたいだネ。魔力の安定感が全然違ウ」
口の軽い“ツーマ”と違い、初めて自分に向けられる生の殺意に、レナは激しく緊張した。
これまで何度か実戦に遭遇したことはあるが、これまでその殺意を自分に向けられたことはなかったのである。
これが本物の戦闘なのかと、レナは激しいのどの渇きを感じた。
「ダンマリッてわけかい。まあ、別にイイけど」
銀柄から伸びる漆黒の刃から、ぞわぞわぁっと稲妻が溢れた。
「前と違ッて、今日のキミは楽しそうだからネ!!」
激しい土煙を巻き上げて、“ツーマ”の身体が射出された。
その速さは、シェリーのそれを優に上回る。
しかし、昶の戦闘経験を共有しているレナにとって、それは予想範囲内の出来事であった。
予想できなかったのは、むしろ自分の動きの方である。
──そういえば、これって肉体強化した時のだった……!?
ブラウスの袖こそ斬られたが、レナはぎりぎりで“ツーマ”の斬撃をかわした。
そう、昶の戦闘経験は肉体強化時のものであるが、今のレナは完全に素の状態である。
これでは、いくら動きが予測できても回避のしようがない。
レナは大慌てで、肉体強化に関わる知識を引っ張り出す。
「トルニトラス!」
“ツーマ”は振り返りながら、上位の攻撃呪文を唱えた。
一本に束ねられた雷の塊は、鋭角的な角度でうねりながらレナへと迫る。
その破滅的な威力に驚きつつも、レナの手は無意識の内に動いていた。
いや、昶の身体に染み着いた習慣が、双輪乱舞の経路を通してレナにも伝わったと言うべきだろう。
「天心正法、弐之壁……」
通常よりも多くの魔力を流し込み、代わりに詠唱を最小限に抑える。
そして昶にもらった、図形と画数の多い複雑な文字──漢字──の描かれた紙──護符──を握り、空中へと解き放った。
「禁!」
その言葉の表す意味も、今ならわかる。
どこか遠い国の宗教に由来する、レイゼルピナには存在しない“退魔”という概念を有する術。
五枚の護符はレナの正面で正五角形の形を結ぶと、その前面に雷の盾を作り上げる。
昶の雷と同じく限りなく白に近い雷は、収束された黒雷を苦もなく正面から撃ち破った。
“ツーマ”は昶の術をレナが使ったのに驚いたが、ネーナとミゼルの驚きはそれ以上である。
なにせ、レイゼルピナには存在しないはずの術を、実際に目撃したのだから。
「ソレ、アキラのだよね? いッたいドウなッてるんだい?」
「言うわけないでしょ! フラッシュランス!」
中位の攻撃呪文──幾条もの風の槍が、“ツーマ”へ向かって飛来する。
「まァ、それモそうか!」
だが、“ツーマ”の動きも尋常なものではない。
レナの放った攻撃魔法の中から直撃コースのものだけを選別し、漆黒の刃で叩き斬ったのだ。
“ツーマ”はそのまま風槍を叩き斬りながら、レナに向かって加速した。
今度は容易に防がれぬよう、接近戦に持ち込む腹積もりである。
「っとにもぉ!!」
それを昶の経験則から瞬時に判断したレナは、肉体強化に関する知識を引き出す。
今まで触れたことすらない五行の概念が、瞬時にレナの中に流れ込んできた。
そのあまりの情報量に、脳がきりきりと締め付けられるような痛みに見まわれる。
──魔力の各属性の波長を共鳴させて、それを一気に…………。
全く使ったことのない、魔力の運用方法。
それは無論、魔力循環系にも影響を与える。
身体を内側から撫でられるような、妙な気持ち悪さがレナの中を駆け抜けた。
──跳ね上げる!
その瞬間、レナは体感時間が一気に加速したように感じた。
片足に力を込め、軽くサイドステップ。
間延びした時間感覚の中で、少しずつスライドしてゆく自分の身体。
その速度は、“ツーマ”が地上を滑空する速度とほぼ変わらない。
そしてレナは横目に、自分のすぐ隣をすれ違う“ツーマ”を見た。
──できた!
だが、集中力が続いたのもそれまでだった。
いくら昶の経験則が使えたとしても、身体の方はそうもいかない。
ほっと安心したその時、肉体強化の効力は完全に切れてしまう。
自らの生み出した加速に耐えきれず、レナは上半身から激しく地面に打ち付けられた。
「やっぱ、慣れないことって、あまりしない方がいいわね」
と、頭上からいきなり声が降ってきた。
「レナ、様……でし、たよっ、ね?」
「お前、今の肉体強化だろ。アナヒレクスの持つ秘術じゃねえ。いったいどうやったんだ?」
ふとレナが視線を上げると、そこには憔悴気味のネーナと、真っ青な顔をしたミゼルの姿がある。
ネーナと“ツーマ”の他にもう一つあった魔力の反応は、ミゼルのものだったのかと、レナはようやく理解した。
「あなた、確か王女殿下専属の……」
「侍、女、です」
レナの問いに、ミゼルは即答する。
たかが従者が、なぜこんなにもぼろぼろになりながら戦っているのか。
そのことにすぐさま疑問を覚えたが、それはネーナの発言によって打ち切られた。
「アナニレクス嬢、詮索は後だ」
漆黒の刃を光の籠手で受けながら、ネーナは後ろの二人に語りかける。
「今は、こいつを片付けるのが先決だろ」
更に光弾を出現させ、“ツーマ”へと放つ。
呪文もなく、即席で作り上げたせいか精度はあまりよくない。
おかげで簡単にかわされたが、距離を開けるのには十分役立った。
「それもそうね」
レナは魔力を練り上げながら、ネーナの隣に立った。
先の一幕で、わかったことが幾つかある。
一つ、確かに双輪乱舞の経路を使えば、レナは昶の技術や経験を自分のものとして用いることができる。
今現在も使っている魔力や精霊素の察知、“ツーマ”の動きの予測、精密な魔力の制御と運用、感覚器官も含めた肉体強化ができたのが、なによりの証拠だ。
そして二つ目は、昶の用いる肉体強化は、レナの身体と相性が悪いことである。
木火土金水──五行の概念を理解はできたものの、長年用いてきた四大元素──地水火風の属性に馴染みきった身体には、五行式の肉体強化は合わなかったのだろう。
だが、それでも昶の技術と経験のもたらすメリットは絶大だ。
レナは“ツーマ”の魔力を伺いつつ、背後のミゼルを見やった。
全身がずたぼろで、立っているのが不思議な状態である。
「ネーナさん、治癒系の魔法って使えないんですか?」
「それなんだが、エザリアってやつの持ってた剣に斬られてな。その剣のせいで、治療ができねえんだよ」
「エザリアの、剣?」
そう思ったとたん、昶の中の記憶の一部が、レナの中に流れ込んできた。
自動迎撃、超過再現具、緩やかな弧を描く短剣、自身が高速で回転する、報復の剣……。
「それって、自動迎撃できる、短剣じゃありませんでした?」
「それはそうだが、どうして知ってんだ?」
「あたしとアキラ、さっきエザリアに会ったので」
「それって!? 姫さま、うちの姫さまは大丈夫だったのか!!」
予想外の取り乱し方に、レナもミゼルも驚く。
だがミゼルが血だらけの手でネーナの手を取り、落ち着くようになだめる。
“ツーマ”の方を見ると、腕組みしたままにこにことこちらの方を眺めていた。
なにが面白くて傍観しているのか知らないが、まだ手を出してくる様子はない。
レナは、警戒はそのままに、ネーナの問いに答えた。
「ギリギリで間に合って、王子殿下と王女殿下は場外へお連れしました。今はあたしの知人が──王都奨学制度で編入してきた子が、一緒にいます」
「そうか、よかった」
エルザの無事がわかったことで、ネーナはひとまず安心した。
表情にこそ出さないが、ミゼルも内心ほっとする。
「それと、そのエザリアとは、今アキラが戦ってます」
「結局、最後はあの坊主頼みってわけか」
「それでその時、自動迎撃の剣を破壊したんで、今なら治せるんじゃないでしょうか?」
「…………マジでか!?」
あの剣ぶっ壊すとかたまげたぜ、というのは一旦心の中にしまっておいて、ネーナはくいくいっと人差し指でミゼルを小招いた。
そして隣に来させると、傷付いた背中に右手を添える。
治癒の力は瞬時にミゼルの中に流れ込み、ミゼル本人とネーナにその感触を伝えた。
確かに、効果がある。
ミゼルの傷が、たちどころにふさがっていく。
「ネーナさんは治療を続けてください。それと、少しくらいは休んでも大丈夫ですよ」
「大丈夫って、おま……アナニレクス嬢!! それはさすがに納得いかねぇぜ!」
声を荒げるネーナに、冷ややかな視線を向けてくるミゼル。
二人とも普段のレナについてエルザから色々聞かされているだけに、あまりに荷が重すぎると思ってしまうのだ。
しかし、レナはふっと笑って飛び出した。
飛行術と風精霊の反動を用いた加速は、ネーナにも引けを取らないほどの速度である。
二人が呆気に取られる中、レナは“ツーマ”との対峙に気を引き締めた。
レナはこれまでに何十冊も、高度魔法戦闘の参考書を読んできた。
その中にはもちろん、ミシェルの使う全身武装鎧、昶やシェリーの用いる肉体強化、ネーナも先ほど使っていた複数の術による高速移動方法も書かれていた。
昶と同じく五行式の肉体強化が使えたらそれがベストであったのだが、残念ながらレナの身体には合わなかった。
全身武装鎧による風の鎧も、“ツーマ”の前では意味を成さないだろう。
ならば残りは、複数の術による高速移動しかない。
「風精霊達、お願い」
風精霊の力で任意の方向に自分の身体を押しやると同時に、飛行力場を発生させる。
さらに昶の知識の中にあった、自分の肉体の周囲を風精霊の殻で覆うことで、空気抵抗を和らげることにも成功した。
これらの要因により、レナは昶やネーナ、そして“ツーマ”にも劣らぬ移動速度を実現したのだ。
「あたしに、力を貸して」
呪文ではなく言葉は、レイゼルピナの魔法ではなく、地球の精霊魔術のそれ。
瞬時に、身体全体が後方に向かって押し潰されるような感覚が訪れた。
しかし肉体強化を上手く使えないレナには、速度の限界というものがある。
一発勝負の本番だが、今はやるしかない。
「ブレイズゲイルス!」
中位の攻撃呪文が、レナの口から紡がれる。
こちらは精霊魔術ではなく、レナ達によく馴染んだレイゼルピナの魔法。
精霊魔術と魔法を巧みに使い分ける、おそらくレイゼルピナではレナにしかできない芸当である。
召喚された巨大な風の刃達は、散弾よろしくバラバラに弾け飛んだ。
「ライトニングラウンド!」
“ツーマ”はとっさに、下位の防御呪文を唱える。
風の刃があまりにも広範囲に、しかもそこそこの密度を持っていたために、回避が難しかったのだ。
円形に形成された雷の盾は、迫り来る風の刃を次々と焼き焦がす。
そして“ツーマ”は、その中に紛れるようにして迫る魔力の気配を、見逃しはしなかった。
「ザーんねん!」
雷の盾を回り込むようにして、高速でレナが肉薄してきたのである。
視界の端に、激しく空気の渦巻く杖が映る。
漆黒の刃で、“ツーマ”はその一撃を受け止めた。
膨大な風精霊の塊が、片腕に重くのしかかる。
本来なら、一瞬にして侵食されるところなのであるが、
「ヘェ」
一向に、その気配はなかった。
物質化を行えば多少は耐性もつくのだが、そんな感じもない。
「スゴい密度だ。コんなの、めッたにお目にかかれルものじャないョ」
「……えぃっ!」
レナは杖を振り切り、その反動で大きく後退した。
──そうなんだ、アキラにも言われたけど……。
『レナの魔力の総量って、俺よりもだいぶ上なんだぜ』
練習中に、そんなことを言われたことがあった。
昔よくシェリーが魔力切れでぶっ倒れる姿を見てきたのだが、自分にはそれがないのはなぜだろうとつぶやいた時だったか。
どうやらそれは、レイゼルピナのマグスから見ても同じだったようである。
ようやく静止したところで前方を見すえると、最大加速した“ツーマ”が迫ってきていた。
レナは魔力を練り上げ、発動体へと注ぎ込んだ。
「ウィンドスプラッシュ!」
中位の攻撃魔法──風の散弾が“ツーマ”を迎え撃つ。
先に比べれば威力は低いものの、それを補って余りあるほどの風弾が重厚な壁となって敵へと襲いかかる。
「よッと!」
しかしそれを見越していたかのように、“ツーマ”は直情へと進路を変えて回避した。
「フラッシュランス!」
それを追って、レナも中位の攻撃魔法で“ツーマ”を追撃する。
束ねられた風の槍が、次々と夜空に向かって解き放たれた。
“ツーマ”の飛行した軌跡を追って、渦巻く風がごうごうと黒衣のすそをかすめる。
「ダルク・セト・グランデ・アチェス……」
“ツーマ”は高速で蛇行しながら、眼下のレナを見すえた。
「黒き精霊の威を以て、怨敵を撃ち抜く!」
多数の風槍を放つレナとは対照的に、“ツーマ”は刃の先端へと闇精霊を収束させる。
闇夜の中ですらなお暗い漆黒の塊は巨大な砲弾となり、レナへ向かって撃ち出された。
回避は間に合わない。
ならばどうするか。
レナは昶の言っていた言葉を思い出しながら、大量の魔力を杖へと注いだ。
『魔力がバカみたいに多いのに小さく加減してるから、上手くいかないんだろ? だったらいっそ、思いっ切りぶっ放してみたらどうだ?』
──加減なんかしないで、全力で…………。
レナから桁外れの魔力が溢れるのを、“ツーマ”は自分の肌で感じ取った。
それは“ツーマ”の知る中では最大の魔力を誇る“アンラ”すらも超えて、更に増え続ける。
──やる!
「シュウトゥールムセプト」
レナはありったけの魔力を込めて、上位の防御呪文を唱えた。
超高圧縮された風精霊の大群は、一瞬にして暴風の壁を作り上げる。
突如現れた風の奔流に巻き込まれ、漆黒の砲弾はあらぬ方へとそれて飛んだ。
だが、レナは止まらない。
急降下して向かってくる“ツーマ”を見ながら残った風精霊をかき集め、更なる攻撃魔法の術式を組み立てる。
激しく擦れ合う風の中に、小さな光と、ジジジジィという不思議な音が入り混じり始めた。
その瞬間、“ツーマ”はレナがしようとしていることを悟った。
「大仙遷化せしめるをトムラい、モちてココに雷法をショウず」
レナの体内で、爆発的に膨れ上がる魔力。
それは昶の用いる詠唱文により、破壊の力へと変換される。
「天心正法、壱之貫──」
いつしか風精霊の大群は青白い火花を散らし、バチバチと耳障りな音を盛大に放ち始めた。
「禁!」
宙を漂う十枚の護符。
まるで見えざる手によって導かれるように、正しく二重の正五角形に配置された護符の中心から、一条の雷光が生み出された。
雷光は風精霊の大群を突き抜けると、倍近くまでその大きさを拡張させる。
風の上位属性である雷。
風精霊の大群をブースターに、レナは雷撃の威力を飛躍的に高めたのである。
「ダルク・スナーキ・エアティグ、全を喰らいて無へと帰せ!」
レナの放った雷光を、“ツーマ”は真正面から迎え撃った。
渾身の力で振るわれた銀柄から、特大の黒雷が生まれる。
黒雷はまるで大蛇のようにうなりながら、レナの放った雷光に正面から喰らいついた。
白い雷光と黒い雷光は、互いを貫き、あるいは侵し合いながら、数多の雷光を撒き散らす。
弾け飛んだ雷光は地面だけでなく、城壁や城自体にも小さな穴を開けて行く。
たかが余波にも関わらず、その破壊力は下位の魔法をも凌駕する。
さしものネーナやミゼルも、これには呆気に取られた。
自分達でも、これほどの魔法を放つことはできないだろうと。
それほどまでに、今この瞬間のレナは強者だった。
そして、拮抗状態にあった二つの雷光が、ついに動いた。
レナの放った雷光を喰らいきれなかった黒雷の大蛇が、どんどん後方に押しやられ始めたのである。
まるで上顎と下顎を引き裂かれるように、黒雷の大蛇は一気にその力を消失する。
白い雷光の向かう先にあるのは、黒衣をまとった少年のみ。
「チッ」
直後、白い雷光は“ツーマ”の全身を包み込んだ。
着弾の瞬間、大量の土煙が巻き上げられる。
吹き飛んだ砂や小石が、ぱらぱらとレナの身体を打った。
「やった……の?」
自分の魔力が周囲に漂いすぎて、“ツーマ”の魔力がよくわからない。
だが、いきなり全身から力が抜けて、レナはその場で倒れそうになった。
「っとと」
「大…丈、夫?」
ふわりと、後ろから支えてくれる手があった。
「ネーナ、さん」
振り返ると、若干あきれ気味のネーナの顔があった。
そして正面には、表情の読み取れないミゼルの顔も。
「大丈夫さ。なんかセコい手使ってたんだろ。でなきゃ、あの強さは説明がつかねぇからな」
「えっと、まぁ、そんなところです」
支えられながら、レナは気まずそうに、しかし後ろめたさは一切なかった。
今はまだ借り物の力であるが、決心して、実際に使ったのは間違いなく自分自身だ。
魔力を感じ練り上げ、組み上げた術式に流し込み、明確な意志を持って“ツーマ”へと放った。
小さな自信が、レナの中で芽吹いた瞬間だった。
「でもま、身体の方はどうにもなんねぇわな。普段使わねぇ量の魔力を使ったんだから、循環系はずたぼろのはずだぜ」
「うん、ちょっと、全身だるい感じがする」
「明日、から、しばら、くは…全身が、痛むから」
ネーナに混じって、ミゼルからも一言。
シェリーがよく言っている、筋肉痛に似たような症状だとかいう、魔力循環系に発生する痛みのことだろう。
レナはまだ筋肉痛しか経験したことがないが、シェリーによると筋肉痛より痛む上になかなか治らないらしい。
「さてっと、おしゃべりもこんくらいにしとこうぜ。土煙が晴れる」
ネーナに言われて、レナは前方を見た。
ミゼルは既にダガーを構え、レナを守るような形で防御の姿勢を取っている。
緊張の糸が一気に切れたことで思考がにぶってしまったが、今は戦闘中である。
油断は禁物だ。
レナも全身に魔力をみなぎらせ、その時を待つ。
そして、
「ふゥ、危なイ危ナい」
土煙の中から、一人の少年が現れた。
レナの放った特大の雷撃が直撃したはずの“ツーマ”は、口元をにやにやと綻ばせる。
雷撃はまるでそこだけを避けてと通ったみたいに、“ツーマ”の足下だけが青々とした芝で覆われていた。
いや、昶の持つ知識が教えてくれる。
“ツーマ”の羽織っている漆黒のローブ。
あれには強力な、対魔法防御がかけられているのだ。
表面を覆う文字のかすれ具合を見るに、もうほぼ機能してはいないであろうが。
「でモ、なんトかなッちャッたみたいだネ」
“ツーマ”は顔を覆うフードをめくると、銀柄をローブの内側へとしまう。
「今日はこれくラいにしておくョ。一対三じャ、さすがに分が悪すぎるから。でもその前に、キミの名前教えてくれなイかな。ボク、強い人ノ名前は覚えるシュギなんだ」
冷たい夜風に、さらさらとした白髪がなびく。
血を彷彿とさせる深紅の瞳は、無邪気に笑っていた。
その笑みと、右目の下に彫られた薔薇の刺青とのギャップが、不気味さを一層際立たせる。
「逃がすと思ってんのか?」
「あなた…は、此処で、討つ」
ネーナとミゼルは、まだやるつもりだ。
もちろん、レナも。
一時的とはいえ、昶と同等に近い力を持ったレナ。
国内でも十指に入る実力を持ち、輝照術式を使えるネーナ。
そして“ツーマ”と同じく、禍式精霊魔法を使えるミゼル。
これだけの布陣ならば、“ツーマ”を倒すことも不可能ではない。
しかし、次に“ツーマ”の発した言葉によって、レナの決心は揺らいでしまった。
「イイのかな? ボクよりよッぽど危険なエザリアを、アキラ一人に任せテ」
そうだった。
ここに来る前、何度も言っていたではないか。
エザリアの方が、“ツーマ”よりよほど危険であると。
「キミの名前を教えテくれるなら、ボクはこの場は退散さセてもらうョ。他にもやルことがアルしね。でもそウじャないなら、思いッ切りジャマしてあげる」
“ツーマ”を討つか、昶を助けに向かうか。
レナに迷いはなかった。
「レナ。あたしの名前は、レナ=ル=アギニ=ド=アナヒレクス」
もう既に、二度も昶に危険なことをさせてしまっている。
自分達を助けるために。
これ以上、昶に危険な真似はさせられない。
昶を待っている人達のいる所へ、元の世界に無事に帰してやるために。
それが自分達の命を助けてくれた、昶への恩返しである。
それに、やっぱり会える人達がいるなら、昶はそこに居るべきだ。
それがなにより大切であると、レナは知っているから。
「レナかァ。覚えテおくョ」
“ツーマ”の身体が、飛行力場でふわりと持ち上がった。
そして王城の上方に消えていく最中、不穏な一言を残して。
「間に合ウといいね。ふふふふふふ……」
レナはネーナの腕を振りほどくと、風精霊と飛行力場による高速移動で昶の下へ急いだ。
自分の思考が鈍っている、本当の原因を知らぬままに。
王城から飛び出した“アンラ”は、劣勢というラズベリエの支援のため上空を飛行していた。
外に出た直後に向かってくる飛竜を一匹撃ち落としたが、騎手はどうなっているだろうか。
狙いが甘かったせいで、翼膜を撃ち抜くくらいしかできなかったが。
やはり、死体を確認してから来るべきだった。
どうなったのか気になって、ラズベリエのことに集中できない。
今からでも引き返して、確認してこようか。
いやしかし、すでにけっこうな距離を飛んできている。
魔力には自信があるとはいえ、さすがにそんな無茶はできない。
時間的な余裕もあまりないということであるし、見に行くのはラズベリエの戦力を処理してからだ。
「にしても、相手は軍艦か。落とし甲斐があるぜ」
軍艦と言うからには、もちろん火薬を満載した大砲の砲弾や、火線砲のエネルギー源である火精霊の結晶があるだろう。
それに引火させれば、さぞ盛大な花火を演出してくれるに違いない。
「花火大会かぁ。それもなかなか面白そうだな。んま、ぜぇんぶ同じ色ってのが、ちぃとばかし芸もない気もするが」
何隻いるだろうか。
二桁もあれば、けっこう盛り上がるだろうが。
そんな風に、“アンラ”がラズベリエの軍艦をどういたぶるか考えていた時だった。
巨大な魔力反応が、信じられない勢いで近付いてくるのである。
恐らく、飛竜の倍以上。
ローレンシナ大陸で考え得る中で、おおよそ勝てるものなど居そうにない速度だ。
「ったく、めんどくせぇなぁ!!」
爆発させた怒りの感情を軸にして、魔力を生み出す。
瞬時に、銀色を帯びた魔力が、“アンラ”の全身から溢れた。
銀の魔力は炎と化し、前方から近付いてくる魔力反応へとぶち当たる。
国内最高位の魔法兵を、二人同時に戦闘不能に陥れた炎だ。
銀の炎は、魔力反応を簡単に焼き払うだろう。
少し本気を出し過ぎたから、灰も残らず蒸発したかもしれない。
骨くらい残っていれば、死体の確認も楽なのだが。
しかし、しっかりと思考できたのはそこまでだった。
銀の炎を撃ち抜き、深淵よりもなお暗い炎が“アンラ”の身体を直撃したのだ。
視界は銀の炎で完全にふさがれていたはず。
なぜ自分の位置を正確に把握していたのだろう。
エザリア製のローブのおかげで、即死だけは辛うじて回避できたが、今のでローブが九割方消失してしまった。
“ツーマ”の用いる聖霊魔法ですら、ここまでの破壊は不可能であったのに。
魔法自体は防げたが、あまりの衝撃に“アンラ”の意識は半分以上飛んでしまっていた。
その最中、視界の端に一人の少女の姿が映ったのだが、“アンラ”が気付くことはなかった。