第十四話 決戦のレイゼンレイド Act09:廻る双輪
最初の内は建物の上を走って戦闘を避けてきた昶とレナであるが、王城に近付くほどにそれは難しくなっていく。
背の高い建物はだんだんとなくなってゆき、最後にはなだらかな丘が現れる。
その丘を登りきった所に、天に向かってそびえ立つ巨大な王城があった。
「隊長、こちらに向かってくる人影が!」
「あの防御陣を抜けたというの? かまわん、砲撃を開始しろ。城には誰一人近付けるな!」
「了解!」
市街区を抜けた昶とレナに向かって、丘の上にいる者達が各々発動体を差し向ける。
各人装備はバラバラであるが、蒼銀色の鎧もちまちま見える。
恐らくは、王国軍を裏切って敵方に寝返った者達だろう。
漏れ出る魔力も、他のマグス達と比べて群を抜いている。
昶は片手でレナを支えつつ、上着のポケットから護符を一つかみ取り出した。
その一枚一枚へと、昶は霊力を流し込んでゆく。
昶の背中に乗るレナも、向こう側の敵意を感じて身構える。
魔力の反応はわからないが、歓迎されていないことだけは確かだ。
自分達を狙っているという。
自然と、昶の首に回す手にも力がこもった。
「撃て!」
「翅壁──急々如律令!」
昶が呪を唱えたのは、敵が一斉に撃ち始めたのと同時だった。
十数枚の護符は散り散りに飛んだかと思うと、それぞれが小さな風壁となって昶を包み込んだのだ。
これが昶の本来の力なのか、とレナは感嘆する。
敵の放った魔法よりも、昶の行使した術の方が何倍も力強さを感じる。
威力の密度のようなものが、目に見えて違うのだ。
さすがに多勢に無勢といったところか、いくつかの攻撃は壁を突き破って通り抜けてきた。
しかし、その大半の攻撃はあらぬ方向へと曲がって飛んでいく。
「迅雷、急々如律令」
更にもう一枚、昶は符術を行使した。
一迅の雷光はまるで道をこじ開けるかの如く、敵のど真ん中を穿つ。
雷光を回避したことでできた道を、昶は一気に走り抜けた。
そうして丘の上まで出ると、いよいよ入り口である跳ね橋が目に入る。
もうすぐだ。
もうすぐで、エルザの所まで行ける。
だが、やはりあの女も来ていた。
エザリア=S=ミズーリー。
今は気配を消しているらしく反応はないが、つい先ほどまで馬鹿みたいに巨大な魔力反応があったのだ。
あの全身を内側から突き破るような気持ち悪さは、間違いなく以前感じたエザリアの魔力であった。
またそれとは別に、邪気のない魔力、まぶしいような感じの魔力、小さく静かだが力強く脈動する三つの魔力も感じ取れる。
三つ目は誰だかわからないが、一つ目は“ツーマ”、二つ目はネーナの反応だ。
その三人が、現在城内の一角で戦闘中のようだ。
その中で昶は、エルザの魔力を探った。
しかし、なかなかに難しい。
エルザはあまり魔法の資質に恵まれていないらしく、身体から漏れ出る魔力の量もあまり多くない。
ネーナや“ツーマ”達の戦闘によって、まき散らされる魔力や精霊の力があまりに膨大すぎるせいで、昶の感覚ではエルザを捉えきれないのである。
昶は跳ね橋の板を踏みしめながら、レナの方をちらりと振り返った。
「レナ、王女さまの居場所、わかるか?」
「ううん、わからない。でも、こういう時のための緊急避難経路があるって、小さい頃に王女殿下から聞いたことがあるから、たぶんそこだとは思うけど……」
「その場所ってのは、わからないのか?」
「さすがにそこまでは」
「くそっ、こんな魔力のごちゃごちゃした中から探すのかよ」
昶は思わず、愚痴をこぼす。
こんなもの、目隠しをされたまま物を探すようなものだ。
見つかるわけがない。
と、そこでレナは思い出した。
創立祭の日、結界の中に昶が取り込まれた時に、自分はどうやって探しただろう。
探したい人を。強く思った。
強く強く、強く思い描いた。
そうすると、視界が一気に開けたような感覚が訪れたのだ。
なにがどうなってそんなことになったのかはわからないが、今はこれしかないとレナは思った。
──エルザ、どこにいるの。あんたが心配でここまで来たんだから、ちゃんと返事しなさいよ。
その瞬間、風が変わったと昶は思った。
空間の中に、一本の──目に見えないほど──細い糸が在るような、普段あまり感じる機会がないような風精霊の流れのようなものを。
しかもその発生源は、昶の背負っているレナから発せられている。
いったいなにをしているのだろう。
もしかして、探査系の術でも起動しているのだろうか。
一つ目の跳ね橋を、もうすぐ駆け終わる。
依然として、背中のレナに反応はない。
だが、それも当然のこと。
レナの意識は今、ここにはない。
より正確には、王城の上空から見える景色に、自分でも驚いているのだ。
──できた!
レナは遠く繋がった視点から、王城全域を見下ろす。
すると、今昶の走っている所とは別の跳ね橋付近で、誰かが戦闘を繰り広げていた。
だが、今はそちらに気を取られている暇はない。
レナは更に集中力を高め、エルザの姿を探す。
その瞬間、情報の密度が数十倍に跳ね上がった。
脳がねじられるような、ずきずきとした痛みに襲われる。
その代わり、見える景色がより鮮明になった。
今なら数十メートルは上の視点からでも、砂粒の一つ一つを数えることもできる。
レナは痛みに耐えながら、エルザの姿を探す。
建物の中に入られていたらそれまでたが、今は外にいることを願って探すしかない。
視点はなんとか意識的にも動かせるらしく、城の死角へと回り込むように、レナは位置を動かす。
すると北側の城壁の近くに、四人の人影を見つけた。
鮮明化された視覚情報は視力の制限を無視するかのように、四人の情報をレナに教えてくれる。
白銀を基調とした鎧の二人は、恐らく近衛隊。
その二人に肩を借りて歩く人物と、背中におぶわれている人物がいる。
レナは覚えのある髪型に、おぶわれている方へと意識を傾けた。
黄味の強い金髪は、自分と同じく癖っ毛気味。
そしてわずかに見える苦しそうな横顔は、間違いなくレナのよく知るエルザのそれであった。
レナは再び上空へと意識を戻し、自分達の場所を確認する。
この位置から見て跳ね橋から左側だから、元の位置からは跳ね橋を渡りきって右側になるだろうか。
「……アキラ、跳ね橋渡ったら、すぐ右に行って」
「って、どこかわかったのか!?」
「えぇ。ちょっと、頭ズキズキするけど」
まったく、どんな魔法を使ったのやら。
しかし、これで行くべき場所はわかった。
あとはそこまで、超特急で向かうだけだ。
昶は三つ目の跳ね橋にさしかかると、これがラストスパートと言わんばかりにぐんと加速した。
風を切る音が、より一層大きくなって昶の──レナの耳を打つ。
だがその中には、明らかに異質な音と不穏な気配が紛れ込んでいた。
「一斉砲撃!?」
後ろを振り向いたレナは、その魔法の数に驚く。
まさしく、弾幕と呼ぶに相応しい分厚さを持った、属性も威力もばらばらの魔法が二人へと襲いかかる。かに見えた。
「しまった!!」
寸前で、昶はその魔法が自分達に向けられな物ではないと悟った。
魔法の描く軌道が、ほんのわずかだけ二人の外側を向いていたのである。
昶の予測した通り、魔法の弾幕は二人の傍をあっさり通り過ぎる。
だがその代わり、王城側の城壁付近へ着弾した魔法の弾幕は、無情にも跳ね橋を撃ち砕いた。
大穴が開き、ずたぼろにえぐられ、ぼっと燃え上がる。
「跳ね橋、半分消えちゃったじゃない!? どうするのよ!」
「引き返してる時間もねぇ。さっきレナの言ってた方向に、エザリアの魔力がでやがった!」
「嘘……」
シュバルツグローブや、創立祭の日に見た黒衣の者達よりも、もっとずっと危険な人物が?
「飛ぶ」
「へ?」
「あたしがあんたを連れて飛べば、渡れるでしょ」
「でもお前、二人分の重量支えらんねぇんだろ?」
「だけど、もうそれしかないじゃない!」
レナの提案に、昶は少したじろぐ。
確かに、それが一番ベストな選択ではあるのだが、リスクも大きい。
ここは地表すれすれで、近くには高度を確保できるような建物もない。
それに、後ろのマグス達が次弾を放とうと魔力を練り上げている。
一つ一つの反応が先より大きいのから察するに、より威力の高い攻撃で橋ごと水堀に沈めようという魂胆だろう。
これでは、戻ることも叶わない。
まあもっとも、元から引き返す気などないのであるが。
「やっぱ、俺が加速するだけして、速度稼ぐしかねぇか」
「……ごめんなさい。あたし、役立たずで」
自分の力不足に、レナは力なくうなだれる。
だが、昶はそれを否定した。
「役立たずなわけあるか。王女さま見つけたの、レナだろ」
「アキラ…………」
「跳ぶぞ」
「うん!」
いよいよ、第二城壁から伸びる跳ね橋の終わりが見えてきた。
その先は、元は橋だったものの破片が浮かぶ、長大な水堀がある。
昶はこれまでの倍近い速度で加速した。
馬とは比較にならない加速に、レナは必死で昶に抱き付く。
そして、
────たんっ…………。
正真正銘、全力の加速。
常識を逸脱した加速に、レナは身体がへしゃげそうな感覚に見まわれた。
なるほど、どおりで全力で走らないわけだ。
もちろん疲れるのもあるだろうが、肉体強化を使えない人間にとってこの速度は凶器以外の何物でもない。
そんな中でもレナは懸命に意識を繋ぎ止め、おんぶされたままの状態で飛行術を起動させる。
使ったのは、浮かせるだけの操作。
それ以上の制御は、この状態でするには危険すぎる。
まっすぐ飛ばずに横へそれるかもしれないし、下手すればそのまま水中にダイブしかねない。
しかしながら、不慣れな姿勢での飛行術なので、二人は順調にあらぬ方向へと身体が回転し始める。
横倒しになり、くるくると横方向に回り始める。
だが、それでも二人は安定した軌道のまま、跳ね橋のあった上を飛び越えた。
安心しきったせいで、レナの中の集中力が途切れる。
飛行力場を失った二人の身体は、重力に引かれて地面へと落下した。
さすがの昶も、レナをおんぶした状態で受け身を取るわけにもいかず、せめてクッション代わりにでもなればとレナをかばうようにして柔らかな芝生の上へと突っ込んだ。
芝生の地面は思っていた以上に柔らかく、反動で大きく跳ねた。
「ったたぁ……」
「やっぱし、ちょっと無茶だったかなぁ……」
着地の反動で跳ねたレナは二度目の着地でごろごろと地面を転がり、昶も昶で頭が揺さぶられたせいで軽くめまいを覚える。
だが、なんとか跳ね橋を渡りきり、王城への侵入を果たした。
「レナ、大丈夫か?」
「うん、なんとか」
昶はレナに手を貸して立たせると、即座にレナの言っていた方向を見た。
水行をひときわ強化して視力を跳ね上げ、凶悪な魔力の発する方を向く。
「……見つけた!」
動かなくなった近衛隊の二人の間を抜け、青年に向かって歩み寄る魔術師を。
「先に行く!」
「ア、アキラ!?」
先ほど一瞬だけ解放した血の力を一気に解き放ち、昶は地面を駆ける。
一歩踏みしめる度に地面がへしゃげ、一歩踏み抜く度に地面が弾ける。
「歳星の気を宿せ!」
腰からは二振の刀、村正とアンサラーを抜き放ち、闘志を剥き出しにして、昶はエザリアへと躍りかかった。
まさか、こんなことが本当にあるのかと、ライトハルトは我が目を疑った。
雷光に気付いたエザリアは、素早く後方へとジャンプする。
一瞬前までエザリアのいた場所を、緩やかな弧を描く片刃剣がえぐった。
青白色の残光が、その威力をまざまざと語っている。
「危ない危ない。忠告もせんといきなり斬りかかるとか、物騒やな自分。通り魔の才能あるでぇ」
突然現れた少年に弾かれた報復の剣は、くるくると回転しながらエザリアの手に収まった。
あれだけの力を放出したのだから、気付かれて当たり前であろう。
口では驚いた風に言っているが、そのたたずまいは非常に涼しげである。
「気を付けろ、あいつの目には石化の力がある!」
茫然自失していたライトハルトは、少年に向かって叫んだ。
どんな強者であろうと、あの目に見つめられてしまえばたちどころに石像になってしまう。
少年はちらりと、背後にいるライトハルトを見やる。
そして、その腕の中に、確かにいた。
少年の主が必死で守ろうとした、ある少女の姿が。
「……アキラ、さん」
少年は少女の無事を確認すると、残像すら残す勢いで大地を駆けた。
出し惜しみなどしていて、どうにかなる相手ではない。
いや、それですら勝てる見込みはほぼないだろう。
昶は後先考えず、持てる力の全てを注ぎ込んだ。
「オン・イダテイタ・モコテイタ・ソワカ!」
両手に刀──村正とアンサラー──を持ったまま、昶は韋駄天の印を結び、真言を唱えた。
普段の数倍の速度で、昶はエザリアへと接近する。
更に、
「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ!」
別の印を結び、真言を唱える。
帝釈天──インド神話では雷神の名を冠されたインドラの力が、左手に握るアンサラーへと流れ込んだ。
明確な殺意を察知した報復の剣が、エザリアの手から再び飛び出した。
標的はもちろん、二本の刀を手に向かい来る昶である。
プロペラのように高速回転しながら、鎧さえ紙同然に斬り裂く刃は一直線に昶を迎え撃つ。
「……ふぅぅ」
昶は深呼吸しながら、左手のアンサラーを後方までいっぱいに振りかぶった。
アンサラーへと流れ込んだ霊力は、雷神の力に反応してより一層激しくスパークを撒き散らす。
「邪魔だぁぁぁあああああああああ!!」
轟!!
まるで、刀身そのものが雷となったかのようだった。
アンサラーは鮮やかな青白光を置き去りにしながら、報復の剣を中ほどから叩き斬る。
だが、エザリアにはそのようなもの、眼中にない。
まぶたを開くだけの時間は、十分に確保できた。
閉じ合わされていた左目を、かっと見開く。
透き通るような青い瞳は、まるで繊細な硝子細工のようであった。
明らかに人のものではない目には、はっきりと昶の姿が映し出される。
エザリアの硝子細工のような青い目と、昶の黒い目が合った。
「雷華、壱ノ陣──」
だが、昶の身体にはなんら変化は現れなかった。
昶は続けざまに、右手の村正も後方へといっぱいに振りかぶる。
着地の瞬間、全身を捻って力を蓄え、
「閃!」
草壁流の剣技の一つを放った。
村正のなぞった軌跡から雷光が飛び出し、網の目のように広がりながらエザリアへと迸る。
「っと、そりゃ!」
しかし、それは次の瞬間、あっさりと消し去られる。
エザリアの手には、先ほどまで地面に突き刺さっていた紅槍が握られていた。
紅槍の放つ異様な波動から、昶はすぐさま先に放った攻撃が防がれた理由を理解した。
「術式破壊か、破魔の力があんのか。その槍」
「ほぅ、ようわかったな」
「そんだけ異様な気配垂れ流してりゃ、誰だってわかんだろ」
「まあ、そりゃそうやろな。こいつは、破魔の紅槍の完全再現具。普通に生きとったら一生見られんような、超上物やで。運がえぇで、自分」
エザリアは紅槍を肩に担ぎながら、ちょんちょんと手を小招きする。
昶は再び渾身の力を込めて、地面を踏み抜いた。
別に、挑発に乗ったわけではない。
だが、相手の力は未知数。
向こうが本気を出す前に、なんとしても倒さねばならないのだ。
両手の刀をそろえ、大上段から一気に振り下ろした。
エザリアはそれを、紅槍の柄の部分で受け止める。
直後、耳をつんざくような破裂音が、一帯に響きわたった。
妖刀としての村正の能力や帝釈天の権能と、エザリアの持つ破魔の紅槍の破魔の力が反発しあっているのだ。
「にしても、ホンマ驚いたわぁ。自分、どうやって女王の瞳を防いだん?」
「わざわざ自分から言うバカが、いると思うかよ!」
エザリアを押すようにして、昶は後方へと大きく距離を取る。
たった二度の攻防にも関わらず、昶の精神はもう数時間は戦ったような疲労感に包まれていた。
血の力を使いすぎているせいか、頭の中に黒いもやがかかっているように感じる。
「……王子殿下!?」
「君は、確かレナちゃんだったか」
ようやく追いついたレナは、ライトハルトの存在に驚きつつも、その近くへと腰を落とす。
その腕の中では、エルザがにっこりと力なく笑っていた。
「……よかったぁ」
心の底から、安堵の言葉が漏れる。
よかった、本当によかった。
だが、安心している暇はない。
「全員、あいつの目を見るな!」
昶は後方のレナ達に向けて、警告を促す。
「魔眼系の術は、たいていの場合相手の視覚を通して働きかけるもんだ。だから目さえ合わせなかったら、石化する心配はない!」
昶だけではなく、魔眼系の術式を警戒する魔術師達は、目に特殊なコンタクトレンズを装着している。
そのコンタクトレンズの魔眼を防いでいる仕組みというのが、まさしく視覚情報の一部遮断というものなのだ。
これが機能したということは、女王の瞳とは視覚情報から相手の体内に入り込み、効果を発するものと考えられる。
特殊な生体パーツを使っているので着けっぱなしでも大丈夫ということから、使い道のなかった仕事の報酬で購入していたのだが、まさかこんな所で役に立とうとは。
昶は初めて、こんな便利なものを開発した術者達に感謝した。
「ちょちょ、ネタバレは厳禁やのに、なんちゅうことしてくれるんね自分! それやとつまらんなるやないか。自分には、なんや効かんみたいやし」
エザリアはつまらなさそうに、はぁぁ、と肩を落とす。
その様は、レナやライトハルトから見ても、異様の一言に尽きる。
これは、見せ物ではない。
一秒後には死んでいてもおかしくない、命懸けの戦いなのだ。
にも関わらず、エザリアの態度はまるで、遊戯かなにかに耽っているような印象を受ける。
「まぁええか。代わりに、別のもんでも見せたるさかい。楽しみにしときぃ」
そう言うと、エザリアは閉じ合わされた左目にそっと触れた。
そして
────ぶちぶちぶちっ。
三人とも、そんな音を聞いたような気がした。
いや、実際にしていたのかもしれない。
ぷちんっ、とゴムでも切れるような軽い、しかし生々しさと生臭さを内包した音は、聞く者に本能的な嫌悪を与える。
「お前、なにしてんだよ」
その異常極まる振る舞いに、昶の口から思わず言葉が漏れた。
「なにって、目ぇ取り出しただけやで」
閉じ合わされた左目からは、涙のような液体が流れていた。
鮮烈なまでに赤い液体は、間違いなくエザリアの血である。
そして、差し出された手には、大きめな貨幣と同じくらいのサイズの玉がちょこんと乗っかっている。
まぶたから流れる血と同じく、多くの酸素を含んだ鮮やかな赤色に包まれた玉が。
彼女はたった今、自らの手で左目を引き抜いたのだ。
もはや、気が狂っているとしか言いようがない。
「なにバカみたいな顔しとんねん。うちの知り合いには、全身義体のやつかておるんやし、義眼くらいたいしたことないわ」
エザリアは薬液で満たされた小瓶に、鮮血のしたたる女王の瞳を封入する。
あまりのグロテスクさに、ライトハルトやレナだけでなく、昶まで吐き気を覚えた。
日本で仕事に駆り出された時に、もっと気持ち悪い姿の化生を見たことはあるが、それとはまた別種の気持ち悪さがある。
エルザだけでもその様を見ずに済んだのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
小瓶をポケットにしまった所で、エザリアは血塗れの左まぶたを持ち上げる。
するとどうだろう。
たった今眼球をえぐり出したばかりの場所に、右目と同じ、瑠璃色の瞳をした目が収まっているではないか。
昶もレナもライトハルトも、もうわけがわからない。
目玉は先ほど小瓶に入れたはず。
なのになぜ、その場所に目が収まっているのだろう。
そのタネを解くことは、今の昶やレナにはできない。
あるとすれば、より一層気を引き締めて、エザリアと対峙することだけ。
まずは、エルザ達を逃がすのが最優先だ。
昶はここに来るまで何度も練習を繰り返した、特殊な術を構築し始めた。
自分とレナとを繋ぐ魔力の経路の内側に、より濃密な繋がりを実現させる経路を形作っていく。
慎重に、丁寧に、しかし素早く。
そして…………。
「はっ……!?」
繋がった。
その瞬間、レナの周囲の景色が一変したのだ。
いや、正確には何も変わっていない。
だが、感覚として解るようになったのである。
魔力の脈動が、精霊素の胎動が。
これが、昶の見ている世界なのか。
自分の魔力察知なんて、まだまだ序の口。
レナは第六感と言っても過言でない。
拡張された感覚に酔いしれそうになった所で、レナは、はっとなった。
昶を挟んで向こう側に立つ、エザリアの気配。
今現在の放出される魔力は大したことないが、放出量を抑えているのがわかる。
稚拙な技術のせいではない、限界まで抑えても膨大すぎる魔力が溢れている。
そんな感じだ。
そして、肩に担ぐ紅い魔槍──破魔の紅槍といったか──の放つ気配が、尋常なものではない。
破魔という権能の放つ威圧感がそのまま圧力にでもなったかのように、エザリア本人より強烈なプレッシャーを与えてくる。
『レナ、王女さまともう一人連れて、早く逃げろ!』
『でも、今ならあたしも、アキラの力になれる。あんたと同じ力が使えるなら、あたしだってきっと!』
役に立てる。
いつも足を引っ張ってばかりの自分じゃない。
レイゼルピナでは王室警護隊に引けを取らない実力を持つ昶と、今のレナは同じだけの力を有しているのだ。
それだけの力があれば、なんとかできないはずがない。
そう思ったとしても不思議ではないだろう。
『優勢事項を考えろ。最も優先すべきは、王女さまを助けることだろ。それに……』
『それに?』
『もう一ヶ所での戦闘、ネーナさん達だ。三つの内、一つはわからねぇけど、もう一つは』
『…………“ツーマ”、で合ってるわよね』
『あぁ。押され気味だから、王女さま達を逃がしたら、レナはそっちに合流しろ。それと、俺の力も使えるんなら、護符も持って行け』
昶は護符の束を放り投げると、レナの返事も待たずに再び動き出す。
レナは昶に渡された護符を拾い上げると、キッとライトハルトの目を見て言った。
「王子殿下、安全な所まで逃げます。乗り心地はよくありませんが、ご容赦ください」
「あぁ、済まない」
杖に跨るレナの後ろに、エルザをおぶったライトハルトが着く。
昶よりも大きな腕に腰を抱かれ、先ほどまでとは違う感触に恥ずかしさにも似た緊張感を覚える。
しかし、今はそんな余裕はない。
レナは昶から魔力制御の技能を間借りして、発動体である杖へと一気に魔力を流し込む。
予想していたよりも遥かに高速で、レナは王城の城門をくぐり抜けた。
フィラルダより南方、王都との中間地点を越えた辺りで、赤銀の鎧を着込んだ兵士達が、今か今かと標的を待ち構えていた。
セキア・ヘイゼル川中流域、氾濫防止のために築かれた堤防の上から、かき集められた都市警備隊の魔法兵達は上流を警戒する。
ほどなくして、四〇艘弱の小舟が現れた。
それぞれの甲板には全身に長衣をまとった者が二〇人ほどおり、周囲の警戒に当たっている。
だが、堤防の上で待機する一団には気付いていない。
まるで一匹の水竜種のような巨大な船団が包囲網の中心までやって来たとき、
「放て!!」
号令と共に魔法の砲弾が一斉に放たれた。
どれも昶やネーナ達が使うものから比べれば本当に小さなものであるが、それでも四〇、五〇と集まれば馬鹿にできない。
袋の鼠と化した船団は、一瞬の抵抗も許されず瓦礫と化すだろう。
誰もが皆、そう思ってやまなかった。
例え上流からの報告で、魔法が全く効かないと伝えられていても。
「障壁だと!?」
「そんな馬鹿な!」
「おい、どうなってんだよあれ!!」
赤銀鎧の兵士達は、愕然となった。
古来より戦場で最強無敵を誇ってきた魔法が、全く通用しないことに。
兵士達の中にはあと一歩で蒼銀鎧──つまり王都組の切符を手にすることができた者も混じっているのだ。
それなのに、なぜ小舟一艘沈めることもできないのだろうか。
「障壁なら、内側に入っちまえば問題ねぇだろ!」
と、兵士達の内、数名が大きくジャンプして小舟へと飛び乗った。
わずかながら飛行術を使える者、風で自重を支える者、水面の一部を凍らせる者、土で即席の橋を作る者。
始めの数人に続いて、幾人もの兵士が小舟を目指して川へと侵入していく。
相手は同じ人間。
一艘ずつ順番に沈めていけば、勝機はある。
誰もがそう信じて疑わなかった。
しかし、
「うわぁっ!?」
「なんだこいつら……?」
「強い……!」
一人につき二人がかりで攻撃を仕掛けても、全く通用しない。
攻撃は呆気なくかわされ、兵士達は舟の外へと次々と投げ飛ばされてゆく。
その動きは、とても人間業とは思えなかった。
関節があらの方向へ傾き、あるいは縮んだりするのである。
人体の構造的に不可能な動きをされれば、いくら訓練された兵士といえ、戸惑いを覚えるのは避けられないだろう。
「くそ、せめて一人だけでも!」
小舟に飛び乗った人数は二〇人ほどいたが、今は五人にまで減っている。
落とされた者達は順に救助され、安全の確保されま場所では再び砲撃が再開される。
だが、どれも障壁──常識では考えられないほどに小型の──に阻まれ、決定打とはなっていない。
向かってくる敵の一団に対して、五人は横一列にならんで魔法を放った。
多弾系の魔法を密集体型で放てば、いくら向こうが人体にはなし得ない回避方法を取ろうと関係ない。
相手もそれを悟ったのだろう。
回避しようとせず、一団は腕を交差して正面からそれを受け止めた。
多種多様な魔法が高密度で反応しあい、うっすらと爆煙が巻き起こる。
有無を言わせず、五人は爆煙の中へと更に魔法を叩き込む。
例え防御魔法を使っていようと、まとめて叩き潰すような勢いで。
放出時間の限界まで、五人は魔法を放ち続けた。
時間にして、標準時で五秒ほど。
地球で言えば、十秒とかなり長い時間だ。
これだけやれば、例え相手がマグスだったとしてもただでは済むまい。
濃密な爆煙は、時間と共に急速に晴れて行く。
堤防の上で見守る兵士達も、固唾を飲んでその時を待つ。
ただの布切れと化した長衣の一部が、爆煙の中から現れた。
誰もが確信と共に更なる追撃を加えるべく、小舟へと乗り込もうとする。
しかし爆煙が完全に晴れきった時、彼らの時間は完全に止まった。
無論、物理的に時間が停止したわけではない。
単に魔法兵達が驚きのあまり、動くことすら忘れてしまっただけだ。
爆煙の中から現れた者は、人ではなかったのである。
まるで棒人間をそのまま形にしたような、滑らかで光沢のある、簡素な骨組みだけの鉄の塊。
足があり、腕があり、指があり、胴があり、頭もある。
しかし、顔はない。パーツ自体も、数えられる程度にしかない。
せいぜい、指と背骨の部分が億劫になるくらいだ。
金属製のゴーレム。
それも身体を極限までスリム化して、強度と速度の両立を成し遂げた逸品である。
金属製のゴーレムに固まってしまった五人は、あっという間に川へと突き落とされてしまった。
川へと没した魔法兵達は、救出される間際に見たという。
四〇艘弱の小舟の底に、巨大な鎚が繋がれていたと。