第十四話 決戦のレイゼンレイド Act08:神代の宝具
例えるならば、それはまるで、澄み渡った水に墨でも落とし込んだかのように見えた。
暗闇を貫いていた光は一瞬にして解きほぐされ、元の姿へと還元される。
光条の崩壊が始まったその点には、一つの人影が悠々と浮かんでいた。
シュシュでポニーテールにまとめたレモン色に近い金髪。ギラギラと輝く知性と狂気を孕んだ瑠璃色の右瞳。眼帯に覆われた不気味な左瞳。季節感を無視した、ピンクのキャミソールと超ミニ丈のデニムスカートに、ゴールドのミュールという立ち姿。
服装こそ異なるが、間違いない。
創立祭のあの日、三叉槍を片手に自分を圧倒した、殺しても死なないマグス。
「エザリア=S=ミズーリー」
名乗ったのと同時に、学院の生徒を一瞬にして戦闘不能に陥れた人物であった。
「やっぱ、自分おもろいわ。聖光式陣を使える術者ゆうたら、うちですら知っとるのは数人しかおらんからなぁ。あぁ、こっちでは輝照術式ゆうんやったっけ」
エザリアは軽やかに紅槍を振り回しながら、“ツーマ”の元まで移動した。
当然、警戒なんてあったものではない。
だが、それが災いしてしまった。
「よせ、ミゼル!」
音もなく地上を駆けるミゼルは、背後からエザリアへとダガーを突き立てる。
しかし、
「あぐっ!?」
エザリアに刃が届く寸前、なにかがミゼルの背中を斬り裂いたのだ。
ばっさりと斬られた傷口の布が、急速に鮮血色に染まっていく。
「ミゼルッ!」
ネーナは即座に全身武装鎧を展開し、風の反発と飛行術によって最大加速する。
ミゼルを受け止めると、そのまま後ろへ飛んでも大きく距離を取った。
「ケルトの報復の剣をベースに、改良を加えた超過再現具や。敵意を察知して自動迎撃する機能を追加してみたんやけど、なかなかのもんやね。まあ、そっちに忙しゅうて、敵の戦意を喪失させる機能は積んでないんやけど」
エザリアの空いている方の手に、くるくると回っていた短剣が収まった。
大きさは人の腕と同程度、刀身は回転運動に合わせたためか、大きく歪曲している。
「こいつは便利やでぇ? うちが気付かへんでも、向かってくる相手に勝手に飛んでくんやからなぁ」
エザリアはぽんと報復の剣を投げ出すと、再び“ツーマ”の元へ向かった。
宙に飛んだ報復の剣は、いきなり動きを止めたと思うと、鞘の中へと収まる。
目の合った“ツーマ”は、気まずそうにエザリアから目をそらした。
「ほんまにもぉ、片腕死んどんのにようやるわ。見してみぃ」
エザリアは呆れながらも“ツーマ”の左手を取ると、先にアレクシスで試した術式を起動させた。
破壊された細胞を一つ一つ丁寧に構成し、周辺の組織と同化させていく。
斬られた腱が繋がり、血管が修復し、肉と皮膚が傷口を埋めてゆく。
起動から十秒と経たない内に、“ツーマ”の左腕は完全に治っていた。
「くそ。ミゼル、すぐ治してやるから、少しだけ頑張れ」
ネーナは左腕の動きを確認する“ツーマ”を見ながら、ミゼルの傷の治療を始める。
しかし、すぐに手応えのないことに気付いた。
「ちっ、どうなってやがるんだよ畜生」
いつまで経っても、一向に傷口がふさがらないのである。
浅い斬り傷ではあるものの、決して軽傷ではない。
さっきはこれよりも酷い傷をあっという間に治療できたのに。
「あぁ、その傷は治療はいくらしても無駄やで」
その理由を、武器──報復の剣──の所有者であるエザリアが答えた。
「報復の剣で傷付けられた傷は、治療できひんねん。まぁ、完璧には仕上がっとらんのやけど。抗魔力耐性にもよるけど、時間が経ちゃあ効果も切れるし。あぁ、効果切れには個人差があるきに、その子の傷がどんくらいで治るようになるんかは、うちにもわからへんで」
ネーナには半分ほどしか言葉の意味が理解できなかったが、わかったことが一つだけある。
つまり、しばらくはミゼルの傷を治療できない、ということだ。
この女ならどんな反則的な魔法を使ってきてもおかしくないとは思っていたが、その認識はまだ甘かったらしい。
輝照術式の一撃をあっけなく解体し、使用不能の腕を瞬時に治療し、本人の意思とは無関係に動く自動迎撃の魔具を持つ。
しかもその魔具によって付けられた傷は、ある程度時間が経たないとふさがらないオマケ付き。
自分達はいったい、なにと戦っているのだろう。
先の見えない戦いに、ネーナの集中力は今にも切れそうになっていた。
「だい、じょうぶ……!」
ミゼルは真っ青な顔を上げ、ぐっとネーナの肩をつかんだ。
どうひいき目に見ても、大丈夫とはいえない。
だがミゼルはネーナの腕から離れ、自分の足で地上に立った。
スカートの裾をダガーで裂いとその布を固く結い、気休め程度に傷口を圧迫する。
既に魔力循環系はぼろぼろだというのに、ミゼルはまだ諦めてはいない。
「ほな、うちはまだおる王子と王女んとこに行くわ。そこの二人、ちゃーんと足止めしときぃや」
「なんだと……」
「そん、な、こと……」
エザリアの言葉に、ネーナもミゼルも言葉を失った。
エルザとライトハルトには、二人の近衛隊のメンバーが付いている。
若干未熟な部分があるとはいえ、その実力はレイゼルピナの魔法兵の中でもトップに入るものだ。
普通の敵なら物の数ではないが、その相手がエザリアともなれば結果は目に見えている。
一秒でも持てば御の字、逃がすことなど奇跡に等しい。
行かせるわけにはいかない。
絶対に、なにがあっても。
「わかッてるョ。両手が使えル状態デ、ボクが遅れヲ取るわとデも?」
「期待しとるで」
知らないはずの秘密の場所に向かって、エザリアは高速で移動する。
間違いない。
エザリアは、エルザやライトハルトの位置を正確につかんでいる。
「させるか!!」
「姫、様……!」
遠ざかって行くエザリアに向かって、追いすがろうとするネーナとミゼルであったが、
「行かせるワケないでしョ。せッかく、両手が使えルようになッたんだかラ」
その行く手を、黒雷のカーテンによって遮られる。
エルザ達の元に行くには、“ツーマ”を黙らせるより他ない。
「気合い入れろよ、ミゼル」
「一気、に。突破…する!!」
同じ思いを胸に抱く二人は、鬼気迫る勢いで“ツーマ”へと突貫した。
王族二人を連れた近衛隊の二人は、ようやく緊急避難用の舟を留めてある場所──正確にはその入り口までやって来た。
第三城壁の内部に、その場所はある。
城内の高所に作る案もあったのだが、空路と水路の両方を使えるというのもあって現在の場所が選択されたのだ。
距離的に言えば、ネーナとミゼルの姿は見えないが、戦闘による轟音がなんとか聞こえる、といった所である。
ライトハルトに肩を貸す魔法兵が、隠し扉であるスイッチを押そうとした時、それは起こった。
「残念やけど、間に合わんかったみたいやね」
スイッチとなっているブロックを押し込もうとした手が、いきなりな何者かによってつかまれたのだ。
魔法兵は自分の手をつかむ者を探して、周囲をきょろきょろと見やるも、どこにも姿が見当たらない。
しかし、手首にはしっかりと誰かにつかまれている感触は、はっきりとある。
自分に向かって話しかける声も、幻聴の類ではない。
「っとにもぉ、鈍いなぁ、自分」
「うわぁっ!?」
「……おぃっ!!」
手首をつかんでいた感触が消え、代わりに胸の辺りを強く突っつかれた。
ライトハルトとそろって、魔法兵は数歩後退って尻餅をつく。
奇妙な行動に不信感を持つライトハルトともう一人の魔法であったが、それも次の瞬間に起きた現象ですっ飛んでしまった。
なにもない空間から、まるでもやの中から現れるが如く、左脇に大きなものを抱えた女の姿がゆっくりと像を結び始めたのだ。
「どもども。エザリア=S=ミズーリーの宅配サービスでございま~っす」
明らかに真夏の格好をした女は、けらけらと嗤いながら大仰な仕草で一礼する。
近衛隊の二人はエルザをライトハルトに委ね、一歩前へ出た。
片方は長剣を構え、片方は三〇センチほどしかない短い杖を取り出す。
「どうして、魔力の気配なんてなかったのに……」
「しかも、どうやって姿を消して……」
発動体を構えながら、二人は自分達に落ち度がなかったかどうか再確認する。
周囲への気配はもちろん、魔力の察知も怠ってはいなかった。
自分達以外は、確かに一瞬前までいなかったはず。
魔力の気配はもちろんなかったし、遮蔽物も少ないので隠れるのもほぼ不可能だ。
それ以前に、エザリアはなにもない空間から突如として現れたのだ。
これで驚くなというほうが、どだい無理な話である。
「魔力を体外に漏らさんようにするのは、術者の基本やろ。姿を隠すんも、風精霊を使った光学迷彩やし。そんなんでいちいち驚いとったら、地球じゃやっとられへんで」
そんな二人の疑問に答えるエザリアであるが、当然言葉の意味を正確に理解することはできない。
言いようのない緊張感が二人の心臓を鷲掴み、拍動を倍加させていく。
背筋が震えるほどに、不気味で恐ろしい。
二人はエザリアを見た瞬間から、冷や汗が止まらなくなっていた。
エザリアが、何気なく一歩前に踏み出す。
「うわぁぁぁあああああああ!?」
「近寄るなぁぁああああああ!!」
まるでそれが合図だったかのように、二人の魔法兵は精霊素を実体化させ、エザリアへと放った。
あまりの恐怖に、理性などどこかへすっ飛んでしまったのだろう。
呪文によってイメージが補強されていないせいか、威力はイマイチである。
だが、今までの奴らと比べて格段に早い。
なにせ、今日これまで戦った敵は、ほとんどが魔法すら使うことなくエザリアに倒されていったのだから。
「早いけぇど、残念」
エザリアは、右手に握る紅槍を一閃させる。
破魔の力を持った魔槍は、そのたった一振りで二人の渾身の一撃を薙払った。
まるで紅茶に溶ける砂糖の如く、魔法のなれの果てが空中へと溶け込んでいく。
「破魔の紅槍には、魔法は意味ないねん」
「このぉおおおお!」
それならばと、剣を持った方はエザリアへと突貫をかけた。
腰溜めに剣先をエザリアに向け、飛行術も駆使して自身の身体を前方へと押しやる。
だが、不意に肩へと激痛が走った。
あまりの痛みに集中力が切れ、地面にしたたか身体を打ち付ける。
「自動迎撃機能を追加した報復の剣や。どないや? 鎧の上から斬られる気分は」
地に伏せる魔法兵は、突き刺さるような痛みと熱を持つ肩を見やる。
右肩のアーマーには滑らかな切断面があり、確かに血の色に染まっていた。
その段になって、二人はようやくひゅんひゅんと風を斬る音に気が付いた。
人の腕と同じくらいの大きさの剣が、プロペラのように回転しながら、エザリアの周囲をくるくると回っていたのだ。
「さぁてっと、前菜のお披露目も済んだことやし、メインディッシュといこうか」
エザリアは報復の剣を手にとって鞘に収めると、左目の眼帯へと手をかけた。
長い睫を備えたまぶたが、ゆっくりと持ち上がる。
そこに在ったのは、透き通るように澄んだ青い目。
瑠璃色をした右目に比べれば色褪せて見えるが、なぜ眼帯なんかを……。
そう思った時には、二人の身体は完全な石と化していた。
ライトハルトは目の前で起きた現象を認識するのに、標準時で五秒ほどの時間を要した。
エザリアは再び左目にを閉じると、紅槍を地面に突き刺して置き、ずかずかと近付いてくる。
だが、二人の魔法兵には全く動く様子はない。
なぜなら、彼等は既に物言わぬ石像と化してしまったのだから。
「いったい……、なにをした」
「ぁあん?」
「あの二人に、いったいなにをしたかと聞いているんだ!」
「なにしたゆわれたかて、左目使うただけやで」
まるで慈しむかのように、エザリアは自らの左目を愛撫する。
「女王の瞳。大地母神から怪物にまで貶められた、ある神格の瞳を再現したもんや」
左目を使った、ということは、あの目には見た者を石化させる力でもあるのだろう。
とても信じられるようなものではないが、そうでなければ説明がつかない。
現に二人はライトハルトの目の前で、石像と化してしまったのだから。
「お兄、さま……」
「エルザ、大丈夫か?」
「はぃ、まだ少し、くらくらしますが」
「そうか、よかった」
朦朧としていたエルザの意識がはっきりとして、ライトハルトはひとまず安心する。
しかし、状況はこれ以上ないくらいに悪い。
エルザの護衛官であるネーナは、現在黒衣のマグスと交戦中。
そして新任であったライトハルトの護衛官は、石像と化している。
万事休すだ。
「カミサマとやらへのお祈りの時間くらいなら、やってもええで。自分らももうじき、こうなるんやからなぁ」
エザリアは二人の目の前で立ち止まると、今まで左脇に抱えていたナニかを放り投げた。
人の頭ほどの大きさがあるそれは、ライトハルトとエルザの前まで転がる。
いや待て────人の頭だと?
暗がりの中、ライトハルトは目を凝らしてエザリアの転がしたモノを見る。
そのモノがなんなのか理解した瞬間、ライトハルトはこれまでの人生で、間違いなく最大の憎悪を覚えた。
「貴様ぁ…………」
ライトハルトはエルザがそれを見ないよう、精一杯の力で抱きしめる。
口には出さない、出してはいけない。
今自分の腕の中には、エルザがいるのだ。
その事実を、せめて今だけは聞かせないでいてやりたい。
エザリアが転がしたモノ、それは二人の父親にして国王、ウルバス=レ=エフェルテ=ラ=カール=フォン=レイゼルピナと寸分違わぬ造型をした、石像の首であったのだ。
「っハハハハハハハ…………。まぁ、あんまおもろうもなかったけどな。なーにが、『我々は貴様には屈っしない』やねん。ほんなら一太刀くらい、うちに入れてみぃっちゅうねん」
エザリアは声を押し殺しながら、目の前の弱者を見下ろす。
悔しい。なにもできない自分が。
壊滅に向かって転がり落ちる王城で、自分はなにができただろう。
いや、なにもできはしない。
蹂躙される城を守ることも、部下が傷付けられたら所で敵に一矢報いることも、父の命を奪った仇に刃を向けることさえも。
ライトハルトはエザリアを見上げたまま、奥歯を噛みしめた。
エルザを抱きとめていなければ、既にエザリアへと魔法を放っていたことだろう。
だが、近衛隊の二人よりも劣る魔法では、かき消されてしまうのが落ちだ。
その二人の魔法ですら、あっけなくかき消されてしまったのに。
せめてもの抵抗に、ライトハルトは憎悪を剥き出しにした目でエザリアを見すえる。
向こうは涼しげな顔のままであるが、そんなことは関係ない。
恐らく父も、最後はこんな気持ちだったのだろう。
相手は常識の範疇を超えた、真正の化物。
いくら抵抗しようと、一撃の下に全てを平等に破壊し尽くすような存在だ。
だからせめて、心だけは負けたくない。
例え次の瞬間には死が待っていようと、そこだけは譲るわけにはいかないのだ。
エザリアはゆっくりと、左目のまぶたを持ち上げ始めた。
ライトハルトはエルザを抱く腕に、きゅっと力を込める。
貴様だけには、絶対に渡さないと。
無言でエザリアに主張する。
同時に、ライトハルトは祈った。
──誰だってかまわない。俺はどうなったって構わないから、エルザだけは助けてくれ…………。
敬虔な信者というわけでもなかったライトハルトだが、やはり最後は神に頼むしかないのだろう。
自然とライトハルトは、創造神であるミーラセウスへと思いをぶつけていた。
本当に神様なんてものがいるんなら、俺の願いを叶えて見せろ。
そのための代償なら、いくらでも支払ってやるから。
だから、だから……だから!
妹だけは、絶対に助けてくれ。
いよいよエザリアは、完全に左目を見開く。
自分の身体も、近衛隊の二人や父同様、石像と化してしまうだろう。
ライトハルトは覚悟を決めて、その時を待った。
石になるとは、どのような感覚なのだろうか。
どうせなら、痛みは無い方がいいのだが。
あまり長くもなかったこれまでの記憶が、次々と溢れてくる。
これが走馬灯というやつなのだろうか。
幼いころヤンチャして、使用人達を困らせたこと。
身分を隠して隣国の魔法学校に通ったこと。
同じく身分を隠して今も通っている士官学校のこと。
そして、大切な妹と双子の弟、四人で作ってきた楽しい思い出の数々。
──悪いが、先に逝っちまうらしい。
次々と浮かび上がる顔へと別れを告げ、ライトハルトは再び神へと語りかける。
本当にいるなら、実在するんなら、この絶望的な運命を変えて見せろ。
創造神なら、運命くらいいくらでも創れんだろうが!
その時、ライトハルトは確かに見た。
敵意に反応して、ひとりでに飛び出した報復の剣を。
そして暗闇を斬り裂くように、撃ち抜くように、雷光を率いる双刀の若武者を。