第十四話 決戦のレイゼンレイド Act03:王城侵攻
グレシャス領を出てから、いったいどれほどの時間が経っただろう。
レナは眼下に広がる夜景を確認しながら、脳内にある地図と照らし合わせる。
少なくとも、もう半分辺りは越えたはずだ。
グレシャス領の隣にあるクレイモア領は、とっくの昔に通り過ぎた。
小さな村と農地が点在するコルンムメ平野も通過し、レイゼルピナ東部の中ほどにある国内最大の自然湖──ニヴルヘイム湖──も先ほど越えた所だ。
冬の間は分厚い氷が湖面を覆い、まるで巨大な鏡のように星空を写しているのだが、鑑賞している猶予はない。
国内最大の湖を、飛竜はものの数分で突っ切った。
しかし、レナの胸中は焦りで一杯だった。
グレシャス領から真っ直ぐ王都に向かうなら、その途中でラズベリエをかすめるコースになる。
電気がほぼ全域で普及しているあの街なら、遠くからでも電灯の明かりが見えるはずなのだが、未だその気配はない。
やはりアナヒレクスの飛竜と比べて、グレシャスの飛竜は遅い。
もしここに、アナヒレクスの戦術機動竜隊がいれば……。
そう思うほど、よけいに焦燥感が募ってゆくのだ。
「ねぇ! もっと速く飛べないの!!」
風圧に負けぬように声を張り上げて、イグニスに問いかけた。
「先ほどから申し上げている通り、これ以上は不可能です!」
しかし、返ってくるのは、不可能の三文字。
グレシャス領を出てから、これで何十度目だろうか。
十回ほどまでは数えていたのだが、もはや何分前にイグニスに問いかけたのかすら、レナは覚えていない。
いや、覚えているだけの余裕がない、といった方が正しいだろう。
こうしている間にも、凶悪なマグスが王都で暴れ出すかもしれない。いや、もしかしたらもう……。
募った焦りは不安へと転じ、レナの心臓をこれでもかというほど締め上げてゆく。
無意識の内に、昶の身体へ回す腕に力が入った。
胸が張り裂けそうなほどに苦しい。
このままでは、不安に押し潰されてしまいそうだ。
昶に言って欲しい。
絶対に、自分がなんとかしてみせる。
絶対に、俺が王女様を助けてやる。
そう言って欲しい。
こんなにも誰かにすがりたい、すがってでもどうにかしたいと思ったのは、レナにとって初めての経験だった。
自分はこんなにも弱い人間だったのかと、改めて思い知らされる。
それは同時に、この一件が途方もなく大きな事柄であることも意味していた。
たった一人の女の子の力では、どうあがいても変えようのないうねりの中に、今自分達はいるのだと。
でも、昶なら……。
二度にわたって暗黒魔法の使い手を退けてきた昶なら……。
一瞬だけの安らぎでいいから、仮初めの安心でもいいから。
だから言って欲しかった。
辛うじて自分を現実につなぎ止めてくれている、最後の希望の言葉を。
しかし、それは叶わない。
昶は今、双輪乱舞の構築を練習しているのだ。
魔力を感知できる能力のお陰もあって、信じられない速度で術を理解し、より正確に式を構築していく。
一瞬だけだが、繋がったような感じがしたのは、何度かあった。
シェリーが二ヶ月以上もかけてできるようになったものを、たった数時間で。
やっぱり、昶はすごい。
すごいから、だからお願い。絶対にエルザを助けて。
すがるように、祈るように、レナは王都への到着を願い、同時不安に負けないよう昶への期待を膨らませていった。
そんなレナの思考を、昶はわずかばかりに感じていた。
双輪乱舞は濃密な念話も可能な術ではあるが、それとは全くの別の物である。
術の構築を通して自分とレナの意思を意識しているのが原因かもしれないが、なんとなく流れ込んでくるのである。
痛々しいほど切に願う、レナの思いのようなものが。
助けて、助けてと。
ただ、それだけの、しかし混じりっ気のない純粋な思い。
術の練習にかかりきりになっているせいもあり、五感から送られる情報はほとんど気にとめていない。
自分の身体と飛竜を繋ぐ固定具の感触はあるものの、全身を打つ風圧の感覚も、第六感とでもいうべき魔力察知の感覚も、自分の身体に腕を回すレナの感触さえも、今の昶にはなかった。
それでも流れ込んでくるということは、それだけレナの思いが強いという証でもある。
安心させてやりたい。
重くのしかかるプレッシャーから、すぐにでも解放してやりたい。
だが、それはできない相談だった。
耳元でささやくなり、念話で語りかけるなり、レナの思い描く甘言を紡いでやれば、とりあえずの安心を与えてやることはできる。
しかし、本当にそれができるのかと問われれば、答えは否だ。
むしろ、実現できる方が、可能性としては少ない。
本当にエザリアが出てくるなら、一パーセントにも満たないだろう。
もし昶がエルザを守りきることができなかったとしたら、安心していた分だけの絶望が、より大きくなってレナへと跳ね返ってくる。
果たしてその時、レナの心は持ちこたえることができるだろうか。
幼い頃ではあるものの、自分のせいで姉が生死を彷徨った時、昶は現実から──魔術師の道から目を背けることを選んだ。
そうしなければ、自分の心が重みに耐えられなかったのだ。
結果として、姉は一命を取り留めた。
幸いにも後遺症はなく、現在では第一線で活躍している。
だが、不意に思うのだ。
もしあの時、姉が死んでいたら。自分は、どうなっていただろう?
今にして思えば、あの時の自分は廃人の一歩手前にいたように思う。
罪悪感から姉を見舞い、そして後ろめたさから逃げ出す。
そんな毎日だった。
だから、昏睡状態から目覚めた時は、本当に救われた気分だった。
死なずに済んだとはいえ、それでも昶の心は壊れかけたのだ。
ならばもし、自分達の力が足りなかったせいでエルザが死んでしまったら、レナの心はどうなってしまうだろう?
果たして、その絶望に耐えられるだろうか。
その答えは、レナにしかわからない。
耐えられるかもしれないし、耐えられないかもしれない。
ただ、昶の思いとしては、レナにはなにがあっても生き延びて欲しい。
自分も死ぬつもりは毛頭ないが、絶対にないとは言い切れないのだから。
ならば、いっときの安心のために甘い言葉を紡ぐより、覚悟を持ったまま戦場へ赴く方が、生き残る確率はぐっと上がる。
昶は心を鬼にして、あえてレナに言葉をかけるようなことはしなかった。
戦いの空気を通して、レナに覚悟を持たせるために。
そんな思考の傍らで、昶は双輪乱舞の術式構築を幾度となく繰り返し、細部までくまなく把握していく。
これならば、王都に着くまでなんとか間に合うかもしれない。
昶は術をより完璧なものにするために、試行錯誤を繰り返す。
だが、熱中する余り昶は気が付かなかった。
いかに言葉で理解したとはいえ、全く見知らぬ術を構築するのが、どれだけ異常な所行かということに。
姿を完全にくらませた、たった三人の集団は、ついに王都の中心部までやってきた。
真っ直ぐに中心部へと向かっていればもっと早かったのだが、時間調整も兼ねてエザリアが観光気分で“ツーマ”と“アンラ”を連れ回したのである。
近代科学の国に生を受けたエザリアにとって、中世から近世にかけての趣を残した──作り物でない生の街は、なかなか面白かった。
電灯の代わりに街を照らすのは、松明やガス灯の類。
前に見たラズベリエの街と違い、こちらは人工の明かりはほとんどない。
目に留まるのは、いかにも上流階級の人が住んでいそうな立派な造りの家が大半である。
ラズベリエの所狭しと電線を引っ張った煩雑とした景色は、友人を訪問した際に寄った香港の空気を彷彿とさせたのだが、レイゼンレイドの理路整然とした雰囲気は教皇庁内を思い起こさせて、エザリアには少々堅苦しく感じた。
それからも観光名所っぽい戦勝記念の碑や、水精霊の結晶を用いた仕掛け噴水を見て回り、遅い時間まで粘っている露天販売商の商品を罵倒したりしながら、ようやくそれらしき場所にたどり着いた。
見上げるほどに高いそれは、王城に他ならない。
王都の外周部に張られていた対物理・魔法障壁がそれぞれ一層ずつの計二層だったのに対し、城の周囲に張られる障壁はそれぞれ六層。計十二層から構成されている。
跳ね橋の渡される三重の水堀は歩兵の侵攻を阻み、三重の城壁が地上からの攻撃を遮る。
城壁の上には飛竜や飛行術の使えるマグスに対する連射式小型弩砲が設置され、更に対艦迎撃用の超大型弩砲も備え付けられている。
これだけの防備を備える都市も建物も、レイゼルピナのどこにも存在しない。
それだけでも、この城が王族の住まう城だと推察することができる。
もっとも、エザリアの目から見れば、
──障壁だけの防壁たぁ、王都の防備もたかが知れとるなぁ。警報無し、トラップ無し、誘導系結界の気配も無し、その他諸々障壁系以外の形跡も無し無し無し、か。
「あー、つまらん」
それは無いも同然の防御でしかないのだが。
この世界では最先端でも、地球から見たら未だ発展途上の域を出ていないレイゼルピナの防御陣なのだから、致し方ないことである。
しかし、エザリアは落胆から大きなため息をついた。
存在すら知られぬ異世界の魔術系統について大いに興味をそそられたのだが、蓋を開けてみればなんてことはない。
四大元素の理論をベースとした、精霊魔術の一系統にしか過ぎなかった。
エザリアの知識と照らし合わせて、多少の差異は認められたものの、さして大きな違いではない。
それどころか、まだ完成されてすらいなかった。
精霊を支配する知恵を識らず、精霊を使役する術を完全に身につけてすらいない。
地球では他の追随を許さない起動速度と汎用性、無詠唱でも苦もなく使用可能というのが、精霊魔術の特筆すべき点である。
にもかかわらず、この世界ではそのほとんどが生かされていない。
術の起動には脆弱なイメージを堅固にするための呪文を必要とし、呪文によって形を与えられたがために汎用性にも欠く。
また呪文にない形を与えようとすれば、瞬発力は消え失せ、戦闘ではろくに使い物にならなくなってしまう。
つまらない、実につまらない。
せっかくこんな、教会連中の目が届かない異世界にまで来たというのに。
異世界の魔術は、この上ない遊興として自分を楽しませてくれると信じていたのに。
そんな中、ついに弄り甲斐のある玩具を見つけたのだ。
雇い主に調べさせ、報告を聞きながらほくそ笑んだことを、エザリアは今も鮮明に覚えている。
一人は、ネーナ=デバイン=ラ=ナームルス。
レイゼルピナでただ一人だけ、エザリアから支配権をもぎとった魔法兵。
それだけでなく、数十年ぶりに自分を殺した人物でもある。
臓腑が焼け付くような鮮烈な痛み、喉元を駆け上がる血の味、自分の中心部を砕かれる喪失感。
なにもかもが懐かしい。
致死量の痛覚はアドレナリンの分泌を促し、最高にハイな気分を味わえる。
更に殺したはずの相手が蘇った瞬間に見せる敵の呆けた顔は滑稽で、この上ない美酒となってエザリアに快楽をもたらす。
その時のネーナの顔も、まさしくその通りだった。
魔法が使えぬ中でも果敢に攻め、エザリアから精霊の支配を奪い取り、奇跡的な逆転劇を収めた。
その直後、致死量のダメージを負ったエザリアが再び動き出した時の、絶望の一色に塗り潰されたネーナの顔。
またあの顔を見られるのかと思うと、今から背筋がゾクゾクする。
それこそ正に、妄想しただけでイッてしまうほどに。
そして残りのもう一人こそ、エザリアにとっては本命だった。
草壁昶。
自分と同じく、地球からこの世界へと招かれた魔術師いや、陰陽師の少年。
このどうしようもないほど血に塗れた魔女のどこに、あの少年に通ずるものがあるのか。
知りたい、識りたい、シリタイ。
いつしか血染めの狂姫は、その口元に極上の笑みを浮かべていた。
秀麗にして醜悪。優雅にして凄惨。
“ツーマ”や“アンラ”といった、通常の規格に収まらないマグスでさえ本能的な畏怖を覚えるほど、今宵のエザリアは狂気に満ちていた。
「いくでぇ、ガキドモ」
エザリアはついに、両手に携えた狂犬共々、王城へと伸びる跳ね橋に足をかけた。
警備に当たっていた一般兵は突然の攻撃に防御する時間さえ与えられず、後頭部から襲いかかった重たい風撃に昏倒する。
現在は思うままに魔法を行使できる黒衣の二人であるが、やったのは二人ではなくエザリアだ。
「さてっと。ほなまあ、景気付けに一発やったろか」
エザリアは黒いジャケットの内側にくくりつけられた、異形な銀の鍵を取り出した。
薄い円と長方形を組み合わせた簡素な形だが、その全面がアラベスク模様で埋め尽くされた鍵の長さは、優に十センチを超える。
掌からはみ出すほどの鍵は溝が激しく発光したかと思うと、エザリアはそれをおもむろに突きだした。
するとどうだろう。なにもないはずの空間に、長方形の部分が丸々飲み込まれたのだ。
未知の魔法に黒衣の二人が驚愕しているのを嗤いながら、エザリアは鍵を回した。
カチッという思いの外軽い音に遅れ、魔力の波動がぼわぁっと広がる。
寒気すら感じる魔力の波動に、黒衣の二人は身構えた。
この得体の知れない女、これからなにをするつもりなのだろう。
そんな二人の危惧を余所に、エザリアは外界へ繋がる宝物庫の扉を開く。
銀の鍵を中心として出来上がった光の扉に向かって、エザリアは規定の文字を並べた。
「G2-0073」
普段とは打って変わって全く訛のない発音が、音の連なりを作り出す。
連なりはアルファベット一文字と数字の羅列を成し、光の扉からあるものが吐き出された。
ちょこんと現れた真紅の柄を、エザリアは一気に抜き放つ。
その全景は、柄から刃まで真紅で彩られた長槍。
槍自体が尋常でない魔力を保有する、文字通りの魔具だ。
「うちの作った完全再現具の中でも、最高級の逸品やで。惚れてまうやろ?」
満面の笑みで連れてきた二人に語りかけるも、全くの無反応。
笑みは一転してジト目に変わり、つまらなそうに口を尖らせて文句を垂れる。
そんな表情とは正反対に、手の中の紅槍は華麗にエザリアの周囲を舞い、結界へと狙いを定めた。
「そうらッ!」
陽気なかけ声と共に、振り下ろされる紅槍。
その切っ先が表面を撫でた瞬間、結界は信じられないほどあっさり消し飛んだ。
まるで薄いガラスが割れた時のような、思いの他軽やかな音色が耳を打つ。
人間は素通りできる結界だが、艦隊砲撃やマグスの一団からの一斉掃射、飛竜による絨毯爆撃にも耐えうる強度を有する結界が、ただの槍の一振りによって破壊されたのだ。
どう考えても、個人の力で破れるような結界ではないのに。
黒衣の二人も、この結界は素通りするつもりだったのだが、完全に予想外である。
あれだけ静かに潜入させておいたくせに、堂々と正面から猛アピールするとは。
「ほな、城攻めの開始やで」
全く底の見えないエザリアの力を警戒しながら、“ツーマ”と“アンラ”はエザリアに続いた。
エザリアの予想に反して、結界の破壊はまたたく間に城内へと伝わった。
なにも、エザリアに気付かないほど巧妙に偽装され、感知を免れた警報トラップがあったわけではない。
結界の破壊に伴う薄いガラスの割れるような音が、内部に向かって響き渡ったのである。
それは障壁を張った術者があらかじめ仕組んでいたわけではなく、本当に偶然の産物に過ぎなかったが、そのお陰で王国軍総司令部は、いち早く異常を察知することができた。
「何事だ?」
全体指揮を執る国王ウルバスは、訝しむように軍部の者や元老院の重鎮達へ目をやる。
いち早く国家レベルの対応をとるために、ウルバスが大臣職に就く者達を総司令部呼び寄せたのだ。
しかし、軍部の者も元老院の重役達も首をかしげるばかりで、音の正体には検討もつかない。
誰もが首を横に振る中、再び例の音が城内を反響した。
その次に二重奏を奏でた直後、通信士は呼び出しに応じて、大量の発声器の並んだ中から一つをつかんで耳に当て、スイッチを切り替えて受声器へと口を近付ける。
「どうした?」
『こちら、第一城壁備班! 第一第二物理障壁及び魔法障壁が消失しました! 結界の動作を示す大水晶の明かりが消えています!』
「なんだと!?」
発声器から伝えられる報告に、通信士は素っ頓狂な声を上げた。
有り得ない。あり得なさすぎる。
その間にも再び薄いガラスを割ったような音が、発声器と部屋の外側から通信士の耳を打った。
「どうした? 早く報告しろ!」
総司令官に怒鳴られて通信士は我に返り、未だ信じられない内容を報告する。
「第一城壁の警備班より、結界の稼働を示す大水晶の明かりが消えているそうです。恐らく、この音は結界の破られる音かと」
パリパリパリィン、と今度は三つの音が連なった。
つまり、三枚の結界がまとめて破壊された、ということになる。
合計八枚。第四物理障壁及び、第四魔法障壁までの結界の破壊を意味していた。
「第二と第三城壁の間だ! 探せ!」
通信士に向けて、ウルバスは指示を飛ばす。
確かに、こうもあっさり結界を破られたのは信じられないが、その手段をあれこれ考えていても仕方がない。
敵が隠密航行の可能な艦隊を持っている可能性も考えられるが、そるならば点火の瞬間の派手な火花や爆音が聞こえるはず。
それがないということは、残る可能性はマグスしかない。
レイゼルピナを含めたマグスを基準にすれば到底考えられない所行であるが、ウルバスは知識として知っていたのである。
ローレンシナの魔法とは似ても似つかない、異形の魔法を使う集団の存在を。
その集団の上座に座すほどの使い手ならば、あり得ない話ではない。
通信士は城内全域に聞こえるよう電気通信機のモードをセットすると、まくしたてるように告げた。
「第二、第三城壁にいる者は、ただちに間の水堀へ向かえ! 敵に侵入された可能性がある!」
ぶら下げられたら発声器からは、了解の意を示す応答が怒涛のように押し寄せる。
その様を、ウルバスと総司令官は感嘆を漏らした。
「電気通信機といったか。メレティスめ、こんな物まで作ってしまうとは」
「そうですなぁ。現場で隊を組んでる連中は、念話でなんとか対応できますが、一般兵も含めた軍全体の指揮となりますと、これ以上のものはありません。しかも、シュタルトヒルデやグレシャス本邸といった国内の端だけでなく、メレティスの首都にまで時間差なく連絡できるのですからなぁ」
「伝令を飛ばすよりも、よほど早い。主要都市や遠方の領地との回線を結んでおいて助かった。これがなければ、シュタルトヒルデやグレシャス領境界線でも戦闘が起きておるなど、ここまで早くつかめなかっただろうからのぅ
ウルバスと総司令官が改めて電気通信機の脅威に感心しているさなか、電気通信機の一つから呼び出しがあった。
通信士は逸る気持ちを押さえ、即座に発声器を耳元に当てた。
『見つけました! 人数は三人! 第一跳ね橋です! 第二城壁の門を破って、まっすぐに城へ向かってきます!』
位置はちょうど第一跳ね橋を正面にすえる、城内の一角からだった。
敵はなんと、一番大きな第一跳ね橋のまん中を、堂々と通って侵入してきたのだ。
いや、ここまでくれば侵入ではなく、殴り込みと言った方が正確だろうか。
理解するのをいったん頭の隅に追いやり、通信士は報告した。
「第一跳ね橋に、侵入者とおぼしき人影三つを確認したとのことです!」
そのさなか、四重の破壊音が城内を震わせた。
ついに第五、第六の対物理障壁並びに、対魔法障壁も破られてしまった。
まるでこちらをからかうように、四層の障壁をまとめて。
これで王城は、対空迎撃能力を残して、対空防御手段を全て失ってしまったことになる。
全十二層の障壁がこんな短時間で破られることなど、後にも先にも今日この日しかないだろう。
「城内にいる全兵力を第一跳ね橋の根元に集めろ! 攻撃可能な者はただちに攻撃を開始! 正面から迎え撃つ準備だ!」
総司令官は怒鳴り散らしながら、通信士に指示を出す。
侵入者の報告をしたのとは別の通信士が、城内全域モードのスイッチを入れて受声機に向かって叫んだ。
ずらりと並んだ発声器から、威勢のよい声、怯える声、奮い立つ声、様々な声が返ってきた。
最軽量にして最堅牢な魔法兵達の鎧がこすれる音も、発声機の向こう側から聞こえてくる。
いつもはうるさいだけの足音だが、今日この瞬間だけはこの上なく心強かった。
王都を守るのは、国内の最強戦力である優秀な魔法兵ばかりだ。
彼らが束になってかかれば、たかが三人のマグスなど恐るるに足りない。
総司令官の出した指令は、常識から考えれば否の打ち所がないほど的確であった。
しかしそれはあくまで、彼らの常識から照らし合わせた規格外のマグスの場合だ。
その規格外のマグスから見ても規格外な魔術師については、全く考慮されていない。
果たして、全十二層の障壁をまたたく間に突破した異常者達を、魔法兵達は討ち果たすことができるのか。
第一跳ね橋正面から連絡を寄越した者と未だ通話中の通信士は、言いようのない胸騒ぎを覚えた。
もしかしたら、エザリアの異常な魔力を感じ取ったのかもしれない。
『なんだ……あれは』
総司令部から伝わる怒号で縮こまっていた受声機の向こう側の相手が、不意に口を開いた。
「どうかしたのか?」
当然気になった通信士は、相手へと問いかける。
『いや、なんか先頭のやつの左目が、光ったような気が』
「目が、光った?」
『はぃ。目が……。あれ、こっち見て……。うわぁああああああああ!?』
耳をつんざくようなノイズに、通信士は反射的に耳から発声器を遠ざけた。
断線でも起きたのだろうか。
しかし配線の埋没処理の最中、誤って何度も断線したことがあったが、こんな音はしなかった。
「おい、どうした? 返事をしろ。おい!」
通信士がいくら呼びかけても発声機の向こう側から返事が返ってくることはなく、ただ甲冑の足音だけが虚しく響いていた。