第二話 犯人は誰? Act01:朝練
ある日、突然何かに飲み込まれた昶。気がつくと、そこは全く知らない未知の世界だった。一週間もすればここでの生活も慣れ、朝の修練も再開したのだが、相変わらずご主人様からの理不尽な暴力には慣れることができない。本日もレナの起床前に部屋に帰還したのだが、なにやらレナの様子が……
昶がこのレイゼルピナ魔法学院にやって来てから早くも一週間が過ぎた。ここでの生活に慣れてきたのもあって、色々と気付いたことがある。
ここレイゼルピナの科学技術は日本の明治初期とほぼ同じくらいであるが、一部では大幅に遅れている部分も見られる。
その一つが時計である。懐中時計やましてや腕時計と呼ばれるような、持ち運べるサイズの時計はまだない。その代わり、中央の塔に巨大なゼンマイ式の時計があるようで、今の昶の位置からでもはっきり見える。
文字盤の字は読めないが、おそらく一から十二の数字がふられているはずだ。
また、一日の長さは地球とほぼ同じようである。あくまで体感であるが。
ただし、短針は一日に一周しかしないので、地球での二秒がここでの一秒に換算される。
学院では、この時計を目安にして鐘を鳴らしているようだ。起床時間は三時半つまり向こうの七時、ホームルームに該当するものはなく、四時半はつまり九時に授業を開始する。
授業は一日に二時限だが、一時限分の時間が地球での百分に換算されるので、合計で二百分もあることになる 一限の授業が長いのは、頻繁に実習を行うからであろう。
レナも下手なりに、なんとかこなしているようだ。
昶の見解では、制御さえしっかり出来ればあれは化けるタイプである。
なにせ先日の一件を見ただけでも、度し難い威力の攻撃──正確には暴発だが──を目の当たりにしたのだ。潜在的な能力はかなりのものだろう。
だが、本人はそのことに全く気付いていない様子である。それどころか、自分には魔法の才能がないと思いこんでいるようだ。
制御については精神を鍛えるしかないので、昶に手助けできることはない。
それどころか、下手な助言は正体を明かしかねない(実際はバレてもなんの問題もないのだが、昶がそれを嫌がっているので)。
だから昶は、自身からアクションを起こすつもりは今のところない。
「アキラ、今日はこの辺で切り上げましょ」
「りょーかい」
昶は振りかぶった木剣を降ろすと、柄の方をシェリーに向けた。
「あなたやっぱりすごいわね。防戦一方に追い込まれるなんて、最近じゃパパとやってた時以来ね」
「シェリーだってそうだろ。あんなきれいに捌かれたのなんて、親父と姉さんのぞいたら他に居ねえもん」
時計といえば、レナは朝の鐘が鳴らないと起きないことが同じ部屋にいてわかった。
そんな理由もあって昶はトロール鬼の件から二日たった日、今までの日課を再開することにしたのである。
そうしないと時間を持て余してしまうし、なによりも落ち着かない。それに身体がなまってしまっては、術者のはしくれとして色々問題がある気がした。
「それって自慢? あーもう悔しい!」
「そんなつもりじゃ…」
てなわけで、早朝のランニングをしていた昶は、その最中シェリーとばったり会ったのである。
シェリーの発動体は両手持ちの長大な剣、つまり魔法を使う剣士というわけだ。
自身も強力な肉体強化術を持っているのもあって、昶の肉体強化術について色々聞かれたが、そこはそれサーヴァントに付与された能力とかでごまかした。
「ま、いいんだけどね。私も練習相手ができて助かってるわけだし」
ちなみにその練習というのは、シェリーの用意した木剣での打ち合いである。長さはだいたい一メートル弱。柄の部分もあり、もちろん直剣の形状だ。
なまじ両者とも高位の肉体強化術式を持っているぶん、その速度とパワーは常人のそれとは一線を画する。
打ち始めこそはウォーミングアップも兼ねていているのでそうでもないが、最後の方は目で追うのがやっとというくらいだ。
「でもアキラ、なんでそれ使わないの?」
シェリーが指さしているのは、昶が腰に携えている村正のことである。こっちに来てからというもの、昶が村正を鞘から抜いたことは一度もないのだ。
シェリーに不審がられても、なんら不思議はない。
「折れてるとか、飾り物ってわけじゃないんでしょ? ね、どうして?」
「それは聞かないでくれると、ありがたいんだけど……」
一度自分の家に連れてってみたら面白そうだな。本当に、腐るほど日本刀が転がってるのだから。
と、途中まで考えて、すぐにそれを止めた。
今のところ帰る術はない。正確に言えば、わからないのだ。
あるかもしれないし、もしかしたらこのまま二度と帰れないかもしれない。
『まあ、帰れなくてもいっか』
向こうには、いい思い出というものがほとんどない。
力の強い連中には蔑まれ、弱い連中からは崇拝されるだけ。
“草壁”という名に目がくらみ、“昶”という自分を見てくれる人はどこにもいない。
悪鬼調伏の使命に駆られていた父親は、力にしか興味を持たなかった。
強いて言えば、実の兄と姉、そして病弱な母くらいしか自分を見てくれていなかった気がする。
まあ、姉にはもう少し弟離れをして欲しかったが、あまり求めすぎるのも欲張りというものだろう。
「もー、ケチ」
シェリーは頬をぷくーっと膨らませて抗議の言葉を口にする。
美人顔の人がやるものだからやたら可愛い。しかもレナとはまた別の魅力があるのが困りものである。
向こうではこんな風に気さくに話しかけてくれるのは、あの姉しかいなかったのだから(ちなみに、兄は常に丁寧語であった。)。別の意味で身の危険を感じてはいたが……。
「もうケチでいいから、とっとと諦めろ。こうして朝の修練にも付き合ってるんだしな」
「まあ、そうね。一人の時と違って打ち合いもできるし、なにより相手が私よりも強いってのが最高ね。でも魔法が使える分、やりあったら私の方が強いかもよ?」
「へいへい。その内機会があったらやってやるって」
「その言葉、覚えときなさいよ」
適当な相づちをうつ昶だが、これは事実である。確かに純粋な剣では昶の方が上だが、忘れてはいけない。
シェリーは剣士であると同時に魔法使い、つまりはマグスである。剣と魔法を使って初めて真の力が発揮するのだ。
純粋な接近戦では昶に軍配が上がったが、シェリーが本当の意味で本気になったらどうなるかは、昶にもわからない。
「そういえばアキラ。お世話になってるお姫様とは、最近上手くいってるの?」
「お姫様なんて、上品なもんじゃねえよ、あれは」
昶は二日前に起きたとある事件を思い出した。
それは二日前のことである。習慣になって間もないシェリーとの修練が終わった後、レナにもらった鍵でそっと部屋の鍵を開けた室内に戻った時だ。ちょうどブラウスのボタンを止めている最中のレナと遭遇したのである。ちなみに、スカートはまだ穿いていない。
『ここここ、このエロ猿ってばば、マママ主の着替えをのぞこうなんて、いいったいどどどどういうつもりなのかしら』
こめかみに青筋をピキピキと浮かべながら笑みを浮かべると、着替えの最中にもかかわらず発動体である大きめの杖を持ち、
『こ~んなバカには躾が必要よね~。そうでしょ、ア~キラ~』
土下座で平謝りしてから必死に首を横に振ったのだが、例のごとく昶の主の機嫌が直るわけがなく……。
『この変態ー!』
と、シェリー以上の速度で、杖を上段から振り下ろした。
かなりスレスレでかわしたのだが、あれほどの恐怖を感じたことは数えるほどしかない。
この前のノム・トロールの時より怖かったと、はっきり断言できる。
『変態! 変態! エロ! バカー!』
無秩序に繰り出される杖の猛攻をかわしながら、必死に言い訳という説得を試みた。正確には、試みようとしてできなかった。
なぜか。最初からよく考えてみて欲しい。
着替え途中でそんなことを始めたものだから、レナのブラウスのボタンは下半分しか止まっていない。
ブラウスのスキマから見える下着と、その下にある慎ましやかな双丘に目がいくのは、男性として仕方ないことであろう。しかもなんと大変なことに、まだスカートを穿いていらっしゃらないのだ。
また張りのある陶磁器のように白い肌で、細くしなやかな曲線を描く、普段はニーソックスに包まれている華奢な足が露わとなっているではないか。
下着は少し子供っぽいが、そんなものはこの際どうでもいい。
そういう下着姿とかの少々エロティックな格好は、やたらスキンシップの激しかった姉のせいで耐性があるとは思っていたのだが。それはそれ、やはり身内では効果がないらしい。一部の例外を除いて女の子と話すのが、まだちょっと緊張するように。ちなみに、その例外とはシェリーのことである。
話を戻すが、視線を逸らそうと努力はするのだが、健全な少年のとしては見ずにはいられない。見てしまうのが生理現象もとい、男の子の本能というものだろう。
そんな感じで懊悩している昶であったが、顔に赤味が差し更には視線が天井の方を泳いでいるのに不審感を抱かないレナでもない。
ちょっとだけ、ほんのちょこっとだけ冷静になってみた。
まず、は状況を整理してみよう。
最初に、着替えの途中で昶が部屋へ戻って来た。
次に、自分はかっとなって杖を持って振り回した。
つまり、まだ着替えは終わっていないわけで……。
それがわかった瞬間に、振り回していた杖が固まったかのように空中で静止した。
そしてレナは、恐る恐る下の方へと視線を向けたのである。
そこにあったのは、ボタンをかけかけのブラウスとそのスキマから露わとなっている子供っぽい赤いドット柄のブラ(小)。それにブラとおそろいのローライズのショーツ。いつもはニーソックスに覆われているはずの、陶磁器のように白く柔らかそうな足。
角度によっては、穿いていないようにも見えなくはない。
『見るなーーー!!』
レナは肉体強化術式を使用中の昶やシェリーにも劣らない勢いでベッドまで駆け寄ると、ふんわりとした枕を全力で投げつけたのである。枕は昶の顔面を直撃。しかもなにかを仕込んでいるのか、やたら重くて痛かった。
ちなみに、鼻血がちょろっと流れているのは枕が当たったのとは別の理由である。
『でてけーーー!』
その後、大回転しながら飛んできた杖で頭を打った昶は、気を失ったのであった。
以上が二日前に起きた出来事である。
余談ではあるが、その日は結局機嫌がなおらず部屋の中には入れてもらえなかったのだ。つまり、完全密封された超低温の廊下で一晩を過ごしたのである。
氷点下にはならなかったので凍死こそはしなかったが、危うく風邪をひきそうになった。
いつもなら鐘が鳴ってから起きているレナが、鐘の鳴る前から起きていたために起こった、悲惨な事故である。
「はぁぁ、あの子もなにやってんだか。サーヴァントになったからって、扱いがちょっとひどすぎるわ。それならそうと、私に言ってくれれば泊めてあげたのに。向かいの部屋なんだから、目の前じゃない」
「そんなことされたら、また『躾よ!』とか言ってあの杖でぶん殴られるだろうから遠慮しとく」
「あはっ。それは言えてるかも」
笑いを押しこらえるようにして、二人はくすくすと口元に手を当てて笑いあった。
もっとも、風邪をひかなかったからこうして笑い話で収まっているわけであるが。
「そういえばアキラ、魔法について知りたいんだっけ? この前レナから聞いたんだけど」
「ん? あぁ。ほら、サーヴァントになるってことはあれだろ? また魔法でドンパチするようなことがあるかもしんないから、知っとこうと思って」
というのは、半分は本当である。どんな術体系があるか初めからわかっていれば、対抗策はいくらでも考えることができる。例えるなら迷路から脱出するとして、地図のある方と無い方のどちらが有利か、というのとほぼ同じだ。
相手の使用する術がどのような技術か類推するにあたって、ある程度の知識があるのと全くないのとでは、知識がある程度あった方が断然いいに決まっている。
シェリーからの申し入れは、昶にとってありがたいものだった。
「火とか水とか出す魔法以外に、いったいどんなのがあるんだ?」
「そうねぇ。まず代表的なのは錬金術でしょ。それから飛行術、召喚術、秘術系。あと、よく知らないけど結界とか呪いみたいなやつとかかな」
「飛行術?」
聞きなれない単語に、昶は首をかしげた。
錬金術は読んで字の如く、金を錬成する──卑金属を貴金属に変える術。もしくは生物も含め物質世界に存在するものをより完全な存在に近付ける術だと推測できる。もっとも、違う可能性も十二分に考えられるが。
召喚術、結界術、呪術もまた然り。秘術系は、まあ秘密だろうから置いておくとして。
大方の見当は付くものの、飛行術とは?
「うん、飛行術。空飛ぶ魔法……と言うか。技術みたいな、そんなやつ」
シェリーは人差し指を顎に添えながら、自信なさげに言葉を連ねる。どうやら、自分でもちゃんとわかっていないようだ。
難しそうな顔のまま、あっちを向いたりこっちを向いたりしている。
「その飛行術って、魔法とは違うの?」
「うん。魔力を発動体に流すと起きる現象で、魔力を供給された発動体に“なんとかりきば”ってのが働くんだってさ。確か発見されたのが二〇〇年くらい前だったかな? 一学期の時に歴史の講義でやったような気がするんだけど……」
やはり、ちゃんと覚えてなかったらしい。
「でね、船を飛ばすのもこの飛行術が応用されてるの。船を発動体に見立てて、複数のマグスで船体を浮遊させるんだって」
「それって、本人の思った通りに飛べるのか?」
「そうねぇ……私は無理だけど、けっこう思ったように飛べるらしいわよ」
「ふーん、便利なもんだな」
簡単にまとめれば、飛行術とはやはり空を飛ぶ技術体系のようだ。発動体を魔力で満たすことで力場を発生させ、それを任意の方向に制御することによって浮遊し飛行する。
これは地球に存在する技術体系ではないだけに、かなり興味深い術体系だ。地球にも飛行が可能な術式は存在するものの、体系化されてるわけではない。
魔力を満たすことで力場が発生するとは、本当になかなか便利なものだ。できれば、習得したいくらいである。
「そうそう、魔法と言えば。最近こんなことができるようになったのよ! 見ててねぇ」
と、シェリーは足下に木剣を置くと、両目をつむり左手で右手首を握った。
それから二度三度深呼吸をしてから、意を決したようにかっと目を見開く。
「はぁぁあああああああああ!!」
花も恥らう乙女とは思えない雄叫びが、昶の耳に飛び込んできた。それと同時に、大きく開かれた右掌に魔力が凝縮されていくのを感じる。
それから数秒ほど経った所で、状況に変化が生じた。
「おぉ……!」
シェリーが魔力を集めている右掌が、わずかだが光り始めたのである。
魔力とは原則的に、無色透明で目に見えることはない。が、例外的に見える例がいくつか存在する。
その一つが、
「よっし、できた!」
物質化である。
「すげぇ……」
「へへ、すごいでしょお?」
にししと、してやったりな笑顔を浮かべるシェリー。まるで、イタズラが成功した子供のように、無邪気な笑顔である。
その右手には、木剣とほぼ同じ大きさの円柱が握られていた。淡い赤色が、弱々しくしかし幻想的な光を放っている。
夜間ならば、さぞ美しく見えたに違いない。
「これが、地、水、火、風の次にくる第五属性。その名も無属性!」
「無属性かぁ…………」
──すげぇ。俺まだできねぇのに。
口には出さないものの、心の中ではしっかりと驚いている昶であった。まあ、それでも表情にははっきりと出てしまっているわけであるが。
そんな笑顔のドッキリ顔が見られたシェリーは、実に満足そうであった。剣の打ち合いで負けてばかりの腹いせもあったに違いない。
「まあ、私ができるのはこれくらいで、実戦じゃまだまだ全く使えないんだけどね」
と、シェリーは物質化させた魔力の塊を霧散させた。まるで雪のように、赤い光がふわりと宙を舞い地面に消えていく。
儚く消えていく光が実に趣深く、できれば動画に残しておきたいほどだ。もっとも、今さら携帯を取り出した所で、手遅れではあるが。
「時間がかかりすぎるのと、私じゃあまだたいして強度の高いのが作れないのと、あと他の属性を混ぜられないのの三つが問題なわけね。特に、始めの二つが肝心」
シェリーは指を折って数えながら、はぁぁと深いため息をつく。昶にとっては驚きだった技術であるが、本人にとってはまだまだということらしい。
だがシェリーの言うように、短時間に高強度の物が作れなければ実戦では役に立たない。相手は完成まで待ってくれないし、強度が不足していては武具にも防具にもならないのだから。
それでも物質化のできない昶からすれば、十分尊敬に値するものだ。
「それでも、俺は凄いと思うけどな」
「お世辞言ったってなにも出ないわよ?」
「せめてまともな食事くらい恵んで欲しかったなぁ」
「あれ、でも食事は学院長の計らいで朝と夜はちゃんと食べてるんじゃなかったっけ?」
と、それを聞いた昶の顔に、急に暗い影のようなものがかかった。絵的に表現すれば、額の辺りが暗くなって数本の黒い線が縦に入っているような感じである。
聞いたシェリーの方も心配になるほど、昶の落ち込み具合はすさまじいものだった。それも、背景までどんよりと見えるほどに。
「もしかして…………、なんかあったの?」
「まあ、食べさせてもらえるだけありがたいんだけどね……」
と、昶はここ一週間の食事情についてシェリーに話し始めた。
昶の話を聞くたびに、シェリーの顔もだんだん苦虫をかみつぶしたような、もしくは毒でも盛られたような、形容し難い苦しそうな顔になっていく。
「なんか、うん。ごめんね、変なこと聞いて」
「大丈夫……。慣れれば、なんとか」
と、昶はこれまでに出されたメニューを回想する。
やたら苦いパスタ、激空のスープ、臭みの強いステーキ、時には塩と砂糖を間違えたのではないと思われるスイーツもあった。
基本的には美味しい料理を出してくれるのだ。
だが、
「エリオっていうんだけど、学院長がさ。喜んで料理を作ってくれる上に腕がいいからって頼んでくれたらしいんだけど、冒険したいらしくて……。二、三日に一回試作品の料理を出してくるんだょ……」
「その試作品の料理ってのが……」
「悶絶ものなの」
昶はうんうんと首を縦に振りながら苦言を呈した。これは確かに、暗くならざるを得ない。
定期的なロシアンルーレットのような食事は、シェリーもごめんこうむりたい所だ。
「まあ、頑張って」
と、シェリーはポンポンと昶の肩を叩くと、学院の最も高い塔に視線を向けた。
「そろそろ時間よ。可愛いお姫様が起きる前までに、ちゃんと戻りなさいよ」
「あぁ、そんじゃな」
朝練の終了を告げられた昶は、主であるレナの部屋へ急いだ。