ハイレマシタ
「レイちゃん今日もありがとうね」
「こちらこそ、いつもありがとうねタカシさん」
タカシが退出し配信が途切れた瞬間に顔面に張り付けた笑顔を即座に剥ぎ取る。今となっては慣れたが、あの脂ぎってハゲ上がったいやらしい顔を最初見た時は思わず鳥肌が立ったものだ。
ーーすっかり堕ちたものね。
はだけた衣服を元に戻しながら溜息をつく。
いい加減消費しきったと思った自己嫌悪の欠片がいまだにふと心の隙間から滲み出る。
もう私には何もない。やけっぱちの絶望とそれでも人生を捨てられなかった私が自分の隙間を埋めるように衝動的に始めたのがチャットレディだった。
まともに働ける気もしない。でも金がなければ生きていけない。それなら自分を切り売りするしかない。
身体には少々自信があった。決して抜群にスタイルがいいわけではない。モデルのような洗練された体型でもない。ただほどよく肉付きのある少しだらしのない豊満な身体は男の視線を奪うことに長けていた。垂れ目でおっとりとしたたぬき顔もあって、身体のギャップがより男の欲を掻き立てるようだった。
私自身は、そんな欲に消費されるのはごめんだった。
ちゃんと外見だけではなく、内面で私を見て欲しかった。ただ、結局付き合った男は皆口では甘いことを言いながら、私の身体が欲しいだけだった。それを理解できず、認めることができず、本当に素敵な男性がいるはずだと綺麗な夢を見続けた結果、私は見事に裏切られた。
「君の優しくて穏やかなところが好きなんだ」
直哉。
マッチングアプリで出会った彼は爽やかで誠実な男性だった。半ば男という生き物への期待が失せていた頃にやけくそで手を出した最後の手段で私はついに運命の人と出会った。二年程付き合い、私達は晴れて結婚した。
しかし、運命も直哉も全て嘘だった。
結婚して半年程が過ぎると、直哉の帰りが遅くなった。出張が続いているという彼の言葉を疑いもしなかった。そのあたりから営みが淡泊になり、回数も目に見えて減っていった。私からなんとなく誘いをかけてみても、やんわり拒絶されたり疲れていると背を向けられた。
少し前までは貪るように愛してくれたのに。
募った不安が疑念として増幅されていくのは当然だった。一度疑いを持てば直哉の全てが怪しくなった。今まで忌み嫌ってきた夫のスマホを盗み見するという行動原理に初めて納得がいった。そして、やはり人のスマホを覗くべきではないという言葉も身をもって痛感した。
「君の身体が本当に好きだったけどさすがに飽きた」
彼のスマホから複数人の異性とのやり取りを見つけ問い詰めると、冷めきった無表情であっさりとそしてどこまでも深く残酷な言葉で私を抉り切り裂いた。
結局私は身体だけで、最後にはその身体すら不要とされた。私はあっけなく破棄された。
笑うしかなかった。こんな惨めな人生あるだろうか。
直哉と別れてからの私はぼろぼろだった。部屋から出ることはおろか、食べる気力すら湧かない中で、それでも生きることはやめられなかった。
AV、風俗。身体しかないのならいっそ飛び込んでやろうかと思った。全ての男に復讐するように、私の身体に溺れさせ破滅させてやろうかと本気で思った。けど、そこまで豪胆な性格は持ち合わせていなかったし、なにより男に触れられるのはもう生理的に無理だった。
そんな時に私はチャットレディという仕事を見つけた。
画面を通じて会話をしたり、時にはいやらしい姿を見せあう。それだけでうまくいけば高収入も見込める。
ーーこれなら私にも。
暗い部屋の中で私はマウスカーソルを新しい入口へと動かした。
*
「元気っすね」
「え?」
「いや、いつもこんな夜中にハンバーガーとかジャンキーなもの食べてるじゃないっすか」
訝しげに顔を上げて目線を合わせたが、配達員の若い男に悪びれる様子はまるでなかった。
必要な買い物は基本ネットで済むし、食事に関してもデリバリーで完結できる。
便利な世の中になったものだ。人となるべく触れあいたくない私にとってはありがたい社会だった。
ただ、矛盾しているようだがそれでもこうやって生身の人間と向き合う瞬間は必要だった。最初の頃は完全に置き配にしていたが、あまりにも自分が惨めすぎて少しは頑張ろうと思い、せめてこういった場面ぐらい人と接しておこうと思ったのだ。なんだかんだ、トラウマを抱えながらも人肌恋しさが僅かながら残っていたのだ。
そんな限定的な空間の中での数少ない接点が彼だった。この近くに住んでいるのか、何度か配達で顔を合わせていた。いつもなら礼を言って品を受け取って終わりなのだが、気まぐれなのか今日は彼の方から声を掛けられた。
「たまにはサラダとかも食べて運動もしたほうがいいっすよ」
金髪で屈託のない少年のような幼い笑顔が可愛らしいが、その笑顔に似つかわしくない引き締まった筋肉が衣服の上からでも見て取れた。彼の言うようにバランスの取れた食事と運動の賜物なのかもしれない。
「余計なお世話よ」
「余計なお世話が好きなもんで」
思わず頬が緩んだ。こんな暗い引きこもり女に自ら話しかける奇特な人間もいるもんだなと思ったが、ふと視線を下げると部屋着とはいえ遠慮のない胸元と太ももが露わになった姿に、あぁ結局そういうことかと一気に気持ちが萎えて扉を閉めた。
ーー男なんて結局。
そう思いながらも、彼のあどけない笑顔は妙に頭の隅に残ったままだった。
*
「ふぅ……」
缶チューハイを煽りながら一息つく。ほどほどに酔いが回っている方がいくぶんか大胆になれる。冷静な脳をだまして開放的になればそれだけ男は食らいつき金を落としていく。どこまでも堕ちていく一方だなと思いながら、こんな簡単なことで金を稼げる社会に、今までの堅実で実直な生活はなんだったのかと馬鹿らしくなった。
【アイカギさんが入室しました】
小休止の後、再び待機画面に入るとすぐに入室のメッセージが表示された。
「あ、アイカギさん。こんばんはー、はじめましてかな? 来てくれてありがとう」
お決まりの挨拶と笑顔でまだ見ぬ文面だけの相手に呼びかける。
【優しそうな雰囲気でとても素敵ですね】
この程度の褒め言葉で浮かれたりはしないが、ひとまず一次試験は合格だ。粗暴な言葉遣いの場合はそもそも相手にせずブロックして運営に報告対処してもらうので、まず最低限の会話ができる時点で良しだ。
「アイカギさんこそ丁寧な感じがして好感が持てますよ。良ければもっとお話しませんか?」
ぐだぐだやり取りするのは面倒なので、私の場合すぐに対面の会話に持っていく。それで無理なら去ってもらえばいいだけのこと。どうせお互い使い捨てなのだ。いちいち小さなことを気にする必要はない。
【では、お言葉に甘えて】
アイカギとのツーショット対話へと画面が切り替わる。ここからが本番だ。どれだけ文章や言葉を綺麗に飾っても、その言葉を操る人間が綺麗であることはない。ここに来るような人間は皆そうだ。
「はじめまして、アイカギと名乗ってます。よろしくお願いします」
そう思っていた。
「どうしました? 僕のどこか変だったりしますか?」
「い、いいえ。ちょっと、びっくりしちゃって」
「びっくり?」
「あの、単刀直入に言うと、カッコイイなって」
「さすがですね。お世辞でも嬉しいです」
「お世辞なんかじゃ……」
簡素な部屋に映し出されたアイカギという男は、こんな場所には似つかわしくない白いシャツが似合う清潔感のある透き通った塩顔のイケメンだった。
「レイさんって呼んでいいんですよね」
「は、はい」
「何で僕より緊張してるんですか。変なの」
ころころと笑う顔は子犬のように可愛らしかった。
ーー調子が狂うな。
小汚く冴えない男性ばかりを相手にする日常に慣れ過ぎてしまっていた。良くも悪くもどうでもよいと振り切って己を切り売りしてきた。しかしここにきて、そんな私のライフスタイルを躊躇わせる存在が唐突に現れてしまった。
恥じらい。
それは絶望と共に失くしたはずの感情だった。画面を通して肌を露出する度に削れていったはずの自尊心はどうやら消えていなかったらしい。
「嫌がらせですか?」
気付けば自然と尖った言葉が飛び出していた。「え?」と笑顔を崩さず私を見つめる彼の顔に急に苛立ちを覚えた。
「その見た目なら女性に困らないはずですよね。そんな人がわざわざこんな所に来て、冷やかしのつもりですか?」
やってしまった。相手に非がない限り、もしくはそういったプレイの一環として同意がない限り、相手を無防備に罵る言葉は当然NGだ。度が過ぎる要求や無礼な態度を向けてきた相手に対して強い言葉を吐いたことはあるが、こんな事は今までで初めてだった。
駄目なことだとは分かっているが、自分を抑えることができなかった。どことなく柔らかい雰囲気も直哉を思い出させて余計に腹が立ったのかもしれない。
「ほら、私の身体が見たいんでしょ。惨めな姿を見て笑いものにしたいんでしょ」
乱暴に上着を脱ぎ胸を露わにする。豊満な乳房を見せるだけで男達は鼻の下を伸ばして私の身体に魅入った。今やそれがもう心地良い段階まできてしまっていた。だがそれは間違いだったと気付いた。
私はずっと馬鹿にされているだけだったんだ。
上に立っているつもりだったが、それは男側も同じだ。小汚く見すぼらしいと思っていた彼らも、金を出せば思う通りになる馬鹿な女だと見下ろしているのだ。
「服を着てください」
沸騰しそうな頭に文字通り冷や水をかけるような冷たい声音だった。
「そんなことをして欲しいって、一言でも頼みましたか?」
アイカギから笑顔は消えていた。冷たく固い射るような視線が私に突き刺さった。
「じゃあ、一体何なんですか」
「僕はレイさんの優しそうな雰囲気が素敵だと思ったから来たんです。そんなことは望んでいません」
答えになってないと思った。だったらこの場所である必要はないだろう。現実でもアプリでも、こんないかがわしい場所を利用する必要はないはずだ。ただ、彼の言葉や表情に偽りがあるようにも見えなかった。
「……ごめんなさい」
冷静を取り戻しながら私は服を着直した。
私は、何をやってるんだろう。
「失礼なことを言ってしまって、本当にごめんなさい」
彼の考えや意図は分からない。ただ私が無礼を働いてしまったのは事実だった。私は誠意を持って頭を下げた。
「いえ、こちらこそすみません。僕がからかうようなことを言ってしまったからですよね」
そう言って彼も私に謝った。
「やっぱり真面目で良い人ですねレイさん」
「え?」
「悪いと思ったら謝るって意外とできない人多いですよ」
彼の表情には笑顔が戻っていた。
「僕の言動や態度で気分を害してしまったなら申し訳なかったです。今日は一旦出ますね。でも良かったらまたちゃんと話したいです。それでは」
そのまま彼はさっと私の言葉を聞かず出て行ってしまった。退出する前に数万円にあたるポイントが送られていた。
*
「牛丼とはまたパワフルっすねお姉さん」
「ほっといてよ」
配達員の彼は相変わらずで、商品を渡して終わりではなく変わらず二言三言話しかけてきた。あれ以来注文を受け取る際の服装は気にして肌の露出は減らしたが、とくに彼の反応に変わった様子はなかった。
みちのり。配達員名に表示された名前も自然と覚えてしまった。
チャットが終わるのが深夜帯なので、おのずと注文する時間帯もだいたい同じだった。その時間帯と稼働時間が合っているのか、彼から宅配される頻度はまあまあ多かった。こんなにも同じ配達員に当たるだろうかと不審がる部分もあったが、結局のところ私はみちのり君を受け入れ始めていた。私みたいな擦り切れた人間にも、軽快であつかましくあけすけな態度で接してくるところが心地よかった。
「また注文待ってますよお姉さん」
にかっと笑って去っていく彼に、私は自然と小さく手を振っていた。
ーー何やってんだか。
部屋の中だけで完結している世界のくせに、結局私は寂しいのだ。
配達もチャットも、自分が一人じゃないと思う為に、私と外の世界をなんとか結ぼうとあがいている結果だ。でも私は出れない。そこまでの勇気はない。傷や痛みを負わずに生きるのは不可能だ。できるかぎり、そんな思いはしたくない。もう私は傷つきたくないのだ。
そうして今日も私は痛みを恐れながら、ぬくもりを求める。
部屋の中で牛丼を頬張りながら、こんなものも食べれるほどには元気になった自分がどこか滑稽だった。
*
「本当に君は僕の天使だよレイちゃん。死んでも僕は君の事を守るからね」
「ありがとうタカシさん。本当に嬉しいよ」
じゃあねと下着を履き直しながらタカシがこちらに手を振ってくる。笑顔で手を振り返すと犬のように嬉しそうな笑顔を浮かべ、名残惜しそうに退出していった。
何人かいる常連の中で一番の上客である彼は私の生命線の一つではあった。
見た目の醜悪さこそあれど、私を一心に求め応援しあくまで低姿勢で私の身体を求める姿勢は、金銭はもちろん客として非常にありがたい存在だった。大袈裟とも言える綺麗ごとを平気で本気で口にするあたりも初めの頃は気味悪くむずがゆかったが、慣れてしまえば何とも思わなくなった。
タカシは単純に私とのエロチャットだけが目的で、むやみにプライベートに踏み込んでくることはなかったので気は楽だった。身体を見せていやらしい言葉を投げかけてあげれば犬のように喜んだ。この人にとっての楽しみは本当に自分しかないんだと思うと、哀れでもありそれでいて希望となり得ていることに少なからず満たされている自分がいた。
「でも最近少し寂しいな。あんまりこんなこと言いたくないけど、別の人が君の時間をとっていくのが悔しいよ」
「ごめんね待たせちゃって」
決して人気があるわけではないが、こんな私にも固定客は何人かいた。いちばんの古株であるタカシからすれば悔しいだろうが、私としては仕事なのでもちろん客は多いに越したことはない。ただ最近タカシが私の時間を取れなくなっているのには別の理由がある。
「いや、いいんだ。レイちゃんは別に僕だけのものじゃないから」
「タカシさんのそういう優しいところが素敵で好きだよ」
言いながら頭の隅に浮かぶのはアイカギの姿だった。
「良かった、ブロックされてなくて」
苦い初対面ではあったが、アイカギは本当にまた来てくれた。
「この間は本当にごめんなさい」
「こちらこそですよ。でも本当に良かった。またこうして話せて」
真摯な言葉と笑顔はやはり魅力的だった。なまじ顔立ちが整っているから余計に画になった。
そこから彼としばらく他愛もない雑談をした。趣味や仕事や、お互い踏み込んでいい範囲を探るようなこそばゆい会話を続けるうちに次第に空気はほぐれていった。ただ初回と同じく彼が私の身体を求めることはなく、たまらず私はその疑問を口にした。
「話すだけでいいんですか?」
「はい、もちろんそれで十分ですけど」
「そうですか……いや、ここってそういう場所だから」
「あぁ、まあそういう人もいますよね」
チャトレには種類があって、完全にアダルトな要素を排除したものも存在する。ただ私がいる場所はメインがエロ目的だ。実際私が相手をしてきた男達から求められるものはキャバクラのような接待ではなく視覚と聴覚から得られるライブ感のある性的コンテンツだ。
だからこそアイカギは異質な存在だった。彼からはそういった性的な空気が一切感じられなかった。故にどうしてこんな場所にいるのかが不思議でならなかった。だからこそ前回は戸惑い、不安定な心が乱されつい言葉を荒げてしまった。和解はできたものの、彼の謎はまだ解けていない。
「やっぱり変ですか?」
「変、というか。うん、まあ変ですね」
「はっきり言われちゃうと悲しいな」
言いながら笑顔を見せる彼に傷ついた様子はなかった。
「女の人に興味がないってわけじゃないですよね?」
「はい。今まで何人か女性と付き合ったことはあるし、そういった行為ももちろん経験はあります」
「でも別にここにそういったものは求めてない?」
「そうです。なんていうか……ここに来てどうこうなるってもんじゃないとは思うんですけど、ここじゃないといけないって理由はあります」
「理由って?」
彼は少しだけ言い淀んでから口を開いた。
「少し前に付き合っていた子がいたんです。ヒロって子で、自分では良好な関係を築いていたつもりだったんですけど、結果的に別れを切り出されました。その子が使っていた場所がここなんです」
「え、どういうことですか?」
これだけじゃ分からないですよね、と苦笑いを浮かべ彼はここに至る経緯を説明してくれた。
『あなたとは相性が悪いみたいだから』
別れの言葉は短かった。相性とは何のどこまでを指しているのかも分からず終わってしまった関係性に困惑しながらも、時間の流れと共に心の靄は徐々に薄まっていった。
『これ、あの子じゃない?』
半年程が過ぎたころ、知人から見せられた画面を見て思わず目を見開いた。そこに写っていたのはPC画面の中で上半身を露わにしたヒロの姿だった。
「それが、ここだったんですか?」
「はい。彼女はここでそういった配信をしていたようです。誰が撮って流出させたのかは分からないですが、間違いなくヒロでした」
「ヒロさんとは、その……」
「見つけられなかったです。そもそももういませんから」
「え?」
「ヒロは死にました」
はっきりとした理由は分からない。ただこの画像が流出して間もなく彼女は飛び降り自殺で亡くなったそうだ。
「流出させた犯人が誰かは分かりませんし、別に犯人捜しをしようと思って利用しているわけでもありません。ヒロは、僕と付き合う前からここを利用していたようでした。相性が悪いっていうのも、なんとなく性的な部分で価値観が違ったのかなとか思ったりします。彼女が何を思って、何故死んだのか、付き合ったのも数か月程度で分からないことだらけで、どうにも彼女のことが頭から離れなくて、それで少しでも彼女に近付きたくて、ここにいる人と話したりしてるんです。自分でも正直こんなことして何の意味があるかなんて分かってないですけど」
何か言ってあげたいが、言葉が詰まって結局何も言えなかった。
確かに彼の行動に意味はないのかもしれない。死んでしまった彼女にしか全ては分からないし、ここにいたって答えに辿り着くことはないだろう。でも、彼女の残り香に触れることが無意味なものに意味を与えてくれるものなのかもしれない。
もう二度と触れることのできないものに、なんとかして近付きたい。
どこかその感覚は、世界との距離が壊されて曖昧になってしまった私と似ているような気もした。
「ごめんなさい。辛いことを聞いてしまって」
「そんな、僕の方こそすみません。こんな話されてもどうしていいか分からないですよね」
「なんだか、私達謝ってばっかりですね」
不思議な感覚だった。身体を見せることが前提のコミュニケーションの場において、一切お互い衣類を脱がずに会話している状況が不自然で、そう思っている自分もどこかおかしかった。
「どうしたんですか?」
「あ、いや、いつもなら胸とか見せるのが普通だから、普通に喋ってるだけっていうのがなんだか変で」
「それ他の女の子にも言われました」
「女の子の前で別の女の子の話するのもタブーですよ」
「そうなんですか?」
「冗談ですよ」
「参ったな、どうにも女性の気持ちってのが分かってあげられなくて。ヒロの時もそうでした。入れ替われたらいいのになって」
“君の身体が本当に好きだったけどさすがに飽きた”
もし入れ替わりができたら、直哉の剥き出しの気持ちや考えを直接浴びることになるのか。
ーー絶対に嫌。
記憶の毒が全身を浸食する気配がして慌てて振り払う。あの男のせいで全てが狂った。今を保つのに必死な毎日を送っている。
私は、私以外の誰にもなりたくない。でも何一つ辛い目にも会わず、まともな人生を送る誰かにもなりたい。
まだまだ私はぐちゃぐちゃだ。いつか私はまたまともに戻れるのだろうか。ただ、なんとなく今周りにいる人間の影響で私の心の扉は少しずつ開きつつある。
その内の一人は間違いなくアイカギだった。
*
「最近なんだかいい感じっすか」
「何よ急に」
「なんか雰囲気前より明るくなってる気がするっす」
「そうかな」
「ほら。表情がなんつうか、やわいっすもん」
「何よやわいって」
「優しいって事っす。前まではなんつうか、カチカチっす。岩っす岩」
「みちのり君って友達いないでしょ」
「いるっすよ。失礼っすね、お姉さんよりは絶対いますよ」
「そういうとこを言ってるんだけどなぁ」
みちのり君との会話は会うたびに増えて長くなっていった。深夜マンションの玄関先なので数分程度に過ぎないが、本来商品と金銭の受け渡しだけで終わるはずの関係性を思えばそれなりに長い時間話していると思う。
少しばかりデリカシーのないところや抜けているところもあるが、人懐っこく愛嬌もあるので不快さを感じさせない人たらしの素質があった。きっと誰とでもこんなふうに話せるのだろうと思うと正直羨ましく思った。
「そろそろ次行った方がいいんじゃない」
「えーなんすか、俺と話してるのイヤっすか?」
「そんなんじゃないけど、私なんかに時間使ってたらお給料減っちゃうよ」
まさに自分が時間によって給料が変わる仕事をしている分、どうしても気になってしまう。
「言っときますけど、俺誰とでもこうじゃないですからね」
すっと笑顔を引っ込め、みちのり君は私から少し目を逸らした。
「お姉さんだから、ちょっとでも話したいなって思ったんです」
「え、な、何よ急に」
「今日はもう行きます。だから、返事欲しいっす」
「返事?」
そう言ってポケットから小さな紙をすっと取り出した。何かのアカウント名が書かれているようだった。
「俺はお姉さんともっと仲良くなりたいです。配達員としてじゃなく、一人の男として。だから、もしお姉さんも良いと思ってくれたら連絡ください。連絡なかったら、もうお姉さんのところに配達は行きませんから」
そして彼はそのまま背中を向けて行ってしまった。私は彼から受け取った紙に視線を落とした。
ーー今のって、もしかして告白?
扉を閉めた後も、心臓が高鳴ってしばらくその場から動けなかった。
*
そろそろ配信の時間だというのに、PCの前に座ってもどうにも気持ちが落ち着かなかった。
一番はやはり昨日のみちのり君の告白のせいだった。性的な目線を抜きにしたあまりに真っすぐな言葉に私は困惑していた。
もちろん嬉しい気持ちはあった。少なからず彼に対して好感は持っていた。ただそこに異性として恋愛の成分がどれだけ含まれていたかと言えば、そんな意識はまるでしていなかった。
だからこそひどく戸惑っている。今の私にとって彼の想いは受け止めるのにあまりに強く大きすぎた。ぐるぐると頭の中でみちのり君の顔と言葉が巡り全ての思考の邪魔をした。
そんな気持ちがまとめられずおさまらないまま一日が過ぎた。当然彼から渡されたアカウントにはまだ連絡していない。
何かしていないと落ち着かない。いつものように振る舞えるかは分からないが、何もしていないよりかは気持ちは紛れるだろうと思いチャットを始めることにした。
みちのり君が知ったらどう思うだろう。気持ちを伝えた相手が連絡も寄こさず、見ず知らずの男達の前で性を売り物にしてるなんて知ったら幻滅するだろう。こんな私でもいいかと聞いたら、彼はどう答えるだろう。
駄目だ。またみちのり君のことを考えてしまう。
気を取り直して私は仕事を開始した。
【アイカギさんが入室しました】
開始してすぐに表示された文字に思わず気持ちが上気した。
助かる。彼なら一番安心して落ち着いてやり取りできる。なんだったらみちのり君のことを話してもいいかもしれない。とにかく今まさに一番来てくれてありがたいお客さんだった。
「今日もありがとう。私はいつでも大丈夫ですよ」
そしてすぐに画面が切り替わり、アイカギ側の画面が映し出される。
ーーえ?
瞬間、映し出されているモノが何なのか理解できなかった。
いつもの簡素な部屋の背景。普段ならそこに座るアイカギの上半身が映っているはずだった。だが今画面に映し出されているのは、一糸纏わぬ全裸の男が真っすぐこちらを向いて立っている姿だった。
「イレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロイレロ」
白目を剥いて涎を垂らしながら股間を屹立させながら、イレロイレロと繰り返す男の顔は間違いなく今まで見てきたアイカギの顔だった。だが今見ているモノが私の知っているアイカギなのか分からなかった。
あれだけ性について無臭だった彼が、何故全裸で立っているのか。
繰り返す言葉の意味は何なのか。
私は慌てて彼との通話を強制的に切った。
【ハイレマシタ】
アイカギから送られたメッセージを見て私は戦慄した。震える手でマウスを握り、アイカギをブロックした。
ーーなに、いまの。
うまく呼吸ができない。今起きたことの理解が追い付かず頭がクラッシュしそうだった。
あれはアイカギだったのか。私が見たあれは何だったんだ。
“ハイレマシタ”
入れたって何に? どこに?
アイカギって、そういうこと? じゃあ最初から?
駄目だ。怖すぎておかしくなりそうだ。
大声で喚き散らしたい衝動にかられながらも、うまく声を出すこともできない。
【タカシさんが入室しました】
ふいに画面に表示されたメッセージが目に入る。
私はすぐに彼を招き入れる。誰でもいい。助けて。傍にいて。
画面が切り替わり、見慣れた不潔なタカシの顔が映る。
「あぁレイちゃん、大丈夫。大丈夫だからね」
挨拶もなしにタカシは深刻な顔で私を見ながらよく分からない言葉を口にした。
「やっぱりそうだ。ずっと変な感じしてたから。大丈夫。僕がなんとかするから。僕の天使を誰にも傷つけさせないから」
彼は一体何を言っているんだろう。そう思っていたらタカシは椅子から立ちあがり乱暴に服を脱ぎ捨て裸になる。また全裸だ。お前もなのか。もう勘弁してくれ。
「どうだ! 醜いだろ! 生きている人間にしかないものだ! でていけ! さっさとでていけ!」
タカシがこちらに向かって大声で叫び続けた。
「僕が守るんだ! レイちゃんを、僕が! クソが、でていけ! でていけよさっさと! 早くそこからーー」
途端ぶつりとタカシの画面が真っ暗になった。回線が死んでしまったのだろうか。しばらく待ってみたが、彼の画面が復旧する様子はなかった。
疲れきった私はPCの電源を切った。
いっぺんに色んなことが起きすぎた。
もう嫌だ。何もかもが意味不明だ。アイカギも、タカシも。
ハイレマシタ。
デテイケ。
タカシは何がしたかったんだろう。
彼はもしかして何かから私を助けようとしてくれていたのだろうか。
ーーもう疲れた。
私はPCを離れベッドに寝ころんだ。
頭がぐちゃぐちゃだ。何も考えたくない。
私は全てを拒否するように目を閉じた。
*
「ごめんね、遅くに」
「いや全然いいっすよ。この時間はいつも起きてるから」
部屋の中で、私の隣に今みちのり君がいた。
あまりに自分勝手なことは分かっている。それでも、今頼れる人間はもう彼しかいなかった。
「大丈夫っすか?」
「大丈夫じゃないから呼んだんだよ」
「そっすよね」
本来なら彼にまず返事をするのが礼儀だ。それをないがしろにして、恐怖と混乱で眠れず誰かを頼りたいというわがままを優先して私はみちのり君を呼んでしまった。申し訳ないとは思いつつも、自分が壊れてしまいそうでどうしようもなかった。
「こんな時に言うのも変かもしれないっすけど、嬉しいっす」
「え?」
「どんな形であれ、俺を頼ってくれて」
「あぁ、うん。君しか頼る人いなくて」
「消去法か……まぁでも、選択肢に入れてるだけいっか」
「ちがっ…そういう意味じゃなくて」
「いいんすよ。どっちにしろこれは俺にとってもチャンスですから」
「チャンス?」
次の瞬間、彼が勢いよく私に覆いかぶさってくる。凄まじい力で組み伏せられた。声をあげようとしたところで、振り下ろされた拳で遮断された。
「はいれました」
にかっとみちのり君は私に向かって笑った。
彼の目は真っ白で、口からは泡と涎がこぼれ、ぼたぼたと私の顔や身体に垂らされた。
ハイレマシタ。
アイカギが発したものと同じ言葉に血の気が引き、絶望が押し寄せた。
男なんて結局。
そう思った瞬間もちゃんとあったのに。
あの時の私が正しかったのに。
私の中にナニカが入ってくる感触と共に、私の意識は奪われるように遠くなっていった。




