何故とも知らぬ我が逃亡
よ う こ そ
気狂いのようになった私をアンナが落ち着かせるには、小一時間はかかったようである。しかし、その間で、私は理に適う説明など一切できていなかった。私が深呼吸をして顔を上げたとき、そこには真っ青になったアンナと、険しい顔をして床を見つめるユーリと、困惑した様子で部屋を行き来するハンスと、不思議そうにこちらを見つめるレナがいた。皆に共通していたのは、何が何やらまったくわかっていないということだった。私は頭が冷えていくような感を覚えた。
「……それで」
私は取り乱していたことなどまるでなかったことにするかのように言った。だから、なおさら彼らは呆然と私を見た。改めて取り乱しても仕方がないので、私はもう一度ゆっくり息を吸い、話を続けた。
「何者かが狼藉を働きにきたのですわ」
「あなたの部屋に?」
と、ユーリが私の前に跪きながら尋ねた。私は彼の目を覗いた。星空のように未知で美しいその瞳を。それはますます私の気を鎮めた。
「ええ、私の部屋に。それから、きっとお屋敷中を荒らしていますわ」
そうでないはずがなかった。私の声ははっきりしていたし、思考も同じだけ明晰であった。しかし、彼らが返した反応はそうではなかった。もの言いたげな彼らの様子に、私は己が寝ぼけて空騒ぎをしたのではないかと疑い始めた。ユーリは慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「リタ、屋敷のどこも荒らされてなどいません。盗人がいた形跡さえないのです」
「けれど、私、襲われたのよ……誓って本当だわ」
「もちろん、その話を疑っているわけではありません。もう一度、詳細を話してくれませんか?」
その求めに応じて、私は先ほどまで自分がしていたつもりの――そして、間違いなく無に等しかったであろう――説明を繰り返した。取り立てて話すようなことはほとんどなかった。私は襲われた、鉤針が床に落ちた、日記が消えた。これ以上騒ぎ立てるのが嫌で、私は努めて平静に話を終えた。それが功を奏したのか、私は最早物狂いだとは見做されていないようであった。彼らは黙り込み、しばらくしっぽりと物思いに耽った。初めに口を開いたのはハンスであった。
「やっぱり、妙じゃありませんかね?何だって、わざわざ屋敷に侵入して、日記だけを持ち去るんです?それに、リタさんの部屋は二階の一番奥でしょう」
つまり、他にも盗みに入る部屋や懐に仕舞うべきものを、いくつも目にしたはずだということである。それはもっともな考えであった。本当に、盗まれたのが日記だけならば。
「他に盗まれたものがないのは確かなの?」
私がしつこく尋ねると、アンナは物憂げな顔をして首を振った。
「ええ……あなた様がうわ言のように、盗人がいたと繰り返しおっしゃったので、皆で部屋を見て回りました」
「ボーさんはいなかったし、私もリタさんを見ていたので、全員で探したわけじゃないですけどね」
と、レナが小生意気に言う。誰が探したかなどは問題ではないのに。私は不平の一つ二つを正当に述べても良かろうと思い、口を開きかけた。が、少女は続ける。
「あと、外から入ってきたとは限りませんよ。だって、外の人は知らなくても、私たちは皆、日記のことを知っているわけですし」
「私たちのうちの誰かがリタ様を襲ったと言いたいの、レナ?」
アンナがさっと顔をしかめて言った。レナは意味ありげに肩をすくめた。おかげで、途轍もなく重苦しい沈黙が流れ始めた。誰も互いに目配せすらせず、ただ何とかして、レナの言葉を見事な冗談として笑い飛ばそうとしているようであった。しかし、部屋の中では呼吸一つ聞こえないように思えたし、私もとても笑ってやる気分にはなれなかった。それは、縁起でもないとも、的外れだとも思ったわけではなく、むしろ、的を射た話だと考え始めていたからである。頭の中をやかましく駆け回り出したその考えを振り払うことは、私にはできなかった。
「……誰がやったの?」
私の声は震え、か細かったが、それははっきりと皆に聞こえたようであった。彼らは一斉に私を見た。私の頭は冴え渡っていて、さながら審判者のように、一人一人を吟味する余裕を持っていた。混乱していたことをすっかり忘れてしまうほどには、私はこの事件を解決できるつもりでいたのである。
「ユーリ、あなたではありませんわね。だって、日記なんて、一言私に告げるだけで返してもらえますもの」
「ええ、それはその通りですが、彼らは――」
ユーリは彼の従僕のために弁明を始めようとしたけれど、そのような話は聞きたくなかった。だから、私は彼から目を逸らし、小さなレナを見た。
「レナでもありません。あんなに小さな手ではなかったわ」
「人の首を絞めてまで、あの日記を読みたいとは思いませんし」
レナは無表情でぼやいた。この場で一番落ち着いているのは、何だかおかしな気がするけれど、やはりこの娘だった。私は彼女の冷淡さを真似て顔を上げた。
「だから、アンナか、ハンスか、あとは厩番のボーでないとおかしいわ。ボーはどこにいるの?」
「日が昇る前から出かけております。ですが、リタ様、どうか落ち着いてくださいまし。私たちの誰かが犯人だなんて……」
アンナが私を宥めようとして歩み寄ってきたのを、私は咄嗟に身を引いて避けた。彼女の傷ついた表情さえ、そのときの私の目には入らなかった。ハンスがその場から動かないまま、穏やかに開口した。
「まだ神経が昂ってるんじゃありませんか、リタさん?どうです?食事でも取って、少し落ち着くというのは」
その提案には、皆揃いも揃って賛同しようとしているようであった。ハンスが早くも支度に取り掛かろうと動き出したので、私は訴追の手を緩める他なくなった。私が噛みつくとでも思っているのか、アンナは私に近づこうとはしなかったし、レナは気付けばいなくなっていた。私はユーリにそっと歩み寄った。
「あの日記には、何か重大な秘密でも隠されているのかしら?」
「いえ、そのようなことはありません。それならば、簡単にあなたに貸し出すようなことはしなかったでしょう」
「それなら、どうして日記が盗まれるのでしょう?」
「わかりません。しかし、本当に盗まれたのだとすれば、少々堪えるところがあります」
そう言って、ユーリは目線を落とした。あの日記には二世代分の記録が残されているのだし、それを召使の誰かに持ち去られたとなれば、衝撃を受けるのは当然であった。どうしてしっかり隠しておかなかったのだろう、と私は己を呪った。
「本当にごめんなさい、厚意で貸してくださったのに。けれど、きっと取り返してみせますわ」
「あなたが責任を負わなければならないことなど、一つもありませんよ」
「でも……」
私はどうにかして彼の助けになりたかったけれど、口ごもることしかできなかった。騒ぐばかりで物事を自力で解決する力がないということを、いつも私は忘れる。そして、そのことを思い出す度に、虫唾が走るのだ。髪を掻きむしり、衣服を引き裂き、肉体を抉りたくなるほどに。
私が己の無力さに撃ち抜かれ、動けずにいる前に、ユーリは物思いに耽るように立っていた。そして、言葉を選り抜き、実直な心の宿る眼差しと共に、私に語りかけた。
「リタ、よく聞いてください。あまり考えたくはありませんが、私に敵対する人物の手の者が屋敷に潜んでいた可能性は大いにあるのです。もしそうだとすれば、あるいは、祖父と父が残した記録も何かしらの意味を持つかもしれません」
「それならば、なおさら犯人を見つけなくては。私でも、きっとお役に立てますわ」
「……そうかもしれませんね。ですが、どうか敵に挑もうとすることだけはしないでください。それは私の責務であって、あなたのではありません」
その言葉は、私に振るべき白旗を渡しているようなものであった。素直に受け取るよう教えられてきたものでありながら、誰の目にも止まらない虚無の産物。誰かが、いつもそれを私の手に握らせた。しかし今、その誰かはここにはいない。
「私、やられたまま逃げ隠れるのは嫌ですわ。それに、あなたは私にとても良くしてくださいました。その恩を私はまだ返していないではありませんか」
言によって食らいつく私を見つめるユーリの、何と遠い存在に見えたことだろう。彼は目の前にいて、しかも優しく私の手を包んでさえいるのに、触れることさえできないかのように私には思われた。
「それでいいのです。あなたが危険を冒すくらいならば、恩知らずだとわかるほうがいい。その程度のことで、私はあなたに対する考えを変えることはありませんから。この闘争で、祖父は行方知らずになり、父は早くに命を落としました。私自身がどうなろうと、それは仕方のないことです。しかし、あなたや、他の人々に危害が及ぶようなことことがあれば、私は己を許せないでしょう」
その無限の瞳の奥に、私は彼の激しい葛藤を見た。その悩みを解き、丸ごと飲み干してしまえれば良かった。帰る場所がここであるなら、私はすべてを明け渡しても構わないのに。
「わかっていないわ、ユーリ……あなたは、くだらない争いに巻き込まれて転落していいような方ではありません」
「いいえ、私は矛盾と悪意を抱えた人間なのです。生まれながらにして」
ユーリは温度のない音で言い放つと、私の手を離し、ゆっくりと歩き出した。反論の余地も与えられず、物理的な距離まで取られた私が、彼の心に触れる術など持っているはずもなかった。私は食事の席には行かないことにして、誰にも言わずに部屋に上がった。床に落ちたままであった鉤針を拾い、日記がありはしないかと戸棚や寝台の下を覗いて、結局落胆することになった。
しかし、犯人が身近にいるということに、私は疑いを持っていなかった。それでも、アンナやハンスが私に危害を加えるとは思えぬ。だから、きっと厩番のボーなのである。あの男は何を考えているのやらわからぬし、長く屋敷にいるということだから、老獪であると言われても頷ける。それに、早朝から出かけているというのも、何とも都合のいい話ではないか。今頃、持ち出した日記を本当の主の元へ運んでいるに違いない。となれば、日記を取り戻すのは難しいかもしれないが、今すぐに追いかければ逃げる前に捕まえられるかもしれない。
そう思い立つと、私はいても立ってもいられず、大急ぎで身支度を整え、階段を駆け下りた。正体がわかってしまえば、最早襲撃犯も怖くはない。私は勢い込んで食堂の扉を開け放った。彼らはこの日ばかりは一堂に会していて、突然やってきた私をきょとんとして見つめ返した。
「ボーだと思うの」
私はあらゆる説明を飛ばして言った。期待した言葉は特に返ってこなかった。困惑した沈黙の後、憂鬱な顔をしたハンスが口を開いた。
「どうですかね。いや、ボーの奴がやったってことなら、僕の容疑が晴れてくれるってんで、ありがたい話ですが」
「あなたのことも、アンナのことも、疑いたかったわけじゃないの。ね、とにかく、ボーだと思うわ。あの人でなかったらおかしいもの」
そう言いながらも、私はユーリのほうを見ることはしなかった。このような行動を好ましく思う者など、どうせそう多くはないのだ。何にせよ、これは私だけのためではなく、彼のためでもある。顔色を窺っていては始まらない。
「……ボーなのだとしたら、ひょっとして、もう戻ってこないのではありませんか?」
アンナが俯きがちに言った。
「私もまさに同じことを考えていたの。だから、今すぐに発って、足取りを追うつもりよ」
「リタ!」
と、ユーリが咄嗟に叫んだ。言いたいことはいくらもあったようだけれど、彼はそれをすべて言外に込めるに留めた。やはり、私は彼と目を合わせられなかった。
「いけません、リタ様。ボーを探すなら、私が参ります」
アンナはユーリに同調して慌ただしく立ち上がった。しかし、ちょうどそのとき、外から馬車の音が聞こえた。そう、厩番のボーが帰ってきたのである。
「どうやら、探しに行く手間は省けるみたいだな」
そうぼやきながら、ハンスはのろのろと腰を上げた。レナはただ一人、依然としてせっせと手と口を動かしていたのだが、ふと食べ物を飲み下し、目立とうとするかのように首を伸ばした。
「でも、ボーさんじゃないと思いますけど。見るからに旦那様に興味がないみたいですし」
彼女の言うことは誰も気に留めなかった。私は一番に食堂を飛び出し、玄関まで早足で向かった。背後には、アンナの存在感のない気配を感じた。彼女は足音を立てないのに、ほとんど走っていて、私を追い抜いて外に出た。厩番のボーは興味なさげに私たちを交互に見た。
「日記はどこ?」
私は礼節も何もなく尋ねた。ボーは顔をしかめ、呆れたような目線をアンナに投げた。気狂いを前にしたときのように。もちろん、アンナはそれに応えなかったけれど。
「……旦那様の日記を持っているのですか?」
アンナは静かに言った。ボーはさらに顔を歪め、まともな人間がいないかと探すように、扉の向こうに目をやった。
「この嬢ちゃんたちは、どうしたってんだ」
彼が唸るように呟くと、私の背後からハンスの声がした。
「いやね、誰かがリタさんの部屋にあった旦那様の日記を盗んだもんで、騒ぎになってるんですよ」
「それで俺を疑うか。老いていいことなんざ、一つもありゃしねえってこった。勝手にやってな。俺ぁ仕事があるんでな」
と、ボーは不躾にも私たちに背を向け、荷物を小脇に抱えて歩き出した。その年の割に強壮な背中を見た途端、私は激しい怒りがふっと湧き上がるのを身体の中に感じた。私は力強くこの腕を押さえつけたあの両手を思い出し、身震いし、その手の持ち主が、今目の前を去り行こうとしていると確信していた。そして、そのことを自覚するよりも早く、私は駆け出して厩番の背中を追いかけていたのだった。
「逃げられると思っているの?」
私はそう甲高く叫びながら、ボーの肩を思いきり引いた。年嵩の男は驚いたように振り返り、その拍子に荷物を地面に落とした。私はついその荷物を目で追い、そのときに気付いた。ボーは左腕に添え木をつけていた。包帯は変えたばかりには見えない。
「……それは、何?」
「一昨日だかの夜にぶつけたんだよ。旦那が知ってらぁ」
ボーが顎で私の背後を示したので、私は振り返った。ユーリはもう追いついてきていて、どこか渋い顔をしてこちらに歩み寄ってくるところであった。
「彼の言うことは本当です」
ユーリはそれだけ言い、私の少し後ろで立ち止まった。その傷がありながら両手で私に襲い掛かるなど、ボーにはできそうもない。私はおもむろにボーから手を離した。そうすれば、掴みかかった事実も立ち消えてくれるのではないかと思って。当然、そうはならないのだけれど。
「ごめんなさい……」
「ったく、これだから若い娘っ子は……」
ボーはぶつぶつと文句を言いながら荷物を拾い、さっさと引き上げていった。私は振り返ることができなかった。一体、どのような顔をして皆に向き合えばいいというのか。ここにきてようやく、私は結局己が一人で空騒ぎをしたのだと気付いたのだ。穴があったら入りたいとは、まさにこういうことを言うのだろう。ユーリも、アンナも、他の皆も、残らず私を迷惑に思っているに違いなかった。
「外は冷えます。中に戻りませんか、リタ?」
ユーリの声という糸に引かれ、私は人形のように屋敷の中へと仕舞われた。ハンスが、お腹は空いているかとか、そういったことを尋ねたみたいだったけれど、私に答える余力はなかった。私はユーリに導かれるまま、彼の書斎へと上がった。部屋は暖かかった。それでも、凍ったように失望感で強張った私の身体は緩まなかった。いつの間にか紅茶は、冷めるのを待つ運命であった。餞別に涙でも注ごうかと思ったけれど、これ以上みっともない真似をするわけにはいかなかった。
ユーリは何もせずに私の隣に腰掛けていた。時が止まったかのようであった。しかし、時というのは着実に進んでいて、存在するわけでもしないわけでもない溝を深めるばかりなのである。
「呆れていらっしゃるのでしょうね」
私が半ば独り言のように呟くと、ユーリは片手を浮かせ、すぐに自身の膝の上に戻した。
「そうとも言えるでしょう」
やはり、と私は思いきり唇を噛みたくなった。けれど、彼は続ける。
「いつになれば……どうすればあなたが私を信じてくれるのかと、途方に暮れていますから」
「信じておりますわ」
「しかし、あなたを襲った犯人を私では見つけられないとお思いだ」
そののっぺりとした声の調子に、私は思わず目を上げて彼の顔を窺った。けれど、意外にも、彼は柔らかな顔つきで私を見つめているだけであった。射止められたかのような心地を覚えながら、私は慌てて反駁しようとした。
「そのようなことは――」
「わかっていますよ。しかし、多少意地悪いことを言いたくなる私の気持ちも、あなたはきっとわかってくれるでしょう」
私はとても何かを言い返せる立場にはなかった。ただうなだれて、厩番に対峙する前、ユーリに何と言われたのかをゆっくりと思い返した。彼の言う通り、この出来事が彼の敵対者によって引き起こされたのなら、彼は慎重を期す必要がある。偶然屋敷にいるだけの部外者である私が搔き乱していいはずがなかったのだ。
「……ごめんなさい」
「謝ることではありません。ただ、あなたに知っておいてほしいのは、私はあなたの部屋の前で一晩中、番をすることさえ厭わないということです。……つまり、あなたの気が休まるなら、あらゆる手段を講じるつもりだという意味ですが」
ユーリは自ら困惑したように眉を下げた。私はつい微笑み、釣られて緩んだ心にも気付かないわけにはいかなかった。そう、すべてをユーリに任せ、もう大人しくしていればいいのだ。所詮、女の私にできることなど、高が知れているのだから。
そのように私が意を決したとき、書斎の扉が叩かれた。顔を覗かせたのはレナだったが、彼女はいつも以上に不愛想な面持ちで、少しだけ息を切らしていた。その珍しい光景に、ユーリが眉をひそめる。
「何かあったのか?」
「日記が見つかったんです」
レナはいくらも楽しげのない声で答えた。私にとっては、それは何であれ喜ばしい報告であった。
「まあ、本当なの?」
「はい……ハンスさんの部屋から」
私の安堵は一転し、不可思議な絶望感が身体の奥底から湧き上がってきた。ユーリの横顔は、彼が私と似たようなことを感じているということを物語っていた。私たちは犯人が屋敷の中にいることはほとんど確信していた。しかし、それがハンスだとは到底思っていなかったのだ。だからといって、アンナだと考えていたわけでもないのであるが。ぼんやりとした輪郭であるうちは、あらゆる推測も現実味を帯びるけれど、その具象性が高まるほどに、現実はむしろ遠のいていくものだ。
私とユーリはぼんやりとレナの顔を見つめ、しばしの間衝撃に身を任せていた。レナが不満たっぷりに私たちに呼びかけなければ、いつまでもそうしていたかもしれない。ひとまず、私たちは書斎を出て、厨房へと歩いていった。ハンスの部屋は、厨房の傍の柱の陰、ほとんど部屋とも気付かれない場所にあった。今、開け放された扉が、その柱からわずかに見えている。中で、アンナがこちらに背を向けて立ち、椅子に腰かけたハンスを逃がすまいとしていた。ハンスは私たちがやってきたことに気付くと、気の抜けた笑みを浮かべた。
「やあ、旦那様、リタさん」
その態度はひどく不気味なものに感じられた。私は部屋には入らなかった。ユーリが重々しい足取りでアンナの横を通り、ハンスの前に立った。
「……何があった?」
「レナから聞いたでしょう?僕の部屋から日記が見つかったんです」
「他人事のようだな」
「ええ、実際そうなんです。というのは、旦那様、僕にはまったく心当たりがないものでしてね」
「いい加減におしよ。まだ言い逃れをするの?」
アンナがいらいらと横槍を入れた。ハンスは力なく目線を彼女に投げ、それからまた主を見つめた。
「あなたにくどくどとものを言いたくはありませんが、よく考えてくださいよ、旦那様。僕が日記を盗んだとして、わざわざ自分の部屋に隠しますか?僕は、いくらでも物を隠せそうな場所を知ってますよ。それも、すぐには誰の仕業か判断できないような場所をね」
ハンスは異様に落ち着いていて、理路整然としすぎている感があった。私は戸惑うあまりに口を挟めなかったし、挟めたとしても黙っていただろう。この件にはこれ以上手を出さず、ユーリの判断に従うと決めたのだ。そのユーリは思慮深く口を開いた。
「お前でなければ、誰がやったんだ?」
「さてね……僕にとっては、犯人なんてどうでもいいんです。日記は見つかったんだ、この件はもう水に流しませんか?僕は、濡れ雑巾ならいくらでも触れますが、濡れ衣を着せられるのだけは御免なんですよ。それに、誰かを罰してやりたいとも思わない」
と、ハンスは低く言いながら立ち上がった。彼はアンナ越しに私を見た。その眼差しはどんよりとしていて、普段の快活さは見る影もなかった。私はそのことを心苦しく思った。そのような義理はない、彼が犯人なら。
「どうです、リタさん?僕があなたを襲ったとお思いですか?僕を罰したいとお思いですか?それで気が済むなら、僕も構いませんよ。仕方のないことですから。だけど、これは濡れ衣です。少なくとも、僕がやったことじゃないんです。だから、判断を下す前に、よおく考えてほしいんですよ」
私はすぐには答えず、身じろぎもしないで彼の目線を迎え撃った。けれど、黙っていながらも、私は思考を放棄していた。何も考えられないのか、あるいは考えたくないのか、それさえもわからないままに。私の横で、小さなレナが大人びたため息をついた。
「あんまり話すと、ぼろが出ますよ」
「出るぼろがあるならな。――旦那様、僕はどんな質問にも答えられます。どうぞ、疑いの余地がなくなるまで何でもお尋ねください」
ハンスは姿勢を正して立ち、主を熱心に見つめた。彼よりも少し背の高いユーリは、彼を見下ろしてじっと考えている。石像のように判決を待つアンナは、一度もハンスから目を逸らさないでいた。レナは欠伸をした。私だって欠伸をしたいくらいだというのに。嫌な時間を断ち切るように、ユーリがふとこちらを振り返った。
「リタ、彼に何か聞きたいことはありますか?」
その質問に、私は少々面食らった。私の頭の中は空白で、最早私はその場に存在していないつもりでさえあった。私はユーリを見つめ返し、視界の片隅でハンスの視線を意識した。何か考え出そうとしたけれど、すべては容易く水泡に帰した。私はゆっくりとかぶりを振った。ユーリは私の意思を確かめるように、しばらくじっとこちらを見つめていたけれど、私が動かないので、静かに料理人に向き直った。
「……彼女に邪な気持ちを抱いたことは?」
「はい?」
「あるのか?」
ハンスは動揺していたけれど、矢に射抜かれる兎には程遠かった。鏡のようにユーリの冷徹さを身に宿し、ハンスは慎重に答える。
「……自分より一回り若い娘さんのことをどうこう思うなんてことはありませんよ」
「よく言うわ、口を開けば散々リタ様のことを褒めそやしていたじゃないの」
と、アンナが再び口を挟んだ。彼女は水をかけられた猫のようだと私には思われた。ハンスは鋭く彼女に目をやり、初めて苛立ったような声を出した。
「綺麗で気のいい方だと言っただけさ。そして、それは事実だとお前も認めただろ?」
「確かにそうだけど、あなたは度が過ぎたわよ」
「ハンスさんは人を褒めるのが好きなだけじゃないですか?」
レナがアンナの横に割って入りながら言った。ハンスは同調するように肩をすくめた。ユーリのため息が聞こえた。レナはさらにずかずかと部屋の中に押し入った。
「まあ、リタさんみたいなお嫁さんがほしいとは言ってましたけど」
「なっ……そんなこと、言ってないだろ」
ハンスの声が震えた。時に、大人の射る矢よりも、子どもの落とした刃のほうが深手を与えることもある。逃げ惑う兎ならなおさらに。
「言いましたよ」
「お前はどっちの味方なんだ?」
その問いかけに、レナは下唇を突き出しただけだった。ハンスは何とか態勢を立て直そうとしていた。
「旦那様、僕は何も、リタさんに狙いをつけたとか、そういうことは――」
「もういい、ハンス」
そうユーリは唐突に言い放った。ハンスは安堵に瞳を輝かせたけれど、その顔つきにはすぐに影が差した。私には、こちらに背を向けるユーリの表情がわかるような気がした。ただ無表情なだけではなくて、きっと、眼差しの奥に温度のない虚空を感じさせるような面持ちなのだ。私はユーリがそのような顔つきをするところなど、見たことはない。しかし、別の誰か、私が思い出せぬ誰かがしたその表情を、不明瞭かつ克明に記憶している。だから、見ずともユーリの氷の仮面の有り様がわかるのであった。
「日が暮れるまでに出ていってくれ」
彼は唸るように言った。ハンスは茫然と主を見つめた。私は木偶の坊のように廊下に佇み、その光景を眺めていた。
「誤解です……誤解なんですよ、旦那様」
「誰もお前がやったとは証明できないが、お前じゃないと証明することもできない。私に言わせれば、それで十分だ」
ユーリは部屋に背を向けて歩き出した。彼と目が合ったそのとき、私は何か言おうと思えば言えたことだろう。しかし、何か言うべきことがあるとは到底思えなかった。私はもうどのような目でハンスを見ればいいのかわからなかったのだ。もういい、というユーリの言葉はまさに真であった。私たちは今すぐすべてを終わりにしたいと望んでいた。
「……そうか。誠心誠意仕えてきた結果がこれかよ」
ハンスの怒声にも、ユーリは耳を貸さなかった。私は聞こえないふりをした。私はユーリが横を通り過ぎたとき、彼に続いてその場を後にすることにした。背後でレナが言っていた。
「本当にハンスさんがやったのなら、もう顔も見たくないです。違ったのなら、ごめんなさい」
レナの軽い足音は、私たちが階段を登り出したときに聞こえなくなった。ユーリはくたびれたように書斎に吸い込まれていき、私は訳もなく彼についていった。彼は私を追い出そうとはしなかった。その日、私たちは意味もなく時間を共にした。私はほとんどの時を彼にもたれて過ごした。彼は拒まなかった。私も何も拒まなかった。次の朝、ハンスはいなくなっていた。
屋敷が目覚めたのは、昼に差し掛かろうかといった時分であった。昨晩夕食さえ取らなかった私は、避難するかのように食堂に向かった。アンナは手際良く食事を用意していた。彼女は力ない笑みを浮かべ、食べるよう私に優しく言いつけた。私は気乗りしないまま、言われた通りにした。しばらくして、ユーリが下りてきた。レナと何か話していたようだったけれど、部屋に入るなり二人は口を噤んだ。私はあまり進まない手を熱心に動かすように努めた。ユーリは平静と食事を始め、私たちが食べ終えたのはほとんど同時であった。
アンナとレナは、何か宣告を待っているかのように、扉の前でじっとしていた。私は動いてはいけないような気がして、椅子から腰を上げられなかった。レナがもの言いたげに身動きをした。
「ハンスさん、何も持たずに出ていったんですよ」
その声に反応して、ユーリは鈍く顔を上げた。
「そうか」
話は途絶えた。レナはもぞもぞと手足を動かすのをやめた。アンナが深く息を吐いた。私も同じ気分であった。おそらくは、ユーリも。
「……本来なら、お前たち二人にも屋敷を去ってもらうのが筋なのだろうな」
彼は独り言のように言った。アンナはない服の皺を伸ばした。
「だが、私は独りでは屋敷の世話などできないし、遮二無二孤独を築き上げたところで、得られるものなど高が知れている。だから、私はこれが最善だったと思う。この考えを裏切らないでくれる限り、私は後ろめたく思うことも、お前たちにいらぬ重圧を与えることもないだろう」
「……かしこまりました、旦那様」
アンナが答え、レナは何も言わずに頭を下げた。ユーリは私に目をやった。
「すみません、このような話を……」
「どうぞ、気になさらないで」
私は彼に目を合わせて微笑み、手元に視線を落とした。そして、自分がそこにいるということに、奇妙な感慨を覚えた。私は屋敷が崩壊していく音を聞いているような心地がしていた。その中で、自身が存在していられるのかどうか、どうにも確信が持てなかったのだ。いつの間に屋敷の中に取り込まれていたのだろうと私は訝った。
この浮ついた状況の中でも、私はこの日の夕暮れにヨハンと約束があるということを忘れてはいなかった。それはむしろ救いであった。私を知っているというあの男が、一体何を私にもたらしてくれるのかは知らぬ。けれど、私は一度屋敷の空気から逃れる必要があった。そうしなければ、私は恒久に屋敷の内に在り続けることになるような気がするのだ。それは、ある意味では、私の本望であった。そうであるようユーリに求められているのが、言われずともわかっていたから。そうでありたいと私が求めていることを、言わずとも彼がわかっているはずだから。しかし、消えぬ恐怖が、勇気に伴うものなのか、愚に伴うものなのか、私にはわからないのである。
私はしばらく部屋で何もせずに過ごした後で、書斎に向かった。馬を借りたいと申し出ると、ユーリは困惑したような、心配そうな顔つきをした。彼が供をしようと言い出す前に、私は独りでゆっくり外の空気を吸いたいのだと言い切った。彼についてきてもらい、ヨハンに引き合わせようかという考えがちらつかなかったわけではない。しかし、そうしようと思えば後からいくらでもできようと私は己を説得した。
私は日暮れの少し前に出発した。馬を出すとき、ボーは私に悪態の一つもつかなかった。昨日のことを改めて謝ると、厩番は何のことだと眉をひそめた。私が説明しようとしたときには、彼はすっかり馬の支度を整え、私の目の届かないところまで歩き去っていた。
あの森に着いたとき、日はまだ落ちていなかった。森はどこまでも静まり返っていた。私は理由もないのに馬を急がせ、あの日ヨハンに出会った泉に出た。私はそこに、あの日と同じように馬を繋ぎ、あの日と同じように水脈を辿った。ずっと、ずっと辿っていけば、おそらく私は己の故郷に導かれるだろう。そうしたら、誰かが私に気が付くかもしれない。ヨハンが私を見つけたように。どうするのが一番安泰なのだろうと、私は思いを巡らせた。けれど、木々の隙間から姿を見せたアスターシャの町々は、夕焼けで赤く火照っていた。私は踵を返した。
泉に戻ると、頭巾を被った人影が、また馬の傍に立っていた。あの日と同じ。私は何と声をかけていいかわからず、ただ黙って彼に歩み寄った。すると、彼は馬を撫でながら、こちらを見もせずに開口した。
「来てくれて嬉しいよ、リタ」
「……ヨハン」
そう名を呼ぶと、彼はようやく振り返り、頭巾を取った。彼は私が駆け寄るとでも思っているかのように、わずかに腕を広げ、すぐに下ろした。
「ああ、俺だ。あれから、何か思い出したか?」
「いいえ。お屋敷で色々あって。……あなた、ひょっとしてお屋敷に忍び込みまして?」
「まさか。デーングリーズ邸から馬を飛ばしてきたんだ。そんな暇はなかった。盗人でもいたのか?」
その答えに、私はいささかがっかりした。その落胆をヨハンにぶつけても仕方ないけれど。
「……何でもありません」
「そうか。まあいい、少し座って話さないか?」
と、ヨハンは水辺に早速腰を下ろそうとした。しかし、私は長話を聞く気分でもなければ、彼の傍に座りたいわけでもなかった。結局、彼が私の知人であるということも確実ではないのだ。
「お断りしますわ。できるだけ早く話を済ませてくださいまし」
ヨハンは下ろしかけた腰を上げ、私を顧みた。その顔には、呆れたような、あるいは面白がるような、奇妙な笑みを浮かべている。彼はゆっくりとこちらに歩み寄った。
「……ならば、単刀直入に言おうか。我が名はヨハン・スカルゴート。赤薔薇騎士団の団長だった者だ。そして、リタ、君はその赤薔薇だ」
「おっしゃる意味がわからないわ」
私ははっきりとそう言った。けれど、その実、芯から動揺していたのである。赤薔薇という言葉の響きが、突然私に絡みつき、奥底から全身を揺さぶっているかのように私には思われた。私は確かに知っているのだ、己が何かの理由で赤薔薇と呼ばれ、かつそのことを極度に恐れていたということを。だから、冷静沈着を装った私の声は震え、隠した真意をヨハンに明らかにしたのだった。彼は確かな手触りに勢いづいたかのように続ける。
「赤薔薇姫と称されたアスターシャの王女リタ、それが君の正体だ」
「……王族は先の謀反で皆命を落としたと聞いています」
「違う。君は、君だけは生き延びたんだ。俺や他の騎士の手を借りてな」
ヨハンはさらに半歩前に進み出て、絵画でも見るかのように私の目を覗いた。彼の言うことが嘘ではないのは、頭よりも先に心が理解していた。私は何も答えたくなかった。乱れていく呼吸が私の答えを補完した。
「俺はすぐには君を追いかけられなかった。だから、君の行方さえわからず……君の無事を知って、俺がどれだけ安堵したか!」
「……世話をしてくださったのはユーリですわ」
私はやっと呟いた。何故だか、叱られる子どものような気分であった。後ろめたいことなどないはずだというのに。ヨハンはふと余裕のある表情を掻き消した。
「そうだな。ユーリか……」
そうして、彼が鼻で笑うようにしたのが、私の癇に障った。もう聞くべきことは聞いたことだし、私がこれ以上ここに留まる理由はなかった。
「帰らせていただきます。遅くなると彼が心配しますから」
私の予想に反して、ヨハンは私が背を向けても焦り出すことはなかった。私は若干釈然としない思いを抱えながら、馬の綱を外そうとした。すると、背後からヨハンが言った。
「彼は君の正体を知っているぞ」
私は思わず振り返った。ヨハンの瞳は翳りを帯びていたけれど、濁ってはいなかった。その言葉に嘘はないのだと本能的に信じてしまうような、不完全な眼差しである。私は選択を迫られた。彼の言葉の続きを聞くか、今すぐ馬に飛び乗るかを。もしかすると、私は後者を選びたかったのかもしれない。だが、私にそこまでの行動力はなかった。すっかり力を奪われたかのように、私はヨハンの顔を見つめることしかできなかった。
「ユーリは君がアスターシャの王女だと知っていながら、白を切っているんだ。いずれ君をものにすれば、隣国とはいえ、ゴートルーでも優位に立つことができるからな。君が記憶を失っているのは、彼にとってかなり都合が良かっただろうさ」
「嘘よ」
「ゲルトガ一族は国境近くに領地を構えることもあり、長らくアスターシャ王家と親交が深い。君は特別意識することもなかっただろうが、彼らは王家の饗宴にも招待されていたし、それはユーリも例外ではないぞ。彼が相当に無頓着でない限り、君の正体に気付かないはずがない」
「……嘘だわ」
「嘘じゃない。俺は君には嘘をつかないよ」
ヨハンはそっと私の手を取った。私はそれを振り払う気にもなれなかった。ただ、ヨハンの言葉を反芻し、反芻し、ありえないことだという考えをぶつけては、それが真実という壁に当たって粉々に砕けるのを眺めていた。全身の血の気が引いていくのがわかった。あの日、目覚めてからずっと信じてきたユーリの誠実さは、欺瞞でしかなかったのかもしれない。否、そのようなことがあるはずがない。あるはずが、ない。
「わかっているんだろう、リタ?彼がどれだけ親切にしてくれたのかは知らないが、すべては裏切りだ。その魂胆は、君を利用して成り上がるということだけさ」
私は混乱した。ユーリに対して抱き始めていた好意は散りゆき、彼自身の足によって踏みにじられていた。それが幻覚のなせる技に過ぎないと、何度己を律しても、無駄であった。今この瞬間に信じたいものを信じられないときこそ、人が殴打を喰らったようによろけるときなのである。
「……どうして」
「言っただろう、彼は君の地位を利用して――」
「どうして黙っていてくれなかったの?私、あの人の狙いなんて知らないほうが幸せだったわ。それさえ知らなければ、喜んで彼と一緒になったでしょう!そうしたら、あの人だって望みを果たせたのよね?そのほうがずっと良かったに決まっているわ!なのに、どうして真実なんて明らかにしようとするの?あなたがいなかったら、きっと私たち幸せだったわ」
私は己が何を言っているのかも考えずに喚きたてた。愚にもつかないことを並べているのはわかっていた。しかし、私にとっては、現状の何もかもがあまりにも理不尽だった。ヨハンは私のくだらない叱責を正面から受け止め、憂いのある目をじっと私に据えていた。
「……すまない。だが、それは君が望む幸福ではないと俺は思う。いや、知っているんだ。君は誰かに利用されることを嫌っていたじゃないか?思い出せ、リタ……君自身の願った未来を」
その刹那、私は脳を握りつぶされるような激しい頭痛に見舞われた。何かが閉ざされた門を必死に叩き、外へと飛び出そうとしていた。目まぐるしく思念が脳裏を巡っていたけれど、それらがひどく素早く駆け抜けるせいで、私には何が何であるのか少しも理解できなかった。頭痛は締め付けるように強くなり、私は悶える自分の声を聞いた。
そして、やがて、一点ですべてが静止した。それはヨハンであった。目の前にいる彼ではない。私の記憶の中に存在する、私の――幼馴染である。
『この地獄を、必ず共に抜け出そう』
彼は言っていた。それは何にも代えがたい私たちだけの約束なのだった。何故忘れることができたというのだろう。彼は、ヨハンは、誰よりも私という人間をまっすぐに見つめてくれていたというのに。
気付けば、私は地面に膝を突き、ヨハンに縋りついていた。彼は跪き、私を力強く、されど優しく抱擁した。彼の鼓動を聞きながら、私はほとんど囁くように言った。
「連れ出して、この地獄から」
読了感謝




