67:最期の瞬間に(ライル視点)
「つまり今のアタシは、“ライル・ディアルド”になったってわけなの」
お茶を飲みながらウインクをしてそう言うと、セリィナ様がピクリと反応を示した。
「…………あれからなにがあったの?それに、その瞳の色も……」
やはり気になっていたのだろう、複雑そうな表情をしてセリィナ様が飲みかけのカップをテーブルに置いてアタシの顔を真っ直ぐに見てきた。《《あの時》》の事を思い出したのか、その手が少しだけ震えている。
怖かった事を思い出させちゃったかしら……。
そしてカップをテーブルに置くと、あの後……セリィナ様をあの場から逃した後に何があって、どうして今の姿になることになったのかを語ることにしたのだ。出来るだけ怖がらせたくないのだが、どこまで話したらいいかと悩みながらアタシはあの時のことを思い出していた。
***
セリィナ様を逃がしたアタシは、王子と兵士たちを倒してルネス王と対峙していた。
あんな男など余裕だったと……そう言えればよかったのだが、かなりの苦戦を強いられてしまったのだ。
自身の選んだ精鋭部隊を瞬時に倒されたからか多少の動揺を見せたルネス王だったが、すぐに冷静さを取り戻すと足元に転がる刃物を拾い上げて応戦してきたのである。
その洗練された動きには少し驚いた。まさかここまで手練れだったとは予想外だったからだ。ルネス王の情報はスリーラン王妃から聞いたものだけだったが、妻とはいえ全てを教えてもらっていたわけではなかったようである。
しかし、ロナウドさん仕込みの技を発揮してやれば充分に応戦は出来た。向こうは刃物に対してこちらは素手だったが公爵家ではそんな事は当たり前として訓練していたのだから。それにしても、いくら急いでいたとは言え暗器くらい持ってくるべきだったわね。と回し蹴りをしながら反省してしまう。
まさに準備をしている真っ最中にセリィナ様が捕まったって聞いて、頭で考えるより先に体が動いてしまったから。なんてロナウドさんが聞いたらまたお説教されるかしら?
そこからはお互いに一歩も譲らず傷だけが増えて行った頃、ルネス王が一瞬不敵な笑みを見せたのである。
「……もういい。もうお前はいらない」
「っ?!」
そして懐に手を入れたと思った途端、バシャッと透明な液体を顔にかけられてしまったのだ。
「うっ……!!」
たぶん毒であろうその液体がまともにかかってしまった右目が激しい痛みを伴って燃えるように熱くなり、アタシは思わず体勢を崩した。その衝撃で乾きかけていた血が剥がれ、背中の傷からまたもや血があふれてくる。
「くっふふふ!俺に息子はいなかった!もうそれでいい!!俺の思い通りにならない人間など不要だぁ!」
血を流し過ぎたせいか謎の液体のせいか、目の前が歪んだように感じてアタシがその場でよろめくとルネス王がアタシに向かって笑い声を上げながら剣を振り下ろしてきた。その姿が、まるでスローモーションのようにゆっくりと見えた気がした。
……まだ、こんなところで死ねない!
アタシは咄嗟に髪を結んでいたリボンを解いて端を手に巻きつけると、長いリボンの先を鞭のように動かしてルネス王の顔面に叩きつけてやったのだ。
「ぐぁっ……?!」
リボンは相手のふたつの眼球に直撃し、ルネス王はその痛みに耐えかねたのか両目を手で押さえて刃物を振り回し始めたのだが、その時初めて“隙”が出来た気がした。
チャンスは今しかないと。そう思った。
アタシのこの手でトドメを刺してやろうと決めていた。例え未来で“実の父を殺した”のだと責められようと構わない。セリィナ様を苦しめたこの男の命を奪ってやろうと決めていたのに……。
しかし、それは叶わなかったのだ。
「……が、はぁっ……!?」
「……!」
────だって、アタシが最後の一撃を食らわせる前にルネス王の心臓は剣で貫かれていたのだから。
ルネス王の隙を待ち望んでいたのはアタシだけでは無かったのだと、その時やっとその人物の存在を確認したのである。
「……あんたのせいよ」
霞む視界に見えたのはプラチナブロンドの髪で、だがそれは愛しい少女ではなく《《あの》》男爵令嬢だとすぐにわかった。
「あんたのせいよぉ……!」
血に塗れ、傷だらけになっていた男爵令嬢は修羅場をくぐり抜けてきたかのような出で立ちでそこにいた。そして倒れていた兵士から奪ったのであろう剣をルネス王の背中に深々と突き刺していたのだ。
「よくもわたしを裏切ったわね!わたしに嘘をついた!あんな奴にわたしを与えた!わたしは特別な存在で、絶対に幸せになる運命だったはずなのに……あんなの母親じゃない!わたしはあんなのから生まれたりなんかしてない!あんな汚い女が母親なんて……いや!いや!いやよぉぉぉ!!」
「お前、生きて……っ!?よくも俺に、このようなっ……!ふざ、け……────」
目の前で、ドサリ。と音を立ててルネス王が倒れたのがわかった。どんな目に遭ったのかはわからないが、たぶんこの男爵令嬢もルネス王の《《遊び》》の駒のひとつとして弄ばれたのだろう。同情などしないし因果応報だとは思うけれど、自分の復讐のためならなんでもするというその姿勢だけは賞賛してもいい。
なにせ、刺されどころが悪かったのかアタシがあんなにも手こずった悪の王があっけなく最後を迎えたのだから。
男爵令嬢はルネス王が倒れた後も何度も剣を刺し、荒ぶった獣のように殺気立ったまま今度はギロリとアタシに目を向けてきた。これは、ちょっと避けれないかも……と、諦めがよぎりながらもなんとか体を動かそうとした瞬間に、その出来事は起こった。
「その赤い髪……あんたも、わたしを馬鹿にしてるんで「────セリィナ・アバーライン!キサマは僕が殺してやる!」え」
それにはアタシも本当に驚いた。なんと気絶していたはずのミシェル王子が目を覚まし、腹から絞り出すような声を上げたと思ったら拾った剣で男爵令嬢の腹を突き刺したのである。
「僕は、僕の、正義の、た、め、────」
すでに気が狂っていた王子は錯乱した中で男爵令嬢をセリィナ様と見間違えたのだろう。王子がどんな執念を持ってこれほどまでにセリィナ様を憎んでいたのかは結局最後までわからなかったが、そのまま力尽きた王子とその場に崩れ落ちた男爵令嬢の体がまるで寄り添い合うように重なったのを見て……きっとふたりはこれまで離れ離れにされていて、やっと再会を果たしたかのように見えた。
「終わった、のね……」
3つ並んだそれらが動かなくなり、一気に辺りが静まり返ってくると強張った体からも力が抜けてくる。あの液体は左目にも少し入っていたようで徐々に熱と痛みが広がってきた。それに、霞んでいた右目はすでに何も見えなくなっていたのだ。
さすがにもうダメかもしれない。そう思ったら朦朧としてくる意識の中で浮かんだのはセリィナ様の姿だった。
「……最後に、ひと目会えて、よかっ…………」
グラリと、足元から力が抜ける。寄りかかりたかった壁はそこには無く、あったのはセリィナ様を地上へと放り投げた断崖だけだ。
“落ちる”。そう思った。
足元が崩れ体が弧を描くと、何もない空中へとそのまま放り出されるような感覚に陥った。無重力感を感じたのは一瞬で、後は落下するのみだ。
その時。
「ライル殿、しっかりしてください……!」
誰かが、アタシの手に巻き付いたままのリボンの先を掴んで引っ張っていたのだ。
「あ、なたは……」
それは毒にやられ、セリィナ様を逃したのを確認してその場から脱出したと思っていた影だった。今にも落ちそうになっているアタシの体を支えるために必死にリボンを引っ張っている。
「……あなた、影……。早く、逃げて……セリィナ様を守って……」
「この体では参戦しても足手まといになると思い、助けを呼びに行ってまいりました……!そのリボンを絶対に離さないで下さい……セリィナお嬢様の為にも、ライル殿は死んではいけません……っ!」
セリィナ様の名を言われ、無意識にリボンを握る手に力が籠もる。こんなふうに影と会話するのは初めてかもしれない。そんな事を考えながらアタシは最後の力を振り絞ってよじ登り……助かったと思ったと同時に意識を手放してしまったのだった。




