63:唯一の想い(ライル視点)
「まだ、死んじゃダメよ」
耳元でそう囁くと、何よりも愛しいその少女は色んな感情をかき混ぜたような顔をしてエメラルド色の瞳にアタシをうつした。
「ラ────っ」
何か言いたげに開いたセリィナ様の唇に自身のそれを重ねて言葉を封じた。ほんの一瞬だったが、彼女の目が見開かれて頬がほんのり赤くなったのを見て……不謹慎ではあるがなんだか嬉しくなってしまう。
「下に影がいるわ。絶対助かるから、舌を噛まないように……」
そしてその体を抱き上げて断崖となっている床の先から放り投げた。手を放すしかないとはいえ寂しく思うと同時に背中に衝撃を感じて、腹部にまで到達するほどの激しい痛みと真っ赤な血が広がるのがわかる。でも、そんな事どうでもよかった。
セリィナ様、あなたが生きていて本当に良かった────。ただ、それだけだった。
***
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!」
唇に残る僅かな余韻に浸る時間もなく背中に2度目の衝撃が走る。その叫び声は耳障りでしかなかった。
「……全く無粋ね」
どうやら2回目も刺されてしまった。しかも1度目とズレた場所を刺すものだから出血は派手だし執事服にも穴が空いてしまったようだ。だが、セリィナ様にその刃が届かなかったのだからこんな傷や出血なんてなんの問題もない。
これでもロナウドさんに散々鍛えられていたのだ。簡単に殺されはしないし、もちろん痛みは感じるがそれを表情に出したりなどもしない。
それに、そんな痛みよりも許せない事があった。
「ねぇ……セリィナ様をあんなに傷だらけにしたのはあんたなの?」
「ぐぁっ……?!」
アタシはまたもや引き抜いたナイフで襲いかかろうとしてきた王子が振り回すそれの刃を素手で掴み、もう片方の手を拳にしてその顔面を思い切り殴ってやった。さすがに三度も刺されてやるつもりはない。
力を込めすぎたせいか王子の顔が酷く歪み数本の歯が血と共に飛び散ったが、セリィナ様の痛みに比べたらこんなものまだ序の口だ。
セリィナ様、頬に傷があったわ。髪だってあんなにされて……どれだけ怖い思いをしたのだろうか。
それにこの王子はセリィナ様をあの男爵令嬢と一緒に散々蔑んだ男だ。彼女を苦しめる人間はどんな人物であろうと許せない。あのパーティー会場で見た時とは別人のように形相が変わっているようだがそんな事どうでもいいのだ。
「答えなさい!」
「あ"あ"あ"……っ!?」
今度は思い切り蹴りつけてやれば、骨の砕ける不快な音が鳴って王子の体がその場に崩れ落ちる。ピクピクと痙攣しながら泡を吹いて気絶する王子の姿の姿はなんとも滑稽だった。
パチパチパチ……
「なかなか面白いショーだったな。だが、あの娘を痛めつけたのはそいつではなく俺だ。ふむ、そうかお前が我が息子か。顔は俺によく似ているようだが……やはり肌の色が薄すぎるな。確かにお前の母だった女は色白でそれが珍しくて抱いたのだが、そんなところだけ母親に似るとはなんとも不運な息子だ」
静まり返る中、場違いな拍手が響き渡る。
濃いワインレッドの長い髪と紫色の瞳。自分とそっくりな顔をした男がそこにいて、にやにやと品定めするようにアタシを見ていた。
初めて目の当たりにするその男が血を分けた父親なのだと瞬時に悟ったが、そこに嬉しいという感情など欠片もない。この男のせいで全てが狂ってしまったと思うと憎くいだけだ。
「あんたがルネス王ね。そう、あんたがやったの……」
このまま殴りつけたい感情を抑えて絞り出すように声を出す。思わず拳を握りしめればさっきナイフを掴んだせいで出来た傷から血が滴った。
「くっふふふ。父とは呼んでくれないのか?我が息子よ……あぁ、肌の色は残念だがその赤い血の色はなんとも美しい……。しかし、服の趣味は悪そうだな。そんなお仕着せなど、王族には相応しくないぞ」
「アタシに親なんかいないわ。それにこれはアタシの戦闘服よ……アタシが一番美しくある為のね」
「……ふん。どうやってスリーランを味方につけたのかは知らぬが、あのようなわかりやすい罠にみすみすかかる俺ではない。どうせ影武者でも使って俺を人前に出させようとでもしたのだろうが、なんとも浅はかだな。俺は裏で暗躍するのを好ましいと考えると知らなかったのか?」
得意気に肩を竦めるルネス王が「さて」とアタシに向き直った。
「では、決めてもらおうか。王太子として生きるかどうかを」
「そうね……」
さり気なく視線を動かせば部屋の中には倒れている公爵家の影がひとりと、数人の兵士らしき男たちがいてこちらに剣先を向けている。足元には縄や拷問用の道具が転がっていて、あのままだったらセリィナ様がどんな目に合わされていたのかと思うと吐き気がしてきた。
「やっぱり、お断りするわ」
「ならば無理矢理連れて行くまでだ!」
ルネス王が合図を送ると兵士たちが一斉にアタシに飛び掛かってくる。だがあまりに遅いその動きに欠伸が出そうだ。こんなに遅くてはアバーライン公爵家の使用人たちの足下にも及ばない。
「アタシ、これでも忙しいのよ。デートのお誘いなら出直して来てちょうだい!」
ロナウドさん仕込みの動きを披露すれば兵士たちは次々と倒れていった。動く度に刺された傷から血が飛び散り辺りを赤く染めた。
「な、なんだと……?!俺の撰んだ精鋭部隊が……っ」
なにやらルネス王は驚いているようだが、このくらいで手間取ってたらそれこそロナウドさんにお説教1時間コースされちゃうってのよ。
「あんたこそ覚悟なさい。セリィナ様を傷付けた罪、償ってもらうわ」
アタシはね、セリィナ様を守るためならば実の父であろうとも容赦などしないの。
────だってあの子だけが、アタシの唯一なんだから。




