61:悪役令嬢と“キズモノ”
「俺に服従する気になったらいつでも言え。ラインハルトの居場所を教えればお前は自由だぞ?」
あの男────ルネス国王はそう言い放つと、私の手足に手錠を嵌めて自由を奪ったまま窓を潰したうす暗い部屋に押し込んだ。
「私はそんなの知らないし、もしも知っていても絶対に教えないわ。服従なんかしない!」
とりあえずライルの本名がバレていないことにホッとしつつ、猿轡を外されたばかりの口でそう言ってやればルネス国王はふんと鼻で笑ってそのまま立ち去っていったのだった。
「いたっ……」
頬の傷がズキリと痛み、思わず手を動かして頬に触れようとするとガチャガチャと手錠が金属の擦れる音を立てた。一応流血は止まっているようだが傷口はズキズキと悲鳴をあげている。指先でそっと触れれば、ぬるりとした感触がしてその指先は赤く染まっていた。見えないが思った以上に大きな傷になっているようだ。
「……髪もズタズタだし、頬には大きな傷。これで正真正銘の“キズモノ”令嬢ね」
ライルの父親であるユイバール国のルネス国王は、どうやら私を捕まえればライルが自分の言うことを聞くと思っているようであるが、馬鹿だなぁと思うと乾いた笑いが込み上げてきた。
「あはは……ライルに言うことを聞かせたいのなら、私じゃなくってさっきまで側にいたヒロインを使うべきだったのにマヌケな王様だわ」
だって、ヒロインはシークレットキャラクターであるライルの唯一の弱点なのだから。
でも逆に言えば勘違いをして私を拐ってきたのだから良かったのかもしれない。これならライルはルネス国王に捕まらずに逃げられるだろう。
あの部屋に消えたフィリアの事も心配だけど、彼女はこの世界のヒロインなのだからきっと大丈夫なはずである。……それに。と、ヒロインが言った言葉や態度を思い出してさっきとは別の笑みで口元が歪む。だって……彼女はライルが自分と結ばれる存在だとは気付いていないように思えたからだ。
「やっぱり私は悪役令嬢ね。……ふたりがまだ惹かれ合っていないってわかってこんなに嬉しいなんて」
でも、それも時間の問題だ。どのみち私はキズモノの悪役令嬢なのだから。きっとこれからふたりの為のシークレットルートが始まってライルがフィリアを助けに来るのだろう。
「ふっぅぅ……」
ライルの事を思い出した途端に喉の奥と目頭が熱くなり、涙がボロボロと零れた。
これは罰なんだと思った。私がライルを好きになってしまったから……しかもライルにも私を好きになって欲しいなんて願ったりしたから。きっと今の状況はゲームの強制力なのだろう。私はこのまま監禁され、殺されてしまう運命なのだ。これが悪役令嬢に課せられた罰なんだと。
でも、それでも。やっぱりライルに会いたい。どうせ殺されるなら最後にライルの姿を目に焼き付けて死にたいと思った。
それに、このままルネス王に殺されてやるのはなんだか悔しいのだ。重い手錠を持ち上げて、袖で擦るように涙を拭ってから顔を上にあげると、私は部屋の中をキョロキョロと見渡した。
あれから何時間経っただろうか?
部屋の中を色々と調べたがやっぱり武器になりそうなものはなかった。薄い毛布が1枚に、淡く光るランプがひとつ。潰された窓は隙間なく埋められている。扉の下の部分には小さなドアがあったが、たぶん囚人に食事を与えるためのものだろう。
ふと、そのドアが妙に気になった。
すると、コツン。と、音を立ててその小さなドアが軽く揺れる。留め金もないそれは振り子のように動いていた。
コツン。コツン。コツン……。
何度もなにかがあたる音がして、ゆらゆらと扉が揺れると……ピタリとその動きを止める。ゆっくりと口を開けたそこから外の光が見えたが、すぐにその光が遮られる事になる。
「────っ!」
その隙間からは、床に顔を押し付け大きく見開いた碧眼がギョロリと私を見ていた。
***
同時刻、ユイバール国王妃スリーランは目の前にいる甥の姿に目を細めていた。すっかり女性だと思っていたその人物がまさかの男性で、自国を全てを覆すことになる重要人物だとわかり……やはり血が騒ぐのか不謹慎ながら楽しくなってしまったのだ。
人目を避ける為に薄暗い部屋でランプの明かりだけを頼りに向き合っていると心配そうに口を開かれ、スリーランはそれを聞きながらグラスに赤い液体を注いでいた。
「……こんな事、本当に大丈夫なんですか?だって王国からしたら“キズモノ”同然なのに……」
「あら、わらわに話を持ちかけたのはそなたでしょうに……“キズモノ”だからこそ改革に相応しいのです」
何を今さら。と、スリーランはクックッと喉の奥を鳴らした。彼女は今、他国にいながらユイバール国王妃と言う立場と権力をフル活用している。本当なら行き過ぎた行為だが、彼女を止められる人間はこの場にはいなかった。
「仕方無いでしょう。ルネス王本人は裏で暗躍して動くのが好きなので、こうでもしないと表に出てきませんからね。ユイバール国王家としては決して許されない罪を犯したのだから、償ってもらいます。これは王家の姫たるわらわの決定です……それに、国の頭が自らの罪を隠蔽するような者では、いずれその国は滅んでしまうでしょう。お兄様さえいなければ、わらわがどうとでも納められます────いえ、納めてみせます。だからそなたも“覚悟”を決めなさい。そうでなくては王太子の器とは言えませんよ」
「……許してくださって、ありがとうございます」
自国の正装に身を包んだ“甥”がにこりと笑ったのを見て、スリーランはこれからの事を考えていた。そしてライルと血の繋がりを感じさせる、よく似た微笑みを浮かべてこう言った。
「……では、前祝いといきましょうか。────新たな王に祝杯を」
ランプの映し出すふたつの影が、カチリと音を立ててグラスを重ねたのだった。




