59:悪役令嬢と恐ろしい男
フィリアは私を見てニヤリと口の端を歪めた。そこにはゲームでの可愛らしい面影は一切見えない。
「やっと見つけたわ!これであたしは自由になれるのよ!」
私の腕を容赦なく掴み、ゲラゲラと笑うヒロインの姿に体温が一気に下がった気がした。フィリアはなぜ私を探していたかを血走った目で唾を飛ばしながら語り出すと、私を掴む手に力を込める。
「あの異国の王様がね、あんたと一緒にいた赤い髪の奴を探しているんだって!男か女かどっちかは知らないけど、王様とそっくりな顔をした赤い髪の奴ならセリィナとべったり一緒にいるって教えてあげたのよ。そしたら、あんたを……セリィナ・アバーラインを見つけ出したらあたしを優遇してくれるって約束してくれたの!
これであたしは公爵令嬢より高位な存在になれるのよ!あっははは!」
「や、やめっ……!」
血走った目のまま高笑いするフィリアの姿に恐怖を覚えた私はとっさに抵抗しようとするが、すでに遅かった。助けを呼ぶことすら出来ず、口元には何か甘ったるい香りのする布が押し付けられたかと思ったら……その香りを嗅いだ途端、私の意識は途絶えたのだった。
***
「……お前がセリィナ・アバーラインか、起きてその顔をよく見せてみろ」
「……!」
バシャッ!と冷たい水をかけられ、その衝撃で目を覚ました私をその男はクスクスと馬鹿にしたように笑いながら見ていた。
色が落ちて出てきたプラチナブロンドの髪を確認するように摘み上げて「なかなか良い染料だな」と呟くと、私の顎に指を添わせて無理矢理上を向かせて瞳を覗き込んできたのである。
「くっふふ、そうかあいつはこのような女が好みなのだな。なかなか悪くない趣味だ。生き別れていた我が子の事を知れるのはなんであっても嬉しいものだな」
全身を舐めるように見つめられ、そのあまりに濃い紫色の瞳に自分の姿がうつっていると思うと全身が恐怖に震えそうになった。
髪の色も瞳も、それに顔立ちも……どれもこれもがライルにそっくりで、誰に教わらなくてもこの人がライルと血の繋がった父親なのだとわかる。でも、その姿にライルが重なることはない。ただひたすらに、この人はとても恐ろしい人間だと本能が訴えていた。
まるで生き写しのようにそっくりなのに全然違う……それが第一印象だった。だってライルはこんな冷めた目で人を見下したりしないし、こんな笑い方もしない。こんな人がライルの父親で、ライルを連れ戻そうとしているせいでライルは私の前からいなくなってしまったのだ。
口は猿轡で塞がれているし手足もロープで縛られているから身動きは取れなかったが、せめてもの抵抗にと思い切り睨んでみたが何の効果も無いようで男は濃いワインレッドの髪を緩やかに揺らしながらそんな私を見て笑っている。
「おとなしく従うなら自由にしてやる、その代わり俺に服従すると誓え。なぁに、悪いようにはしないから安心するがいい」
声色は優しげであったが、その言葉の端々に有無を言わさぬ圧力を感じた。……怖い。怖くて怖くて思わず涙ぐんでしまうが、こんなところで泣くわけにはいかないと必死に涙を堪えた。
「くふふ……生意気な目だ。か弱い生き物のくせに強い者に逆らおうとするのか。しかしその目は気に入らないな……。か弱く、ひとりでは何も出来ない小娘の分際でこの俺に逆らうなど許されないのだから────」
そしてその紫色の瞳を妖しくギラリと光らせると、いつの間にか手に持っていたナイフを私に向かって振り下ろした。
ザクッ……!
「……っ?!」
その男に私の頭を鷲掴みにして押さえつけると、乱暴に振り下ろしたナイフでまだ色の落ちきっていない髪を切り刻み始めたのだ。
ザクザクと軽快な音と共にチョコレートブラウンとプラチナブロンドの混ざった髪が床に散らばる。耳の側をナイフの冷たい感触がかすり、冷たい汗がじわりと流れた。
「下手に動くなよ?手元が狂ったら大変だ……。ちゃんと警告したのだから、動いて顔に傷がついてもそれは俺のせいではなくお前のせいなのだからな」
クスクスと笑いながらもナイフを振り下ろす手は止まる気配がない。長かった私の髪はあっという間に肩よりも短くなってしまったのだ。
「ねぇ、王様!あたしへのご褒美は?!ちゃんとその女を捕まえて来たでしょう?!」
ほとんどの髪の束が無くなった頃、男の背中にフィリアが勢い良く抱きつく。私を拐いここまで連れてきた後、髪が切り刻まれる様子をずっと壁際で見ていたが待ちくたびれたようだ。
「────っ!」
その瞬間、ピッ!とナイフの切っ先が私の頬にあたる。ビリビリとした痛みが伝わり、冷たい肌に温かい血が流れたのを感じた。
「おいおい、驚かすな。この女の顔を切ってしまったではないか。……お前のせいだぞ」
「いいじゃない、そんな女なんか────「ダメだ」え?」
男は私の頬を伝う血を凝視しながらも頭から手を離し、今度はその手をフィリアの顔へと伸ばし顔面を鷲掴みにした。
「な、なにを」
「まだ、この女は血を流す予定ではない。この女のせいならまだしも、お前のせいで予定が狂うのは……我慢ならないな」
グリッと指に力を入れたのかフィリアの顔がわずかに軋む。「いだぃ!いだいいぃぃぃ!」とフィリアが暴れると、男はやっと私の頬から視線を外して大きな息を吐いた。
「……せっかく、血を見たいのを我慢していたのに……俺を不快にさせるとは馬鹿な女だ。あぁ、でも今はダメだ。俺は忙しい。やらねばならないことが山のようにあるのだからな」
「いだぃ!や゙め゙っ……!」
そういって鷲掴みにしたままフィリアを引きずり連れていくと、なんとどこかの部屋の扉を開けてその中に放り込んだのだ。
「もう少し使ってやろうと思っていたのに……残念だな」
「ま、まって……!」
手を差し出すフィリアを無視して、扉は閉められた。事態が飲み込めない私が男を見ていると、男はにこりと笑う。まるでフィリアとのやり取りなんて無かったかのような……そんな笑顔だ。
「どうした、不思議そうな顔をして?あぁ……この部屋にはとある人物を待たせてあるんだ。無謀にも俺に交渉してきた愚か者だが、面白そうだったんでな……。あの女が用済みになれば渡してやると言ったら喜んでいた。まぁ、こんなに早く渡してやるつもりは無かったんだが……俺の気分を害したからには仕方がないなぁ。なぁに、気にすることはない。あの部屋は防音に優れているのでま中で何が起ころうとこちらに聞こえはしないさ。なんといっても……王族が使う秘密の遊び部屋だからなぁ」
ナイフを床に放り出し、男はその指で私の頬に流れる血を掬い取った。そしてそれをベロリとひと舐めして笑った男の顔は……ライルとは似ても似つかない恐怖の大魔王のように見えたのだった。