51:側にいる為に(ライル視点)
「セリィナ様、今頃どうしているかしら……」
夜空を眺めながらポツリと呟くと、冷たい夜風が頬を撫でた。しかそどんなに寒くても、抱き締めたい温もりはここにはいない。
セリィナ様と出会ってからは毎日が慌ただしくて楽しくて、ひとりでいる事でこんなに気持ちになるなんて忘れていた気がする。
誰よりも何よりも大切な少女に全てを黙ったままあの屋敷を出てきてしまってから数日が経つ。あの子を自分の事情に巻き込みたくはなかったし、これが最善であるとわかっている。わかってはいるけれど……。
「……やっぱり寂しいわね」
セリィナ様はアタシがいなくなってからどうしているだろうか?
アタシの事を必死に探して探して……悲しんでいるかもしれない。きっと、あのエメラルド色の瞳に涙を溜めてアタシの名を呼んでいる気がした。目を瞑ればすぐにセリィナ様の泣き顔が浮かんでくる。自分を探して泣いているだろうと、そう思ったら……嬉しいような悲しいような複雑な気分だった。
悲しませたくなんかないのに、アタシを想って泣いているかもしれないって考えたら嬉しいなんてサイテーよね。でも本当は、ずっと笑っていて欲しいんだって言ったらあの子は信じてくれるかしら?
「ラーイルぅー!もうすぐ出番よぉ!」
「はぁい、今すぐ!」
名前を呼ばれて振り向くとアタシは黒く染めた髪を靡かせ、スポットライトの光の中へと足を進めたのだった。
***
あの日、旦那様がアタシを呼び出して言ったのだ。
「どうやらこの国の国王がルネス王と手を組んだようだ」と。
旦那様はユイバール国からの再三の催促の手紙にも断りの返事をしてくれていた。アタシの意思を尊重していると。だが、アタシの実父……ルネス国王はそれを許さなかったのだ。
「どうしてもライルを連れて行きたいのならば、正式な面会の場で話し合いをするべきだと進言したのだがな。本人もとっくに成人した立派な大人なのだから意思を尊重すべきだと……。だが聞く耳を持ってくれん。本人の意思は関係無い、王太子はユイバール国王の《《所有物》》なのだから手足を切り落としてでも連れていく。おとなしく渡さなければ誘拐罪で訴える。とばかりで……あちらからの言葉はどんどん過激になるばかりだ」
疲れを滲ませた深い息を吐く旦那様の姿に心が痛くなり申し訳なく思う。このままでは公爵家の立場はどんどん悪くなるだろう。
「……アタシのせいで申し訳ありません。もうこれ以上、旦那様たちにご迷惑をかけるわけには……」
一瞬、諦めようかとも思った。公爵家が王家に睨まれればその矛先はいずれセリィナ様にも向かうかもしれない。彼女の安全が脅かされる事だけは耐えられないから。
「旦那様、アタシ、「なんだ、セリィナの側にいたくないのか?」────いたいです!」
旦那様が眉根にシワを寄せ「セリィナの専属執事でいることに不満でもあるのか?」と言いたげな顔をするので思わず本音が口から飛び出してしまった。すると旦那様はアタシの返事にさも当然だと鼻を鳴らした。
「ふん、ならばずっと側にいればいい。だが、その前にしばらく離れてもらう事にはなるがな」
「旦那様?」
「王家がこれ以上動き出す前に先手を打つぞ。それでなくても今の国王にはイライラしていたんだ。セリィナの噂に次いであのアホ王子のせいでワシの我慢などとっくに限界を迎えているのに、再三のしつこい手紙のせいでうんざりしてきたところだ。
さらには可愛いセリィナから執事までもを奪おうなどと許せるはずがないだろう。このアバーライン公爵家をここまでコケにしたんだ。もちろんそれなりの覚悟があってのことだろうさ」
そう言って旦那様はくしゃくしゃにした紙切れを屑入れに放り込むと、アタシを真っ直ぐに見て今後の計画を口にしたのだ。
「それで────ライル、お前にも覚悟はあるな?」
それは、セリィナ様と離ればなれにならなければいけないし多少の危険もあったが……同時にアタシにしか出来ない事なのだとも理解した。
「……あります。だってアタシ、セリィナ様の専属執事ですもの」
これから先の未来も、ずっとセリィナ様の側にいるためならなんでもしよう。アタシはそう誓った。
それからアタシはそっと屋敷を抜け出し、まずはドクターの所に身を寄せた。旦那様がすでに話を通していたらしくドクターは快く協力してくれたのだ。
そして……特殊な染料で髪を黒く染めあげた。ジャズさんが調合してくれたこの染料で染めれば簡単に色が落ちることはないし、なによりもこの赤い髪は目立ちすぎるからこれくらい真っ黒の方がいい隠れ蓑になるだろう。さすがに瞳の色までは変えられなかったが、印象はだいぶ変わるはずである。
そしてお馴染みの女装セットを使っていつもより濃いめのメイクを施したアタシは今、訳ありの女性ダンサーとして夜の町の劇場で働いていた。
露出が少ない代わりに何枚も布を重ねた重量のある衣装を来て舞台の上を軽やかに舞う。色鮮やかな布がふわりと動かす姿はまるで蝶々のようだと称賛された。遠い諸国で流行っているというこの衣装は見栄えはするが重すぎて舞えるダンサーがいなかったところにアタシが採用されたのだ。たぶんこれも旦那様が手を回したのだろうけれど、アバーライン公爵家の名前なんてチラリとも出てこない。
一緒に働いているダンサーたちは「あんなに重いのに、まるで羽が生えているみたい」だと驚いていたが、こんなのロナウドさんの特訓に比べたら楽なものだ。
一通り舞い終わると、拍手喝采とスポットライトがアタシに当てられた。華やかな舞台の上で客の声援に応えるフリをしながら周りを見渡すが今日も《《お目当て》》はいないようで心の中でため息をついてしまう。
「今日もお客もみんなライルばっかり見てたね!」
「ライルは綺麗だし、あんな重たい衣装を着て蝶のように舞えるんだもん!人気が出て当たり前よぉ!」
「そのうち、貴族の誰かがライルに求婚してきたりして~!」
舞台から降りて休憩所に入り、同じダンサー仲間の軽口を聞きながらにこりと微笑むが気分は晴れないでいた。あと何日こうしていればいいのかすらもわからないからだ。それでも、わずかな情報を信じて今はこうするしかない。
アタシは懐に忍ばせた大切なリボンを握り締めた。必ずセリィナ様の元へ帰るんだと、それだけを想ってアンコールに応えて再び舞台の上へと足を向ける。
旦那様が必ずこの劇場にくると情報を入手した“とある人物”を釣り上げるために────。




