42:悪役令嬢ともうひとつの悪夢
それは、久しぶりに見た悪夢だった。
だが、いつも見ていたものとは同じようでまったく違う悪夢だ。共通点はただひとつ、私が殺されるということだけである。
夢の中の“私”は、とっぷりと暗い夜道をひとりで歩いていた。そこはあまりよく知らない裏道だった。でも急いで帰らなくてはならないからと焦った私は駅までの近道を早足に進んでいて、でもすぐに人通りの多い駅前の道に出るはずだったのだ。
でも、それは起こってしまった。
突然、見知らぬ男が目の前に現れた。やたらヒョロリとしたその男は、顔はよく見えないはずなのにニヤニヤと口元を歪めているのだけがなぜかよくわかった。そして懐から包丁を取り出したかと思うと、“私”に向かって包丁を振り下ろしてきたのだ。
逃げようとしたが足を掴まれてしまいその場に転倒してしまう。狭い裏道で追い詰められ、必死になって近くにあったゴミ箱をひっくり返して周りに散らばったゴミを男に投げ付けた。
しかし、舌舐めずりをしているニヤニヤと吊り上げた口と鋭い切っ先は“私”に真っ直ぐに向かってきたのだ。
怖くて怖くて────恐怖に耐え切れなかった“私”はそのまま意識を手放してしまった。
そう、これは前世で殺された時の出来事だ。夢ではなく現実に起こった過去だ。そしてそれを、私はまるで幽体離脱したかのように第三者目線で見ているようだった。
『…………』
もう前世の事なんて今では自分の名前も何もほとんど思い出せないけれど、この時の恐怖だけは今でもハッキリと覚えていた。……目の前で何度も何度も包丁で刺されている“私”は、ピクリとも動くことなく血溜りの中に沈んでいた。たぶん最初の一撃で絶命していたのだろう。だから“痛み”の記憶はほとんど無いのだ。残っているのは“恐怖”だけだったから。
ふと手元を見れば、その手にはあの雑誌がしっかりと握られていた。
物言わぬ骸となった “私”を存分に刺した男は相変わらずニヤニヤとしたままだ。そして“私”の手から血塗れになったその雑誌を奪い取ると、ビリビリと豪快にページを破っていく。バラバラになった雑誌のページがふわりと風に乗って……とあるページが1枚、私の目の前に飛んできた。
『あ……』
私がそのページに目を奪われていると、どこからかサイレンが耳に届いてくる。とっさにそちらへ視線を動かせば、あの男が警察に囲まれ……包丁をぶんぶんと振り回していた。
「ちくしょう!ちくしょう!この女のせいだ!この女が悪いんだ!こいつが手間をかけさせたから逃げ遅れたんだ!!」
男は自分勝手な言い訳を叫びながら勢い良く腕を振ると────血で濡れた手から包丁がずるっと滑り、男の首を切り裂いたのだ。
血溜りの中にさらに血が降り注ぎ、飛び込むように男が倒れた。そして、その勢いで男の首だけが回転してぐるりと上を向いたのだ。
男は目を見開いて……私を見た。
「許さないぞ」
そう言って息耐えたのだった。
私にはその男の目が恐ろしかった。初めて見る顔だったのに、私はあの目を知っていて背筋がゾクリと寒くなった。
だってあれは、憎悪に満ちた目で私を見るミシェル王子と同じ目だと思ったからだ……。
「……!」
じっとりした汗が肌にシーツを張り付かせる気持ち悪さで目が覚める。心臓がやたら早く動いていて息が苦しかった。
怖くて、怖くて……私はライルの姿を探した。
部屋にはいない。なんとなく予感が働いてお父様の部屋へと行くと、中から話し声が聞こえたのだ。
そして聞いてしまった。ライルの声を。
『……じゃあ、そのゆきずりの旅人がこの手紙の国王でアタシの父親だって言うの?
アタシは────』
「!」
それだけが聞こえて、私は咄嗟にその場から離れた。無我夢中で走って、部屋までどうやって戻ったか全然覚えていない。
今、ライルは何を言っていたのだろう?
国王?ライルの父親?お父様やたぶんロナウドも一緒にいる気配がした。3人で何を話していたの?
……ライルの家族はおばあさんだけのはずだ。そのおばあさんも亡くなったって言っていた。
でも、そういえば両親は?ライルの両親のことはなんとなく聞いてはいけない気がしていたけれど、もしかしてライルの父親が見つかったってこと?
────ライルのお父さんが、どこかの国王だったの?じゃあ、ライルは……どこかの国の王子様……?
いつの間にか部屋までたどり着いていて、冷たいシーツにくるまった。ガクガクと震えが止まらなくなり、吐き気に襲われてしまう。
だって、思い出してしまったんだもの。
あの夢の中で見た、ビリビリに破られた雑誌のページ。私が見たあのページに書いてあったことを。
〈シークレットキャラ情報解禁!〉
〈シークレットルートではヒロインが悪役令嬢に窮地に追いやられるが、シークレットキャラがそれを救ってくれるぞ!〉
〈極秘情報!実はシークレットキャラはとある国の王様の隠し子らしい……!ヒロインは闇を抱えたシークレットキャラの心を解放する事が出来るのか?!〉
〈さぁ、あなたはシークレットルートを開くことができるかな?〉
そしてシークレットキャラの後ろ姿が描かれたイラストが1枚載っていたのを思い出して、私は息を呑んだ。
だって────そのキャラクターは、とても鮮やかなワインレッドの髪をしていたのだから。




