38:選択肢(公爵視点)
「ふー、まったくライルの奴め……あいつが殺気をぶつけてくるせいで肩が凝ったわい」
セリィナとライルが部屋を出ていったのを確認して、アバーライン公爵は肩の力を抜くと息を吐いた。なにせ話をしている間、ずっとライルが後ろから殺気を浴びせて来ていたのだ。それも本気で。もちろんセリィナは断るだろうと思っていたし、一応建て前で聞いただけなのにブチギレしていたぞあいつ。セリィナには気付かれないようにワシにだけあんなことをしてくるなんて……この技を教えたの絶対ロナウドだろぉ?!なにしてんだよぉ!
と言うか、なんとなく嫌な予感がしていたからライルには武器どころかペンの持ち込みも禁止にしたのに殺気と一緒に何かチラつかせてたし!あれってパーティーでライルがシャンデリアの飾りを壊したっていう塩で作った武器じゃなかったっけ?!
ローゼマインってば、ライルがアレを使う前提で塩を撒いたらしいし……なんでパパに内緒で暗器を作るかなぁ?!どうせマリーローズは知ってたんだろぉ?!パパにも相談してよ!
しかも塩で!証拠隠滅しやすい加工までして……もう、うちのこ天才なの?!天才なんだろぉ?!
「……やれやれ、お転婆たちにも困ったものだ」
公爵は脳裏に高笑いする双子の娘たちの姿を思い浮かべながら、厳つい表情をピクリと動かした。見た目的にはまったく変化はないが、心の内はそれこそ泣いて喚いて親バカ丸出しと大忙しである。ついでに「あー、ライルのマジギレ怖かった」なんて思っていない。断じて思っていない。
まぁ、それはそれとして。
アバーライン公爵は悩んでいた。もちろんセリィナの事だ。目に入れても痛くない程に可愛い末娘。あれほど自分に怯えて泣いていたセリィナが、最近やっと笑顔を向けてくれるようになったのだ。それだけで世界は薔薇色である。
はっきり言おう……嫁になんか出したくない!セリィナが、可愛いセリィナがどこの馬の骨ともわからないヤローなんかに奪われるなんて胃が捻れ切れそうなほどに嫌だ。パパ死んじゃう!
ただ、今までは悪意に満ちた申し込みばかりだったのでアバーライン公爵家の全勢力を持って断って(潰して)きたが、今回は下調べをしてもどちらかというと好意的なものが多かったのだ。まぁ、ほとんど政略結婚狙いではあるだろうが……貴族ならばそんなものだろう。だからこそ本人の意思を確認しておかなければないと思ったのだ。
そんなわけで今回はセリィナの本心が知りたくて聞いてみたが、断ってくれて本当によかった!お嫁になんかいかずにパパの側にいたいって思っててくれてよかった!
「うーむ……どうしたものか」
しかしセリィナが婚約を断ってくれて安堵したものの、そろそろセリィナの婚約者を決めなければならないのも事実だ。双子の姉たちにも婚約者はいないがあの子たちもセリィナを安心して任せられる相手が見つからない以上、自分たちの婚約など考えないだろう。それにあの子たちなら(特にローゼマインは)必要に応じてちょうどよいのをどこからか見繕ってきそうな気がする。
なによりも、せっかくセリィナの「嫌われ者のキズモノ令嬢」という噂が消えようとしているのに今度は「片っ端から婚約を断る高飛車」だと言われかねない。セリィナへの悪い噂が根絶やしに出来ないのは黒幕に王族が関わっているのは察している。だからこそ、噂のネタになりそうなことは取り除かなくてはいけないのだ。
やはり、あいつしかいないのか。
唯一、セリィナを任せられるだろう人物を脳裏に浮かべてため息をついた。ドヤ顔を思い出してムカつくが。
本当はわかってるのだ。奴以外など誰もいない。家族みんなも暗黙の了解で認めている。あいつなら誰よりもセリィナを大切にしてくれるだろう……悔しいから本人には言わないけど。
最初こそ、そういう対象にはならないだろうと思っていた。だがお互いにそうでもなさそうだと言う事もわかっている。セリィナは公爵令嬢とはいえ三女だし、必ず相手が高貴でなければならないと言う訳ではないが……。
「結婚相手が、執事で元孤児のおねぇ。なんてなったら、それはそれで何を言われるか……」
自分が与えた仮の名前と地位は、あくまでもカモフラージュの物であって本物ではない。パーティーのエスコートは出来ても本物の婚約者にするにはまだ問題があるのだ。“あの王家”から守る為にも“権力”は必要だが……どうすればセリィナが一番幸せになれるのか、セリィナの未来の為に“選ばねば”ならない期限は刻々と近付いているのである。
さっきセリィナには見せていないもうひとつの手紙を取り出し、公爵はそれをビリビリに破いた。真っ二つになった王家の蝋封印が床に落ちるのを見て「ふん」と鼻を鳴らす。
それはこの国の王妃直々の手紙だった。あの王子の母親だ。息子のしでかしたことに対して謝罪のひとつでも書いてあるのかと思ったら、その内容は公爵の機嫌を最悪にするものだった。
「キズモノと罵った“お詫び”に婚約者にしてやるなどと、よく言えたものだ」
あまり表に顔を出さない王妃だが、あの国王は婿養子で王家の正統な血筋は王妃の方である。王命ではないもののアバーライン公爵家に圧力をかけてきたも同然だ。セリィナを婚約者に迎えれば王子の汚名をそそげるとでも打算したのだろうが……。ワシも舐められたものだなと、舌打ちしたくなった。
その喧嘩、買ってやるよ。
「旦那様、どす黒い変顔をなされているところ申し訳ございませんが緊急な案件でございます」
そんなアバーライン公爵の元へ、いつの間にかやって来ていた老執事のロナウドが1通の手紙を渡した。
「え、そんなどす黒かった?!」
「はい、セリィナお嬢様がご覧になったら泣き出しそうなほどには」
軽口を言いながらも神妙な顔で渡して来た手紙には見慣れぬ名前が記してあり……それを見たアバーライン公爵も眉を顰めてロナウドに視線を向けた。
「これは?」
この国の貴族の物ではない蝋封の印に、見慣れぬ名前。封を切り、中を確認するとアバーライン公爵は複雑そうに眉間の皺を濃くした。
「なんてことだ……」
その手紙がライルとセリィナの運命を大きく変えてしまうことなど、まだ誰も知らない。
 




