37:悪役令嬢と変化
「……その人は優しくて、とてもいい方だったのよ。父親が誰であれ自分の子に違いはない、せっかく命を授かったのだから大切にしたいと言っていたわ。でもあんな事件が起きて、実の妹が我が子を拐って全く違う赤ん坊をまた拐ってきたと知って……そんな妹の命乞いをして自害してしまったの。だから、お父様はその侍女を殺さなかった。乳母の自害を止められなかったのを悔いて弔いの為にもとね」
熱が下がって少し経った日の夜、お母様は私の頭を優しく撫でながら私の乳母になるはずだった人の事を教えてくれた。こんな風にお母様とふたりでいるなんて初めてなので最初は緊張したが、その声をとても優しく感じる。
「セリィナ、あなたは正真正銘アバーライン公爵家の子供よ。わたくしたちはみんなあなたを愛しているわ」
「お母様……」
その後、部屋の前で聞き耳を立てていたお父様とお姉様たちが部屋になだれ込んできたと思ったら次々に私を抱き締めてきた。だがもう私には以前のような恐怖や不信感はない。
こうして、私は本当に家族と打ち解けることができたのだった。
***
あの断罪劇のパーティーから数週間後。どんな理由であれ、あんな騒ぎを起こした罰として王子は謹慎処分を受けて軟禁状態でいるらしい。それを聞いてお父様たちは処分が甘すぎると憤慨していた。
なんでもお父様が国王に渡したと言う“王子のオイタの証拠”はそれなりにヤバいものだったらしく、もしも表に出せば王子どころか王家の威信に関わるものだったのだとか。それを聞いて、もしや悪の組織とか闇の帝王だとかそんなのを想像してしまう。そんなのと関わっていた王子に逆恨みなんてされたらそれこそ危ないのではと、ちょっぴり不安になってライルに尋ねたら「ちゃんと“掃除”したから大丈夫よ」と言われたが。
なんで掃除?……もしかして、綺麗な屋敷には寄ってこないっていうおまじないでもあるだろうか。
まぁ、ライルが大丈夫だと言うのならばきっと大丈夫なのだろう。ちなみにヒロインの方は《《話し合い》》で済んだらしい。ある意味で彼女は被害者でもあるが、申し訳無いと思いつつも穏便に済んだのならよかったと思った。私としてはこちらに関わってこないのならなんでもよかったし、これで悪役令嬢の断罪は本当に終わったのかも……と、安堵していた。
「いつの間にか攻略対象者たちもいなくなってたし……これでもう安心ね」
これからは普通に暮らせる。そう思っていた矢先に、またもや問題が起こったのだが。
「えっ……私にお見合いの申し込みが?!」
「あぁ、先日のパーティーで令息どもがセリィナを見初めたらしくてな……」
珍しくお父様の部屋に呼ばれたと思ったら、なぜか私の婚約者になりたいと言う手紙が殺到していると聞かされて驚いてしまった。
婚約の話自体は今までも何度かあったらしいのだが、上から目線で「どうしてもと言うのなら婚約してやる」とか「キズモノを引き取ってやるから感謝しろ」みたいな言葉をオブラートに包んだような申し込みばかりだったのでお父様が全て断っていたのだとか。
しかし今回はどうも様子が違うらしく、厳つい顔をさらに厳つくさせてお父様がため息をついていた。
どうやら噂でしか私の事を知らなかった人たちがあの断罪劇を目撃して色々と印象が変わってしまったらしい。私はライルの後ろで怯えていただけなので人の印象をひっくり返せるような事など何も無かったと思うのだけど。というか、そもそもあの場にいた貴族子息たちってほとんどデビュタントの時に決まった婚約者がいるのではなかったのか。
私の疑問を察したのか、お父様がさらに眉の皺を濃くした。
「デビュタントで結ばれた婚約は学園に入るまでは仮婚約なのが多いんだ。だから他にもっと良い縁談があった場合は双方の話し合いで白紙に戻される事も少なくはない。そこにまだ婚約者のいない公爵令嬢がいて噂とは違うと知り子息が心を奪われたとなったら、親としては千載一遇の機会を逃すまいと思ったのだろう。
ここにあるのは全て利益と損失を加味した上で公爵家三女の相手でも恥ずかしくはない相手のみを残してある。一応、セリィナの意見を聞いておこうと思ってな。だいたい似たような内容だがな……読み上げるぞ」
そう言ってお父様は手紙の束を持ち上げて、上から1枚ずつめくっていった。
「“可憐で儚く美しいあなたをひと目見て運命の人だと確信しました。あなたを幸せにします。是非その潤んだ瞳で見つめて欲しい”」
……はぁ。
「“君がキズモノではないとこの身を持って証明してあげたい。マイスイートハニー”」
……へぇ。
「“あんな気持ち悪い色の髪をした男より、ずっと君に相応しいと思う”」
は?!ライルの事か?!ふざけんな!
「“お姉様と呼ばせてください、塩を投げつけて欲しいです。新しい扉が開きそ……”おっと」
「それはローゼお姉様宛ですよ、お父様」
ちょっと違う方向の手紙を「すまんすまん」と横に片付けると、手紙の束を机の上に置いてお父様が首を傾げた。
「……で、この手紙たちはいるかい?」
最近なにかとお父様が可愛らしい仕草をしようとするのだが、もしかして私を怖がらせないようにとやってるのだろうか。……上目遣いで眉間に皺をよせてやられても厳つさが増してるだけなんだけど。
「断ってもいいなら、全部お断りしたいです……」
私は後ろに控えているライルをチラリと見てから首を横に振った。
本当ならば公爵家の為になる相手と政略結婚するのが一番の恩返しになるのだろうけど、いくら家族恐怖症が治ったからと言っても人間不信はまだ継続中なのだ。特に同年代の男の子なんて恐怖の対象でしかない。
それに、私はライルの事が…………。
例え人間不信で無かったとしても、やっとライルへの気持ちに気付いたばかりなのに他の人とお見合いなんてしたくない。
それにしてもライルはずっと黙ったままで何も言わないが、私にお見合いの話が出てることをどう思っているんだろうか?いつもなら私の困ってる様子を見たらすぐに助け舟を出してくれるライルがひと言も何も言わないなんてこっちの方が私にとって一大事である。しかも雰囲気がいつもと違う気がするし……何か考え事でもしてるとか?
まさかとは思うけれど、私に婚約者が出来たら嬉しいなんて……思ってないわよね?だってあの馬車の中で私の側にいてくれるって約束したし、もうあんな目には遭わせないとか大好きだとか言ってくれたので嫌われていないとは思うのだ。たぶん。
……でもライルからしたら私みたいなコミュ障のおこちゃまなんて恋愛対象外な可能性もあるのではないだろうか。うぅ、自分で考えて落ち込んだ。
だってライルはおねぇだけどそんなの関係なく綺麗だし、男女どちらにも人気があるので恋人なんて選び放題のはずだ。そんなライルが選ぶとなれば、男であれ女であれライルの隣に立てるのは私なんかよりもっと綺麗で可愛くて何かすごい人な気がする。
────いつかライルがそんな“大切な人”を連れてくるかもしれないのだ。そう思ったら、一気に気分が落ち込んでしまった。
「はぁ……わっ?!」
お父様の部屋から出て思わずため息をつきながら振り向いたすぐそこにライルがいて、おでこをぶつけてしまった。その時に、襟の辺りにキラッと光る何か細長い結晶がついているのを見つけたのだ。
「セリィナ様、大丈夫?」
「だ、大丈夫。ねぇ、ライル。これって……」
その結晶を指さすと、ライルは「あぁ、これはね」と釘くらいの大きさのそれを手のひらに乗せて見せてくれた。
「これは岩塩を固めて削って作ったものよ。場所によってはペンが持ち込めないからいざという時の護身用……うーん、お守りみたいなものね。これなら襟の裏側に縫い付けておけるでしょ」
「塩がお守り……しかもペンの代わりになるの?」
「うふふ……意外と使えるのよ。時間差で《《小さな物を壊したり》》とかね。まぁ、1回使ったら壊れちゃうんだけど────場合によっては《《証拠隠滅》》も簡単だから」
「ふぅん?」
意味はよくわからなかったが、そう言って人差し指を口元に持っていき「内緒よ」とウインクをしてくる。
「そうだわ、セリィナ様。今日は《《お仕事が減った》》からゆっくりできるわよ」
「え、そうなの?」
「ええ、《《これ》》を使わなくて済んだし……これからテラスでお茶にしましょう?」
そう言ってさっきの塩の結晶をポケットに仕舞うと、ライルが優しく微笑んでくれたのだ。
「ふふ、実はセリィナ様の好きなスコーンを焼いてあるのよ」
「嬉しい!ライルのスコーン大好き!」
いつものライルの雰囲気に戻ったことがとっても嬉しくて……また熱が上がりそうになるのだった。




