36:ヨマイゴト(ヒロイン視点)
「フィリア、どうして……」
「お前のことを信じていたのに……」
わたしの目の前でお父様とお母様が泣いている。しかしその瞳にはこれまであった優しさや愛情は欠片もこもっていなかった。
「お父様、お母様……違うの、わたしは……」
わたしは硬くひやりとした冷たい鉄格子の隙間から必死に腕を伸ばしたが、お母様は「やめて穢らわしい!」とそれを払い除けたのだ。
「お前が王子を唆したりするから、我が家はアバーライン公爵家から訴えられてしまったじゃないか!どうしてくれるんだ?!」
お父様が投げ付けてきたくしゃくしゃに握りしめた書状を拾って広げてみると、そこには抗議文が書かれていて、名誉毀損から始まり慰謝料までビッシリと綴られていた。
しかも、わたしがした事はもちろんだが後半はお父様とお母様が原因だ。
あの日、わたしの育ての親である男爵夫妻は自分たちの屋敷でわたしと王子の帰りを待っていた。わたしがアバーライン公爵家の本当の娘だと証明されて王子の婚約者として戻ってくると信じていたのだと。だがやって来たのは衛兵で、公爵家を脅迫した罪で捕らえられたと言っていた。慰謝料を払うことが決まり釈放されたが、その慰謝料は簡単に払える額ではなかったようだ。
なんと例の話を聞いて浮足立っていたこのふたりは、王子が出した物とは別に公爵家に手紙を出していたらしい。しかもその内容は王子が語っていたような感動的なものではなく、金の絡んだゲスいものだった。
簡単に言えば、大事に育てたひとり娘なのだからこれまでの養育費を払えと言っているのだ。これまでわたしにかかったドレス代や医療費に教育にかかった費用から大まかな食事代まで……さらに王子の婚約者になれるのはこちらのおかげなのだから感謝して男爵家は恩恵を受ける権利があると、公爵領の領地経営の利益の半分を定期的に横流ししろとまで……まさかの、跡取りの為に新たな養子を迎えるからその子供の養育費まで払えと要求している。
これはさすがに、わたしが本物だったとしても法外な金額のように思えた。こんなの訴えられるに決まってるじゃないか。どうしてこんなことを……そう聞こうとしたが、その前に鉄格子を思い切り蹴られてしまい怖くて声が出なかった。
「何が違うだ────育ててやった恩を仇で返す恥知らずめ!お前が王子と結婚すると言うから信じたのに……我々は騙された被害者だぞ!お前のせいで屋敷も財産も失った……もうお前とは親子でも何でもない、元々他人なんだからな!」
「人を陥れようとする恐ろしい子などわたくしの子供じゃないわ……お前なんてもういらない。今度はもっと心の優しい、人を騙したりしない子供を養子にしなくっちゃ……。ああ、どうしてこんな事に……」
こうしてわたしは、育ての親から縁を切られてしまい、男爵令嬢ですらなくなってしまったのだ。
どうして?そんなの私の方が聞きたいくらいだ。本当に、どうしてこんなことになってしまったのだろう?
わたしの計画は完璧だった。あの女を断罪して、わたしが真の公爵令嬢となって全てを手に入れるはずだったのに……。今のわたしは王子を唆して公爵令嬢を陥れようとした罪で牢獄に入れられている。男爵令嬢から平民になってしまったせいでその罪の重さは倍増し、わたしはもうここから出る事はできないと通告された。
いつも脳裏に浮かぶのは最悪の形で失敗に終わったあの断罪劇だった。
あの時、途中まではわたしも“勝ち”を確信していた。アバーライン公爵が乗り込んできたのも、わたしを迎えに来たのだと本気で信じていたからだ。
でも、真実は全然違っていた。逆にわたしと王子が断罪されてしまったのだ。
さらに不運は重なるもので、論破された上にアバーライン公爵たちに逃げられた王子の顔に《《たまたま》》シャンデリアの飾りが取れて落ちてきたのだ。《《偶然》》とはいえそのタイミングの良さに王子は今まで見たことがないくらい動揺し始めた。周りの貴族たちの視線は痛いくらい刺さっているのに、そんなの関係ないとばかりに頬のかすり傷を大袈裟に騒ぎ立てるミシェル王子の姿を見たら……正直に言えば“冷めた”。
わたしの中の“王子様像”がガラガラと音を立てて崩れるのを感じていたら、その騒ぎを聞きつけた国王がやって来て最悪だった。なにせミシェル王子はこの断罪劇を自分の両親には内緒にしていたのだ。全てを解決して整えてしまえば、わたしを婚約者にするのを反対出来ないはずだからと。
それから現場検証が行われて、シャンデリアの壊れた飾りの所に塩が付着していたらしいとまた王子が騒ぎ出す。その様子にわたしはイライラした。……そりゃ、あの会場は塩まみれだったんだから、当たり前でしょ!今はそれどころじゃないのに、なぜそんなくだらないことで騒げるのか意味がわからなかった。
だって、今はわたしの事の方が重大ではないのか。公爵令嬢になるどころか、平民の子供だったなんて信じられなかった。しかも父親はどこの誰ともわからない暴漢……。最悪だ。あの瞬間に幸せになるための計画は足元から音をたてて崩れていってしまったのだから。
ああ、本当になぜこんなことになったのだろう……でも考えれば考えるほどミシェル王子のせいな気がしてならないのだ。
断罪パーティーの少し前、王子が「すごい事がわかった!」と鼻息を荒くしてわたしの元へやって来た。
「ものすごい証人を見つけたんだ」
そう言って連れてきたのは妙に老け込んだ不気味な中年の女だった。
その女は、自分はあの日赤ん坊を拐った……今いる公爵家の三女は自分がすり替えた平民の子供だ。と、わたしに向かって「あなたこそが本物の公爵令嬢だ」と言ったのだ。
驚いて両親に問いただせば、確かにわたしは屋敷の前に捨てられていた赤ん坊だと母が泣きながら教えてくれた。まさか自分が捨て子だったなんて驚いたが、それ以上に物語のような展開に胸が高鳴ったのをよく覚えている。
「フィリアは真の公爵令嬢だったんだ!それならば王子である僕の婚約者に相応しい立場になれる……!」
そう言ってわたしを抱き締め、あの女を破滅させてわたしが公爵令嬢になるためにどうすればいいのかを口にした時の王子はとても魅力的に見えたのに……。
今はあんな口車に軽々しく乗ってしまった事をとても後悔していた。わたしを婚約者にと望んだくせにこの牢獄にすら顔を見せない王子も、赤ん坊を拐ったと証言したあの女も許せない。そしてわたしをあっさりと捨てた育ての親を恨んだ。
それもこれも、王子とあんな女の言う事を信じてしまったから……そしてなによりも、セリィナ・アバーラインがわたしの思う通りに動いてくれなかったからだ。だって最初の予定通りにセリィナがわたしに依存してくれていたら、王子の口車に乗ることも無かったんだもの……。
わたしの人生がこんなになってしまったのは、元はと言えばセリィナのせいだ!そして、ふと思ったのだ。
────どうせ平民で犯罪者になったのなら、もう何も失うものなんてないじゃないか。それならば、どんな手を使ってもでも復讐してやる……!
そんな風に思ったら、もうそのことしか考えられなくなってしまった。いつしかわたしの頭の中はどうやって仕返ししてやるかでいっぱいになっていったのだった。
その日、地下にあるひんやりとした牢獄からは乾いた笑いが響いていた。




