34:悪役令嬢の気持ち
「……」
帰りの馬車の中、ライルは私を膝の上に乗せたままずっと抱き締めてくれている。何か考えこんでいるみたいで黙ったままだ。実はその沈黙がちょっとツラい。
……離してくれなくて困ってはいるのだが、それがちょっと嬉しいと感じている自分にも多少困惑している。パーティー会場を出た後、ライルはお父様たちに「詳しいお話はお屋敷で致します」とだけ言って私を連れて馬車に乗り込んでしまったのだ。たぶん後ろの馬車にお父様たちが乗っているんだろうけれど……そう言えばあの少年は大丈夫だったのだろうか?えぇと、あの子が入れ替わった子供で男の子で……でもその相手は私じゃなくて……。
ああ、まだ頭が混乱している気がする。結局、私自身の入れ替わりはなかったということでいいのかすらもまだ理解が追いつかないでいるのだ。
果たして私はまだアバーライン公爵家にいてもいいのか、家族の元へと戻っていいのか……ライルと一緒にいてもいいのかが知りたい……。
「……セリィナ様、怪我はない?」
抱き締める腕の力を少し緩めて、ライルが私の顔を覗き込んできた。大好きなアメジストの瞳には情けない顔をしている私がうつっている。
「ラ、ライル……。あの……なんか、わからなくなってきて……私、これからどうしたら……」
なにか言わなきゃいけないと思うほどにうまく言葉が出てこない。ただなぜか、ぽろりと涙がこぼれた。
「あ、ごめんなさ……っ、泣くつもりじゃ……」
「いいの……大丈夫よ。全部大丈夫だから」
そう言ってライルが私の髪を優しく撫でてくれた。その優しい手付きにホッとして体の緊張が解けていく気がする。そしてライルの腕に再び力が込められそうになったと感じた途端、ライルが慌てて体を離した。
「いけない、アタシったら。王子にジュースをかけられちゃったから汚れてるんだったわ。もう乾いてると思うけど、セリィナ様まで汚れちゃう……」
「────ライル」
ライルが私から離れようとしていると思ったら、とても悲しくなった。離れるのは嫌だ。だから私は腕を伸ばし、ライルに体を預けるようにして思わず抱きついてしまった。
「……ライル。お願い、側にいて」
「────セリィナ様」
そう言うと、ライルはそっと私を抱き締めてくれた。堪えきれずにさらに涙が溢れてくるのを感じているとライルの震えた声が聞こえてくる。
「怖い目に遭わせてごめんなさい。もう二度とあんな目になんか遭わせないから……」
「……ラ、ライルは全然悪くないよ。だってずっと私を守ってくれていたのに……ただ私がライルと離れたくなくて────」
そして急にわかってしまったのだ。
────あぁ、そうか。私はライルの事が“好き”なんだ。と。
もちろん、これまでだってライルの事は大好きだった。でも少しだけ違うと気付いてしまったのだ。
それは、私の中にあった“何か”で。その“何か”に名前がついたらなんだかしっくりときた。そして、ストンと私の心の中に入ってきたのである。たぶんそれこそ、前世でだって経験の無かった“初恋”というやつで──私はずっとずっと前から……ピンクのスカートを翻して私を救ってくれたライルに出会ったあの時から、恋をしていたんだ……。
“ライルとずっと一緒にいたい”。それが私にとっての恋なんだと、やっとわかったのである。
***
それから屋敷に戻り、私は全てをみんなに話した。全てと言ってもさすがに乙女ゲームの世界だなんて言えないが、それでも“セリィナとして”感じていた事は真実だから。
私は……あの日、暴漢に誘拐されかけたあの日からずっと悪夢を見ている事とその恐怖を語ったのだ。
夢の中では、15歳になった自分が家族に蔑まれて周りの人間全てに忌み嫌われていたこと。
みんながあの男爵令嬢を本物の末娘として受け入れて、無償の愛を注いだこと。
そして、家族や15歳になった王子たちから断罪されて殺されること。
「……お父様は私をダーツの的にして、お姉様たちは私を穢らわしい存在だと言い、お母様はあの男爵令嬢を抱き締めていました。最後はあの王子の剣で殺される夢を毎夜見続けて、体の痛みも恐怖も全部本物そのもので……私はそれが未来で起こる事なのだと思ったんです。
……今日も、夢より1年早いとはいえ途中まで夢が現実になったのだと信じていました」
私は1度言葉を切り、みんなを見た。そこには老執事や侍女たち使用人もいて、悲しそうな目を私に向けている。
「……私は幼心にその夢を信じ、いつかみんなは私が死ぬことを望む日がくると思った。……それが怖くて、だから顔を見るたびに逃げていたんです。夢の中で子供の入れ替わりの事も知っていたけれど、言っても信じてもらえないと思って……でも黙っていても結局その罪で殺されるのなら……なんとか穏便に公爵家を出ていけないかってずっと考えていました。人間不信を治そうとしていたのも挨拶をし始めたのも、夢が現実になった時に少しでも殺される可能性を無くしたくて……そんな打算で行動して、ずっとみんなを疑っていたんです」
「……」
みんなからしたら、たかが夢を見たくらいで自分たちを疑って逃げていたなんてわかったらそれこそ私を嫌いになるかもしれない。それでも正直に言おうと思ったのは、私がちゃんと大切に思われていたとわかったからだ。みんなの暗い顔を見てそれが遅すぎたんだと後悔するが、それこそ今更だ。もし罵倒されても仕方が無いことをしたのだから。
「……ライルだけは平気だったのはなぜなの?」
ローゼお姉様はずっと疑問だっただろうことを口にした。確かにあんなに人間不信だった私のライルに対する態度はずっと不思議だったかもしれない。
「ライルは……その夢に出てこなかったんです。だからこそ、ライルは私を蔑まないし殺さないと思いました。石を投げないし冷たい目で見てくることもない。あの時の私にとって、唯一安心して側にいられる人だったから……。でも今は、ちゃんとわかってます。私の家族は理不尽な断罪なんかしないって!それがわかるのに、こんなに時間かかかってしまいましたけれど」
「そうだったのね……。────でも、ひとつだけ言っていいかしら」
するとローゼお姉様は人差し指をライルに向け、声を張り上げた。
「いい加減セリィナを膝からおろしなさい!」
「あら、いやよ」
そう言ってライルはさらに腕に力を込めてくる。それを見てお姉様たちが「「きぃぃい!」」と叫んでいた。
そう、ライルは馬車を降りて屋敷に入ってからもずっと私を抱き抱えているのだ。確かに私が「側にいて」と言ったのだが、まさかこの話し合い中もライルの膝の上に固定されることになるとは思っていなかった。ただ、ここが1番安心する場所であることは確かなので、ついそのままでいるせいでもあるのだが。
「あ、あの、ごめんなさい。私がこんなだから────」
「何を言ってるの!こんなに可愛いセリィナを今までも独り占めしてきたのに、こんな時まで独り占めして……羨ましいですわ!セリィナ、誤解が解けたならわたくしの膝の上にもいらっしゃい!」
「ふぇ?!」
てっきり私の態度に怒ってるのかと思ったら、ローゼお姉様は自分の膝をぽん!と叩き「カモンですわ!」と手招きをしだした。
「ずるいですわ、ローゼ姉様!それならわたくしも!さぁ、セリィナ。こちらへいらっしゃい?」
「いやいや、それならまずは父親の膝の上からだろう!」
「お待ちになって!それを言うならやっぱり母親の膝の上が好ましいですわ!」
「……よろしければ、この老いた執事の膝の上でも」
ちょっと、なんでみんなで私を自分の膝の上に乗せようとしてるの?!しかもロナウドまで参戦してきたんだけど!使用人のみんなまでそわそわと挙手しようとしてるのはなぜ?!
「ちょっ、えっ?私もう14歳だし、さすがにそれは恥ずかしいので……」
と、正論で辞退したが全員がなぜかライルを一斉に指差した。
「「「「「ライルの膝の上には乗ってるのに!」」」」」
すると今度はライルがフッと自慢気に微笑み、勝ち誇った顔をしたのである。
「そんなの、アタシだからに決まってるじゃない?」
その言葉に全員が悔しそうに膝をついたのだが、それを見ながらライルがそっと私の耳元に唇を近付けた。
「……ね、だから大丈夫だって言ったでしょ?ここにいる全員、みーんなセリィナ様が大好きなのよ」
そしてウインクをすると「もちろん、アタシもね」とさらに囁いてきたせいで、思わず動悸が激しくなって一気に体温が上昇してくるのを感じた。ライルが私のことを「大好き」と言ってくれるのはいつもの事なのに、自分の気持ちを自覚してしまったからか急に意識してしまったのである。
「あらやだ、セリィナ!顔が真っ赤だわ?!」
「もしかして風邪を引いたんじゃ……ライルが濡れた服のままセリィナを離さないせいよ!」
「だ、だだだだだ、大丈夫ですから……!」
そしてこの後、私は知恵熱を出して寝込んでしまうのだが……看病してくれるライルと目が合うたびに熱が上がってしまうのだった。
 




