30:“少女”の秘密②(ライル視点)
「みんなもよく知っているそこのキズモノは偽物だったのだ!このフィリア嬢こそが、本物の公爵令嬢だと僕が証明する!」
王子が壁際にいたセリィナ様を指差すと、セリィナ様の体がビクッと反応を示す。その顔はまるで、数年前までの全ての人間に対して恐怖を感じて怯えていた頃のセリィナ様に戻ったようだった。
このパーティーで“こうなる可能性”は元々予想していたのだ。なによりもこの男爵令嬢……フィリア嬢の正体に関してはデビュタントパーティーの前から調べがついていた。それでも真実を伏せて言及しなかったのはひとりの少女の未来を憂いたからである。セリィナ様に関わってこないのであれば……セリィナ様に悪意を向けてこないのならば粛清まではしたくないと旦那様は言っていた。訳ありとはいえ、アバーライン公爵家が下手に動けばセリィナ様と同い年の少女の人生を潰しかねないのだから。
そして……王子が勝手に暴走しているだけかもしれないし、その場合はフィリア嬢の反応次第だと言われた。その場合の判定をアタシは任されていたのだ。
だからセリィナ様にも何も教えなかったのだ。パーティーで何も起こらなければ余計な心配をかけるだけだと……いや、旦那様はセリィナ様が将来公爵家を出ていこう考えている事を知って恐れていただけである。もしもセリィナ様がその話を聞いて自分の事を“偽物”かもと疑ったら、家出したらどうしようと。そんな心配をするくらいに親子のコミュニケーションが足りていないのだ。まぁ、セリィナ様がどこに行こうとアタシだけは絶対について行くけどね。今更手放すなんて冗談じゃない。
自身の発言に周りがざわめく中で、王子はフィリア嬢のやたらと露出の多い肩を抱き鼻の下を伸ばしていた。思春期らしいと言えばそうなのだろうがまだまだ子供だ。自分のしたことがどんな事なのかを全く理解していない。
「そしてこの場で、このフィリア嬢を王子である僕の婚約者にするとここに宣言する!ここにいるみんなが証人だ!」
「ミシェル様……!うれしい!」
抱き合うふたりの姿に周りは戸惑うばかりのようで拍手喝采なんて起こるわけがない。国王陛下もいない場で王族の婚約発表など非常識だからだ。
学園入学前の子供たちもその付き添いやパートナーとして参加している大人たちも、わけがわからない様子だった。
その時、たぶん学園の関係者であろう中年の貴族が焦った顔で王子に疑問を向けた。
「あの、王子殿下。申し訳ありませんが詳しくお聞かせ願えませんか?確たる証拠も無しにそのようなことを口にすれば、いくら王子殿下とはいえお咎め無しとはいきますまい」
「ふん、なんだ?僕が嘘偽りを口にしたと言いたいのか?」
「い、いえ!決してそのようなことは……」
それから王子はフィリアが本物の公爵令嬢である理由を語りだした。証人がいるのだと……。
「産まれたばかりの赤ん坊であるフィリアを拐ったと、当時の公爵家で働いていた侍女が白状したのだ。そしてその罪を隠すために他の赤ん坊とすり替えたのだとな」
王子曰く、その侍女はアバーライン公爵に懸想し男女の仲を迫ったが冷たくあしらわれてからずっと逆恨みしていたそうだ。そんな時に三人目の子供が産まれ、その恨みは何の罪もない小さな命に向けられてしまったのだと。
「赤ん坊を拐ったもののさすがに殺すことは出来なかったその侍女は当時は王都に住んでいたいた男爵家の屋敷の門前に赤ん坊を置いたのだ。そして子宝に恵まれず気落ちしていた男爵夫人はその赤ん坊を見つけて神から贈り物だと喜び、自分たちの子供として育てた。しかし誰かがこの赤ん坊を取り返しにくるのではと心配して、領地のある田舎に引っ越したんだそうだ」
その赤ん坊こそが、このフィリアだ。と、王子は言った。
「それが真実ならば、じゃあ……セリィナ嬢は?」
「慌てるな、ここからがいいところだ。そして赤ん坊を捨てた侍女はだんだんと自分のしたことが恐ろしくなったそうだ。なにせアバーライン公爵は影ではとても恐ろしい男だと有名だからな。しかし慌てて引き返すもすでに赤ん坊は男爵夫人の腕の中だったので取り戻そうとすれば自分の罪がおおやけになってしまう。どうしようかと悩んでいたその時に、見つけたんだそうだ」
「そ、それはなにを……」
ごくりと、誰かが息を飲む音が聞こえる。
「侍女は、とある店先で老女があやしている赤ん坊が目についた。髪も目の色も同じで見た目もよく似てる赤ん坊だ。しかし老女の出で立ちはどうみても平民。フィリアの髪色や瞳の色は貴族ではよくある色だが、平民にも珍しいが時折出てくる色でもある。だから、こう思ったそうだ。
“この子供を拐って、身代わりにしよう。”と」
老女を突き飛ばし、奪い取った赤ん坊。老女が何かを叫んでいたが人混みに紛れて走り去ってしまえば追手などこなかった。珍しい色ではあるがどのみちたかが平民の赤ん坊だから、大丈夫だ。そう思ったそうだ。と、まるで自分の手柄かのように悦な表情で語りながら王子は戸惑う給仕からワイングラスを奪い取り、セリィナ様へと視線を向けた。
「つまりそこのセリィナ・アバーラインは、公爵令嬢どころか誰の子かもわからぬただの平民なんだ!」
王子にそう言われて、セリィナ様の顔から血の気が引いていく。まるでそれが真実を物語っているように見えて機嫌を良くした王子がさらに続けた。
「ダマランス男爵にはすでに話はつけてある。娘を手放すのは悲しいが王子の婚約者となりフィリアが幸せになれるのならば公爵家にフィリアを返すことも承諾してくれた。だが、そのキズモノを引き取るのは断られたがな。どこの誰ともわからぬ平民の子などいらないそうだ。たとえ公爵家に行こうとも愛する娘はフィリアだけだと、男爵夫人は涙を堪えて言っていた」
フィリア嬢は王子の言葉に反応するかのように大きな瞳に涙を溜めている。さらになにかの悲劇のヒロインにでもなっているかのように大袈裟に体をくねらせて紅潮させた頬に両手を添えた。
「たとえ公爵家に戻ろうとも、ダマランス男爵家のお父様とお母様もわたしの親です。わたしには男爵家と公爵家のふたつの家族がいるって事ですもの、なんて幸せ者なのかしら。親孝行するためにも、わたしはミシェル様と一瞬にもっと幸せになります!」
「フィリアは、なんて親思いで心優しいんだろう!それに比べてセリィナ・アバーライン……いや、今はただのキズモノだな。お前は平民でキズモノのくせに公爵家に寄生する害虫だ!自らを公爵令嬢と偽りフィリアの事を“男爵令嬢だ”と嘲笑った罪は重いぞ!お前はダマランス男爵家とアバーライン公爵家、そして王家を敵に回したのだ……今すぐ死刑にしてやる!」
フィリア嬢に微笑みかけたあとセリィナ様を睨んでくるミシェル王子からは殺意を含んだ感情を感じられた。なぜこの王子はそんなにもセリィナ様を憎んでいるのかまったくわからないが、とんだ寸劇に吐き気がしそうだ。
いっそのこと、今すぐ王子の息の根を止めてしまえば全て終わるんじゃないか……なんてドス黒い感情すら芽生えてくる。あぁ、でも“掃除”は禁止されてるんだったわ。今は堪えるしか無いのかと思うとなんて歯痒いのかしら。
「お、お待ちください!今の話が本当だとしても、それならセリィナ嬢も被害者では?!赤ん坊の頃に無理矢理拐われたのなら、自分の出生などわかりません!それなのに身分を偽った罪で死刑など横暴です!」
「うるさい!あんなキズモノの肩を持つならお前も同罪だぞ!?さぁ、偽物の公爵令嬢よ。言い訳があるなら言ってみろ!」
唯一まともなことを訴えた中年貴族だったが、“同罪”とまで言われて身を引いた。他の人間も疑問には思っていても王子に逆らってまでセリィナ様を守ろうとは思わないのだろう。
青ざめた顔でそのやり取りを見ているセリィナ様の前に出て、こちらに詰め寄ろうとしてくる王子の視界からセリィナ様を隠した。こんな王子なんかに、これ以上セリィナ様を傷付けさせるわけにはいかないのだ。
「────言いたいことはそれだけですか?」
「キサマ、なぜそのキズモノを庇う?なんだ、その不気味な笑みは……僕の話を聞いていなかったのか?お前はセリィナの遠縁だと言っていたが、本当の公爵令嬢はここにいるフィリアであってそこにいるのはただの平民で偽物だ。お前は騙されていたのだぞ?わかったら、早くその偽物をこちらに渡せ」
そんな王子の声が聞こえた途端、背後のセリィナ様がビクッと体をこわばらせたのがわかった。服の裾をぎゅっとつかんだ手から震えているのがわかる。さっきのぷるぷるとした可愛らしい震えじゃない、恐怖の震えだ。
「……ライルに嫌われたら……いやだ……やだ、ライルお願い……嫌わないで……」
小さすぎて聞き逃してしまいそうな震える声が耳に届いてきて、早く抱き締めたい衝動にかられる。
大丈夫だと。嫌いになんかなるわけないと早く伝えなければ。あぁ、でも今はこの場をなんとかするのが先か。相手が王族でなければとっくに蹴り飛ばしているのに。それにしても、このパーティー会場には時間を示すものが無かったので正確な時刻はわからないが……たぶんそろそろだろうとは思った。だが、あまりに遅れるのならば……少しくらいオイタしたっていいわよね?
「誰が相手であろうと、渡すはずがないでしょう?」
「……ふん。ならば王子に逆らった罪でお前も罰してやろうか?」
そう言って手に持っていたグラスの中身をアタシの顔に勢いよくかけてきた。中身はぶどうジュースのようだが、その赤黒い液体が滴り落ちる様子を楽しそうに眺めている王子の姿にはどうしても明るい未来を感じられない。セリィナ様を怯えさせるだけの存在なんていらないんじゃないか。そう思ったら手が勝手に動いていた。
やっぱり、多少罪に問われたって今ここで────。
我慢しきれずに、殺気を込めた瞬間だった。
「「お待ちなさい!」」
勢いよく音を立てて開かれた扉から、同じ顔をした二人の美女……ローゼマイン様とマリーローズ様が姿を現したのである。
「……ふぅっ」
まったく遅いわよ。なんて、思わず愚痴が出てしまいそうになったのはしょうがないと思うのよね。




