26:相応しい立場(王子視点)
「一体どうなっているんだ……!」
僕はイライラしてしまい、無意識に爪を噛んだ。そのせいで右手の人差し指と中指の爪がガタガタになっていて、王子として相応しい行為ではないとよく注意される。わかってはいるが、つい噛んでしまうのだからしょうがないじゃないかと思うと余計に苛立ちが募った。
元々癖になっていたのに、この数年でさらに頻度が増えて爪の形は変形していた。爪を噛まないように意識すると今度は部屋の中をぐるぐると歩きまわりたくなり、目に留まる調度品を力いっぱい叩き割りたい衝動に駆られるがさすがにそれは駄目だとなんとか拳を抑えていた。
なぜこんなに苛ついているのかと言えば、全ては“あの女”のせいなのだ。
僕は王子だ。この国の王子が望んだことが全然叶わないなんておかしいじゃないか……!脳裏に浮かんだ“あの顔”に腹が立って気が付いたら僕は花瓶を壁に叩きつけていた。
この数年間、あの悪女であるセリィナ・アバーライン公爵令嬢の悪事を暴いてやろうとあの手この手を尽くしたがなぜか全て失敗に終わってしまったのだ。
最初は暴漢共に金を握らせて襲わせようとした。ちょっと脅してやればおとなしくなるだろうと思っていたからだ。だが、まずあの女はほとんど屋敷から外に出歩かない。たまにチャンスがあった時に限って、あの女に近づく前にいつの間にかその暴漢共は姿を消してしまうのだ。
てっきり金だけ持って逃げられたのかと思っていた。だから使用人にはさらに金を持たせて何度も違う暴漢を雇ってみたが必ず姿を消してしまう。そしていつの間にか街からは質の悪い暴漢はいなくなってしまった。しかも、まるで最初からそんな人間など存在しなかったかのようにいなくなるのだ。さすがに偶然だとは思えず、わけが分からなくてさらに爪を噛む回数が増えていた。
そんな頃、バナードが事故に遭ったと知らせが入ったのだ。なにやら僕らには秘密にして単独で動いていたみたいだが、夜中に違法カジノに行こうとしたらしい。怪我をしたと聞いたフィリアが見舞いに行くと言うので僕とウィリアムもついて行ったが……バナードの変貌に言葉を失ってしまった。
バナードはもう二度と歩けないと聞いた。切れてしまった足の靭帯はどんな手術をしても治らないと医者から匙を投げられたのだとか。モルガン侯爵夫妻からも見捨てられてしまったバナードは口をパクパクとさせている。あぁ、事故のショックで声が出なくなったんだったか?顔色を悪くして何かを必死に訴えているようだが、もしかして僕に助けを求めてるのだろうか。親からも捨てられ、歩けもしないし話も出来ない……こんな奴などもう僕の“友達”に相応しいとは言えないが────事故については少しだけ気になった。
だから、調べてみることにした。別に父上に頼んで影を使ったわけでもない、ただいつもの使用人に探らせただけだ。それなのにそれはすぐに明らかになったのだ。
まさかバナードの事故にウィリアムが関わっていたのには驚いた。使用人の報告によれば、自分より身分の低いバナードを排除するために嘘の噂を流して平民の御者を権力で脅したのだと言う。その報告を聞いて思わず眉をしかめた。それはまるであの“悪女”のようだと思ったからだ。ウィリアムは次期宰相だし、僕の“友達”としてはまだ有用性がある。だから、反省してもらうことにしたのだ。僕の“友達”として相応しくなってもらわないといけないからな。
「この報告書を匿名で宰相のところへ持っていけ」
頷いて立ち去る使用人の背中を見ながら、これでウィリアムは宰相から叱られてしばらくおとなしくなるだろうと思った。
“友達”の方の問題が片付くと、またもや“セリィナ・アバーライン”の事で頭の中がいっぱいになる。アバーライン公爵家は優秀な貴族だが、セリィナ・アバーラインという汚点だけがどうしても気にくわないのだ。あの女がフィリアよりも偉そうにして贅沢三昧で過ごしていると考えると気が狂いそうになる。
僕はフィリアを愛しているし、フィリアだってもちろん僕を愛してくれている。だが、フィリアは男爵令嬢だ。どんなに愛し合っていても王子の婚約者にはなれない。
王子の婚約者になるためには最低でも伯爵……否、侯爵くらいの爵位が必要だ。でも公爵家に年頃の娘がいるとなるとやはり順位はそこからになってしまう。さすがに父上もあのキズモノと婚約せよとは言わないが一瞬でもあの女が候補に上がったかと思うだけで虫酸が走った。
あのキズモノは候補に上がるのに、男爵令嬢であるフィリアは候補どころか存在すら無視されるのだ。ただ爵位が男爵なだけでフィリアは素晴らしい女性だと言うのに!
フィリアもよく悲しそうに言っていた。「わたしが公爵家の娘だったなら、みんなに祝福されてミシェル様の婚約者になれるのに」と。
だからずっと考えていたのだ。 “あの女とフィリアの立場を入れ替える”方法を。
もう、裏家業のヤバイ奴等に頼んでみるしかないのかと息を吐いた。使用人に調べさせて、金額次第で国を揺るがすような情報収集から暗殺だってこなしてくれる集団がいることは知っている。だが金は膨大にかかるし、いくら王子とはいえ下手に関わるとこちらも危ういのだ。出来れば最終手段にしたかったが仕方が無い、緊急事態なのだから金は国庫から拝借するとしよう。これも愛しいフィリアの願いを叶えるためだ……僕はいつもの使用人を呼び出した。
***
「ウィリアムが意識不明だと?」
あの日、例の件で家を追い出されたウィリアムは孤児院に入れられた。お仕置きにしては厳しいと思ったが、宰相の面目や建て前もあるのだろう。きっとほとぼりが冷めたら孤児院に迎えに行くつもりなんだろうなと、僕はそう考えていたのだ。だって彼は“次期宰相”なのだから。
しかし数年経ってもウィリアムがクレンズ公爵家に戻る気配はなく、宰相が養子を検討していると噂が流れた頃……ウィリアムが不慮の事故に遭って意識不明の重体になったと、定期的に孤児院を見張っていた使用人が言った。だが、僕にはウィリアムの事を悲しんでいる暇はなかった。なんとそれと同時に、とんでもない情報が僕の元へと届けられたからだ。
さすがに裏家業をしているだけあって仕事が出来るようだ。僕はその報告書を読んで笑いが止まらなくなり、もはや“友達”の事などどうでもよくなった。
「これで、あの女を破滅させられる……。フィリアの望みが、僕の望みが叶うぞ!」
その報告書にはこう書かれていたのだ。
“セリィナ・アバーライン公爵令嬢とフィリア・ダマランス男爵令嬢は赤子の時に立場が入れ替わっていた可能性がある”と────。
あんな女と一緒に学園に通うなんてごめんだった。僕とフィリアが平和な学園生活を過ごすためにもセリィナは邪魔なのだ。学園になんて入れないようにしてやる。だから、パーティーを開いてやることにした。
あの女の傲慢な鼻をへし折って、奈落の底へ突き落としてやるためのパーティーだ。悪女は悪女に相応しい立場になればいい。セリィナの澄ました顔が歪むのを想像したら笑いが止まらなくなったのだった。
 




