23:つまらない日常(ウィリアム視点)
毎日が退屈だった。
この国の采配を振る宰相であるクレンズ公爵の嫡男に生まれ、王子ともほぼ対等な付き合いをする何ひとつ不自由の無い生活。そして、何の刺激も無く淡々と過ぎるだけでつまらない……それがウィリアム・クレンズの人生だった。
俺は幼い頃から優秀だと、さすがは宰相の一人息子だと言われていた。裏を返せば「子供らしくない」と蔑まれていたらしく、父上は何も言わなかったが母上は時折顔を曇らせることがあった。きっと俺に“子供らしく”して欲しいと思っているんだろうけれど……母上には申し訳無いが、無理なものは無理なのだと息を吐くしかなかった。
物心ついた頃からなんでも出来た。勉強なんて簡単だったし、剣術だって少し振り回せば家庭教師がすぐに太鼓判を押してくれた。「さすがはクレンズ公爵様のご子息です」「次期宰相でなければ我が家に来て欲しいくらいだ」とみんなが口を揃えて褒め称えてくる。
子供なら喜ぶところだろうけれど……俺はそれを「つまらない」と感じていた。
それに、どうせ俺の将来は父上のように宰相になるに決まっている。親が決めた婚約者の伯爵令嬢だって俺が宰相になる為の地盤固め的な存在だ。それを知っているから、その辺の子供のように“将来の夢”に胸を踊らせるなんて出来るわけがない。
まぁ、一応父上からは「宰相と言う役職は血筋で選ぶものではないのだ」と言われているが周りに気を使った建て前だろう。だって俺より優秀な人間なんていないし、みんなが俺を「次期宰相」と呼ぶのだ。その度に憂鬱な気分になったが。
決まったレールを走るだけの人生。宰相になるのが嫌というわけではないけれど……やはりつまらないのだ。それまで俺の人生は全てが灰色だった。
けれど、ある日その灰色が一気に色付いたのだ。それがフィリアとの出会いだった。
「はじめまして、あなたウィリアム様って言うのね?仲良くしてください!」
俺を「宰相の息子」ではなく「ウィリアム」として見てくれるその瞳に俺は生まれて初めて“恋”という感情が自分の中にあると知ったんだ。
そしてそんな感情が芽生えていたのは俺だけではなかった。フィリアを助けて連れてきたミシェル王子はもちろん、侯爵家のバナードも輝いた瞳でフィリアを見ている事にすぐに気が付いたのだ。
それからは4人で過ごす時間が増えた。時々二人きりになるとフィリアはいつも俺の悩みを聞いてくれる。
「ウィリアム様の未来はウィリアム様が決めることだもの。わたし達はまだ子供なんだからもっと楽しいことを考えなくちゃ!」
フィリアのそんな言葉と笑顔がいつも俺の心を軽くしてくれるんだ。だからフィリアに俺を意識して欲しくて、どうしたらいいかずっと考えていた。結局、デビュタントパーティーのエスコート役は王子に奪われてしまったが俺が贈ったネックレスをフィリアは気に入ってくれたようでホッとしたんだ。……そのネックレスが本当なら婚約者に贈るはずのもので、さらに俺が婚約者のエスコートを直前で断ったら相手の家を怒らせてしまったようだがそんなことでで俺の将来が揺らぐはずもない。
だから、“セリィナ・アバーライン”のことも俺が解決してやろうと思った。フィリアはやたらあの女に怯えて警戒している。だからその不安を解消してやればきっと俺を意識してくれるはずだ。それにどうせ悪い噂しかない令嬢など、どうなったって誰も困らないだろう。
そんな時、バナードがなにか動き出しているらしいと小耳に挟んだ。やはりあいつもセリィナを排除してフィリアの関心を引こうとしているようだった。それは俺の役目なのに邪魔だと思った。だから俺は“それに”便乗することにしたのだ。
「金をくれるんスなら、お安い御用ッスよ」
宰相の名前を利用して雇った“情報屋”はヘラヘラとした冴えない顔をした若い男だったが、持ってくる情報は確かなものだった。なかなか機転が利く男で俺がつい普段の愚痴まで話してしまうほどだ。だが子供らしくない俺にはなぜかこの男との会話が心地よかった。
そしてバナードの行動は全て筒抜けになり、俺は情報屋を利用してバナードに“嘘の噂”を流した。それは「貴族令嬢がカジノに出入りしているらしい」と言うどこにでもありそうな噂だ。だがこの国では未成年のカジノは法律で禁止されている。もしもバナードがこの噂を鵜呑みにしてカジノに“貴族令嬢を探しに行った”場合どうなるか……たぶんすぐに親にバレて謹慎処分は免れないだろう。好奇心に負けた子供のイタズラだろうとも、王子の“友人”の資格はなくなる。フィリアには会えなくなるのだ。
それがまさか、あんな事になるなんて────。
バナードは俺の思惑通りカジノに行った。そして不運な事故に遭ったのだ。
バナードは身分がバレないように辻馬車を利用したらしい。そしてカジノに向かう途中で馬車がひっくり返ると言う事故が起きたのだ。御者と馬は無傷だったのに馬車に乗っていたバナードだけが怪我をしたと知らせが届いた。
事故を知ったフィリアが見舞いに行くと言うのでついて行ったら、バナードは酷い状態だった。
運悪く割れたガラスで足の靭帯を切ったらしく両足の靭帯だけがスッパリと切れていてもう二度と歩く事は出来ないらしい。さらに事故のショックで声が出なくなったと聞いたがバナードは口をパクパクとしながら俺に“何か”を訴えているようにも見えた。その首に虫刺されのような小さな傷があったが……俺は気付かないフリをした。
その夜、誰も入れないはずの俺の部屋にはメモ書きがひとつ置かれていた。
“お前の依頼は遂行した。約束の金を用意しろ”
そこに書かれていた金額は法外な値段で、とても子供の俺に払えるようなものではなかった。そして、あんなヘラヘラとした冴えない情報屋がバナードをあんな目に遭わせたのかと思うとその時初めて背筋が寒くなった。
違うんだ、俺はここまで望んでいない。バナードが親に怒られてフィリアの前からいなくなればいいと……そう、“子供らしい”イタズラ心だっただけなのに……。
「そ、そうだ!逆にあの情報屋を訴えてやれば……」
きっと辻馬車の御者はあの情報屋だ。こんな“子供”の愚痴を鵜呑みにしてあんな事をした“大人”が悪いのだ。それに俺はあの男の顔を見ているし、俺は“悪い大人”を父上に教えてやればいい。少しは怒られるだろうが俺はまだ“子供”なんだからきっと許してもらえる。何せ俺は“未来の次期宰相”なんだから。
***
「まさかお前が“友人”を陥れるような“卑怯者”だったとはな」
冷たい視線と声が俺に降り注がれる。俺がやったことは全て父上にバレていてどんなに言い訳をしても聞いてもらえない。なんと、俺がバナードを“陥れた証拠”が出てきたというのだ。
「違うんです!全て情報屋が勝手に勘違いしてやっただけで……子供の戯言を本気にして犯罪を犯した情報屋こそ捕まえるべきです!」
俺は情報屋の事を包み隠さず話したが誰も信じてくれなかった。
「御者は足の弱った老人だったぞ。お前から事故を起こすように脅されたと、宰相の名をチラつかされたと証言してくれた。だいたい、確かにクレンズ公爵家の名で情報屋に依頼を出しているが断られているじゃないか。親の名前を出して、この父に連絡がこないとでも思っていたのか?子供のイタズラかと思って情報屋ギルドには謝罪しておいたが、まさかこんな事になるとはな……。お前のような奴を次期宰相どころかクレンズ公爵家の人間とは認められない。そんなに自由になりたければ好きにしろ────もう二度と目の前に現れるな」
「────え」
こうして俺は縁を切られて家を追い出されてしまったのだ。そして俺は、これまで「家に来て欲しい」と言ってくれた教師や父の友人の所を回ったが全て門前払いされてしまった。みんな“宰相”が怖いのか。俺はきっと父上を超える人間になれるのに。こんな情けない姿などフィリアには見せられない。だから最後の頼みの綱で婚約者のところへ転がり込むことにしたのだ。
「婚約者なら助けてくれ」
フィリアに比べたらパッとしない婚約者だが俺を助けてくれるなら少しは愛せるだろうと思ったのに。
婚約者は……いや、その伯爵令嬢は今まで見たことの無い可愛らしい笑顔で「婚約はすでに破棄しました。……さようなら」と言ったのだ。
それから俺は平民となり孤児院に入れられた。俺はせめてここで自分の優秀さを発揮してやろうと思ったが、勉強も剣術もなぜか誰にも敵わない。この孤児院はとある高位貴族の恩恵を受けていて、優秀な子供は将来その貴族の家で使用人として雇ってもらえる可能性があるのだとか。だからみんな必死に自分の得意分野を伸ばしているらしい。今日も自分より小柄な子供に剣で負けてしまい悔しい思いをしながら生活をしていた。
そんな時、あの男を見つけたんだ。
だから俺は暴いてやろうと思った。笑顔で孤児院の大人と話しているその男の正体をこの場でぶちまけてやろうと口を開いた次の瞬間。
「おっと、そんなに慌てなくてもちゃんと全員分あるッスよ」
その男が俺の口に何かを放り込んだのだ。丸いそれを思わず飲み込むと口の中に甘さが広がる。なんだ、ただの飴か。そう思って男を見ると無害そうな顔で「子供は元気が1番ッスけど、事故には気を付けた方がいいッスよ」と笑ったのだ。
俺はその笑顔が怖くなってその場から逃げ出し、他の子供と同じように無邪気なフリをして木登りをしてみせたのだが……木の上で突然体が動かなくなってしまい、俺はそのまま落下した。
幸い軽傷ですんだが、その男はこう言った。
「だから危ないって言ったッス。これからも定期的に様子を見にくるッスから……気を付けて暮らすんッスよ」
それから俺は目立つような言動を一切やめた。そして何かに怯えながら暮らしていく事になったのだった。
あぁ……どうしてこんな事になったのだろうか。あのつまらなかった日々に戻りたいと願うがそれが叶う事はなかった。




