22:おねぇ執事の秘密1(ライル視点)
「私の執事になって!」
あの時は、この可愛らしい少女のたったひと言によってこんなにも自分の運命が変わってしまうことになるなんて思いもしなかった。
***
当時10歳だったボクは、血の繋がらない祖母と下町の貧困層で暮らしていた。
もちろん血の繋がっているはずの本当の家族も存在するのだが、ボクにとって“家族”と言えるのはその祖母だけだったのだ。
「おばあちゃん、大丈夫?」
「わたしは大丈夫だよ……。いいかいライル。今は我慢しなければいけないけれど、いつかきっと幸せになれるから、信じなさい……」
そう言って古びた指輪をひとつ取り出すと、「お守りだよ」と言って見たことのない変わった模様が彫られたその指輪をボクに握らせてくれた。
その頃、祖母は体を壊し寝込んでいることが多かった。それまでの生活は祖母のささやかな貯金と近所の大人の手伝いをしてわずかな食料をわけてもらってしのいでいたが、この貧困層ではみんなギリギリの生活をしているので余裕がないときは雨水を啜って過ごしたこともある。
この街はアバーライン公爵家の領地でとても豊かだ。公爵家の人達は平民にも優しくて人気があり、比較的治安も良いとされている。だがそれは目に見えるほんの一角で、貴族の目の届かない場所は酷いものだった。
その頃のボクは貴族が嫌いだった。それは自分の“本当の親”に関わりがあることで、今なら貴族が全てそうではないとわかっているがその時はそれが全てだった。だから公爵家の人間が顔を出すというお祭りを見に行くこともなかったし、貴族という人種に期待をすることもなくただその日を生き抜く事に必死だった。
それにボクは祖母と一緒にフラリとやって来て勝手に住み着いた“見慣れない子供”だ。この濁ったような赤い髪のせいもあってこの下町ですらもボクを嫌う人は多い。だからボクも自分の見た目が大嫌いだった。もちろん友達なんかひとりもいなかったし、誰にも相談など出来ずに日毎に弱っていく祖母の姿を見守るしか出来なかったのだ。
そんなある日、祖母の容態が急変する。お金なんてなかったのでボクは家にあった最後の食料を持って最近下町へやって来たという医者のもとへ走った。
結果だけ言えば、祖母は助からなかった。
医者のおじいさんはちゃんと来てくれたし、祖母を診察してくれたがもう手遅れだったのだ。祖母は消え入りそうな声でおじいさんに何かを頼むと、眠るように逝ってしまったのだ。
不思議と涙は出なかった。
「ライルと言ったな……。お前さんこれからどうするつもりじゃ?行くあてがないなら儂の所に来るといい」
「……」
祖母が死んでしまいひとりきりになったボクは、それからしばらくそのおじいさんの家に引き取られることになった。
おじいさんはそれなりに有名な医者だったらしく毎日色んな人が治療を求めてやって来た。でも下町の人たちからお金は取らないし、たまにやってくる貴族の使いっぽい人たちは追い返している。そんなのでどうやって生活してるのか聞いたら「昔の蓄えがあるからの」と笑うだけだった。
それから2年間、ボクはおじいさんから祖母に代わる愛情と生きる術を学びながら過ごしたのだ。
12歳になった時、独り立ちしようと決意した。しかしボクの年齢と見た目でまともに働く場所も見つからず途方にくれている時に酔っぱらいに絡まれてしまった。
かなり酔っているのか「気持ちわりぃ髪をしやがって、不気味なガキだ!」と突然殴ってきたかと思うと、ボクの事を舐め回すように見てニヤリといやらしい笑みを浮かべてボクの腕を掴んだのだ。
「よく見たらきれぇな顔してやがる。どうせ男娼だろう、いくら欲し「消えな!この、うすぎたねぇ豚野郎がぁぁぁ!」ぶふぇっ?!!」
そして連れ去られそうになった瞬間。酔っぱらいは路地の奥へと吹っ飛んでいった。ボクの目の前ではピンクのスカートがひらりと舞い、その隙間から赤いハイヒールが見えた。
「きみぃ、大丈夫ぅ?」
「は、はい……」
酔っぱらいを回し蹴りで吹っ飛ばしたその人物が長いまつ毛を上下させてウインクしてくる。その人はピンクのドレスを身に纏い、顎にうっすらと髭を生やした大柄の男で……下町にある“オカマバー”の店長だったのだ。
それからボクは店長に事情を聞かれてありのままに話すと、なぜか気に入られてそのオカマバーで働くことになった。
オカマバーと言っても従業員である“おねぇ”さんたちがドレスを着て歌やダンスと食事を客に提供するだけの健全な仕事だと説明されたが、渋るおじいさんからは「15歳になるまで接客はしないこと」と条件つきで許可をもらえた。
ボクの仕事は掃除や洗濯、それに料理。従業員の“おねぇ”さん達のメイクやドレスの着付けに“おねぇ”さんたちの連れ子(母親が病死したり、事情があって引き取ったりと色々だが)の子守りなど、裏方の仕事はあらかた出来るようになった。裏方なので給料は少なかったが、お店に住み込みで働かせて貰えたし食事もちゃんと食べれたので衣食住に困ることはなかった。
おかげで体力と筋肉もついたし今では片手で子供を抱き上げながら荷物を運ぶことも楽勝だ。お菓子作りだって得意になった。おじいさんも時折お店に顔を出してボクの様子を見に来てくれていた。
そしてボクが14歳の時、1年後の接客デビューに向けて特訓も始まってしまった。
「まずは口調からよ!“おねぇ”たるもの言葉遣いは美しく!」
店長の厳しい特訓により、“ボク”は“アタシ”として生まれ変わることになったのだった。
1年かけてすっかり“おねぇ”さんらしくなった“アタシ”は、ピンクのドレスに身を包みとうとう接客デビューすることになったのだが……。
ずっと裏方仕事だったせいか、いざ表舞台に出ようとしたら緊張で気分が悪くなってしまった。お披露目のダンスの前に気持ちを落ち着かせようと先に休憩をもらいお店の外に出たその時。
見てしまったのだ、ゴロツキたちに拐われ泣いている小さな女の子の姿を。 “アタシ”は無我夢中で走りだし、気がついたら店長直伝の回し蹴りで暴漢を吹っ飛ばしていた。
その女の子が公爵令嬢だった事にも驚いたけれど執事にスカウトされたのはもっと驚いた。
結局オカマバーは接客デビューすることなく辞めてセリィナ様の執事になったが、執事教育は大変だった。特に執事長であるロナウドさんから受けた特訓は暗殺者でも育てる気なんだろうか?と思う程であったが、どれも全てセリィナ様を守るためなのだと体の芯に叩き込まれたのも今ではいい思い出である。
公爵家はこの濁ったような赤い髪でも差別なく受け入れてくれる。使用人たちにとって髪色など些細なことであり、大切なのはセリィナ様が笑顔でいるかどうかなのだ。もちろんそれはご家族も同じで、旦那様から「セリィナを頼む」と頭を下げられた時はもっと驚いた。貴族が、それも公爵家の当主が娘の為とはいえ使用人に頭を下げるなんて思いもしなかったから。
まぁ、“アタシ”が“おねぇ”だからセリィナ様を安心して任せられる……みたいなことも言っていたからそこは笑顔で誤魔化しておいたけれど。だって、もうその時には絶対にセリィナ様の側にいるって決めていたから。
セリィナ様のためなら、執事でも女装でも男装でもなんでもする。セリィナ様がアタシを「綺麗だ」と言ってくれるのならば、セリィナ様の好きでいてくれる“アタシ”でいよう。
「私、ライルのこと大好き!」
「あら、うれしいわ。アタシもセリィナ様のこと大好きよ」
なによりも、この可愛らしい笑顔を独占できる特権を手離したくなかったのだ。
***
あの運命の出会いからすでに4年。去年のデビュタントパーティーでは嫌な目に遭ってしまってしばらくは落ち込んでいたようだが今は少しづつ笑顔を取り戻してくれた気がする。
「頑張って害虫退治したかいがあったわ」
あの後、パーティーでの出来事を報告したら旦那様たちの怒り具合は凄まじく、今すぐ全員の首を刎ねる勢いだったのだ。それを宥め、時間をかけてじっくりと害虫退治することにしたのである。だって簡単に駆除してしまっては彼らが楽になってしまう。それでは駄目だ。もっともっと苦しんで、悔やんで、そして絶望すればいい。
“アバーライン公爵家のセリィナ様”に手を出したことを。
そう言えば最近のセリィナ様は本を読んだりノートに向かって「ううーん、チート能力とはなんぞや」と考え込んでいるけど何かあったのかしら?
それにしても未だにベッドに潜り込んでくる癖はどうにかしないとそろそろ(アタシが)怒られそうなのだが、恥ずかしそうに頭を抱えて「本能に逆らえない……!」となにやら悩んでいる様子のセリィナ様が可愛らしいので強く言えないのである。まぁ、それもこれも“アタシ”が“おねぇ”だから大目に見てもらえるし、セリィナ様も何も感じていないのだろうけれど……。
あの1年の特訓のせいですっかり体に染み着いてしまったおねぇ言葉や仕草を、今さら戻すのは無理よねぇ。店長ったらスパルタだったんだもの。
そんな事を考えながら、次の“害虫”はどうしてやろうかと目を細めるのだった。
ちなみにライルから貧困層の事を聞いた公爵がすぐに下町に出向き、ほとんどの問題を解決した。今ではみんなが仕事を手に入れ、飢えることは無くなったようだ。例のオカマバーも健在である。




