20:〈閑話3〉続々・おねぇ執事さんとお嬢様を見守り隊(侍女視点)
それは、“セリィナお嬢様が初めて子馬の鬣に触れて楽しそうにしておられた。”と言う朗報がアバーライン公爵家使用人一同に伝達され、みんなで万歳三唱をした数日後のことだった。
***
「実は、サーシャさんにお願いがあるんですけど……」
そう言いながらライルさんが見せてきたのはなぜかヨレヨレになっている緑色のリボンだった。しかしよく見れば白いシルクのリボンに直接クレヨンで色を塗ったもののようで、ところどころ色が落ちて滲んでいる。
それを見てわたしは、すぐにそれが厩番のウォーグくんが恍惚な表情で語ってみんなを羨ましがらせた“伝説のリボン”だと悟ったのだ。
「こ、こここここ、このリボンは!な、なぜ?!なぜこんなことに?!」
動揺し過ぎです舌を噛みそうになったがそれどころではない。なにせセリィナお嬢様が手作りしてライルさんにサプライズプレゼントした世界にひとつしかないリボンが無残な姿になって目の前にあるのだから。
「それが……このリボンが油を弾くタイプだったみたいで、だんだんクレヨンの色が取れて来ちゃって……どうにか戻そうと思ったんですけど……」
そう言ってライルさんがしょんぼりと俯く。なんでもこなすタイプだと思っていたから意外ではあったが、確かにこの案件は難しいだろう。
「……セリィナ様に気付かれる前になんとか直せないでしょうか?」
「そうですね……それなら、最適な人がいますよ!」
そしてわたしは、とある人をライルさんに紹介してあげることにしたのだった。
ライルさんはセリィナお嬢様の為の執事だ。アバーライン公爵家から勝手に外に出るわけには行かないのでわたしが代わりにそのとある人の元へと馬を走らせることにした。ウォーグくんに事情を説明したら1番足の速い馬を速攻で用意してくれたので感謝しかない。
そしてしばらく馬を走らせ、5年前に隠居したその人物の住む家の扉を叩いた。
「ジェラルドさーん!ジェラルドさん、いますかー?!」
しつこく叩くと、やっと扉が開いたが……そこから出てきたのは目的の人物では無かったのだ。
「……じぃちゃんなら、去年亡くなりましたけど」
そう言って顔を出したのはヒョロリとした若い男だったが、もっさりとした黒髪に分厚い眼鏡と伸びた無精髭で顔が隠れていて素顔がよくわからない。ただ、体のところどころがカラフルな絵の具で汚れていてその手には筆が握られていた。
わたしが会いに来た画家のジェラルドさんはもういなくて、どうやらこの孫のジャズさんが後継者らしい。今は売れない画家として細々と暮らしているそうだが、ジェラルドさんが公爵家の専属画家をやっていたのを知らなかったと聞いてこっちがびっくりだ。まぁ、ジェラルドさんって寡黙って言うか無口って言うか……それに公爵家を辞める時は守秘義務の契約書を書かされるらしいしね。仕方ないか。
ジェラルドさんは天才的な画家だったが、その絵が世間では受け入れられず落ちぶれそうになったところを旦那様が気に入って専属画家として雇ったと聞いていた。そしてその恩に報いる為に“絶対に色褪せない絵の具”を開発して公爵家ご家族の肖像画を描いたり、さらにはどんな汚れも落とせるクリーナーを開発してお掃除にも協力してくれたアバーライン公爵家使用人の中では有名人である。ちょっと思考が破天荒だったが、あのクリーナーのおかげでなかなか落としきれない汚れを何度綺麗に出来たことか……!
「でも、ジェラルドさんが結婚してお孫さんまでいたなんて知りませんでした」
「そりゃ4年前までニート「にーと?」いや孤児院から出る年齢になってフラフラしてたら突然跡取りになれって言われて引き取られたんで……ちなみにじぃちゃんって呼んでるけど戸籍上は養父です」
ジェラルドさんってば、自分の技を伝授する為に結婚をすっ飛ばして孫だけ手に入れたようである。隠居しても破天荒だったのだろう。
「つまり……あなたはジェラルドさんの技術を全て受け継いでるってことでよろしいですか?それなら相談があるんですけれど────」
ジャズさんはセリィナお嬢様のことは特に興味がないようだったが、頼み事の方にはちょっと興味があったらしく……快く公爵家へと来てくれることになった。
え?もちろん先にお風呂ですけどね?!こんな汚い格好でライルさんの前に出せるわけないでしょうがぁぁあ!!
こうして公爵家には裏口から入り、理由を話した庭師に協力してもらってジャズさんを使用人用のお風呂に放り込むことに成功した。服はとりあえず、ウォーグくんのでも借りておこうかしら。さぁて、どうなったかなぁ。
……あら?髭を剃って髪を整えたら意外と……。いやいやいや、今はそんな事なんてどうでもいい……へ、実は伊達眼鏡?じゃあ外した方が……うん、やっぱり眼鏡は外しちゃ駄目!!
結論から言うと、ジャズさんは凄かった。
まず例のリボンからクレヨンの色を削り取ったかと思うと、それを特別に配合したという溶液に溶かして混ぜて……すると、あっという間にクレヨンの色そのものの染料が出来上がったのだ。そしてこれまた別の液体を表面に塗ったリボンにその染料を染み込ませて乾燥させ、さらに染み込ませるのを繰り返していった。
「す、すごい……!」
そして出来上がったのは、クレヨンの色合いを完全に再現した緑色のリボンだった。
「特殊なコーティング剤を塗ってあるんで洗っても色が落ちないし、ついでに防水防火機能付き。ナイフで刺しても簡単には切れないし、象が綱引きしても千切れない耐久性が……「ぞう?」あ、いや、とにかく強い力で引っ張っても大丈夫ってことです」
ジャズさんは時々変なことを言うけれど、仕事は出来る人だと確信した。ジェラルドさんの弟子なだけあって興味があることを再現する為ならなんでも試す研究熱心なところがあるし、なにより画家なだけあって絵がとても上手いのだ。人物画なんてまるでそこに本人がいるかのような完全再現度なのだが、よその貴族からは「もっと目を大きく、顔も美しく描け」と怒られて仕事がもらえなかったらしい。
お金のために仕事を妥協しないその姿勢がいいなと思った。
それからわたしは旦那様にリボンの事を伝えた。そしてジャズさんの絵が素晴らしいことも。もちろん公爵家の使用人になるには試験を受けなければならないが“専属画家”ならばそこまで厳しくはないはずだ。ジャズさんは運動神経がよかったのと、なんと“一度見た風景や人物は忘れない”という特技があったのでそれが決定打となり採用されたのである。しかもジャズさんが作った特殊染料で染めた布には防水・防火・防寒等の効果があり、その布で作られた制服はとても丈夫で使用人にも大好評だった。
でも不思議なのが、ジャズさんはせっかく合格したのに“専属画家”の座を辞退して下働きとなったことだ。旦那様に後ろ盾になってもらえば有名な画家にだってなれるのにそれも断っているようだし……そう思って理由を聞いたことがあった。
するとジャズさんは「……セリィナお嬢さんが思い出すかもしれないし」と呟き、そして「やっぱりなんでもない」と首を振っただけだった。
それから約2年、ジャズさんはまだ公爵家で働いている。あの時ジャズさんが新たに染めてくれたリボンは今もライルさんの髪を彩っていて、セリィナお嬢様もリボンの変化には何も言わなかったようだ。
そして────ジャズさんとわたしはこの日を迎えたのである。
「お、おは、おはよ、ぅ……ゴザイ……マス…………」
なんとセリィナお嬢様が、ご家族や使用人たちに挨拶して回ってくれたのである。
最初はライルさんの後ろに隠れながら、徐々に慣れてくるとライルさんの背中から半分くらいお顔を出して……。
それに対して旦那様や双子のお嬢様方は体をプルプルと小刻みに体を震わせ視線を反らすことによって狂喜乱舞するのを必死に抑えているようだったが……幸運にもその場を目撃したメイドは手に持っていた花瓶を落として割り、窓の外から見ていた庭師が木の枝を切り落としていた。その気持ち、すっごくよくわかる!
かくゆうわたしも柱の影から見ていたのだが、感激し過ぎて涙が止まらなかった。そしてジャズさんも思うところがあったらしく……その夜、セリィナお嬢様の絵を1枚描き上げたのだ。
少し戸惑いながらも微笑むセリィナお嬢様の姿そのままを描かれたその絵は公爵家の家宝にすると言われ旦那様が大切に仕舞っている。それ以来絵を描くことはなく、十数年後────偶然その絵を見つけたセリィナお嬢様が「これってまさか神絵師の?!」と叫ぶまでジャズさんの絵が日の目を見ることはないのだが、それでもジャズさんはいつも満足そうな顔をしていて……気付けばわたしの夫として一緒にセリィナお嬢様とライルさんを見守っているのだった。
 




