19:守りたい人がいる(王子視点)
デビュタントパーティーが終わりに近付いた頃……王族専用の待ち部屋には数人の人影があった。
そこには王子ミシェル・ベルザーレとモルガン侯爵家次男のバナード・モルガン、それに宰相でもあるクレンズ公爵の一人息子のウィリアム・クレンズたち3人が先程とは別の意味でひとりの少女を囲っていたのである。
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「……ごめんよ、フィリア。あのキズモノ令嬢に悪事を認めさせて公の場で君に謝罪させようと思っていたのに……邪魔された上に逃げられてしまったんだ」
僕が申し訳なくて視線を落とすと、その少女……フィリアはエメラルド色の瞳を潤ませて驚いたように声を震わせた。
「そんな、ミシェル様!わたしなんかの為にあんな怖い人に近付くなんて……だ、大丈夫でしたか?!酷いことを言われたのではありませんか?!」
あぁ、フィリア。君は自分の事を卑下し過ぎた。すぐに「わたしなんか」と言うけれど、僕は君のように謙虚で心の清らかな乙女に初めて出会ったんだ。
フィリア・ダマランス男爵令嬢。プラチナ色の輝く髪と宝石よりも美しいエメラルド色の瞳をした可憐な少女に僕はひと目で恋に堕ちた。あの日、僕とフィリアが出会ったのは運命だったんだと確信している。
「傷付いたのはフィリアなのに、僕の心配をしてくれるなんて……」
やはりフィリアは心優しい少女だ。あの日だってアバーライン公爵家の馬車のせいで怪我をした上にぞんざいに扱われたと言うのにフィリアは奴らを罰してくれとはひと言も言わなかったのだ。
だが、彼女はこうも言った。「セリィナ・アバーラインは何か悪事を働いているかもしれないから気を付けて」と。どうやらあの女は田舎者や自分より身分の低い人間を差別するとんでもない女らしい。……それが本当なら、フィリアが男爵令嬢だと知っていて怪我をさせた上に下町に放り出したと言うことだ。そんな奴がのうのうと暮らしているなんて許されるはずがない。だから、僕がそれを暴いてあの女を地の底に叩き落としてやろうと思った。なにせあの女、この僕が挨拶をしてやったのに淑女の礼どころかひと言も発しなかった。あのパーティーの場でなければ不敬罪で訴えてやってるところだ。ひと目見た時から思っていたが、あの姿を見ていると妙にイライラするのだ。フィリアと同じ色合いなのに……あまりの違いに反吐が出そうである。だからきっと、フィリアの言う事に間違いはないだろうと思った。
だが、どれだけ調べても“セリィナ・アバーライン”の詳しい事がわからない。本当なら王家の影を使えればいいのだが、影を自由に使えるのは父上と母上だけなのだ。まだ子供の僕にはそこまで権限がなかった。それでも出来る限りの情報を集めたのに……手に入ったのは貴族たちよ囁く噂話ばかりだったのである。
しかし今日のセリィナ・アバーラインの姿を見て“噂話”が本当だと改めてわかった。やはりあの女は公爵家でも浮いた存在らしい。公爵家の長女と次女は優秀だが余り物の三女は政略の役にも立たないキズモノだ、当然か。婚約者でもない親戚の田舎貴族にエスコートされていたということは、父親にそれを拒否されたという証だ。本当に家族に嫌われているのだろう。
それにこんな噂もあった。どこぞの伯爵家に厄介者のセリィナを押し付けようとしたらその令息が婚約するのを嫌がって逃げたらしい。断った腹いせに何をされるかわからないから息子を守るために伯爵家ごと雲隠れしたとか。それを聞いてあのアバーライン公爵家に対してなんて勇気ある行動をとるのかと感心したのだ。どうせなら王家で保護してやろうかと思ったのだが……どう探しても見つからなかった。どうにも隠れるのが上手いらしい。やはり影を使って探さないと駄目だな。
「あの公爵令嬢に逃げられたのは残念でしたが、逆に言えばデビュタントパーティーの会場から追い出したと思えばいいのでは?あんな悪態をついていましたが、きっとミシェル王子の威厳に怖気付いて逃げたんですよ!」
そう言ってバナードが僕を励ましてくれた。青味がかったダークブルーの髪と瞳を持つ彼は僕に比べると見た目は地味だが心根のいい奴だ。モルガン侯爵家は王家とも親交があるし、同い年のバナードは将来の側近候補だから僕の“友達”として一緒にいることが多い。それに、彼は次男で将来家督の継げない《《スペア》》だ。僕と《《仲良く》》していた方がいいはずである。
……だから絶対に、“僕を裏切る事はない”と安心して《《仲良く》》していられた。
「まったくです。そのおかげでフィリア嬢の可愛いドレス姿を邪魔されずに堪能出来ましたしね……ああ、俺の贈ったネックレスもよく似合ってますよフィリア嬢」
ウィリアムが癖っ毛のあるブラウンの髪を揺らしてチョコレート色の瞳を輝かせた。その瞳が真っ直ぐにフィリアを見ているのは気に入らないが……彼も僕の“友達”だ。いくら宰相の一人息子でも決して次期宰相というわけではない、将来の為にも僕と《《仲良く》》しなくてはいけないのだから分をわきまえるはずである。
それにしても、わざわざ僕の作ったドレスに合わせたデザインのネックレスを贈るなんて……本当に分をわきまえているんだろうな?
「……う、嬉しいけど、本当にこんな素敵なドレスとネックレスをもらってよかったの?わたしなんかただの男爵令嬢なのに……」
確かにフィリアへ贈ったドレスは男爵令嬢が着るには豪華なものだ。男爵家が簡単に準備出来るような代物ではないだろう。だが、フィリアはそのドレスを身に纏うに相応しい淑女なのに。
「フィリア……男爵令嬢だとかそんなの関係ない!それに僕は君の事が……!」
「フィリア嬢、爵位なんて関係ないよ!」
「そうです、フィリア嬢は可愛いし清らかな淑女ですよ!」
勢いに任せてフィリアの手を握ろうとしたが、ふたりが身を乗り出して邪魔をしてきたせいで手が空振ってしまった。
「……?ミシェル様、今なにか言いましたか?」
きょとんとした顔で首を傾げるフィリアの純真さになんだか恥ずかしくなり、僕は咳払いをしてそれを誤魔化すことにした。
「い、いや……なんでもない。とにかく、君は立派な淑女だ。男爵令嬢だからとかなんて気にしなくていい。だが、赤い髪をした変な男には気を付けた方がいいかもしれないな。どうやらセリィナ・アバーラインと同じ思考の危険人物だ」
そう、僕はずっと気になっていた。僕が王子だと知っても平然し、《《あの》》キズモノに対してもまるで宝物を守るような態度だ。いくら親戚だからっておかしな話だ。だから考えたのだ、きっと奴はセリィナ・アバーラインの仲間だと。セリィナと同じようにフィリアのような弱い人間を馬鹿にして虐げる側なのだと。
出来れば怖がらせたくはなかったが、心の優しいフィリアはいつ騙されるかわからないからな。するとフィリアの眉がピクリと動いた。
「────赤い髪……それって、ワインレッド色の長い髪の人ですか?セリィナ・アバーラインと一緒にいた……」
「そうだよ、見たことのない顔の男だった。どうやら田舎貴族らしいが礼儀もなにもない下品な男さ。もしも近付いてきたら気を付け────どうしたんだ?」
「そう、男……だったんだ…………。ううん、なんでもないです。それにわたし、知らない人にはついて行かないから大丈夫ですよぉ!ミシェル様ったら、心配し過ぎです」
ぷくっと頬を膨らますフィリアの可愛らしさに心臓を鷲掴みにされた気がした。
「僕が……僕らが守るから」
僕の言いかけた言葉に2人分の視線を感じて慌てて言い直すと、バナードとウィリアムが頷く。ちっ、やっぱりこいつら全然わきまえていないじゃないか。だが今はフィリアを守る為の同志は必要だ。少しは妥協してやるか……。
 




