カラオケとタンバリン
唯は彼氏の弟・小早川夏輝と従姉妹・小早川小夜から「大事な話がある」とカラオケ店に呼び出された。夏輝と小夜が言うには、小早川はとんでもない悪人との事であった。
「そ、そんな、こ、小早川先輩がなにを」
「それは…」
「小夜ちゃん、俺が言うよ。唯さん、落ち着いて聞いてください」
動揺してドリンクを鼻から飲もうとする唯をなだめつつ、言いにくそうに口を開こうとする小夜を、夏樹は止めた。
「兄は初代彼女……市川莉子さんが忘れられないんです。まだ部屋に写真が飾ってあるくらい……。だけど莉子さんは控えめでお優しい方でしたが体が弱くてうちの両親に交際を反対されて別れさせられました」
「そうだったんだ……」
唯は思わず天井を見あげた。デート中に、ふっと寂しそうな顔をしたり、過去に飛んだかのようなぼうっとした顔をした小早川を思い出した唯は目頭を抑えてつぶやいた。
「われここにあらず、みたいな時があったなぁ。……市川さんはどうしてるの?今は元気なの?」
「それがアメリカに行った後音信不通になったみたいです。元気でいて欲しいですが……。兄は身を引いた市川さんを諦めきれなくて暴挙に出ました」
「暴挙?」
唾を呑む唯。夏樹は息を吸い込むと一気に喋った。
「自分と付き合うとみんな悲惨な目に遭うジンクスを作れば、誰も自分と付き合わなくなる…だから政略結婚や婚約も求められない。そんな状況を作る事にしようとしたんです」
唯は思わず身を乗り出した。
「もしかして……」
「そうです。だから歴代彼女の皆様が髪の毛を切られたり絵をめちゃくちゃにされたり、階段から突き落とされたりしました。唯さんも襲われましたよね」
「あ、あれはたまたま変な人がいたから……」
夏樹は確認するように言った。
「でも警察には通報しなかったんですよね?」
「……だって小早川家を狙った人の犯行なら小早川家の犠牲者だから警察に突き出したくないって……私も小早川君も怪我がなかったし、小夜ちゃんも夏樹くんもまあ大丈夫だったし1番大怪我した元カノの先輩さんも後遺症がなく退院なさると聞いたからまあいいかなって…」
「良くないです」
「あ…小夜ちゃんも怖かったよね…ごめん」
「私が誘拐未遂に遭ったのは今回の件と関係ないから良いんです!」
小夜は芯の通った、凛とした声と目で言った。
「唯先輩が危ない目に遭ったのに被害届を出すなとか、今までも罪の無い善良な人達を犠牲にしてまでこんな事をするなんてあの醜い悪魔は許せません!」
「ちょっと待って……」
唯は思わず絞り出すような声で言った。
「心配してくれてるのはわかってる。歴代彼氏さん達が苦しんだのもわかる。でもみんなには悪いけど私に希望を与えてくれたのも小早川先輩なんだ……」
「でも!」
「小夜ちゃん。今は黙って。……唯さん、今まで兄が貴女を大切にしていたか冷静に考えて欲しいです。それからくれぐれも身辺に気をつけてください」
「うん……わかった」
唯は頷き、何回か深呼吸した。冬の夜のような静けさが続いた数分後、夏樹は備え付けのタブレットを唯に渡した
「とりあえずなにか注文しましょう。ここのハンバーガーやポテトは美味しいですよ。今日は俺が奢ります」
「お金貯めてるんでしょ?いいよ」
「株主優待があります」
夏樹はそう言うとスマホを見せた。
「やったーありがとう!小夜ちゃんはどれがいい?甘いもの好きだっけ?デザートから見ようか?」
唯の顔が明るくなったのを見て、小夜はホッと胸を撫で下ろし、唯を見守る夏樹を見た。
「なるほど」
「え?」
「なんでもないわ……私はイカ墨パフェ」
その後店員がハンバーガーやポテトやパフェやら持ってきた。
「ご注文は以上でしょうか」
「はい。ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞ」
三人はペコリと店員に挨拶し、店員はにこやかに退出した。
唯はポテトを摘みながら、二人に尋ねた。
「そもそもなんで小早川先輩が犯人だと思ったの?証拠ってあるの?」
夏樹は透き通った瞳をちょっとギョロギョロさせながら言った。
「そ、その、兄がいない時に部屋に忍び込んで、市川さんの写真を見つけたり、日記を見つけたり」
そういうと、夏樹は春翔の部屋の写真を見せようとした。
「いや、彼氏だけど人の部屋の写真は勝手に見ちゃいけないかなって……」
「了解しました。……蒼君…青田君達に絡まれて唯さんと里見さんに助けていただいたのは覚えていますか?」
「うん」
「あの後蒼君に何度か会って……襲った理由を聞いたんです。財布もカードも狙われなかったのが不思議で。警察でもひたすら謝るだけでしたから。やっと話してくれたんですが、高校生くらいの少年に金で雇われたとの事でした。蒼君達が少年に渡された名刺を見せてもらったら、うちが吸収合併した会社の社長さんの名刺でした」
「じゃ、じゃあその会社の社長が黒幕じゃ?」
「そうも思えますがわざわざ名刺を渡しますか?証拠を残してしまうのに」
唯はうーんと考え込んだ。
「報酬を確実にもらえると安心させるために渡したのかな……」
夏樹は首を振った。
「わかりません……ただ、兄がその会社の社長の息子さんと家の近くで会ってるのを見たから兄も関わっているような気がしています。これは見てください」
夏樹は一枚の絵と、デジカメに写った写真を見せた。
「これは僕を軽く脅すように依頼した少年の似顔絵です。蒼君が描いてくれました。デジカメにはその少年と接触する兄が写っています」
「蒼君は絵が上手いんだっけ。……えええぇ!!」
唯は仰け反り、裏返った声で叫んだ。写真には写実的な似顔絵そっくりの目鼻立ちのハッキリとしたやや褐色味の肌の少年と、スラリとした長身で明るい髪の少年が小早川家の飼っている犬を連れて向かい合っているのが映っていた。
「アキくんは小早川家のみなさん以外には吠えるんだよね…とすると体格考えたら小早川先輩……なんで自分の弟を襲った人に関わってるの?なんで……どうして。というかこの絵の人、目とか体格が私を襲った奴にも似てるような…確かその人私より少しだけ身長が低かったから、小早川先輩との身長差が私よりあるところも同じ…」
唯は悪夢にうなされたかのようにブツブツ言って、項垂れた。
「……この件とは関係ありませんが、私が誘拐未遂に遭った時、伯父は警察に行かないよう父へ圧力をかけてきました。黒幕が私に執着していた取り引き先の社長の孫だったからです。伯母様が懲らしめてくれましたし結局警察に行きましたが。伯父があんなに必死だったのは多分あの悪魔に入れ知恵されたり弱みを握られたせいです」
小夜の言葉でショックを受けた唯の頭は打たれた鐘のように頭がグワングワンとしてきた。
「ええ…誘拐未遂なのに警察に届けないなんて頭おかしい…理解できない……許せないよね……」
「…はい」
淡々とだが少し怒りや悲しみがボワッと滲む小夜の肩を、唯は優しく叩いた。
「小夜ちゃんはちゃんと眠れてる?ご飯食べれてる?誘拐犯はどうなったの?」
「はい。しっかり食べていますし眠れています。あの時は唯先輩も空手部の皆様も本当にありがとうございました。あのカスは私以外にも前科持ちだったので檻の中です。…せ、先輩ちょっと近いです」
淡々と話す小夜を、結は顔色が悪くないか、痩せてないか、スキャナーのように凝視した。元々華奢で小顔だが特に痩せた様子はなさそう、と診断した唯は胸を撫で下ろして言った。
「ごめん。前ストレスで痩せちゃった子がいたから気になって。でも小夜ちゃんは痩せたりしてなくて良かった。それにしてもなんの弱みかはわからないけど、脅しまでやってるんだ……あっ弱みの内容はセンシティブだから言わなくてもいいよ」
「聞いて欲しいです。うちの父が婿養子なのに不倫してました。僕にLAIN誤爆しました」
小さな声でそういうと、夏樹は暗い顔で頭を抱えた。唯はそんな彼に遠慮がちに声をかけた。
「ええ……あぁ…わかるようちもだったから……辛いね…」
複雑に絡まった茨のような状況に唯は頭の中の処理が追いつかず、瞳を閉じた。彼女の脳裏には在りし日の小早川が浮かぶ。初めて小早川をテレビで見た日、部活をクビになりそうになって中庭で一人落ち込んでいた時、唯の人生のターニングポイントにいつも小早川がいた。
『みんなのおかげで絶望の壁が夢へのジャンプ台になりました!考え方しだいなんです』
『君は後輩を守って立派だよ』
時には眩しい笑顔で、時には優しいまなざしで小早川は導いてくれた。しかし、夏輝と小夜がいい加減な事を言わない人間というのも唯は理解していた。
「来週のハロウィンデートで直接聞いてみる!今日は決起集会だから一曲だけ付き合ってね!」
唯は勢い良く立ち上がると選曲ボタンを押した。
【燃えよ竜達よ】
なんでこの曲なんだろう、と思った夏樹と小夜だが。歴代彼女の名前を当て嵌めながら歌う唯の背中に闇を感じた二人は息を呑んで立ち上がった。夏樹は裏返った声で蒼に習ったオタ芸を披露し、小夜は無表情でメトロノームのようにタンバリンを叩いた。