表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/25

ご主人!

 足取り軽やかに階段を上がれば、共に使っている寝室が一つ。ノックにも応答はない。そっと扉を開けると、薄暗い部屋の中で寝息をたてる背が目に入った。

 優秀と言われる魔法師様だが朝には弱い。そんな事実を知るのも自分だけだと思うと愛おしさが込み上げてくる。軽く揺さぶりながらシエラは声をかける。

「アーレイン、おはよう。良いお天気よ」

 返事とも取れないような呻き声を寄越し寝返りをうつ。今日はせっかくの休みだし、このまま寝かせておいた方が良いかもしれない。

「庭のトマトが真っ赤になっていたから採ってくるわ。……気が向いたらリリィちゃんを貸してくれる?」

 あの霧の獣が居てくれるだけでだいぶ涼しくなるので、炎天下での畑仕事にはぜひ連れていきたいところだ。

「……」

 まあ、この様子ではあまり期待も出来そうにないが。小さく笑って部屋を後にする。

 シエラは元々、料理以外の家事に関してはそこまで得意でもなかった。だが時間をかけて努力すれば何だって上達するもの。ちょっとだけ早起きしてみたり、ローズに効率の良いやり方を教わってみたり。少しでも彼に誇れる自分であるために、できることはしてきたつもりだ。

 そうだ、先に洗濯物を干してしまおう。それから昨日買ってきたパンと夕飯の残りのシチューを温めておいて。遅めの食卓には採れたての野菜で作ったサラダが並ぶだろう。


 やはり霧の犬は現れず、シエラは外での作業をひとりで終えると朝食の用意を進めた。こうしてのんびり過ごす休日も悪くない。ご飯を食べてお茶を飲んだら、作り途中になっている庭の一画を一緒に整備しようか。それとも彼が本を読む傍らで服の繕いでもしようか。

 そろそろ起こさないと朝食が昼食になってしまいそうだ。浮き立つ気持ちで階段を上る。寝室の扉を再び叩こうとして……シエラは動きを止めた。

 何やら揉めている声がする。一方は彼のもので間違いないようだが。物が落ちる派手な音がしたところで、恐怖に好奇心が勝った。

「ねえ、どうしたの――」

 そこでシエラが目にしたのは。

「ご主人! リリィとあそんでください!」

「このっ……そこをどけバカ犬……!」

 ベッドの上で、なぜか全裸の子供に馬乗りされているアーレインの姿だった。

 窓どころかカーテンも開いていないのに一体どこから? 白と黒の混じったふわふわの髪を持つ子供は、やや舌足らずな口調で興奮気味に続ける。

「リリィはバカじゃないです、ご主人の最高傑作です!」

 平坦な胸を張り鼻を膨らませる。男の子にも女の子にも見えるが、あのアーレインが組み敷かれているところを見るに、相当の怪力であることだけは違いない。

「それにご主人からいろんなことを教えてもらいましたので!」

「先に礼儀作法を教えるべきだったがな……!」

 低く吼えるが子供はまるで聞く耳を持たない様子。みしみしと関節が嫌な音を奏で始めたところで、眉間にこれでもかと皺を寄せた彼の体の周りをふわりと青い光が舞った。身体強化の魔法を重ねがけしたのだ。

 戸口に呆然と立って一部始終を見ていたシエラだったが、子供はぱっと顔を向けその表情を輝かせた。

「シエラ! リリィ知ってる!」

 げし、と思い切りアーレインの腹を踏みつけシエラの前に跳んでくる。哀れな呻き声。しかし、『リリィ』、と言った?

「え、り、リリィちゃん?!」

 シエラが知るリリィは一人……いや、一匹しかいない。小さな子供は硝子のような眼でシエラを見詰めた。頬を上気させる姿は確かにあの犬に雰囲気が似ているが。訊ねる声が思わず上擦る。

「人間になっちゃったの?」

「はい! リリィかっこいいです?」

「ええと、そうね。かっこいい……というよりは、かわいい、かしら……?」

「わーい!」

 自称リリィだという子供はシエラの周りを跳ね回る。まるで軽業師だ。


「くそ、何なんだ一体……」

 爽やかとは言い難い起床に不機嫌さを隠そうともせず、先ほど踏みつけられた腹を押さえつつアーレインがやってくる。説明を求めて見上げると彼は苛立たしげに頭を掻いた。

「いや、これは……俺にもよくわからん……」

「ええ……?!」

「いつも通りに呼んだはずなんだが」

 魔法師自身の仕業ではないらしい。押し倒されていたしそれもそうかと納得する一方、であればこれはどういうことか?

 とはいえリリィ本人であるのは間違いがなさそうで。

「おい、俺でなければ肋骨を折っていたぞ」

 子供の頭を鷲掴みにし睨みつける。

「シエラに同じことをしたらただでは済まさないからな。即刻、魔素に還してやる」

「ご主人こわい! リリィそんなことしません」

 悲鳴のような声を上げ、これまた器用にアーレインの手から逃れるとリリィはシエラの背中に隠れた。

「リリィはシエラのために生まれました! シエラはいつも優しいから大好きです」

「……」


 さて、いよいよアーレインはため息をつく。今では『水獣の魔法』と呼ばれるこの法は彼が考案したものだが、人間には決してリリィのような個体を再現できないことも事実。他の誰にも口外したことはないしこれからもするつもりはないが、リリィの場合は悪魔の力をほんの一匙、魔法に彼自身の心の一部を与え作り出しているからだ。

 だから言葉を得た獣が無邪気に思いを口にする状況は、彼にとっては羞恥を煽るも同然である。もはや別物として成長したにしても、だ。

「その……まさか、魔獣みたいなものだったりする……?」

「それはない。あれとは成り立ちがそもそも異なる」

 不安げな少女には首を振ってみせた。体に取り込んだ魔素の流れが歪めば魔獣となる訳だが、リリィの場合は純然たる魔素そのものに等しく、凶暴化することは有り得ない……が、身体能力が通常の獣から――今となってはヒト並みから――逸脱しているのも確かだ。お陰で朝から全身の骨を粉砕されるところだった。

「不思議なこともあるのね……でも、とってもかわいいわ。家族が増えたみたい」

 能天気に笑う様に呆れた素振りを返すも、ひとまず害がなさそうなことには安堵する。

 元は自分の魔法だ、獣の時と同様に現すもそうでないも自在にできる。今のところはシエラが気に入っているようだから傍観するつもりでいたが。

「星降る夜に、シエラがリリィとお喋りしたいって言いました」

「え? ――あっ」

 思わずといった様子で口許を押さえた彼女には、どうやら心当たりがあったらしい。

「リリィの心が、シエラのお願いは何でも叶えてあげたいと言っていますので!」

「まあ」

 喜びに手を打ったシエラと裏腹、アーレインは思わず卒倒しそうになる。

「いい子ねリリィちゃん……って、あら、どうしてあなたが照れるの?」

 魔法師は熱い顔を手で覆いながら力なく項垂れる。シエラの嬉しそうな様子にリリィを消すことを躊躇ってしまったのだから、心が同一であるのは疑いようもなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 初めまして。3人の可愛さにやられて、思わず感想を伝えたくなってしまいました。 こっそり応援しております。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ