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再会と戦女神 後編

「冗談じゃない……こんな明らかな異常、報告があって然るべきじゃないのか!」

 押し殺した声でヴェルレッティが憤れば、隣からカチャリと剣を構え直す音と。

「どいつもこいつも魔素の気配に疎いか、あるいは」

 依頼が通達される時にそのような連絡事項はなかった。いくら非魔法師が魔素に鈍感だとしても。

「『意図的に』知らせなかったか」

「馬鹿な……!」

 獣が、跳び上がる。

 ヴェルレッティは紙一重で攻撃を避け、杖で木の幹へと叩き圧しつけた。動きを留めたところをアーレインが剣で狙うも、魔獣は力任せに拘束を弾き飛ばし逃れる。鋭い音と共に空を斬る鋼鉄。

 ――速い。

 騎士は瞠目する。噂は嘘ではないらしい。容赦のない一太刀は場馴れした者のそれだ。

「伝令兵!」

 杖先で魔獣を牽制しながら背後の兵士へと叫ぶ。

「お前は魔石を持って戻れ!」

「そんな!」

 一方のアーレインも、魔獣から目を離さないまま密かに感心する。なるほど、『戦女神』と呼ばれているだけはある。戦場で最も重い罪は情に流され全滅することだ。時に己の命すら駒と見なさなければ、犠牲だけが積み重なっていく。

 彼女の言葉に続ける。

「構うな、明日までに戻らなければジジイに報せろ。行け!」

「……ご武運を!」

 躊躇は短い。駆けていく足音が聞こえたかどうか、ヴェルレッティは再び獣へと打突する。素早さと腕力を備えた厄介な相手だ。

「このっ……!」

「闇雲に突っ込めば死ぬぞ!」

 とはいえ皮膚は硬く魔力無しでは剣でも埒が明かない。とうとう杖の宝珠が輝きを失う。魔素が足りないのだ。打開策を模索するアーレインが目にしたのは別の……

「――っ、退け!」

 急に突き飛ばされたヴェルレッティの視界に映る、青く弾ける魔力光と咆哮を上げる黒い影。散った赤い飛沫の向こう、苦悶に歪んだ青年の表情。

 二頭いたのだ。

 彼の判断には瞬きの間すらなかった。強化魔法を捨てる代わりにその魔力で転移すれば、瞬間移動のように獣の速さを超える。発動しようと意識したのでは間に合わない、常に魔力を変換し続けていればこそ。

 騎士を狙ったはずの爪が脚を抉り、アーレインは思わず歯を食い縛る。

「ま、ずい……っ」

 急所は外した。だが生身で受けるには重すぎる一撃。追撃を躱せるような深さの傷ではない。

 であれば生き延びるための選択肢は一つ。迷う猶予はなかった。地面へ押さえつけられ、止めの腕が振り下ろされる刹那。――揺らめく陽炎。

「■■■■!」

「……ッ!」

 ぞわりと背が粟立つ。魔獣の比ではない、おぞましいほどの殺気。

 ヴェルレッティはその言葉を聞き取ることができなかった。何らかの詠唱、なのだろう。だが聞いたことのない響きは異国の、と表すには生ぬるい。まるで――呪詛かのような。

 空を目指し一直線に飛び上がった巨大な火球は、これまで目にしたどんな火魔法より鮮やかに輝く。顎を殴りつけられ魔獣は後ろへよろめくとたたらを踏んだ。煌々と燃える炎が翼を広げるかのように空中で霧散する。

「おっおい、今のは――」

 寒気を堪えながら問う。見間違いではない、あれは魔法だ。馬鹿みたいな量の魔力だって確りと感じた。それなら何故……『魔力光がなかった』?

 《悪魔》の名を持つ魔法師は答えることなく、駆け寄ってきた彼女の杖を鷲掴みにする。

「なっ……無礼だぞ貴様!」

「言っている場合かッ」

 途端、杖の先の宝珠が輝きを取り戻したのだ。戸惑う彼女に対し渋面のまま早口で言う。

「恐らくあいつらの弱点は光だ。好都合だったな」

 獣の癖に獲物を目で捉えていたということか。視界を潰され呻く狼を素早く盗み見る。

「それより怪我を」

「構うな、骨までは届いてない」

 痛みを逃すためか、短い息吹を一つ。惨たらしい傷を目にしてさえ微塵も取り乱さないが、痛覚がないわけではなさそうだった。

「ともかく。これで大魔法一発くらいなら打てる。外すなよ」

「訳がわからないが……!」

 いつの間に彼の瞳は赤橙色を帯びていたのだろう、本当に燃えているかのようだ。

 怪我も奇妙な魔法も気にはなるものの、確かに今はこの好機を逃すわけにもいかなかった。単なる気休めではない。宝珠に、魔力が漲っているのを感じる。

「言われ、なくともッ!」

 杖を構える。無詠唱を修得しているにしても、大魔法ともなれば違いなく発動するには言葉の力が必要だった。

「《天降らせ虹の欠片よ、黄金の路へと誘わん》――」

 揺らぐことのない声音。苦境にあってさえ道を示すかのように光が空へと放たれる。

「伏せろ!」

 大声を掻き消すほどの轟音。天空から辺り一帯へと降り注ぐ光の矢は、ありとあらゆるものを浄化し淀みや歪みを真っ直ぐに貫く。

 やがて土煙の晴れた場所には暗い色をした地面のみ……二体の獣の体も天へと還ったのだろう。


 凄まじい魔法を放ちながらも宝珠にはまだわずかに光が残っている。そっと、ヴェルレッティは杖先を血に濡れた脚へと向けた。

「痛み止めくらいしか……すまない」

「いや、助かる」

 傷口を白い光が覆う。簡単な治癒魔法だ。アーレインは詰めていた息をそっと吐き出した。

「……わざわざ魔力を残したのか」

「かっ勘違いするな。私だって強化魔法分の魔素を集約することぐらいできる」

 どういう理屈でか彼が寄越した魔力は、確かに先の攻撃で使いきった。もはやヴェルレッティの側も使える魔力はない。もしこれで他に魔獣が残っていれば今度こそ終わりだ。

「貴様、どうして私を……」

 気に食わない相手だ、だが。

「死にたかったか?」

「そんなはずないだろう!」

 やや血の気の失せた顔に相変わらず感情はない。しかし男は身を挺し同胞を庇った。《悪魔》の癖に殊勝なことだ、と戸惑う。

「最も合理的な判断をしたまでだ。お前を転移させられる訳でもなし、獣に仕掛けても刃が通らないのでは、向こうの打突に敵うとは思えなかった」

 未練などという言葉は知りもしないかのように。

「もしどちらかが生き残るなら、少なくとも光魔法を得意とするお前の方が全体に利がある。それだけだ」

 ただ、利害のみで。すらすらと命を投げ出す様には騎士ですら恐怖を覚えた。かといって自棄になっているのでもないだろう。でなければあの火球の説明がつかない。

 そうだ。あの謎の法を使えたのなら、生き残るべきはむしろ……

「……私には二頭目の動きが見えなかった」

「俺は目が良いからな」

 つまらなさそうに顔を背ける。じっと視線を投げる森の奥は暗闇だが、その魔法師には何かが見えているのかもしれなかった。いつの間にか瞳は元の金色に戻っている。

「その……あとできちんと医療班に診てもらった方がいい。どんな菌を持っているかわからないぞ」

「随分と詳しい」

「ふん、聖女様に仕える身なら当然の教養だ」

 体を傾け、寄せる。

「肩を貸してやる」

「いや、魔法で……」

 言い募ろうとして口をつぐむ。自然に飛び出した言葉は恐らく、彼の秘密の片鱗なのだろう。

「……さっきのは見なかったことにしてやる」

 気まずそうな青年に言えば小さく「頼む」と返される。……魔素が枯渇した土地でアーレインは間違いなく魔法を使った。更には大魔法を発動できるほどの魔力を『生み出した』。

「この有り様では……今日は帰れないな」

 脚を庇いながらも大人しくヴェルレッティに腕を回し立ち上がる。互いに傷だらけではあるものの、今更ながら討伐が無事に済んだのは喜ばしいことかもしれない。

「……貴様、先に誰かが意図して我々を陥れたと言ったな」

「考えすぎだろうがな」

「いや……あながち的外れでもない可能性がある」

 森の出口へと向かいながら、ヴェルレッティは緊張の面持ちを崩さない。ずっと引っ掛かっていたのだ。これほど異様な土地について報せがないのは、何らかの意思が絡んでいるとしか思えなかった。

「元々ここには軍の実験施設があったんだ。私達を狙ったわけではなく、そもそも調べられたくなかったのかもしれない」

 ヴェルレッティも詳しいわけではない、だが。

 現にこうして自分を含め『同胞』の命を軽視されたに等しい。悔しいがアーレインの実力は本物だ。自分達でなければきっと屍が増えただけだろう。そう思えば、正義を愛する彼女が決意を新たにするのは道理なのだった。



 犬の吠え声にシエラは玄関の扉を開ける。リリィが咥えているのは折り畳まれた一枚の紙片。慣れてしまった出来事に、霧の獣を室内へと招き入れる。

 今日は帰れない、と。アーレインの手紙とも呼べない手紙はいつも用件のみで素っ気ない。宛名も、結びの愛の言葉もない。だがこうして何度かリリィが現れる度に香る薬品の匂い。察しはつくが痕跡を見たこともなく……そう、未だ寝床を共にしたことすらないのだ。

 特に魔獣討伐の任務に赴いた時、彼はシエラから意図的に距離をとっている気がする。仔細の報告がないのは彼なりの優しさなのだろうが。

「あなたとお喋りができたらいいのにね、リリィちゃん」

 せっかく一緒に暮らしているのに。

 慰めるようにすり寄る頭をぎゅっと抱きしめる。この家は一人には広すぎるのだ。利口な犬はされるがまま大人しく寄り添っていた。

「……ふふ、ありがとう。優しい子」

 星の降る夜には願いが叶うという。出来ることなら彼と一緒に見たかった。今日はほとんど雲もなく……願い事をするには丁度良い。そしてシエラがひとりの時に祈ることなどいつも決まっている。

「無事に帰りますように」

 獣の温もりを抱いて不安な心を鎮める。事情は知らない、教えたがらないのなら無理を言うつもりもない、けれど。せめて祈ることだけは許して欲しかった。

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