約束のその先
丸坊主の大魔法師を見上げ、少女は緊張一色の面持ちで唇を引き結んでいる。その後ろでシエラはどこか困ったように微笑んでおり、アーレインはというと、相変わらずの仏頂面のままだ。……そういえばこの強気な眼差しは父親似かもしれない、とラダンは少し思ったわけだが。
「……ソフィー」
しばらくの膠着状態の後。嘆息混じりの低い声に、少女はもはや泣きそうな表情で素早く振り返った。アーレインは膝を着き、娘と目を合わせる。
「心配は不要だ。もし上手くできなくともお前の価値は変わらない」
「もうパパったら、まるで失敗するみたいに……!」
「いや、そういうわけじゃないが……」
小さな心を傷つけた可能性に言い淀む。クスクスと笑ったのはシエラだ。
「気負いすぎないでって言いたかったのよね?」
「まあ……」
あまりの様子に堪らず噴き出すと、鋭い金色に睨まれる。シエラは良くてもラダンは駄目らしい。
彼は咳払いをし、少女の頬にそっと触れた。激しい雷を放つのと同じ手で、宝物を慈しむように。――ああ、この男は。家族に対する時、本当に別人のような顔をする。
「……大丈夫だ」
「うん……パパとママの子だもんねっ」
ソフィーとて『ラダンおじさま』が大魔法師であることぐらい理解している。さて、これだけ緊張していた理由はというと――
「いきます……えと、《ひらいて、てんらんの石》!」
ぽん、と軽快な音と共に青い光が弾ける。次の瞬間、その手に握られていたのはとても小さな花束だ。野道で摘んできても花屋で買ってもよかったし、ラダン自身の畑にある植物の方がずっと立派だ。それでも魔法師『見習い』の彼女は、どうしてもこの方法にこだわった。
ラダンにぐいっと花束を差し出し、受け取られると同時に勢いよく頭を下げる。
「おじさまっ、ご指導よろしくおねがいします!」
「はっはっは、ご指導ときたか! こんな素敵な贈り物をもらっちゃあな、もちろん何だってやってやるぞ」
わしわしと頭を撫でられ、ソフィーは心底嬉しそうだ。豪快に笑い声を上げる様を見、シエラも胸を撫で下ろしたらしい。大魔法師様に魔法を見せようだなんて、少女は母親よりも更に度胸があるようだ。
「くくっ、妙に緊張してっから何かと思えば……しかし坊主よりよっぽど礼儀正しいじゃないか」
「言ってろ」
鼻を鳴らす彼の不遜さは受け継がれなかったらしい。といっても。
「嬢ちゃんは魔法が上手だなぁ」
「ほんとっ?」
「ああ、魔素……きらきらを集めるのがとても上手だ」
偽りはない。優秀な魔法師がこれほど近くにいれば当然とも言える。以前から目を掛けていたとはいえ、前に魔法を使って見せてくれた時はまともに発動もできなかったのに。子供の成長はあっという間だ。
「パパからもらったお守りのおかげかも! 見ておじさま、きれいでしょう?」
「ほお……こりゃいいもんもらったな」
赤い石の首飾りに目を細める。ニヤニヤとアーレインへ揶揄する視線を遣ろうとした時だ。
急に竜巻のような不自然な突風が起こった。同時に膨大な魔素が集中するのを感じる。だがソフィーを引き寄せて身を強張らせたのはラダンのみで、アーレインは腕組みをしたまま再度ため息をついた。
「もうひとり……預けていいか」
「は?」
風の中から裸足で降り立ったのは小さな人影だ。黒と白が混じるふわふわの髪に、硝子のような瞳。見た目こそ色彩に欠けるが、感情の波と行動の派手さはソフィーに劣らない――つまり、第二のお転婆である。
「オジサマ? こんにちはー!」
「お、おう、こんにちは……?」
「リリィはえらいので挨拶しました! ここはいい場所ですね!」
確かに魔力は子供から感じるのだが。ラダンが問えばアーレインは不機嫌そうに頷く。
「水獣の魔法というのがあったろう。あれで造った犬が、何故か、こうなった」
「い……いやいやいや、どうしてそんな重要な話を報告しねぇんだよ?!」
「実験台にされても困る」
「そういうことじゃ……あ! こないだジョゼットが言ってたのは、この子か!」
軽快に跳ね回っていたリリィは早速、屋根に上ってあちこちを見渡している。なるほど、彼らは『四人家族』だったか。どうもこの青年といると妙なことばかり起きる。ラダンは細かいことを考えるのを止めた。
「ったく……まあいいか、人数が多い方が楽しいもんな。さあて、嬢ちゃん達、ラダン様がうんと遊んでやるぞ!」
歓声が上がる。どうやら心配はなさそうだ。魔法でできた生き物と戯れた経験などないが、ソフィーも楽しそうにしていることだし、まあ何とかなるだろう。
何度も頭を下げるシエラに手を振り、にっこり見送る。
「子ども達は任せて楽しんでくるといい。良い一日をな!」
そういえば林檎があったのはこの辺りだったか。
「懐かしいわね」
すっかり別の草木が育つその場所を見ながら呟けば、隣から小さな相槌が聞こえた。まさしくあそこで、シエラは指輪を贈られた。
「ラダン様にご迷惑をおかけしないかしら」
「ジジイは世話好きだからな。少し手が掛かるくらいで丁度いいだろ」
筋骨隆々の大魔法師なら、リリィのことも余裕でいなしてしまうのだろうか。世話になりっぱなしで恐縮する他ない。
彼があの獣を傍につけた理由には勘づいていたが、確かめることはしなかった。師のことは信頼していようとも、娘の話となるとどうも過保護なのは否めない。
来る時に使った馬車に再度乗り込み、ひとまず街に下りるよう御者に伝える。二人きりとなって早々、アーレインは不満も顕に眉をひそめた。
「シエラ。俺は……怒っている」
「どうしたの?」
驚いて隣を見上げれば、結婚後に旅行する慣習についてラダンから教えられたという。
何を叱られるかと思えば。先日の父の日のこともあったからかもしれないが、あまりに可愛らしい理由に思わず笑ってしまう。
「お前も言ってくれさえすれば」
「ふふ、だって」
そうだ、彼はそういうひとだった。理不尽にシエラを怒ることはないし、今だってどう見ても己の恥を気にしてのことではない。
「旅はもうたくさんしたじゃない」
生まれる前にたくさん。もう一つの人生で経験したことも、みんな大切な思い出だ。
「あなたとソフィーと一緒の毎日がとっても新鮮で楽しくて、どんな旅行にも負けない経験ができているもの」
「ジジイに聞かなければ、与えられるものを逃すところだった」
「小さい子供じゃないのに」
「俺にとっては赤子も同じだ」
憤慨した様子に肩を竦める。やはり彼は甘いと思う。ソフィーが生まれてからは輪をかけて。
「お前のために作った時間だ。見たい景色を全て見せよう。何だって叶えてやる」
真摯な金の瞳が覗き込んでくる。身の横へ無造作に置いていた手に、そっと長い指が絡められる。鼓動を自覚しながら握り返せば、一瞬だけ息を詰めた気配。
「あなたのしたいことは?」
顔が火照るのを感じる。何年経っても、目を合わせるだけでいつもこの調子だ。よく店の客にもからかわれるくらい。懸命に見つめ返していると先に視線を泳がせたのは向こうの方で。
「……何でもいいか?」
「もちろんよ! わたしだってあなたに喜んで欲しいもの」
アーレインが素直に望みを口にするのは珍しかった。でこぼこ道に揺られながらしばし考え。
「怠惰と、呆れられるかもしれないが……」
意を決したように呟く。
「お前と共に過ごしたい。他の誰に見せるでもなく……その、だからつまり」
苛立ったような声音を体を熱くさせながら聞く。
「傍に居てくれるなら場所はどこだって構わない。それが俺のしたいことだ」
御者の方へ聞こえたはずもないだろうが、馬車の速度が上がったような気がする。とうとう彼はそっぽを向いてしまった。手を握ったまま。
短い沈黙を破るのはシエラの番。
「……わたし、海が見たいわ」
「海?」
見下ろしてくる目許は未だ微かに赤らんでいる。
「ええ。海沿いの宿をとって、二人きりでゆっくり過ごすのはどう?」
「……悪くない」
「それでね? お腹が空いたらおいしいお魚を食べて、お酒を飲んでお喋りして……気が向いたらお散歩してもいいわ。ずっとのんびりするの」
知らない場所へ行くのはわくわくする。隣に心強い存在があれば尚更だ。
「他には?」
彼は面白がるように目を細めた。
「他? えっと、そうね……何をしたっていいのよ。お昼寝しても、絵を描いても、本を読んでも」
自分で言っておきながら可笑しくなる。まったく、こちらこそどこでも出来るようなことばかり。結局はシエラだって同じ気持ちなのだ。大仰に肩をすくめてみせる。
「なーんにもしないの! わたし達、いつも頑張っているから。……どう? 素晴らしいでしょう」
「ああ……最高だ」
早くも決まった旅行の計画に、悪巧みでもするかのように顔を見合せて笑う。確かに、自分達には少しだけゆっくりする時間が必要かもしれない。
外の景色が流れていく。もちろん楽しいことばかり、というわけにはいかないだろう。でも……最後には笑っていられる気がするのだ。毎日を感情めいっぱいに、懸命に生きていればきっと。
「お前と出会うまで、俺は自分の心がこんなにも動くものだとは知らなかった」
「わたしもよ。一人でも楽しいことはいっぱいあるけど、あなたと居たから知ったことも多いわ。たくさんの感動をありがとう、アーレイン」
ゆっくりと金眼が瞬かれる。美しい、と思う。
「前に任務で行った町に良さそうな宿がある。面倒事を片付けてやったから、多少は便宜を図ってくれるだろう」
「あなたが気に入ったなら、きっと素敵な場所なんでしょうね。着いたらまず何をしようかしら?」
「何でも。お前が望むなら」
「あなたと一緒に、ね」
揺られながらも繋いだ手は離さない。これから先の道も、ずっと。
後日のお話もこれにて完結です。引き続きお付き合いしてくださった方も、本作からはじめましての方も、本当にありがとうございました!




