ソフィーの日記
「ねえねえ、リリィちゃん」
「ふぁーい?」
人形遊びの手を止めてソフィーが声をかけると、欠伸混じりの間延びした返事があった。今夜は父親も店に出ているから、ふたりで少しだけお留守番なのだ。
「リリィちゃんはなんでパパのこと、ご主人、って呼ぶの?」
「んー」
床に座って小さな『物語』を作っていたソフィーの傍、リリィは埃がつくのも構わずゴロゴロと転がった。行ったり来たりを繰り返し、やがて転がるのをやめると、結局しかめ面で首をひねる。
「……ソフィーは時々むずかしいことを訊きます」
「そうかなあ?」
ソフィーのパパは魔法師だ。それも『ジョーキュー魔法師』という、たくさんの魔法を使えないと認められない珍しい資格を持っているのだそう。
けれどそれは全部、他の人から聞いた話。パパ本人は全然お仕事の話をしてくれない。
「ご主人はご主人です。リリィの体も、心も、ご主人がくれたものなので」
ソフィーが大きくなってもリリィの見た目はずっと変わらなかった。彼女――リリィに性別はないが、幼い頃は姉のようだと思っていた――はナイフとフォークを使うのがあまり上手ではないし、服もしょっちゅう後ろ前に着ている。でも、友達の誰よりもかけっこが速い。それに木登りだって大得意でうらやましい。
リリィが本当は犬であると、ソフィーは知っている。それも、雲でできたような見たことのない体を持っているのだ。
しかしみんなには内緒らしい。話したらもう遊べなくなるとも言われているから。……内緒といえば、この間シチューに入っていた大きいニンジン、一個だけこっそり食べてもらったことも内緒だ。
「わたしの体と心も、パパとママがくれたもの?」
困り顔がパッと輝いたのはすぐのこと。硝子玉のような瞳がにっこりと細められる。
「きっとそうです。ソフィーはご主人とシエラによく似ています。匂いも、あったかいのも!」
「本当?」
「はい! きらきらなところはご主人で、ふわふわなところはシエラです」
「うんと……半分こってこと?」
「半分こです!」
ふうん、とソフィーは口許を綻ばせた。きらきらでふわふわの半分こだなんて、とっても素敵!
ソフィーから見てもママはかわいくて大好きだ。ずっとニコニコしているし、ソフィーをよくぎゅっとしてくれる。
対するパパはいつも気難しい顔をしている。滅多に怒らないが、あまり笑ったところも見たことがない。
「パパもラダンおじさまみたいにニコニコならいいのになぁ」
「オジサマ?」
「えらい魔法師さまよ。パパの先生なんだって」
虚空を見上げて難しい顔をしていたリリィだが、すぐに興味を失ったのかまたゴロゴロと転がりだした。ソフィーも気にせず話し続ける。
「よく食べるしお酒もたくさん飲むから最初はびっくりしちゃった。あと、ムッキムキなの! 腕なんてすごく太くて、片腕にぶら下がってもびくともしなかった」
「リリィより強いですか?」
「リリィちゃんにはぶら下がれないわ。背の大きさが違うもの」
「でも、走るのはたぶんリリィのほうが速いです」
「それは……そうかも?」
あながち間違いでもなさそうだ。犬の姿でなくてもリリィは本当にすばしっこいから。
「それでね、いつかおじさまにも魔法を教えて欲しいなって言ったら、いいよって言ってくださったの!」
「すごい!」
「でしょう? ママは驚いてたけど」
「ソフィーはご主人に負けない魔法師になりますね」
いつか魔法がうまくなったらリリィに友達を作ってあげたいと思っているのだ。同じように、犬がいいだろうか? それとも他の動物?
そのあともソフィーの話は続く。
ローズおばさまからもらったお手製の服がかわいくて、大きさもぴったりだった話。
レビお兄さまに、演劇で見た貴婦人の真似をしてスカートの裾を摘まんでご挨拶をしたら、褒めてくれた話。
ライアスさまにカードの新しい遊び方を教えてもらった話。
リリィは気ままに相槌を打ちながら、たまに人形や積木を適当に並べて遊んでいる。しかしやはり多くなるのは、大好きな両親の話だ。
「そういえば、このまえ王都に連れていってもらった時にね、なんで都会に住まないの?ってパパにきいてみたの」
「ソフィーは町が好きです?」
「わかんない……けど、あんなにおもしろいものがいっぱいあるのに、パパはあんまり好きじゃないんだって」
騒がしい場所は好きじゃない、と。少し困ったように返されたのだ。
「じゃあパパが好きなものってなんだろう……?」
思わず呟くとリリィが小さく鼻を膨らませた。
「リリィ知ってますよ。ご主人が好きなのはシエラとソフィーです」
得意気な様子に、ソフィーは思わずラベンダーの瞳をぱちぱちと瞬いた。少し遅れてあたたかい気持ちが胸いっぱいに広がる、けれど。
「一番は?」
少しだけ意地悪。だがリリィは全く意に介さない。
「ご主人にとってはソフィーもシエラも一番ですよ」
「一番ってひとつだけじゃないの?」
リリィはいつの間にか優しげに目尻を下げていた。普段はあちこち跳ね回っているのに、こうして時折、やけに大人びた眼差しを向けるのが不思議だった。
「いくつあってもいいと思います。ぴかぴかはたくさんのほうが素敵なので」
「ぴかぴか……」
言われてみればソフィーにとっても『一番』はたくさんある。そのどれもが『ぴかぴか』なのだ。
「じゃあ、リリィちゃんもソフィーの一番の中のひとりよ?」
「わーい!」
リリィは歓声を上げた直後、馴染みの気配に体を起こした。転移魔法が使われたらソフィーもわかるが、さすがに彼女の耳と鼻の良さには敵わない。パタパタと玄関に向かう背を追いかけた。
「おかえりなさーい!」
ラダンおじさまみたいにニコニコではないけれど。大きな手で優しく撫でられるのは、小さい頃からずっと大好きだ。




