父の父の日
夜分の来客を出迎え、《白の鷲》の大魔法師ラダンは、室内着のまま顔を綻ばせた。急ではあったが、転移魔法を使われればその気配はどこか懐かしい。
「ウチに来るのも久々だな」
「……また広くなったか?」
「すこーしだけな」
畑を見回す青年は、つい数年前までこの家に暮らしていた。暗い中にあっても周囲はよく見えているのかもしれない――あの奇妙な金色の瞳でなら。
「ジジイ。酒は飲むよな」
今日は一人で来たらしい。どこか不機嫌そうに掲げたのは一本の瓶。無造作に手にしているが安物ではなさそうだ。果たして何か特別な日だったか?
「おいおい、どういう風の吹き回しだ?」
「先日、父親に感謝する日だったと……ソフィーが」
夜の闇にあってもわかりやすく頬を染める。
「お前は親ではない、が……娘にされたことを自分がしないというのも落ち着かない、というか……」
「……」
「要は気まぐれだ。不服なら帰る」
早口で付け足される言葉。ラダンは思わず涙ぐみながらわしわしとその青鈍の頭を撫でた。考えるより先に手が出たといっていい。相変わらず、かわいい弟子であることだ。
「ほんと、でかくなったな坊主」
「やめろ忌々しい」
素直な反応に笑い、家の中へと促す。
「入んな。せっかく来たんだ、ちょっとくらい付き合ってくれよ」
気に入りのグラスを二つ用意する。アーレインが持参したのはラダンの好む蜂蜜酒だった。静かに注げば氷が軽やかな音を立てる。
「生憎と手製じゃないが」
「ははは、いつの時代の話だ」
結婚したばかりの家庭で蜂蜜酒を仕込む風習など、何世代も前に廃れたと聞く。冗談かと笑ったが、意外にも若者は驚いたように何度か瞬いた。
気を取り直しグラスに口をつけると、ふわりと甘い香りが立ち上る。後に残る酸味が少し。すっきりと丁度良い味わいだ。
「お前さんが出ていってから寂しくなっちまってよ」
「元の生活に戻っただけだろ。ガキでもあるまいし」
「相変わらず口が悪ィな」
くつくつと笑う。言ってはみたものの、一人暮らしに戻ったからといって何かが急に変わったわけでもない。青年が来るまでの時間の方が長かったから、むしろ今の生活は馴染みのあるものだ。
何も変わっていないことを認めたのだろう。最初は探るように辺りを見回していたアーレインの側も、今は所在無さげに窓の外を睨みながらグラスを傾けている。
「シエラちゃんとは仲良くやってるか?」
「……それなりに」
「そうか、それなら良かった」
不器用な青年は嘘を吐けない性質だった。表情を見るに疑う必要もなさそうで安堵する。
正直なところ、結婚までしてしまうとはラダンも思っていなかった。確かに少女のことは気に入っているようではあったが、それまでは誰かに執着するような素振りをまるで示さなかったからだ。彼が興味を向けるのは自身の力を高めることのみで、他人の評価すら路傍の石かのように扱っていた。
「今日は? 留守番か?」
「いや。ソフィーを連れて親のところへ行ってる」
「元気なら何より。今度また娘ちゃんに会わせてくれ」
彼らの店に食事に行くことはたまにある。そうすると決まってシエラがソフィーを連れてくるのだ。それこそ赤ん坊の頃から知る少女が母親となった図は、なんとも感慨深いものがある。
いつもなら「気が向いたら」などと素っ気なく返してくる青年の顔は、なぜか渋い。
「どうした?」
「その……もしソフィーと一日過ごせと言ったら、面倒か?」
思ってもみない言葉に驚く。言いづらそうにしているが、要は子守を頼みたいという話だろう。
時間を工面するのに苦労はするが、伊達に大魔法師を長年務めているわけではない。やろうと思えばどうとでも出来る。
「珍しい。面倒なことは何もないが、なんでまた」
「……俺が守らねばならないのは娘の心ばかりではない」
「……ああ、そういうことな」
子供が生まれればそこに生活の全てが注がれることは、家庭を持たないラダンでも容易に想像がつく。まるで恋人同士のような仲睦まじさが続いている証拠はなんとも微笑ましい。
「ソフィーはシエラに似て新しい物事が好きだ。ここなら興味深いものも多いだろうし、お前も別に嫌じゃないなら、両方に利があると……」
「わかったわかった、喜んで引き受けるさ。お前さんの子だけあって、魔法の教え甲斐もありそうだしな」
「悪い……助かる」
安堵したように息を吐いたアーレインだが、師を信用していなかったのではない。単純に頼み事が下手なだけだ。
その不器用ささえ懐かしく感じながら、ラダンはしみじみとグラスを傾けた。
「まさか孫の顔まで見られるとはなぁ」
「誰の」
「オレがお前さんの親なら、そういうことだろ?」
怪訝そうな視線はラダンの笑みに交わればすぐ逸らされる。
「……好きにしろ」
野暮な話だが、彼が子を持つことに前向きになったのも未だに信じがたい。少なくとも《白の鷲》の魔法師は皆、似たような感想を持っているだろう。それに、親となったなら少しは性格もまるくなっていいと思うのだが。……ラダンに対して当たりが強いだけかもしれない。
粗雑な物言いをすれども所作や魔法自体は丁寧だし、基本的には誠実……というか、律儀な男だ。大魔法師の弟子という事実を差し引いても、実際のところ周囲の評判は悪くない。
「仕事はどうだ?」
「煩わしいことばかりだ。現場に出ていた方が性に合っている」
「坊主は見かけによらず血の気が多いからな。ま、偉くなるってのはそういうこった」
「望んだわけじゃない」
口ではそう言いつつも、彼の出世を阻むものは少なくとも《白の鷲》内にはもう何もない。下級魔法師の指導も問題はなさそうだと耳にしているし、生来が真面目なのだ。
当人のやる気さえあれば立場を譲ってやってもいい。だが、いくら優秀な男とはいえ、旧態依然とした政の場にいきなり放り出すのは得策ではないとも思っている。特にこの魔法師は口下手だから。
「……そっちは」
ぼそぼそと投げられる。師弟は今となっては仕事で会うこともそう頻繁にはない。ちらりと視線を寄越した顔色は変わりないが、酒のせいか普段よりはわずかに饒舌であるらしい。
「相変わらずか」
「お陰さんでな。のんびり気ままにやらせてもらってるぜ」
より穏やかな隠居生活を目指し、ラダンはラダンで苦心しているところ。国の仕事には大魔法師の名がなければ動かないものもある。代替わりにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「……《緑の雄牛》にいる喧しい女を知ってるか」
「あ?」
出し抜けな問いに、思わず間の抜けた声が出た。青年が誰かに興味を持つのが珍しかったためもある。
「戦女神とか呼ばれている……」
「ああ、ああ、あの子か。そりゃ知ってるさ、坊主ほどじゃないが有名人だからな」
おどけて返せば美しい顔がまた歪んだ。何せ《悪魔》である。まあ二つ名がつくのは名誉なことではあるのかもしれないが、これまた大層な呼ばれ方をされたものだ。
「あれは……大魔法師になるのか」
「わからん、が、近い場所にいるのは確かだろうな。何か気になるか?」
三部門の中で後継を明言しているのはラダンのみだ。とはいえ彼女、ヴェルレッティもまた優れた魔法師であるのは、大魔法師達も既に聞き及んでいる話。
その才覚だけでなく、つい近頃は軍と協力体制を作ろうと奔走している噂も聞く。悪目立ちを恐れない正義感、勇気と大胆さは、きっと多数を率いる座にも相応しいものだろう。
アーレインは何かを考えるように目線を落としていたが。
「いや。ただ、まあ……あれぐらいの技量があるなら、悪くないと思った」
彼が素直に他者を褒めるのも滅多にないことだ。一拍遅れてラダンが小さく笑いを溢せば、ふいとそっぽを向かれてしまった。
好敵手のような関係であればいいと願う。もっと執着するものが増えてくれれば。彼がこの先も退屈しないように。
「ところでソフィーちゃんを預かる件だが、一日だけでいいのか? 確かまだ新婚旅行も行ってないんだろ」
「……なんだ、それは」
「え、本気か?」
どうやら冗談ではないらしい。こんな面白い弟子を持ったからには、ラダンの側は一生飽きなさそうではある。




