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父の日 後編

 片耳にぶら下げた二枚の銀色の羽根。彼はそれを一時たりとも外したことがない。それこそ、前世からずっと。

「鳥さん?」

「ああ、そう……そうだな」

「作ったの?」

「これは……忘れてしまった」

 娘の疑問は一蹴できないらしい。常なら冷たく拒絶するところを、またしてもアーレインはたじろぎ、退いた身を強張らせた。

 不思議な耳飾りが、熱せられたように赤橙色に輝くのをシエラは何度か見たことがあった。そのうち一度は悪魔だった頃の彼が戦場で魔法を使った時、今世で見たのも悪魔の力を已む無く解放した時。

 本人の口からはっきり聞いたことはないが、まあ、そういうことだろうと密かに推測している。だって彼は、悪魔だった頃から『炎の鳥』を従えているのだ。

「お耳に穴あいてる!」

 ソフィーが目を丸くする。確かにアーレインの耳飾りは耳朶に開けた穴に通してはいるが。

「血、出ないの?」

 直接的過ぎる疑問に脱力したのはシエラも同じ。間近で見れば驚くものなのかもしれない。

「昔のことだからな。お前もいつかわかる」

「ママもお耳に穴あけるの? 痛い?」

「いいえ――これはこうして、着けるのよ」

 顔を傾け耳につける。挟むだけの簡単なものだ。ぱさりと髪が流れ落ちたところで、何故かアーレインは不機嫌そうに小さく呻いた。

「……シエラ」

「はい?」

「それ、外でやるなよ」

「え?」

 机上を片付け、嘆息を一つ。

「俺を祝う日だと言ったが、その」

 口許を押さえわずかに逡巡していた彼は、微かに潤んだ目を窺うようにシエラ達へと向けた。

「お前達が元気でいれば俺は嬉しい。……共に生きてくれてありがとう」

 一瞬呆気にとられたシエラとは対照的に、ソフィーは弾かれたように立ち上がり駆け寄ると父親に飛びついた。満面の笑みで胸元に頬を擦り寄せる。

「ソフィーもね、大好きよ? パパがパパでよかった!」

 言葉で応じる代わりに頭を撫でつける。いよいよアーレインの耳は真っ赤に染まっていた。

「でも、パパにはないの? ソフィーも何かあげたい」

 愛らしく口を尖らせる姿に周りを見渡して。

「そうだな……それなら、さっきの花を一つもらっていいか」

「うん! どうぞ?」

 花瓶から早速一輪を渡す。受け取ったその花へソフィーに見えるよう魔法をかけると、きらきらと青い光が徐々に根元から包み込んでいき……やがて硝子でできているかのように変化した。まるで氷の花だ。

「きれい!」

 感嘆する娘に微かな笑みを。

「これを、俺の机に飾ろう」



 ソフィーは友達に首飾りを見せると言って外へ出ていった。それを見送った後、彼は大きく息を吐き出すと両手で顔を覆ってしまう。

「慣れないことをするものじゃないな……」

 本当に憔悴した様子でぼやくから、申し訳ないながらも思わず笑みが溢れる。

「あら、いいお父さんだって思ったけど」

「お前まで」

 恨めしそうな視線も全然怖くはない。だって本当のことだ。決して表情豊かではないが、根底にあるのは愛情以外の何物でもない。

「ソフィーにあげたネックレス、どういう仕組みなの?」

「光魔法をかけてあるだけだ。あれ自体に特別な効果はない」

 ソフィーには内緒だ、と付け足される。

 ふと娘と同じように好奇心の赴くまま質問していたことに気付く。血は争えない。

「その……シエラ。いつもすまない」

 内心で苦笑していると謝罪を口にされた。驚いて顔を見返す。

「どうしたの急に?」

「いや、感謝を伝える日といっても……恐らく俺はもっと家に居るべきだし、血だらけで帰ってはいけないのだと思う」

 真面目に言うものだからとうとう声を上げて笑ってしまった。あまりにも不器用な口振りに。

 それに、傷ついたままで帰宅したこともほとんどないのに。手当てもさせてくれないほど、彼はシエラに古傷を晒すのを厭うているらしい。普段何かの拍子に見えはするものの……肌を重ねた時ですらそのようなことを言っていたから。

「……昔から治癒魔法は使えたの?」

 この好奇心が彼を傷つけなければいいが、と恐る恐る訊ねると。

「試したことはなかった。無駄だからな」

 疲れたついでか、気乗りしないなりに答えてくれる。伏せた瞳がわずかに揺れた。

「別に、痛みを感じないわけじゃない。だが壊れもしなかった。それだけだ」

「それって……」

 呆れたようなため息と少しの逡巡。

「……例えば。大蛇に脇腹を噛まれ、地獄の炎で灼かれ、首を締め付けられても『死ねない』んだ、悪魔というものは」

 身体中に刻まれた傷痕を見るに、そう珍しい出来事でもなかったのは推測できる。悪魔が滅びる条件など知らないが、それ以前に気でも狂ってしまいそうだ。人間になる時も暗闇で長い刻を過ごしたと言っていたし。

 そういえば彼は昔から、教会や聖堂を避けなかったと今更ながら思い出した。どうやらその類いでも悪魔は害せないようだ。

「なんていうか、その……昔の感覚で無茶してしまわないでね? いくら魔法で治せるって言っても、あなたの体は一つだもの」

「わかってる。……本当に、ソフィーとお前は同じことを言う」

「あら、親子が似るのは当然よ、パパ?」

 思いきりしかめ面をされたが反論はなかった。代わりに。

「あの罰は、感情と記憶を刻み付けるためのものだったのかもしれないな」

 ぽつりと溢す。ちょうど考えていたところだったから、何を指しているかにはすぐ思い至る。

「何十年も何百年も、過去を反芻して……」

 アーレインはそこまで呟き押し黙ってしまう。

 たったひとり、何もない場所で。自分が捉えた感情通りに、ある意味では『歪んだ』記憶を何度も何度も思い出しては追体験する日々……

「俺の執着さえも見透かされていたわけだ。忌々しい」

 鼻を鳴らして吐き捨てる。彼がずっと憶えていたこと、きっとそんな罰がなければ忘れ去っていたかもしれないこと。

「……わたしの魂がどこかをさまよっていた時も、あなたはひとりで耐えていたのよね」

「さまよわせなどするものか」

 否定も肯定もせず、彼はただどこか悔しそうに口にした。頑なに明言しようとはしないが、転生の対価が悪魔の力だったとすれば、人間が命を懸けたも同然に違いない。この時代で彼と巡り会うことができて、感謝を伝えられて本当に良かったと思う。

「……シエラ。俺からも一つだけ訊いていいか」

「もちろんよ」

 珍しい伺いにやや驚く。少しだけ言いにくそうにしながら。

「昔……前世でやり残したことは、この時代に叶ったか?」

「やり残したこと……?」

 頷く。

「心残りがあるのだろうとは察しがついた。あの幼さだ、当然といえば当然だが」

 昨日のことのように語る声に、自然と思い出すのは戦場での問い掛け。

「お前の望みがわからなかった。だから来世で後悔がなくなるようにと……そう願って、俺はお前の魂を縛った」

 いよいよシエラは何度も瞬きを繰り返す。そんなことは初耳だ。

 大声で泣き出してしまいたいような気持ちに駆られる。後悔。そうか、確かに後悔だった。あの悪魔のことを知りたいと――もっと一緒に居たいと。

「ええ。でもまだまだ足りないかも?」

 再会の間際に記憶を取り戻したのも、偶然ではなかったのかもしれない。もしも記憶が魂に刻まれるものだとしたら。そして、それが強い祈りで成されたのなら尚更。

「それは……俺がこの先に叶えてやれることか?」

「ふふ、そうね。そう思うわ」

 シエラが……タニアが何を願ったかを教えるつもりはなかった。過去の願いがなくとも今こうして想いを伝えられるのだから。

 再度、そうか、とだけ呟いて彼は外の景色を見遣る。

「……俺の命はいつか終わるのだなと、たまに考えることがある。そしてソフィーは恐らく、その先も長く生きるのだろう。俺と、お前のいない世界で」

 人間にしてはまだまだ若い。だが、悪魔にはそんな『終わり』はなかったはずだ。きっと戸惑い焦りながらも……彼は遥か先を見ている。

「短い命で足掻いて何の意味があるのかと、昔はずっと思っていた」

「……わたしのことも?」

「許せ。時間の感覚が違い過ぎる」

 どこか気まずそうに応じる。それでも少女と旅路を共にした悪魔は、限りある生と知りながら人間となる道を選んだのだ。

「俺はもう色々なことに飽いてしまったが……ソフィーにしてやれることは全て与えたいと思っている。たとえ、瞬きの間しかないとしても」

 憮然としながらも。

「家族というものを……知る努力は、しているつもりだ」

「充分よ。だってわたしも同じ気持ち。一緒に生きてくれてありがとう、って。……ねえ、アーレイン」

 言い淀む様子に、とびっきりの提案を。

「もう一度生まれ変わることってあるかしら?」

「どういう、意味だ」

「来世も一緒に居たらさすがに飽きちゃうかしらね?」

 含み笑いの言葉にアーレインは瞠目したが、やがて。どこか安堵したように微かに笑みを返す。

「どうだろうな。ヒトは変わる生き物のようだから」

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