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父の日 前編

「あのね、今日はパパの日なんだって」

「俺の?」

 朝食の席でソフィーが声を上げる。もう少しで食べ終えるというところで興奮を思い出し手を止めてしまった一方、当の父親は既に食後の紅茶を口にしている。そろそろ家を出る時間だ。

「誕生日は終わっただろ」

 彼には元々『誕生日』がなかった。便宜上、とりあえずラダンに弟子入りした日付を周囲には伝えている。

 だが、ソフィーが言っているのはそのことではない。皿の周りに跳ねたソースを拭いてやりながらシエラが補足する。

「この町には父親に感謝する日があるのよ。いつもありがとうって」

「だからね、どうしたらパパは喜んでくれる?」

 これまでも毎年その日の夕食は少し豪華にしていたが、わざわざ話さなければ、元悪魔である彼がヒトの慣習を知るはずもなく。悪戯っぽく片目を瞑ると、してやられたとばかりに小さな嘆息。たまにはシエラだって『先輩面』をしたいのだ。

「別に気を遣う必要は……」

 ソフィーが頬を赤らめている様に気付いたのだろう、呑み込んだ言葉の代わりに。

「……それなら欲しいものがある。買い物を頼まれてくれるか」

「任せて!」

 ぱっと顔を輝かせ、今度はシエラをきらきらした目で見上げる。大好きな父親の役に立ちたい盛りだ、小さな任務へのやる気に満ちている。

「ママ、お買いもの行こう!」

「じゃあそのためにもしっかり食べなくちゃね。できるかしら?」

「うんっ、がんばる……!」

 苦手なニンジンをぎゅっと睨み付ける。その様子に夫婦揃って笑みを溢したことは言うまでもない。


「パパ、いってきますのキスして?」

 見送る段になって言われた言葉に、魔法師様は微かな驚きの表情のまま固まった。わがままにしては可愛らしい要望。実は初めてということもないのだが、毎回こうして律儀に困惑を示す。

「ソフィー、朝ごはん好き嫌いしなかったもん」

「ああ、まあ、それはよくやったな……」

「ごほうび!」

 娘にねだられれば彼は弱い。嘆息しながらも長身を屈め頬に口付ける。するとすぐさま、今度は幼い唇が彼の頬へと押し付けられる。大人も顔負けの早業を見せたソフィーは花のような笑みを咲かせた。

「お返し!」

「ああ……」

「ありがとう?」

「……ありがとう」

 本心が顔に出てしまうのも相変わらずだ。一見すれば不機嫌そうに眉根を寄せているものの、ほんのりと耳を朱に染めた姿をクスクス笑っていると。

 娘の頭に軽く手を置き、空いた側の手でシエラの腕を掴み引き寄せる。何を、という疑問が声になることはなかった。強引に唇を塞がれる。離れる間際に見えたのは少し怒ったような、熱に潤んだ金色の瞳。

「……行ってくる」

「いってらっしゃーい!」

 既に彼は転移した後。明るい声をぼんやり聞きながら、身体中が沸騰したような心地で思わず口許を押さえる。

「ママ、お返ししなかったの?」

「……」

「ママ?」

 不思議そうにするソフィーへ応じることもできなかった。あんなのは、ずるい。人間としてはシエラが何年先んじていようとも、どうしたって彼には敵わないらしい。

「ねえ、パパ、なんて?」

 くいくいと服を引っ張られようやくシエラは我に返った。自分とよく似た……それでいて彼の面影もあるラベンダー色の瞳が、期待を込めて見上げてくる。

 先ほど渡されてそのまましまった紙片をエプロンから取り出す。そこには例によって素っ気なく最低限の一言、宝石屋へ行くよう記されている。

「『好きな色の石』……?」

 てっきり魔道具屋や書店へでも遣わされるものと思っていたのだが。首を捻りながらも、ひとまず今日の予定は市場へ行ってみることで決まりだ。

「石って、宝石? きらきら?」

「ええ、あなたが好きなものをって」

 ソフィーはもちろん初めてだが、シエラとてそう何度も足を踏み入れた経験のある店ではない。貧相な格好で行けば目立ってしまう。彼なら華やかな場でも堂々と振る舞えるのだろうが、一介の食堂の娘にとっては少しだけ気が重い。

「ソフィーが選んでいいの?」

「もちろん。なんなら、わたしの分も選んでいいのよ?」

「だめよ。ちゃんとしないと、パパ、こーんな顔するもの」

 眉間に懸命に皺を寄せる様を見て堪らず噴き出した。本当によく見ていることだ。

「そうね、あなたの言う通りだわ」



 買い物を終え帰宅したシエラは、庭先にアーレインの姿を見留めだいぶ驚いた。まだ陽は高い。彼はどこか手持ち無沙汰な様子で花々へと静かに魔法を使っていた。恐らく成長を促進する類いのものだろう。曰く、魔素を整えるために必要なのだそうだ。

「パパ!」

 ソフィーが歓声をあげるより、向こうが気付く方が早い。しっかりと待ち構えていた彼は、駆け寄る娘にふと表情を和らげた。恐らく、シエラにしかわからないような変化ではあったが。

「お仕事は? どうしておうちにいるの? さっきの何の魔法?」

 矢継ぎ早な問いかけにうっすら苦笑を浮かべつつ、シエラに顔を向ける。

「早かったな」

「あなたこそ。一体どうしたの?」

「父親は家族と過ごせと……無理矢理だ」

 呆れたような声音はしかし、そこまで不服そうでもない。聞けば同僚に言われたのだとか。自尊心の高い彼にわざわざ伝えようとは思わないものの、魔法師同士の仲を感じてシエラは勝手に嬉しくなる。

「ねえねえ見て、きれいなお花!」

 少女が抱きつくのを我慢したのは手に持った宝物を守るため。帰りの馬車に乗るより先に、少し寄り道をして摘んできた。ささやかな花束を前にして金眼が細められる。

「……よく咲いている。花瓶に活けてやるといい」

「うん、長生きしてほしいもんね」

 自分では気付いていないだろうが。娘を家の中へと促すその横顔は、もうすっかり父親の表情だ。


「はい、どうぞ!」

「赤い方がソフィーからよ」

 きちんと包んでもらった箱を受け取り、丁寧にリボンをほどいていく。いつもは食卓として使っている机上に並べられたのは、ソフィーが選んだ赤い宝石と、それよりも少し小さなシエラが選んだ琥珀色の石。

「パパは石が欲しかったの?」

「ああ。……これがお前の選んだものか」

「うん、きれいでしょ? パパの魔法みたいだと思ったの!」

 シエラが言うより娘からの賛辞の方がもっと刺さるらしい。虚を突かれたようにわずか押し黙ったものの、やがて困ったように顔をしかめつつ、小さく咳払いを一つ。

「まあ、それなら良かった……かもしれないな」

 ぼそぼそと呟きながら、持ってきていた道具箱から革紐を取り出す。

 何をするのかと視線が集まる前で、石の表面に指先を滑らせた。

「《彩りの帯よ、原野に棚引け》」

 手元でパッと青い光が弾ける。いつもなら消えてしまう魔力光が、なんと、目の前の石の中で輝き続けている。

「ゆらゆらしてる!」

 少女が声を上げたように、宝石の中で揺らめきながら形を変える魔力光は、赤く透き通った石の色と相まってまるで燃えているかのよう。詠唱したのはわざとだろう。

「少しだけ魔素を集めやすくなる」

 言いながらも石を包み込むような形に革紐を編んでいく。あっという間に首飾りが出来上がり、彼はそれをそっと娘へと手渡した。

「これからも励むことだ」

「やった! もっと魔法の練習がんばる!」

 喜びに頬を上気させる少女は、本来の目的もすっかり忘れてしまったように手の中の石を見つめている。

 なるほど、彼が宝石を買わせた意図がこういうことなら、つまり次は。

「随分と小振りなものを選んだな」

 案の定、アーレインがためつすがめつしたのはシエラの選んだ石。やはりそのまま受け取る気はないらしい。

「だってこんな贅沢、慣れないわ……」

「その方が手間は省けるが」

 男らしい手が器用に作り上げていくのは耳飾りだ。

 割り、磨き上げ、金具で留める。どこまでが魔法でどこからが手作業だったのか。全てが魔法と聞かされても納得してしまいそうな手際の良さに、シエラは思わず感嘆のため息をついた。

「あなたって装身具屋さんに向いているかも……」

「職人に怒られるぞ」

 肩をすくめる。お世辞のつもりではないのに。

 琥珀色の石は彼に似合うようにと選んだが、結果的には正解だったようだ。彼と出会ってからシエラはこの金色が大好きになったのだ。指輪ともお揃いであることだし。

 と、作業を興味津々に見つめていたソフィーが、アーレインの方へと身を乗り出した。

「パパもお耳にキラキラつけてるよね?」

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