じゃれつく珍客
魔法師達が集う王都の機関は、各所属の建物が集合した城のような造りをしているのが特徴だ。
物々しく堅牢な建造物。それぞれ《緑の雄牛》のところには軍も顔負けの訓練場があるし、《紫の蛇》には国内のどこよりも充実した研究設備が備わる。《白の鷲》が拠点としている建物は、他と比べてそこかしこに緑地があるのが特徴だ。自然が豊かな土地ほど魔素の純度が高まるとされるかららしいが、古い建物のため真偽は定かではない。
だが不思議の力を意のままとする彼らの日常は、実のところ、外の住民達が想像するほど特殊なものではない。
机は割り当てられていたが、アーレインが仕事をするのは専ら穴場のような小さな中庭だった。人が多い場所は好まないし、下級、中級魔法師達から上げられる報告書を読み、提案されている理論を自身で試すのには、屋外の方がちょうど良い。
いつものように書面に目を通しながら、片手の指先で魔法を軽く実践してみる。
「これは……悪くないが、標的が少し曖昧か」
呪文の代わりに独り言を呟く。やはり『出来てしまう』ことを言葉にするのは難しい。
中級魔法師が考えたという、風による網を作る魔法。詠唱することなく再現し、しかしそれでは後進のためにならないとラダンに言われたのを思い出し……どう伝えたものかと思案していた時だ。
「あっ、居た居た。おーい、アーレイン!」
廊下から手を振るのはジョゼットだった。顔を上げ、アーレインは怪訝そうに目を細める。客人は一人ではなかった。
「何かあったか」
報告書をしまい立ち上がる。風魔法についてはひとまず後回しだ。何せ五、六人の魔法師がこぞって訪ねて来るなど只事ではないだろう。昼の時間にはまだ早い。
「ちょっと困っててさ。お前ならたぶんここに居るだろうと思ってな」
歩み寄れば気安く言うのはジョゼットだ。他は顔見知りでこそあるが、まだ若干の遠慮を見て取ることができる。アーレインは然して気にもせず、促されるままに着いていく。
「なんか小さい子が受付に来てるらしいんだけど、魔法師でもなさそうなのに魔力を感じるんだってよ」
「子供?」
「そうそう。でも別に何かをしでかす訳でもないらしくてさぁ……一応、見張ってはいるっぽいんだが」
頭を過ったのは悪魔の可能性だったが、だとすれば真っ先に彼の眷属が察知するはずだ。こんな悠長な会話などしていられないだろう。
周りの魔法師も口々に補足するものの、聞けば聞くほど雲を掴むような話で誰も要領を得ない。それは彼らの中でも同じ感想だったらしく、たまたまラダンが不在の今日、最終的な判断を皆アーレインに求めたのだった。数々の任務を経て、彼が最もこの《白の鷲》において危機への対処能力が高いことは共通認識だったからだ。……結果的に人選は大正解だったのだが。
「あっ、ご主人ー!」
アーレインが向かうと、その姿に気付いた子供が高らかに歓喜の声を上げた。魔法師達の壁をひょいと軽業師のように飛び越え、パタパタと駆け寄る。若手とはいえ、魔法師が揃っていながら捕まえる間もなかった。
「ご主人?」
「ご主人って言ったよな」
どよめく周囲を尻目、常に沈着な青年は珍しくも頭を抱える。
「会えて嬉しいです、ご主人!」
「……リリィ。何をしに来た」
「え、なに、このちっちゃい子ってお前の身内?」
ジョゼットの心底引いた声は無視する。
「お使いで来ました。シエラが忙しそうだったので!」
むふん、と得意気に胸を張る。彼女も制止しきれなかったのだろう。帰宅したら謝られるに違いない。
「どうして犬の姿で来ない」
犬、という単語にまた周囲が少しざわついた。
「ソフィーがこの姿をかわいいって褒めてくれたので、ご主人もその方が嬉しいかと思いまして」
「そういう問題じゃないだろ」
「かわいいと思いますか?」
「……」
「思いますか?!」
「わかったわかった、お前はかわいいしかっこいいし強くて最高だ」
「ご主人ー!」
棒読みにすら顔を輝かせる様はまさに可愛らしい子供なのだが、中身は謂わば魔力の塊だ。人には有り得ない素早さで飛び付くのを、彼は慣れた様子で邪険に払い除けた。
「じゃれつくんじゃない」
「あう」
素っ気なくあしらわれた姿に何人かの女性魔法師が「かわいそう」と呟く。この場の誰もあの怪力を知らないから言えるのだ。アーレインはいささか苛立ちながら
「それで、何の用だ」
訊ねれば、即座に体勢を立て直し敬礼してみせる。
「はい、お届け物です! 机の上にお忘れだったので。昨日も遅くまでお仕事していたのをリリィは知っています」
斜め掛けしていた鞄――よく見れば、シエラの物だ――をごそごそと探り、取り出したのは確かに書類の束。端が折れ曲がってはいるが千切れたり濡れたりはしていないし、この子供にしては無事に届けられた方だろう。
「……感謝する」
どうやらそれだけでは不満らしい。硝子のような瞳が期待に満ちてアーレインを見上げる。
早々に根負けしたのは主人の側だ。ため息をつきながら白と黒の癖毛を一度、二度。犬にするよりもやや加減して撫でてやればリリィは再びぴょんと跳ねた。
「やったー!」
「うるさい。もう用は済んだだろう、大人しく帰れ」
「ええー、リリィと遊ばないですか?」
「忙しいんだ」
「ほんとにほんとに、遊ばないですか?」
舌打ち一つ。
「……きちんと留守番ができたら考えてやる」
「わーい! リリィはえらいのでがんばってお留守番しまーす!」
軽々と宙返り。リリィはベールを纏うかのように霧の獣になると、最後にもう一度頭を擦り付けてから消え去った。
犬の姿になれば当然ながら衣服は不要になる。バサバサと落としていったそれらを拾い上げ畳む姿は完全に父親だ。
「あ、あのさ、アーレイン……」
「……」
「いや! まあそりゃちょっと意外だったけど、でででも俺らは別に何も――ヒッ」
魔法師は地獄の業火の如き空気を纏いながら振り返る。視線だけで殺されるかと思った、とは後のジョゼットの談だ。
「忘れろ。今ここで見た全てを、だ」
いくら優れた魔法師でも人の口に戸は立てられない。まして端から有名な男である。その日のうちに噂が広まるのは避けようのない事態だった。




