星屑酒
運が良ければ大魔法師候補が鍋を振る姿を見られると噂の、西の町のとある食堂兼酒場。王都から離れたその店はいつの間にか、転移魔法を使える一人前となった証に若手魔法師が訪れ、あるいは味を占めたアーレインの同僚達の溜まり場となっていた。ラダン本人もたまに姿を見せるとなれば、客が客を呼ぶのは自然な流れだ。
かつてはシエラのために植えた林檎の木。刻んだ転移魔法用の目印は、とっくに『合言葉を知る魔法師なら利用可能』なように書き換えてある。合言葉というのはもちろん、少女に教えた転移の呪文だ。アーレインが適当に考えたあの文言が、人から人へと口伝えられている。
今夜もそれなりに賑わう店には、初めてのお客様がやってきていた。
「べべ別に、私が来たいって言ったんじゃないからな?! 友人に言われて仕方なく……っ」
「それが第一声で伝えることか?」
必死に否定するのは《戦女神》ことヴェルレッティ。《緑の雄牛》の上級魔法師であり、優秀な光魔法の使い手でもある。
アーレインが呆れ顔で見下ろす一方、友人だという女性はころころと楽しげに笑った。
「本当に知り合いだったのね、ベル。ごきげんよう《悪魔》様? お噂はかねがね」
一方的に名を知られているのはよくあること。にこやかに手を振る彼女に見覚えはないが、こうして共にいるところを見れば同じ部門の同僚か何かなのだろう。
注文をとりにきたシエラもどこか嬉しそうだ。
「ねえ、あまり機嫌を悪くしないでアーレイン。ヴェルレッティ様、それとお友達の方も、お越し下さって嬉しいです。ごゆっくり寛いでくださいね!」
「……本当に、貴様には勿体ないな」
ヴェルレッティの呟きにアーレインは小さく鼻を鳴らす。
「渡さんぞ」
「そんなこと一言も言ってないだろうがッ」
先日は高く結い上げていた髪も今日は下ろしている。鎧を脱いでいればその辺りの女性と変わらず、先陣を切って魔獣を狩り回る苛烈な姿が嘘のようだ。気が強そうではあるものの、はっきりとした面立ちの美人である、黙っていればさぞ異性が寄ってくることだろう。
その反駁を無視してアーレインは眉をひそめる。
「シエラ、わざわざ俺を呼んだのは」
家で書き物をしていたところ、手伝いかと呼び出しに応じてみればこの光景。彼女は不思議そうにぱちぱちと瞬いた。
「だってお友達でしょう?」
「……」
否定も肯定もしかね、返答の代わりに調理場へ足を向ける。皿洗いの一つでもしておかなければ無駄足を認める羽目になるではないか。ソフィーのことはリリィに任せているからひとまずは安心だろう。
「おっ、ねーちゃん達も魔法師様なのか」
「そりゃカッコいいなあ!」
この店の客は魔法師だけではない。奥の席を陣取った農夫達が声を投げてくる。無論、既に酒の入った状態だ。
「ね、ねーちゃん?」
この土地の住民は、どんな魔法師に対してもラダンと同じ距離感で接していいと考えている節がある。いつも遠巻きに見られる立場の者にとっては逆に新鮮らしく、こういった交流を含めて評判は悪くない。多分に漏れずヴェルレッティも、戸惑いを見せつつ気分を害してはいないようだった。
「ご注文をどうぞ」
シエラがペンを構える。ヴェルレッティは品書きを捲り、小さく唸るとぎこちなく曖昧な笑みを見せた。
「あー……と。どれも美味しそうだ。良かったら、おすすめを教えてくれないか?」
少女はふとタニアだった頃に悪魔から教えてもらった『呪文』を思い出し――笑顔で承諾を返すのだった。
麦酒を二つ、ハムやソーセージの盛り合わせ、ハーブのサラダ、それから干し葡萄と胡桃を載せた薄焼きのパン。素朴ではあるが農耕の町ならではの料理を運ぶ。最初はどこか所在なさげにしていた魔法師二人だったが、徐々に顔を綻ばせながら食べ進めていく様子を、シエラのみならず農夫達も微笑ましく見守った。
やがてグラスが空になる頃を見計らって、シエラが再び席へと歩み寄る。
「お味はいかがですか?」
「うん……とても美味しい。シエラ殿は料理が上手いんだな」
「ありがとうございます」
量の減っている皿の中身を見るに、社交辞令ではないのだろう。
「ふふ、雰囲気もいいし通っちゃいそう」
「セイシェルお前、あいつに会いたいだけだろ」
「あら、バレた?」
やり取りには苦笑を返す。指された魔法師を目当てに来る客は多い。調理を手伝うこともあるものの、基本的には片付けなどシエラの邪魔をしないよう気を遣って立ち回ってくれる。元来、接客を厭わしく思っているのも確かだろうが。
飲み物のおかわりを促すと彼女達はまた品書きを眺める。楽しげな表情に、命名にもこだわった甲斐があったと内心満足していると。
「この限定の……『星屑酒』というのが気になるな。初めて見た」
指を置いた一品はまさしく人気の飲み物だ。シエラは両手を打ち合わせ、ちらりと厨房を見た。
「そのお酒、彼がいるとき限定で出してるんです」
「あ、じゃあわたしもそれにしようかな」
「星屑酒がお二つですね。少々お待ちください」
やがて言葉通りに間を置いて、憮然とした魔法師が、蒸留酒を入れたグラスと何故かポットを持ってきた。
並べたグラスに琥珀色の液体を注ぐ。愛想の無い表情にさえ目を瞑れば、仕草はとても丁寧で優雅だ。
「紅茶?」
「桃の酒に、冷やした紅茶を」
軽く一周だけ混ぜ、ため息。
「……同業相手にやりたくないんだが」
いかにも渋々といった様子で、二度ほどグラスの縁を指先で軽く叩く。すると揺蕩う茶色の流れの中にパッと光が咲き、次いで発泡を示す小さな泡が立ち上る。青い魔力光……魔法だ。
「ま、魔素を飲むのか?」
「風と光……元は単なる空気だ。害はない」
なるほど、確かに器の中には星が燃えるような煌めきが弾けている。酒が飲めない場合は代わりに糖蜜を使うのだが、目の前で魔法を見られるとあって何度も頼む客も多い。
剣を振るっていた男と同一とは思えない繊細な仕事に黙しつつ、ヴェルレッティは恐る恐るグラスに口を付けた。
「……甘い」
「度数は高い。飲みすぎるなよ」
言い置き立ち去ろうとしたアーレインを、セイシェルという魔法師が引き留める。
「せっかくだし少しお喋りしましょうよ。良いわよね、ベル?」
「ああ、いや、別に私はどちらでも……」
彼は顔をしかめるも今日はそこまで多忙というわけでもない。小さく息を吐き、億劫さも顕に席の端に腰掛ける。
「……」
「……」
ヴェルレッティは言葉を発する代わりにグラスを傾けている。セイシェルも特段何かを話す気配はない。笑顔のまま見つめられ、アーレインはばつの悪さに目を逸らした。
「……なんだ」
「あなた、本当にきれいな顔立ちよね。今のうちに目に焼き付けておこうかと思って」
「馬鹿馬鹿しい」
「安心して。こう見えてわたし既婚なの」
場に一人であったならアーレインはとっくに自室へ帰っている。だがここはシエラの店だ。己の失態によって苦労をかけはしまいと、それだけのために彼は思い切り渋い顔をしつつも大人しく席に収まっていた。
コン、とやけに軽いグラスを置く音。見ればヴェルレッティの酒は空になっており、すすり泣くような声が聞こえた。……すすり泣く声?
「お、おい」
何気なく騎士の顔を見たアーレインは直後、狼狽えながら向き直る。なんと泣いていたのは彼女だったのだ。
「あー、その子あまりお酒強くないのよ。オマケに泣き上戸」
「ッ、知っていたならとめろ」
焦った声もどこ吹く風、セイシェルはやれやれとばかりに肩をすくめ、何事もなかったかのようにハムを一切れ口に運び「おいしい~」などと嘯いている。落ち着き払った様子からはこの状況に慣れていることが窺えた。
「いつも溜め込んでる分、許してあげて?」
それどころか声音には面白がるような響きすらあって。
すっかり泣きべそをかいている騎士は、眠たげな目元を真っ赤にしながらアーレインを睨み上げた。
「ううっ……ぐす……! アーレイン、ほんっとぉに、貴様という奴はなぁ……!」
たじろぐ男にビシッと指を突き付け。
「ずるい!」
「は……?」
「あんッなに強くて! 扱える魔法も多くて! なんなんだ?! ずるいだろうが!」
「いや」
「男に庇われるなんて初めてだったんだぁあ……よ、よくも私の初めてを……!」
誤解を招く物言いに遠くのテーブルから野次が飛ぶ。
「おいおい兄ちゃん、女性を泣かせるたぁ酷いな」
「くそ……おい騎士、いい加減に」
「ひぐっ……それにこんな、かわいい女の子を嫁に……うぅ、ずるい……私もシエラ殿をぎゅってしたい……」
あの沈着な大魔法師候補が動揺する姿は珍しい。無論、誰しも冗談とわかってのことだ。
その証拠に、水差しを手に近寄ってきたシエラの顔には困ったような笑みが浮かぶ。酒を提供する場の主人としては手慣れたものだ。
「あの、ヴェルレッティ様? 大丈夫ですか……?」
「わああぁんシエラ殿~!」
泣きつく大きな女性を抱擁し返し、ソフィーにしてやるように背中を軽く叩く。母親としての姿に違和感はないが、相手があの希代の魔法師とあってはアーレインとて顔をひきつらせる他ない。
「ふわふわしてる……天使だ……ぐすんっ」
「何がどうなってる……」
店に顔を出す度に調子を狂わされてばかりだ。アーレインはこめかみを押さえつつセイシェルを睨む。
「どう始末をつけるつもりだ」
「そんな怖い顔しないで、美人が台無しよ。……ベル、そろそろ帰りましょ」
「帰るといっても」
日頃の鬱憤を爆発させたかのような有り様だ。転移魔法が使える状態とも思えない。
するとセイシェルは余裕の笑みで片目を瞑ってみせる。
「近くに宿をとってあるの」
結局全ては想定内ということか。
いつの間にかしっかりと皿を空にしていた魔法師は、てきぱきと代金を支払うと身体強化の呪文を唱える。(「あなた達みたいに使いこなせないのよ」と付け足して。)シエラから引き剥がした友人を抱き上げ。
「……手慣れてるな」
「まあね」
ヴェルレッティは未だに鼻をすすりながら今度はセイシェルにしがみついている。他の……少なくとも《緑の雄牛》の魔法師がいないのは運が良かった。それすらも計算のうちだったのかもしれないが。
口笛を吹く農夫達にもにこやかに会釈。帰ろうとする二人をアーレインは呼び止める。
「どうかした?」
「……もし覚えていないようなら、今夜のことは本人には黙っておけ」
セイシェルという魔法師は初めて驚いたような顔を見せた。
「……あなた、どうして《悪魔》だなんて呼ばれてるのか不思議だわ」
「後でまた謝罪に押し掛けられても敵わん」
余計な貸し借りを生みたくなかった以上に、面倒事を避けたかっただけだ。素直な感想に渋面を返す。
「あ、大事なこと伝え忘れてた」
「なんだ」
「そういえば、前にこの辺りの孤児院から『壺』を回収してくれたのってあなたでしょ?お礼を言うわ」
「……」
レビとの一件か。あの魔道具を預けた先は、つまり――
嘆息するアーレインをシエラが首を傾げて見上げてくる。確かに彼女は所属を名乗らなかったが、試験のこともあるし、かの部門についてはどうにも嫌いになってしまいそうだ。




