うんめい
「お前はいい加減に遠慮というものを覚えろ」
「えー」
唇を尖らせる悪魔ライアス。すっかり来訪が習慣化してしまった美少年は、その幼げな顔立ちを存分に生かし、拗ねた素振りを見せる。
「君の子で遊んでる……じゃなかった、せっかく遊んで『あげてる』んだから、そこは感謝の一つもあるべきじゃない?」
「遊んでる?」
「気のせい気のせい!」
渋い顔をするのはアーレインだけだ。自室で調べ物をしていたはずが、悪魔が訪れるや否や階下へと降りてきたのは、きっと自分の目が届くように。
急に現れる客人に、はじめは戸惑っていたソフィーももう慣れてしまった。ライアスは何故か、ままごとでも人形遊びでも喜んで付き合ってくれる。本物の悪魔相手にこれでいいのかと思いながらも、悠久の中の戯れとして選ばれるのは妙に誇らしい気もする。それに、常に沈着な夫が感情を顕にするのは興味深い。
「そう怖い顔してるとシワが増えるよ?」
「やかましい」
舌打ちしたアーレインを不思議そうに覗き込む碧眼は、飴のように艶やかで美しく。
「でもやっぱあれだねー。君もシエラちゃんも、あんまり見た目が変わらない」
それはシエラもうっすら気にしていたところではあった。悪魔が魂に干渉したためか、老いる速度が遅いように感じるのだ。初対面の相手には歳の割に若く見られるのが常。普通は喜ぶべきことなのかもしれないが、親となった今では複雑な思いもある。
まあ、そんな『些事』を悪魔が深刻に受け止めるはずもない。旧友が返答に悩む間にライアスは既に興味を失ったようで、ソフィーとのカード遊びへと戻っている。
「次、ライアスさまの番よ」
「よしよし、じゃあこの札を引いちゃおうかな~。ところでソフィーちゃん、僕のことはオニーサマって呼んでくれない感じ?」
「……そんな歳じゃないだろ」
「君にだけは言われたくないけどね?!」
同じように卓に着席しながら鼻を鳴らせば、即刻上がる非難の声。機嫌を斜めにした気配をものともせず(ついでにライアスさまからの言葉も聞き流し)ソフィーは父親を見上げた。
「パパもやる?」
「いや、俺は……」
「あー残念だなーっ。ソフィーちゃん、君のパパは負けるのが怖いみたいだ~」
返答を搔き消す煽りに、ぴくりと柳眉が上がる。
「『誰が』負けるって?」
「え? もしかして『目』ばっか使ってるから耳が衰えちゃったのかな?」
「その減らず口を二度ときけないようにしてやる、クソ悪魔」
「ざーんねん、いざとなれば僕の口は『三つ』あるもんねー」
「吠えるしか能のない口がか?」
シエラが止める間もない。互いに悪魔だった時は協力関係にあったと聞いているが、まさか顔を合わせる度にこの調子だったのだろうか?
「えっと……パパも遊んでくれるの?」
戸惑うソフィーの問いかけに対し、頷く彼らの目は全く笑っていなかった。あまりに、なんというか……大人げない。
「ああ。こいつを……」
「フフ、君の大好きなパパを……」
「「叩きのめしてやる」」
結論から言えば、最終的に勝ったのはライアス……ではなく、アーレインでもなく。
「やったー! 見てママ!」
足の引っ張り合いをする大人ふたりを尻目に、着実にちゃっかりと勝利を拾ったソフィーの作戦勝ちである。己の娘ながら、強かさが今から恐い。
「もう一回やる?」
無邪気な問いかけに、ライアスは机に突っ伏したまま、アーレインは頭を抱えた姿勢のまま、揃って首を横に振った。……と、思えば。
「くっそ~……このままじゃ帰れやしないねッ」
がばりと身を起こしたのはライアス。ソフィーがカードを片付けた机上に手を滑らせると、白黒の盤と駒が現れた。――チェスの道具だ。
「決着をつけようアーレイン!」
面倒臭そうに目線だけを向けたアーレインは、次いで娘の方をわずか気にする素振りを示した。チェスは戦争を模した遊びだ。彼ら軍人の素養が発揮される。気を遣い過ぎと言えばそれまでだが、恐らくできることなら見せたくはないのだろう。
そんな内心など知る由もないソフィーは、初めて見る遊び道具に興味津々だ。
「お馬さん!」
「お、ソフィーちゃんは騎士がお好みかい?」
「これどうやって遊ぶの?」
「うーん、まだちょっと難しいかな……パパと遊ぶのを見ててくれる?」
期待のこもった眼差しに嘆息が返る。姿勢を正したアーレインは、慣れた手付きで駒を並べ始めた。
……正直、シエラにもチェスのルールはよくわからない。王様を取れば勝ちだったか? だが、男ふたりがものすごく集中していることだけはわかった。夫もあれで負けず嫌いなのだ。
幼い少女にも真剣勝負の空気は伝わったらしい。質問を挟むことなくじっとやり取りを見ていたが、早々に飽きてしまったようだ。遊び方も知らなければ無理もない。
邪魔をしてはいけないと、シエラはさりげなくソフィーを伴い台所に退避する。
「全然お喋りしてくれないし、つまんない」
「パパもたまにはお友達と遊びたいのよ」
むくれる娘をなだめつつ、棚からチョコを一粒取り出して手渡す。「一位になったごほうびよ」と片目を瞑れば、少女はけろりと機嫌を直したらしかった。
「パパよりソフィーのほうがえらいもん」
食事の支度を始めようとエプロンを身につけたシエラに従い、自ら腕まくりをして手を洗う。最近ではこうしてよく炊事を手伝うようになった。『魔法ごはん屋さん』を目指しているなら、これも修行の一つかもしれない。
「そうだママ、今度チョコレートケーキの作り方を教えて?」
「ええ、もちろん。一緒に作ってみましょう」
「ソフィーね、ママのチョコレートケーキ大好き! あとね、グラタンも好き!」
自ら作ってみようという発想が、いかにも自分達の娘らしい部分だ。好き嫌いせず食べないと立派な魔法師になれない……と言い聞かせはするものの、手料理が好物となるのはやはり嬉しいに決まっている。
卵を割るのもずいぶん上手になった。オムレツ用に混ぜてもらっている間に、香辛料をまぶした肉を野菜と炒める。
「ねえ、ママ」
「うん?」
「ママはパパとどうやって出会ったの?」
「え……ど、どうしたの急に」
思わず木べらを取り落としそうになる。しかし見上げてくる瞳に宿るのは純粋な好奇心。
「パパとママになるくらい大好きな人と出会うの、うんめい、って言うんだって!」
「そんな言葉、どこで……」
「ライアスさまが言ってたの。それでね、このまえパパに訊いたら、ママに訊きなさいって」
「……」
後で文句を言わせてもらおう。どう考えても彼の方が誤魔化しが下手なのは確かだが、だからといって押し付けるなんて!
いったん火を止め、屈み込む。つられたようにソフィーも屈んだから、台所の陰に隠れているような形になった。
「あのね、これはみんなには秘密のお話なんだけど……」
「うん……!」
聞き逃すまいと息を呑む様があまりに一途で。真実は伝えられなくともその真摯さには応えなければ、と思う。
「……パパはね、わたしが苦しくて悲しくて動けなくなっちゃった時に、楽しいところに引っ張り出してくれたの。昔からあんまりお喋りは上手じゃなかったけど、ずっと傍に居て、守ってくれた」
「ママ、だいじょーぶ?」
いつもと逆に、小さな手に頭を撫でられる。これほどの宝物を授かっておきながら、辛いことなどあるものか。
「大丈夫。ソフィーもパパもいて、今はとーっても幸せだもの」
微笑んだシエラの言葉に、少女の側もホッとした表情を見せた。
「ママはパパのどこが好き?」
「んー、全部、だとだめ?」
「一個だけって言ったら?」
「そうね、色々あるけど……優しくて強くて格好いいところかしら?」
わざとしかめ面で口にするとソフィーは楽しそうに笑った。
「一個じゃ足りないくらい、ママはパパのことが大好きなのね!」
改めて言われるとなんとも気恥ずかしいが、それを否定する理由もない。考えたことはなかったが、どこが、と問われると難しいものだ。ただ、ソフィーが言うように『うんめい』だったなら嬉しいと思う。
「今度パパにも同じ質問をしてみて。答えをこっそり教えてちょうだい?」
「うん!」
少しの仕返しを仕込んだところで、食卓の方からライアスの大声が聞こえた。
「終わったのかな?」
「そうみたいね」
親子は顔を見合せ笑う。それが悲鳴か歓声かは、二人で戻ってからのお楽しみだ。




