育つもの
「パーパ! 起きて!」
朝早く……いや実際すっかり外は明るいのだが、ともかくまだ眠っていた魔法師の耳元で大声が響く。不快げに身動ぎする彼の側には妻と娘。シエラは張り切るソフィーに付き添っただけだが。
「ねえねえリリィちゃんは?」
娘のおねだりには毛布から腕だけが伸びる。覚醒しきっていなくとも長い指が魔法を描き出せば、生じた白い霧がしゅるしゅるとヒトの形を作る。
「ソフィー、おはようございます! シエラもおはようございます!」
「おはよう、リリィちゃん。元気いっぱいね」
「はい! リリィはいつでも元気です」
きらきらと青い魔力光を散らし現れた子供は敬礼して見せる。それから寝台上の塊に気付き不思議そうに首を傾げた。
「ご主人は、まだおはようじゃないです?」
「リリィちゃんも起こすの手伝ってー」
「はーい!」
「……やめろ。お前は加減を知らない」
やる気満々で飛び掛かろうとする直前、がしりと頭を鷲掴む手。
「いだぁい」
「パパ、リリィちゃん痛いって」
じたばたと暴れるリリィの横でソフィーが毛布を揺さぶる。未だ腕しか見せないアーレインは中で不機嫌そうに呻いた。見慣れた光景ではあるが、思わずシエラは噴き出してしまう。これは確かに悪魔も腹を抱えるはずだ。なんて幸せなことだろうか。
「ねえ、ソフィーがあなたと遊びたいって」
観念したかのように寝返りを打ち、眩しさに顔をしかめる。そんな気怠げな姿でさえ様になるのだからずるいものだ。美しい魔法師は腕を顔に載せ、大きくため息を吐き出した。
「……下に降りていろ。支度する」
「もう一回寝ちゃだめよパパ?」
「……」
遅めの朝食を家族で囲む。起こす時こそ苦労はするが、人前に出てくる段になればすっかりいつもの魔法師様だ。背筋を伸ばし黙々と食事を摂っている。
食卓でよく喋るのはソフィーで、意外にもリリィの方が眼前の皿には集中していることが多い。……といっても。
「落としたぞ」
金色の眼差しが隣に座るリリィをちらと見る。今朝はパンケーキだ。ナイフとフォークを主人のように綺麗に扱うのには難儀するのだろう。そもそもが犬なのだから無理もない。懸命に突っつきまわした結果、皿の上は無惨に散らかっている。
「うーん、むずかしいです……」
「ソフィーが教えてあげようか?」
「今日は切ってあげることにしましょう。練習はまた今度、ソフィーが見てあげて?」
「ほんとですか? うう、シエラ優しいです。ソフィーも優しいです。ご主人は厳しいのでちょっときらいで……あっ嘘です嘘!」
主人に睨まれリリィは首を竦める。辛うじて無事な塊をシエラが切り分けてやっていると。
「で、ソフィー。何かやりたいことがあるのか」
父親の問いかけに、待っていたとばかりに少女は身を乗り出した。
「また魔法の特訓してほしいの!」
アーレインの使う魔法を身近で見て育った彼女が、魔法師というものに憧れを抱くのは自然な流れだった。魔法の恐ろしい面も知るシエラとしては少しだけ心配しているものの、新しく学んだことについて毎回自慢をしに来るのが楽しみでもある。
「ソフィーね、魔法師さまになるの! 魔法をたっくさん使えたらなれるよね?」
「まあ、そうだな、そうだろうが……」
助けを求めるようにシエラへと視線が向く。彼は正規の手順を踏んで魔法師となったわけではない。
「でもママのお手伝いもしたいから、『魔法ごはん屋さん』になろうかな?」
そわそわ瞳を輝かせる優しい少女は、シエラが店で使っている竈が本当に『悪魔の竈』であることを知らない。
今この世界で『魔法ごはん屋さん』なるものに最も近いのはシエラかもしれなかった。気が向いた時にふらりと現れ遊んでくれる『ライアスさま』の正体、彼女がいつか知る時も来るのだろうか。
家の裏にある小さな畑では色々な野菜を育てている。娘に急かされ外へ出たアーレインは、さりげなく辺りを見回し、今日も魔素に異常がないことを確かめた。
「何かいっぱい落ちてる!」
ソフィーが屈み込んだ地面には小さな黒い粒がそこかしこに。
「黒スグリの実だな」
直ぐ上の枝先を摘む。
「食べられるんだ」
言うや、ひょいと採って口へ放り込む。ソフィーも手の届くところにある枝から真似して……
「……すっぱい!」
途端に口をへの字に曲げた。思わず吐息のような小さな笑いが漏れる。少し意地悪だったかもしれない。
「砂糖と煮ると旨い。拾っておくか」
確か、ジャムに使うために植えたのだったような。
懐からハンカチを取り出し促せば、幼い少女はまだ渋さを口許に残しながらも進んで手伝う。どうにか包めるくらいの量を収穫し、一旦それは傍に置いておくとして。
さて、この間は空中に水滴を浮かべる魔法を教えた。水魔法の基礎とはいえ、弾けてしまわないよう魔力を調整し続けるのは集中を要するから、実際の下級魔法師にも良い訓練になる。
「お水の魔法、ちょっとできるようになったの。見てて!」
呪文を唱えると小さな掌の上に魔方陣が現れ、その上にぽわんと一つの雫が浮かんだ。幼いなりに難しい顔をして見つめる様に自然とアーレインの表情も和らぐ。
が、まだまだ習い始めたばかり、すぐに水滴は弾けて足元の地面を濡らしてしまう。ソフィーは声を上げ、悔しさを滲ませながら父親を見上げた。
「昨日はもっとできたのよ。この前、ラダンおじさまも褒めてくれたもの」
「じきに長く保てるようになる」
負けず嫌いなところはアーレインに似たのかもしれなかった。
シエラも魔素を感じられる体質だ。その実、二人の血を継ぐソフィーは筋が良く、狭き門である魔法師を目指すのも絵空事ではないだろう。指導してやるのもやぶさかではない、と思う。時折訪れる大魔法師も多少の期待はしている様子だが、あくまで当人の意思に任せている。
とはいえ、所属するなら《紫の蛇》でなければ許す気はないが。あそこが最も魔獣討伐の任務は少ない。
「少し力みすぎかもしれないな」
固く反らした手指を軽く揉んでやる。
「膜ではなく中身の……中心を保つように意識を向けるといい」
掌を示し魔法を見せる。魔方陣の上に生じた核のような水滴。それを目指し周囲から集まってくる小さな流れが、徐々に球体を形作っていく。
「力で押さえつけるのではなく、重ねて膨らませる感覚だ」
「これが上手になったらリリィちゃんも作れる?」
「あれは特別だな。……まあ、上達したら教えてやる」
確かに、主には水魔法により生まれた擬似的な獣ではあるが、心を宿させることは元悪魔でなければ出来ない芸当。形は似せられたとしても落胆する未来は明らかだ。ひとまずは簡単な魔法で納得させてやるしかないだろう。
「続ければ必ず上手くなる。……今日はどんな魔法を習いたい」
新しいもの好きの少女のことだ、練習の成果を見せたいがために甘えたのではないはず。案の定ソフィーは目を輝かせたかと思うと、アーレインの服を引っ張った。
「んっと、お耳貸して?」
怪訝に思いながらも屈む。ひそひそ声。
「……あのね、ママをお手伝いする魔法!」
他者を助けるために魔法を習得しようという意気も、きっと魔法師向きだ。あのラダンが聞けば大喜びするに違いない。
炊事は火を使うからまだ早い。となるとやはりシエラに教えたのと同じく、洗濯物の皺を伸ばす風魔法がいいか。
「シャツを一枚取ってきてくれるか」
「うん!」
見送る顔に複雑な色が過る。魔法師こそ普段の生活ではほぼ魔法を使わないこと、幼い子供に理解させるのは恐らく難しい。
少しだけ練習をして、昼過ぎ。一旦家の中へ戻ると、まだまだ元気の有り余るソフィーは、食事の支度をするシエラを手伝うためくっついてまわる。リリィは犬の姿で昼寝中だ。
「ママ、魔法使えるんでしょう? お料理も魔法でやっちゃったらいいのに」
手元をじっと見つめながら唇を尖らせる。気持ちは、シエラもわからないではない。困ったように笑ったところで、水を飲みに来たアーレインが言葉を返す。
「何でも魔法に頼ろうとするな」
「どうして?」
「明日世界から急に魔素が消えたらどうする」
むくれる娘と難しい顔の父を見比べ、間に入ったのはやはりシエラだった。
「ソフィー。あなたは何のために魔法師になりたいの?」
「パパみたいに、困ってる人を助けるため!」
「ふふ、いい子ね」
返事に迷いはない。グラスを手にしたまま固まっている彼の方がずっと困惑しているように見えた。
「そのためにはね、魔法が使えない人の気持ちを理解することも大切なの。何事も自分の力でやってみないとわからないものよ」
付け合わせに使おうと思っていた野菜を並べ。
「例えば、レタスってただの球体じゃないでしょう?」
葉を剥いていく。どうして交互に重なっているのか、どうやって育つのか。魔法一辺倒では物事の本質はわからない……などと非魔法師が言っても説得力はないかもしれないが。
ソフィーは見よう見まねでパリパリと葉をちぎり。
「あ、パパ、これさっきのお水の魔法とおんなじよ!」
「そうか……?」
「真ん中があってね、まわりがくるくるって、まん丸になるの」
アーレインは首を傾げていたが、娘の興奮した様子には何も言わなかった。きっと幼いなりに何か気付きがあったのだろう。
「ねえママ、お野菜ってかわいい色なのね。ただの緑色じゃないんだ」
「そうよ。さ、こっちのトマトはどれがおいしそうかしら? ソフィーが選んでくれる?」
「うん! えっとね……」
インクで塗り潰すのとは違う。トマトだってよく見れば赤も橙も緑も混じっているし、ナスのヘタの刺やキュウリの凸凹も触ってみないとわからない。机上の理論だけでは学べないこと……彼ほど優秀でなくたって、この世界に生きてきた者としてそれは教えられる。
「魔法でお料理するとしても、お野菜が本当はどんな色や形をしてるのか、知っていた方が上手にできると思わない?」
「そうね……うん、そうかも! ママすごいね」
「パパもそうやって立派な魔法師になったんだから」
「パパもすごい!」
「いや……」
ぐいとグラスの中身を飲み干し、手の甲で雑に口許を拭う。魔法師様は娘からの純粋な眼差しにも弱い。……本当に家の外とは別人のようだ。
これ以上はさすがに少しだけ気の毒な気がして、ソフィーには食卓で食器の準備をお願いする。二人きりになるとアーレインは険しい表情でため息をついた。
「子供の相手は不得手だ」
親となって何年経っても同じ言葉を溢す。実際はそんなこともないのに。
「ちゃんと伝わってるわよ。でなきゃ、あなたみたいになりたいだなんて言わないわ」
少女はまずリリィを起こしに向かったようだ。ああ、手を洗うように言わなければ。彼女達が笑っていさえすればこれ以上の幸せはない。
怪訝にする彼を見上げてシエラも微笑む。彼は、自分で思っているより多くを育てている。きっと『種蒔く人』である自覚はないのだろう。




