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小さな矜持 中編

 子供達が遊び騒ぐ気配がなかったのは怯えていたからだ。当然だろう、友が化物に食われたかもしれないとあっては。

 レビは孤児院で「先生」と呼ばれていた。問うより先に照れ臭そうに微笑む。

「実は、ここで読み書きを教えているんです。……ボクも親がいないので、他人事とは思えなくて」

 アーレインが姿を見せたことで幾分か元気を取り戻した子供もいた。ラダンの影響で少々住民との距離が風変わりな地域とはいえ、本物の魔法師に会う機会は滅多にない。まして言葉を交わすなど。

「壺の話を聞かせてくれるか。話せる範囲で構わない」

 問いかけには思いの外に多くの声が挙がった。誰もがこぞって救いを求めているのは明らかで、そのうちに泣き出した子供達もいる。

 ――アーレインはかつて悪魔だった頃、対価に捧げられた幼子を気まぐれで孤児院の前に捨て置いたことがある。喧しく煩わしい奇妙な生き物など、一刻も早く手元からなくしてしまいたかったのだ。

 どのみち長くは生きられない、その場で殺してしまえばよかったものを、と同胞は口々に言った。ならば自分が手を下す必要もない、と彼は返した。野山に捨て置かなかったのは……そう、単なる悪魔特有の『気まぐれ』だ。

 ヒトの命を奪えど何が手に入るわけでもない。今だって目の前で怯える小さな群れを見たとて何も感じないはずだった。どうでもいい、どうでもいいのだが。

「……くそ」

 自然と舌打ちが出た。

 想像を、したのだ。家で待つ小さな生き物も目の前の群れと同じ。体の奥を握りしめられるような心地がする。それがヒトの感性なのか親になったためなのか、悪魔の身で子を成すことはないからわからないが。



「ありがとうございます。引き受けてくださって」

 聖堂への道すがら、先導する写本師の少年はしみじみと口にした。

「ふん、嫌味か?」

 幼子の相手で気疲れしたこともあり、常より一層棘のある言い方になったのは仕方がない。

 騒がしく反発してきたあの少年はもういなかった。穏やかな声音にアーレインはわずかな物足りなさすら感じる。

「そもそもなぜ俺に依頼したんだ」

「ボクの知る魔法師様の中で、きっと貴方より優秀な方はいませんから」

 確かに気位は高いが非魔法師を見下すこともなく。親しみやすさにこそ天地の差があるものの、彼はラダンとはまた異なる性質の『人格者』であると、レビをはじめとした近隣住民はよく知っている。


 聖堂は立ち入りを禁じられていた。重々しい閂を外し中へと。静寂が満ちた空間は決して広くはなかったが、高い天井近くに設えられたステンドグラスから虹色の光が降り注ぐ光景は、田舎町の侘しい施設にしてはよく出来ていた。

「アーレイン様」

 扉が閉まる音に魔法師は振り返る。別に、院長だというあの女が案内してくれても良かったのに。少年はわざわざこうして二人きりになりたがった。

「何か聞かれてはまずい話か」

「……相変わらず察しが良いですね」

「お前の隠し事の下手くそさも変わらない」

 レビは困ったように笑った。今にして思えば、あの大魔法師の企みはあまりにお粗末だった。結果として、本人の甘さに助けられた形ではあったのだろう。

「……失礼ながら。貴方のことを少し調べさせてもらいました」

 そんな優しい魔法師のことを。

 アーレインは驚いた風もなく鼻を鳴らす。

「弱味でも握ったか」

「いいえ……何も。貴方のことは何もわからなかった」

 そう、逆だ。むしろ不自然なくらい一つの情報もなく……その魔法師に関しては何もかもがおかしかった。

 大した切欠があったのでもない。写本の仕事の中で帳簿を見せてもらう機会があり、褒められたことでないとは知りつつも興味本意で辿ろうとした。それに、敬愛するシエラの伴侶となった人物だ。未だ警戒心を完全に拭えたわけでもない。

「学校に通ったことがないとは仰っていましたけど、教会簿や町の家族簿を辿ることすらできませんでした。経歴を調べようとすれば役人は皆、首を捻るか口をつぐむ」

 地区の住民の出生や死亡の記録は教会に残る。信仰が理由で届出がなかったにしても、少なくとも役所の家族簿には何らかの情報があるはずだ。其処に生きていさえすれば、必ず。

「記録があるのは魔法師の登録とほぼ同時期から……まるで……ある日、突然現れたみたいに」

 アーレインは黙したままで金色の目をゆっくりと瞬かせた。感情を読み取ることはできないが、先に不機嫌を示した時とは違う。いっそ穏やかなほどに落ち着いている。

「他国の流れの兵士かもと……それもなくはないかもしれないと思いました。だとしたら足跡がないのも納得できる。でも、事実として貴方は魔法師だ。軍人じゃない」

 本当に軍の人間ならばあれほど見事な魔法を使って見せたりはしないだろう。武芸と魔法を極めるには常人の生は短すぎる。

 ましてまだ充分に年若い彼は大魔法師のれっきとした弟子なのだ。百歩譲ったとして、せめて《緑の雄牛》に属しているのならまだしも。

「きっと答えては下さらないでしょう、でも訊ねるのはボクの自由です。アーレイン様。貴方は……何者なんです?」

 その問い掛けは大魔法師がシエラに対して向けたものと同じであるとは、レビが知る由もない。かつての少女は答えの代わりに黙したが、青年自身は意外にもあっさりと首肯した。

「……お前はしぶといからな。いいだろう、降参だ。確かに俺はこの国の生まれではないし、知っての通りだが籍もなかった」

 値踏みでもするかのように瞳が細められる。降参と言いながらも場を圧するかのような魔法師の姿に、レビはごくりと喉を鳴らす。

「だが一つ否定しておく。従軍経験は長い。どちらかというと軍人の気質だ。こんな……拝まれるような役は向いてない」

「ではやはりどこかの、その……」

「だとして、答えると思うのか」

「それも……そうですね」

 今度はレビが両手を挙げる番だった。とてもではないが敵わない。それでも譲歩してくれた方なのだろう。

「他に質問は」

 淡々と続けられた言葉に少年は思わず笑みを浮かべた。当の本人は怪訝そうに。

「何が可笑しい」

「いえ……授業をしてくださった頃のことを思い出して」

 物言いはいささか粗雑でいつでも険しい顔をしている魔法師だったが、レビやシエラの疑問には必ず丁寧に応じてくれていた。……彼自身のこと以外に関しては。

 自分の誤魔化しを評することができるほど、アーレインの嘘も巧くはないとレビは思う。素直に信じろという方が難しい経歴の持ち主だが、しかしながら信頼されているのは彼自身の強さと誠実さゆえ。

 つまらなさそうに短い嘆息を一つ、長身の魔法師はレビを置き去りに躊躇いなく前の方へと歩んでいく。祭壇――その上で沈黙する例の『壺』のところへ。

「魔道具であることは確かだな」

 だが、悪意を感じない。持ち上げ、ためつすがめつしてみるも変わったところはなかった。たとえアーレインの『目』を以てしても。

「今のところは何もなさそうだ。戻るぞ」

「はい。また夜にでも」

 奇妙な噂も子供達が吸い込まれたのも夜中の出来事だ。今日は泊まり込みとする予定だから、仮眠でもとって深夜に再び訪れるのがいいだろう。

 壺を置き、規則正しく並んだ長椅子の間を戻る。レビが扉を押し開け……

「……あれ?」

 開かない。

「鍵なんて閉めてないのに……!」

 ガチャガチャと乱暴に取っ手を動かそうと試みる。

 聖堂内に満ちた異様な空気に気付くのはやはり魔法師が先だ。その実、少年は魔素を感じる能力が全くない性質だった。

 壺を振り返るよりも本能的に転移魔法で距離をとる。素早く出入口付近へと現れた魔法師は、後ろに少年を庇う位置で改めて祭壇と向き合った。

「ああ……俺が悪いのか、これは」

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