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小さな矜持 前編

 ようやく閲覧を許された教会簿にはあの魔法師が『生きた痕跡』が無かった。何一つとして。

「記録が一切無い……?」

 呟いたかつての少年はもはや声変わりも終え、青年に片足を踏み込んでいる。

 ずっと妙だとは思っていた。それでも今は頼るしかないのだ。不思議の才に溢れ、美しいのに無愛想で、誰よりシエラを愛する彼に。



「あの、アーレイン様ってお忙しいですよね……?」

 たまの手伝いにと実家に立ち寄ったシエラは珍しくレビと鉢合わせた。駆け出しの写本師として働き始めた少年は、仕事の合間にはずっと忙しく孤児院へ通っていると聞いていた。シエラが家を出たためもあるが、きちんと会話をするのはいつ振りか。

「そうね、でも最近は家に居る時間も長くなったかも。今日はソフィーの面倒を見てくれているわ」

「ああ、ソフィーちゃん……! 元気ですか?」

「もうとってもお転婆! 一体誰に似たのかしら?」

 肩を竦めればやっと少年は笑顔を見せる。……どうにも疲れた様子だから心配していたのだ。シエラは内心ほっと一息をつく。ソフィーはレビのことも大好きで「お兄さま」だなんて言って懐いているから、近頃はなかなか会えず寂しがっているに違いない。

「彼に何か用事? 連れてくれば良かったわね」

「あ、いえ、あの……つい最近、ボクが通っている孤児院で古い魔道具が見つかったんです。できたら、ちょっと見てもらえないかな、と……」


「――というわけなんだけど」

「お前、便利屋にでもなった方がいいんじゃないか」

 ソフィーを寝かしつけた夜、本人に伝えれば呆れ顔が返される。さもありなん、シエラはたまに魔法絡みの依頼を店の客からもらってくることがあった。

 大抵は簡易な魔道具を渡したり知り合いに口を利いてやったり、多少の親切心で捌ける程度のもの。実地訓練になるという理由で、下級魔法師達がアーレインの指示でよく駆り出されている。

「そう言われると返せないわ。いつもごめんなさい」

「今更だ。……それに、あれには借りがある」

 どちらかといえば臆病な少年は、魔法師に楯突いてまでシエラの幸せを願い行動した。元悪魔とてその心根は少なくとも好ましいと思っているのだった。


 孤児院は町のはずれ、修道院からそう遠くはない場所に建っている。みすぼらしい外観でないのは恐らく喜ぶべきことなのだろう。

 シエラ達を出迎えたのは、レビと、ほっそりとした壮年の女性。孤児院の院長だという。子供達は掃除の時間とのことで、辺りは静かなものだ。よく手入れされた道を踏んだアーレインは、レビを見下ろし開口一番、不機嫌そうに言う。

「『誰がここで魔法を使った?』」

 少年は焦燥を滲ませ唇を噛む。見た目こそ随分と大人びたものの、叱られた子のように身を縮める他ない。

 その姿に魔法師は更に機嫌を損ねたらしい。一度鼻を鳴らしたきり、黙したまま何かを探すように辺りへ視線を向ける。

 突如として走る緊張感から置いていかれたのはシエラだ。しかし礼儀として。いつも似た調子の彼と初対面の相手との間を取り持つのには慣れている。

「はじめまして、シエラ・フリンジといいます。レビがお世話になって」

「これはご丁寧に。レビさんからお話は伺ってました。……その、お姉様でいらっしゃいますか?」

「いえ――」

「ええ、そんなところです」

 慌てる少年の否定より先に頷いたシエラ。

「シエラ様……!」

 喜びに言葉を詰まらせる様に笑いかける。どれだけ年月を重ねようが家族であるのは変わりない。

 それから、隣の美しい青年を手のひらで示し。

「こちら、魔法師のアーレインです」

「ほ、本物の魔法師様……!」

 さあっと女性の顔から血の気が引く。驚愕の声と共に口を覆い。異様な空気に戸惑うシエラに対し、首をゆるやかに振って見せる。

「……失礼をいたしました。魔法師様、この度はご足労いただき感謝します」

 二人の固い表情に、さすがに何事かの事情を抱えていることは察せられる。「シエラ」と沈黙を破ったのは険しい表情をした夫だった。

「先に帰れ。ここは俺だけで充分だ」

「え、でも……」

 逡巡しながら両者を見比べる。相変わらずレビは唇を引き結びながら地を見つめているし、何故だかアーレインはずっと機嫌が悪い。

 だが魔法絡みの仕事に関してシエラが出来ることはほぼない。元々、あまり折り合いが良いとは言えない彼らの緩衝材になるために来たのだ。余計な仕事を増やすよりは従う方がいいと判断する。

「わかったわ。……その、気をつけて?」

「ああ」

 あの珍妙な呪文で指輪を使えば転移魔法が発動する。ラダンの畑に植えていた林檎の木は、引っ越した時に新居の庭先に移動させていた。


 青い魔力光が消えて後。魔法師の声は一層に冷え込んでいた。

「写本師。お前、嘘をついたな」

 がばりと。弾かれたようにレビが頭を下げる。

「――もっ申し訳ありませんでした……! 騙すつもりはなかったんです、ボクはその、ただ……!」

「おやめなさいレビさん。……魔法師様、私が悪いのです。『まだ無事な子達』のパンを優先してしまった」

 震えながらもしっかりと魔法師を見上げる胆力は責任者というだけある。彼は心を動かされた風もなく両腕を組み重苦しい息をつく。到着した時から変だとは思っていたのだ。

「庇い合いはいい。正直に答えろ。『何人死んだ?』」

「いっいえ、わかりません……」

「わからない?」

 二人の口から語られたのは俄に信じがたい出来事だった。

 子供達が――とある壺に吸い込まれたのだと。

 孤児院で古い魔道具が見つかったのは本当らしい。地下の倉庫を片付けていた時に見つかった一つの壺。子供が持ち運ぶには少し重たいが、別に何の変哲もない古びた装飾品だった。気に入った誰かが飾ろうと言い出し、廊下に置いていたのだという。

「そのうち……妙なことが起こり始めたんです」

 やれ壺が動いただの、黒い影を見ただの、そんな噂が流れ始める。彼ら自身も黒い霧のようなものを見て魔道具の可能性を疑い始めたわけだが、別段何かの害があったのでもない。とはいえその廊下を通る度に怯える者が出てくる始末で、仕方なく聖堂へと置き場所を移したらしい。

 それで問題はなかったのだ。数日前の晩に子供が消えてしまうまでは。

 好奇心に蓋するのは難しい。ある晩、こっそり聖堂へと忍び込んだ子供達の何人かが壺に吸い込まれてしまうという事件が起きた。中から飛び出してきた影に引きずり込まれたと――命からがら逃げ戻った者らの証言をまとめるとそういうことらしい。だが、大人達に確かめる術はなかった。

「どうして早く知らせなかった」

 一通りを聞き終えたアーレインは額を押さえる。しかし答えはわかっている。先の言葉通り……日々の糧を優先したのだろう。

 本来、魔法師へ正式な依頼をするには所属機関へと書面を提出する必要がある。それと共に、決して少なくはない金額も。貴族に準ずる階級にある彼らは、才能と命を懸ける対価として特別な扱いを受け取る。

 ずっと彼女がアーレインを追い払いたがっているのはそれが理由だ。魔法師が、それも彼のような上級魔法師が任に就くとなれば、その費用は孤児院にとって致命的な負担となる。

「これで借りは返したことにするぞ、写本師」

 仕舞いとばかりにぎろりと睨めば少年は息を呑む。

「案内を。その魔道具とやらを見せろ」

「お、お待ちください。そんな大金うちには……」

「不要だ。もう足を運んでしまった。……代わりに他の魔法師には黙っておいてくれ」

 表情を輝かせたレビは謝罪した時よりも勢いよく頭を下げた。時の流れは早いものだ。悪魔が魂に干渉したせいか、シエラの見た目はそれほど変わらないというのに。

 ふとアーレインは一つの疑問を思い出す。そういえば少年は何のために孤児院に通っているのか?

「ああ、魔法師様……!」

 感極まった悲鳴のような声に思考から引きずり出される。女性から涙ながらに拝まれ、彼は苦虫を大量に噛み潰した顔をする他なかった。

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