第四話:涙の別れと驚きの出会い
「あ〜、もう頭に来た!」
部屋に帰り、私はドレスを脱ぎ捨てて、クローゼットに仕舞ってある猟民の服に着替える。
「お嬢様! 何を!?」
ペティが慌てた様子で私の後を追ってきた。
「この家を出るわ! 学院だってやめる! もう我慢出来ない!」
「そんな! ここを出てお嬢様一人で生きていけるとはとても……」
「出来る! 私、猟民になるわ!」
「そんな無茶な!」
「猟民の狩りにも同行した事あるし、弓の練習だって一人でしてたんだから!」
「そんなの、止まっている的に当ててただけじゃないですか!」
そんなやり取りをしながら着替え終わる。革の篭手に革の胸当て、弓と矢筒に十本ほどの矢。
腰には短剣。それにフード付きのマント。
屋敷に獲物を献上しに時々訪れる猟民からもらったものだ。
私は、森の近くで自由に暮らす彼らの暮らしに少なからず憧れを持っていて、時々それを身に着けては一人で弓の練習をしていたのだ。
「ペティ……」
私は少し気持ちを落ち着かせて彼女に向き合う。
「ごめんね……。でも、もうこの気持を止められないの。私だって分かってるのよ……。家を出てしまえば、貴族としての庇護は受けられない。それどころかいつ野垂れ死んでもおかしくない……」
「そうですよ! 危険です! それに……私だってお嬢様のお世話をし続けたいです……」
ペティは肩を落として寂しそうな顔をしている。
「ペティ……ありがとう……」
私はそんな彼女を強く抱きしめた。
「こんな私の事を慕ってくれる……貴女の事は大好きよ。それに、あんなお父様やお母様にだって、今まで育ててくれたことには本当に感謝してるのよ。けれど――」
ペティの両肩を握ったまま、少し距離を置く。
「今までずっと我慢してきて……それでも周りは私の事をのけものにする……。利用するか馬鹿にするかのどちらか……。このままずっとここに居て、何かが変わるとは思えないの……」
これは自分自身への決意表明でもある。
「私、変えたいのよ、自分自身もその周りも……」
「お嬢様……」
ペティは少し涙ぐんだ様子で私を見つめた。
「馬車で隣の街外れの森まで行くわ。あの森を抜ければ猟民達が住む村がある。私そこで働かせて貰えないか頼んでみる」
「そんな! あの森は女性が一人で抜けられるような森じゃないです!」
確かにあれは大きな森だ。
慣れていない人間にとってはかなり難しいだろう。
魔獣だって出てもおかしくない。
けれど、私にはある程度の自信と覚悟があった。
「……ペティ、なんで、私たちがこうやって今の上流階級に居られるか知ってる?」
「それは……昔あった戦争で、剣や魔術に秀でた家系が活躍したから……」
「そう、もともと貴族というのは剣士や魔術士の家系。今でも貴族が時々、自分たちのことを士族、つまり『戦える者』という意味で呼ぶのはそういう理由」
「……それは分かりますが……」
俯くペティに対して私は言葉を続ける。
「今はそれなりに平和で、貴族も民に対する責任を忘れかけている。けれど、もっと昔に生まれていたら、私だって戦争に参加していたかも知れない……いいえ、今だって戦わなければならないし、戦えるのよ! 私は」
「……何を言っても決心は変わらないようですね……」
ペティは私の方を向いて、涙を流しながら少し微笑んだ。
「……申し訳ありませんが、お手伝いは出来ません」
「……それでいいのよ。何もしないで居てくれれば……」
私の手伝いをすれば、ペティはこの家に居られなくなるだろう。
私を止められなかった事ですら、責められるかも知れない。
「お嬢様……、さようなら……は言いません。いつかまた元気な顔で帰ってきて……」
ペティは震える声でそう言った。
「……そうね……いつかまた会いましょう……」
部屋を出ていくペティの背中に、私は小さく語りかけた。
◇ ◆ ◇
革のバックパックに必要最低限なものだけを詰め込み、お父様、お母様に簡単な書き置きを残すと、私は窓から部屋を飛び出した。
屋敷の裏から外に出て、大通りまで歩いてから馬車を捕まえる。
手持ちのお金はそう多くないから、馬車だけでも大きな出費に思えた。
「お金は大切ね……」
今まで自分でお金を稼いだことはない。
このお金だって両親からのものだと考えると、少し複雑な気持ちだったが、それで悩んで立ち止まるようなことはしない。
一時間ほど馬車に乗っただろうか。
猟民の格好をした女性が一人で馬車に乗ることを、御者は怪しんでいる様子だった。
私はマントのフードを被り、必要最低限なこと以外は沈黙を貫いた。
森の入り口に着くと、うっそうと茂った草木が目に入る。
この森へ来るのは初めてではない。
何度か猟民の狩りを見たくて同行したことがある。
獲物ではない小さなケモノと遊んだりもした。
ただ、これまで来たときと比べると、かなり暗い。
「あ〜、しまったなぁ……。私ったら時間を考えてなかった……」
既に日が沈み始めていて周りは薄暗くなっていた。
こんな事にも気が付かなかったなんて、やはり冷静さを失っていたのだろうか……。
この森は大きい。仮に森を最短でまっすぐ抜けられたとしても数時間はかかるだろう。
「これは一旦引き返して、どこかの宿に泊まらせてもらうしかないか……」
そんな独り言を呟いていた時――
「にゃぁ〜」
木々の中から、私に呼びかけるケモノの鳴き声が聞こえた。
「あ、あの子!」
黒くて小さなもふもふのケモノ。黄色い瞳がじっと私の方を見つめている。
以前、校庭で助けた子どものフェルだ。間違いない、私には分かる。
「こんなところまで来ていたの!? 子どもなのに、凄い行動範囲ね!」
「んにゃあ〜」
「え? ついて来いってこと?」
フェルが私を案内しようとしているようだ。
体を森の方に向け、振り返りながら鳴いている。
「……」
客観的に考えれば、この時間から森に入るのは危険だ。
朝を待つべきだと思う。けれど、あの子が呼んでいる。
不思議と私の足が森の中へ向いた。
「結構、奥まで来ちゃったわね……」
小一時間ほど歩いたと思う。日は完全に沈んでいる。
魔術で灯した小さな明かりを頼りに草木を踏み分けながら進んだ。
こういうときに私の魔術が地味に役立つ。
「んにゃっ!」
「え、着いたの?」
私を先導していたフェルが鳴き声を上げたので、私は顔を上げる。
少し離れた位置に、子どものフェルより一回り大きな、ぷっくりと太った大人のフェルがいた。
子どもの方と同じく、全身が黒く黄色い目。
「あら? あなたのママかしら?」
「……」
私が声を掛けても、黙ったまま私をじっと見つめている。
「私は敵じゃないですよ〜。にゃ〜、にゃ〜」
フェルの鳴き声を真似して語りかけてみる。
「……」
おかしいな? こういうのは結構得意なんだけど、全く反応がない。
「ごめんね〜。ちょっと近づきますよ〜、ママさん」
驚かさないようにそっと足を上げて前に進む。
「……ママじゃないぞ」
えっ? なんかフェルが言っていることが人の言葉として完全に理解できる。
いつものようになんとなくじゃなくて、はっきり聞こえた。
「すっ、すごい! 私ったら完全にケモノの言葉が理解出来るようになったんだわ!!」
嬉しくて思わず小躍りしそうになる。
「……違うぞ」
「え、違うの??」
普通に会話できているから、そうだと思うのだが……。
けれど確かに、耳から人間の言葉が聞こえてくるような気もする。
「え〜と、う〜ん……。これは……」
「……吾輩の方が少し特殊なのだ」
「特殊……? あなたは一体?」
「そうだな、吾輩は……」
そう言ってから考えるような様子で下を向き、僅かに静止した後に首を上げた。
私の耳に、また言葉がはっきりと聞こえてくる。
「吾輩は……ネコである」