第二話:わたしと世界(後編)
お昼休みの時間、食事を済ませた私は、窓側に位置する自分の席から外の様子を見ていた。
ちょうど私の位置からは学院の中庭が見えるのだ。
春の気持ちの良い日差しが降り注いでいる。
中庭に植えられている植物たちも気持ち良さそうに、柔らかな風に揺られている。
「あれ?」
中庭の植物の影に黒い物体がある。いや、物ではなさそうだ。
「大変!」
それが何かを理解した私は、急いで教室から飛び出して中庭へ向かった。
「すぅすぅ……」
中庭に着くと、黒色で小さなケモノが丸まって寝ていた。
「あら、可愛らしいフェル。まだ子どもかしら?」
フェルと呼ばれる小型のケモノだ。
体はまだ小さく、大人にはなりきっていないように見える。
私の片手でも持ち上げられそうだ。
降り注ぐ日差しが眩しいのか、前脚で目を押さえて眠っている。
小さく息をしながら時々姿勢を少し動かしていた。
体毛は見るからにふわふわで柔らかい。
私がその鼻筋をちょんと少しつついてみると、くすぐったそうに前脚で鼻を押さえて、さらに丸くなる。
「ふふふ……」
その可愛らしい仕草に思わず微笑えんでしまう。
「けれど、こんなところで寝てたら危ないのよ」
私はフェルを驚かせないように、その背中に手を当ててゆっくりと体を揺すってみた。
私の手に当たる毛の感触がもふもふとして気持ち良い。
「……にゃぁ」
小さく鳴き声を上げながらフェルが目を開けた。
黄色い目をしているが、眠気からなのかそのまぶたは開ききっていない。
「あら、良かった! 早く外にお行きなさい。ここに居ると捕まっちゃうわよ!」
「……」
私の言葉に対してフェルは私の方をじっと見つめている。
「ここが気持ち良いから出て行きたくない? だめよ、危ないんだから」
昔から、なんとなくだがケモノが何を言っているのか分かるのだ。
それにこっちが言いたい事もある程度は理解してもらえる。
「ここには人が一杯いるし――」
「リン様、何をしていらっしゃるの!?」
私の後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。アリスが取り巻きの男性を五人ほど引き連れて立っていた。
「そんなケモノとお戯れになって! 危険ですわよ!」
「大丈夫だよ、まだ子どもだし……」
怒声に近い声で忠告してくるアリスに対して、私は反論する。
「いいえ! ケモノは魔獣になる可能性がある。そんなの常識ですわ」
「そうかも知れないけど、普通に接してれば――」
この世界に存在する凶暴な魔獣。
『ケモノは魔獣に変化する事がある』という事はこの世界の常識。
私もそれ自体は疑っていない。
私も少しだけ魔獣は目にした事があるし、ケモノと魔獣は姿形が酷似しているからだ。
けれど、ケモノと普通に接していればそんな事が起こるとは思えない。
今までに色んなケモノを見たり、接したりしてきたけれど、少なくとも私の目の前でケモノが魔獣になった事はないし、こんなに愛らしいフェルがいきなり魔獣になったりするようにはとても思えない。
「ああ、恐ろしい!」
そういってアリスはしがみつくように取り巻きの男性の服を掴む。男性にどうにかして欲しいと暗に伝えているのだ。
「アリス様、ここは私にお任せ下さい!」
しがみつかれた男性が、彼女の要望通りに事を起こす。右手をフェルに向かって伸ばして、魔力を集中させている。
「いけない!」
私もフェルに向かって手を伸ばして、防護術式を展開する。
シュゥーと音を立てながら放たれた螺風の術式が、バンッと音を立てて防護術式に弾かれた。
本気ではないにしろ、幼いケモノに怪我をさせるには十分な威力だったろう。
「んにゃ!」
フェルはその音に驚いたのか、中庭から走り去っていった。私としては取り敢えず一安心だ。
「リン様、なんで邪魔をしたのですかっ!?」
「あんな小さなケモノに魔術なんて必要ないでしょう!」
私はアリスと対峙する形でにらみ合う。
ピリピリとした空気が流れているのを感じる。
取り巻きの男性陣は完全にアリスの味方で、彼女を守るように立ち並んでいた。
「おやめ下さい、アリス様!」
そこに一人の男が現れた。
「アル!」
私は彼の名を呼ぶ。
アルフレド――学院の先輩でもあり、私の婚約者でもある男性だ。
美しい金髪で男性としては少し髪が長い。
その髪が光を反射しながら綺麗に風に揺れている。
アルは少し歩いて私とアリスの間に立った。
「……アルフレド様……」
さっきまで厳しい表情だったアリスが、しおらしい様子でアルを見つめた。
「アリス様、どうぞお怒りをお納め下さい。このリンは私の婚約者。彼女が何か無礼をしたのであれば、私が代わりに謝罪させて頂きます」
「……謝罪なんて……」
私は小さな声で呟く。何も悪い事をしたつもりはない。
少しの沈黙が私たちの間に流れた……。
「……ふぅ」
その沈黙を破るようにアリスが息を吐き出した。
「学院の中にケモノがいたので、取り乱してしまったのです。アルフレド様」
そう言いながら、アルの方に歩いて近づく。
「……お見苦しいところをお見せして、大変申し訳御座いませんでしたわ」
アリスはアルの前で頭を下げた。
彼との距離が妙に近く、顔のすぐ下から見上げるような格好になっている。
私に対して謝っている態度ではないのは明白だ。
「い……いえっ」
アルはアリスとの距離が近い事に動揺しているのか、少し震えた声で返事をした。
顔も少し赤く染まっている。彼が来てくれたときには少し安心したのに、今は情けなく見えてしまう。
「ふふっ」
アリスは微笑みながら上目遣いでアルを見たあと、踵を返して去っていった。
取り巻きの男性陣もそれを追っていった。
アルは少し呆けていたが、しばらくして我に返って私に声をかけた。
「……だ、大丈夫だったか?」
「大丈夫……。ありがとうございます」
「リン……」
「すぐに午後の授業が始まります。行きましょう」
そういって私たちはそれぞれの教室に戻っていった。
私とアルの距離感は微妙なところがある。
同じ学院の生徒でもあり、婚約者でもある。
ざっくばらんに話す時もあれば、少し距離を置いて話す時もある。
子爵の娘である私に対して、アルは伯爵の息子。
一般的には好ましい縁談だろう。
双方の親同士が決めた婚約者だが、彼自身、私の事を一人の女性として好きだと言ってくれている。
少し頼りないが、見てくれも悪くない。
自分の意思で出来る恋愛など限られている身分を考えれば、十分に満足できる相手だ。
私はこのままなんとなく学院を卒業し、彼と結婚するものだと考えていた。
【あとがき】
[設定について]フェル = ネコ だと思って頂いて構いません。
[一言]ブックマークありがとうございます m( )m